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「はい……いいですよ」
雪乃には随分と長く感じられた時間が過ぎ、
さやかの声がごく浅い眠りにつき始めていた意識を呼び覚ました。
恐怖と、それをわずかに上回る期待を胸に秘めつつ、ゆっくりと目を開ける。
視野に飛びこんできた顔の持ち主に気付くまで、雪乃は間抜けに口を開いていた。
「これが……オレ?」
目の前に映っている少女が自分だとは、雪乃にはどうしても信じられなかった。
全体の印象はあくまでも織部雪乃なのだが、そこに長刀と合気道の達人である面影は微塵もなく、
オレ、と言う言葉使いが間違っているかのような錯覚さえ覚える。
「……どう、ですか?」
「……負けたよ」
恐る恐る尋ねてきたさやかに、雪乃は軽く頭を振って敬意を表わした。
鏡越しの不安そうな表情が途端に弾け、嬉しそうに抱きついてくる。
「お、おい」
あまりのはしゃぎように思わず雪乃はたしなめようとしたが、
呼びかけた言葉が消えるか消えないかの内に、鏡に写った自分の頬にさやかの唇が触れていた。
「ふふッ、雪乃さんがあんまり可愛いから、キスしちゃいました」
さやかは驚きのあまり声の出ない雪乃に向かって悪びれずにそう言うと、
反対側の耳に手を触れさせてくる。
「ちょ、ちょっ……」
「私ね、初めて雪乃さんに会った時から、ずっと気になっていたんですよ。
だからこの間新宿で雪乃さんを見つけた時、本当に嬉しかったんです」
不意の告白に、雪乃は瞬きも、呼吸さえも忘れてさやかの顔を見る。
見られたことで今更のように恥ずかしさが沸き起こったのか、
さやかはそのみずみずしい唇をほとんど雪乃の耳に押し付けるようにして告白を続けた。
「女の子同士なんておかしいのは判ってます。
でも……でも、どうしても、気持ちだけは伝えたくて」
さやかの囁きは、比喩ではなく本当に、蕩けるような甘さで雪乃の心に染み渡っていく。
それがさやかの持つ「力」の作用なのか、
それとも自分の内に眠る想いが感覚さえ支配しているのか、雪乃には判らなかった。
ただ、この心地よさを手放したくは無い。
それだけは確かだった。
「私……雪乃さんのこと、好きです。雪乃さんは……私のこと、好きですか?」
極上のハープでさえ霞んでしまうような透明な声が、雪乃の気持ちをある方向へ導いていた。
すがるように自分を見つめるさやかの視線を真っ向から受け止め、
受け入れると、再び目を見開く。
それで答えは決まったが、それを口にするのは雪乃にとって至難の技だった。
向かい合う自分の口は動いているのに、声が全く聞こえてこない。
「オ、オレも……お前のこと、その……嫌いじゃ、ない、ぜ……」
ひどく音程の外れた声でようやく返事を伝えた雪乃だったが、
その返事に感激すると思ったさやかは意外にも首を横に振った。
「だめです。もっとちゃんと言ってください」
「ちゃんと……って」
そう尋ねたこと自体が、さやかが聞きたい台詞を自分が知っている、と言うことを示していた。
龍麻と出会ってから闘ってきたどんな強敵と対峙するよりも激しい緊張が雪乃を襲う。
「す、す、好き……だよ。オレも、お前の事、好き……だ」
ほとんどやけっぱちになりながらさやかの想いに応えると、
鏡の向こうのさやかが、そっと自分の顎に手を添えてこちらを向かせた。
さやかの長い睫毛の端は潤んでいるように見え、口元は微笑んでいるようにも思え、
泣いているのか笑っているのか雪乃には判らなかったが、目を逸らすことだけは出来なかった。
軽く指先に力が加わって上向かされた時、自然に目を閉じる。
全神経を唇に集中させてその時を待ち構えていた雪乃だったが、
一瞬、温かい感触が触れたかと思うと、すぐに遠ざかってしまった。
思わず目を開けた瞬間、改めて唇を奪われる。
こんな軽いかけひきさえ初めての雪乃は簡単に術中に嵌ってしまい、
羞恥で耳が真紅に染まっていく。
さやかは頬を愉しそうに緩ませると、わずかに顔を傾けた。
触れている唇から、ほんの少しだけ甘い味が伝わってくる。
全身の力が抜けていくのを他人事のように感じながら、
雪乃は何故世の中の男女がキスをしたがるのか、ようやく理解していた。
ほとんど泣きそうな程心地よく、温かい何かが身体を満たしていく。
耐えきれなくなって目を閉じると、
触れ合ったままのさやかの唇が小さく動き、何事か囁いた。
何を言っているかは判らなかったが、流れ込んできた吐息だけで雪乃を蕩かすには充分だった。
さやかの頭に手を回し、より強く唇を押しつけると
柔らかいウェーブのかかった髪が自分の前髪に触れ、繊細なカーテンとなって顔を隠す。
二人はそのまま、わずかな胸の鼓動さえ疎ましく感じながらキスを続けていた。

ずっと続いて欲しいと願った、至福の時が終わる。
雪乃は今どんな顔をしているのか想像するだけで顔から火が出そうだったが、
さやかの顔が離れた時に鏡に映った自分が目に入ってしまった。
「……どうしたんですか?」
「い、いや……オレ、今変な顔してねェか?」
雪乃の質問をきょとんとした表情で聞いていたさやかは、
次の瞬間今離れたばかりの唇に再びキスしていた。
「大丈夫ですよ……とっても……可愛い顔してます」
「そ、そっか……ならいいんだけどよ」
可愛い、と言われても普段の雪乃なら鼻で笑っただろうが、
今は無垢な少女のように頬を赤らめてしまう。
「ね、向こうにいきましょう」
さやかに促されて雪乃は立ちあがろうとしたが、
腰が抜けてしまっていたのか、その場で膝をついてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて自分を抱き起こすさやかの肩を借りながら、雪乃はなんとか立ちあがる。
この家に入るまでの自分が見ていたら情けなくて蹴り飛ばしたに違いないが、
密着した身体から伝わるさやかの体温は雪乃に全てを捨てさせるほど心地よかった。
寝室には、優に二人が並んで寝る事が出来るベッドが備え付けられていた。
ベッドの端まで来た所で、雪乃が夢から覚めたようにさやかから離れる。
「あ……あのさ」
「なんですか?」
「シ、シャワー……使わせてくれないか?」
まさか自分がどこかのドラマのような台詞を口にするとは思ってもみなかった雪乃だったが、
さやかの返事は乱暴に突き飛ばされた後だった。
極上のクッションに柔らかく受け止められ、
沈みこんだベッドに身体が埋まった時、さやかの身体が重なってくる。
「大丈夫ですッ。私はもう浴びましたから」
「そ、そうじゃ……ん、んぅ……」
軽くあしらわれている事に気付かず律儀に反論しようとした所に、再び口を塞がれた。
開きかけていた唇に、舌が触れる。



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