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 渋谷の街は、普段と変わる所は無かった。
短期間に九人もの死人が出ていると言うのに、人の流れは全く減ることも無く街を埋め尽くしている。
立ち止まっているだけで邪魔者扱いされそうな人混みの中、辟易したように京一は首を振った。
「ここも相変わらずうるせェ街だな。けど、特に変わった様子もねぇみてぇだけどよ」
「そうだな。人が減ってもいないようだし……まぁ取り敢えず公園に行ってみよう」
 実際のところ、公園に行って鴉がいたからといって、何が解るものでもないとは思うのだが、
他に手がかりもない以上、そこに向かうしかなかった。
 駅と反対方向へ、流れに逆らって歩いていた一行だったが、急に京一が走り出した。
「──ッと、信号が変わる。走ろうぜ」
 別に信号一回くらい待っても大した時間ではないのに、
ラーメンを食べて体力が有り余っているのだろうか。
まさか、杏子に義理立てしている訳じゃないだろうに──
そんな意地悪なことを考えながら早足で歩く龍麻の目の前に、急に少女が現れた。
実際はもちろん龍麻がよそ見をしていただけのはずなのだが、
それにしても突然で、決して悪くはない龍麻の反射神経をもってしてもかわしきることは出来なかった。
少女が全くよけようとしなかったこともあり、身体の三分の一ほどがぶつかってしまう。
「痛ッ」
「あ、あの──ごめん、大丈夫?」
 少女はよろけたものの、何とか倒れずにすんでいた。
だから怪我も大したことはないだろうが、もちろん非は自分の方にあるのだから、
龍麻はややうろたえて少女を気遣った。
 腰をさすっていた少女が、顔を上げる。
栗色の髪が印象的な程度で、あとはどこをとっても儚げな
──別れた直後に忘れてしまいそうな──印象の顔立ちだった。
それなのに、龍麻は見た瞬間、
これまでの人生で出会った誰よりもはっきりとその顔を記憶に焼きつけていた。
それはまるで、あらかじめそこにあった・・・・・・・・・・・記憶が、
本物を見ることで封印から解かれたようですらあった。
「いえ──わたしもよそ見してたから。あなたこそ、怪我はないですか?」
「え? あ、あぁ、俺は大丈夫」
「本当にごめんなさい。わたし、少しぼんやりしてて……」
 頭を下げる少女に、龍麻はこれまで抱いたことのない感情を覚えていた。
一秒ごと、半秒ごとに強くなっていくその気持ちは、
まるで自分の意識を乗っ取っていくようで、恐怖ですらあった。
自分の心のどこにあったのかというほどの膨大な想いをどうしたら良いのか判らないまま、
振り払うように口を開く。
「あ……いや、お互い怪我が無くて良かったよ。それじゃ」
「あの」
「ん?」
「あの、名前を……聞いてもいいですか?」
 初対面でいきなり名前を聞いてくるなど、おかしなことのはずだった。
ただ肩が少し触れただけの、東京に住んでいれば幾らでも起こりうる、
記憶にも残らないような人生の重なり合いであるはずだった。
しかし、彼女の声が耳に入ってきた途端、龍麻はもう何の疑問も抱いていなかった。
それどころか、そうせねばならない気がして、気が付けば自らの名前を口走っていた。
「緋勇……龍麻、さん……」
 少女がゆっくりと自分の名前を呟く。
それは、そうされるべき韻律を伴っているかのように龍麻には聞こえた。
「あ、あのっ、おかしいですよね。初めてあったのにいきなり名前を聞くなんて」
「……」
 龍麻は答えない。
答えられなかった。
心の中で命じる声は、無視出来ないほどに高まっている。
辺りの雑踏もいつしか消え、世界に二人だけになったような感覚。
あまりに強烈過ぎるその想いが、かえって龍麻にブレーキをかけさせていた。
しかし、それは勢いを殺しはしたものの止めるまではいかず、
とうとう、ためらいつつも少女に話しかけようとする。
思考が声帯を震わせ、意味のある音となって紡ぎ出されようとしたその時。
心の中で命じている声と同じか、あるいはそれ以上の強さの声がいきなり割って入ってきた。
「緋勇くん……どこなの?」
 耳からでは無い。
心の、紗夜のことで半ば占められている部分のちょうど反対側から、それは真っ直ぐに響いた。
彼女以外のものに色が付き、彼女以外の音が鼓膜を打ち鳴らす。
龍麻に世界が戻ってきた。
「あ……引き止めちゃってごめんなさい。それじゃ。……また逢えるといいですね」
 そして龍麻が取り戻した世界に存在を許されない少女は、寂しそうに笑って手を振った。
最後の言葉は、耳鳴りにかき消されて聞こえなかった。
歩き出した龍麻が、何かの予感を感じて振りかえると、彼女はもう何処にもいなかった。
まるで、最初からそこに居なかった・・・・・・・・・・・・ように。
 かなり長い間話していたはずなのに、信号はまだ点滅していた。
人々は急ぎ足で横断歩道を渡り、道の真ん中で突っ立っている龍麻を邪魔そうに睨んでいる。
夢から醒めたような龍麻の表情に、葵は優しく微笑みかけた。
しかし、龍麻はその笑顔に応えることが出来なかった。
「良かった、急に見えなくなっちゃうから」
「ご……ごめん。行こう」
 龍麻は、初めて葵に隠しごとをした。

 京一達は、まだそれほど先に行っていなかった。
葵と二人きりなのが今は辛かった龍麻は、人波から出ている醍醐の頭に安堵を覚える。
「なんだよ、何やってたんだよ。まさかおネェちゃんをナンパしてたとかじゃねぇだろうな」
「そんなんじゃねぇよ。ただちょっと」
「ちょっと、なんだよ」
「……ちょっと、人とぶつかっちゃって謝ってたんだよ」
「なんだそりゃ。どうせおネェちゃんに気ィ取られて前見てなかったんだろ」
「もう、京一じゃないんだからそんな訳あるわけないだろッ」
「いやいや小蒔、こいつは案外こう見えて」
「いいから行こうぜ」
 いつも通りの会話をしてくれる京一の肩に腕を回し、強引に歩き出す。
「痛ッ! お前が遅いから待っててやったんだろうが」
「ん、悪い悪い」
「なんだその心の篭ってない謝り方はッ! くそッ、暑苦しいんだよ、離せッ!」
 耳元でがなり立てる京一の声が、さっきまでの心の潮騒をカモフラージュしてくれる。
今は、その方が良かった。

 十分ほど歩き続け、ようやく人の気配も少なくなってきた頃。
少し前から無言だった小蒔が、もう我慢出来ない、と言うように口を開いた。
「ねぇ、ボク考えたんだけどさ」
「あん? なんだよ」
「犬神せんせが言ってた、ミサちゃんが言ってたことってあったじゃない」
「あァ、犬と猿と雉だっけ」
「そりゃ桃太郎だろッ! 未の方角に獣と禽の暗示ってやつ」
 どうやら素で言っていたらしい京一は、小蒔の突っ込みに沈黙したままだ。
後を継いだ醍醐は、口の中でミサの言葉を呟き、何かに気付いたように顔を上げた。
「禽……か。もしかして桜井」
「うん。鴉のコトじゃないかなって」
「でもよ、んじゃ獣ってなんだ?」
 小蒔の、というよりもミサの言う事に反論したい京一が、もうひとつの動物への疑問を呈する。
「それは──まだわかんないけど……」
 良い思いつきだと思ったのに、あっさりと不備を見つけられてしまって小蒔はうなだれた。
 しかし龍麻も考えの方向自体は間違っていないと思い、
そう言って小蒔をフォローしてやろうとした時、女性の悲鳴が渋谷の街を切り裂いた。
「きゃああァッ!」
「おい、なんだ今のは!?」
「あっちだッ! あっちでおネェちゃんが俺に助けを求めているぜッ!」
 女性に対する感覚は通常の五割程鋭い京一が、声のした方向をしっかり聞き分けて走り出す。
まるで迷いも無く路地を曲がる京一に、
運動神経が決して悪い訳ではない四人が完全に遅れを取ってしまった。
「あ、ちょっと、京一ッ!」
「行ってみましょう、緋勇君」
「うん」
 もちろんぼんやりとしていたのはわずかな間のことで、すぐに龍麻達も京一の後を追いかけて行った。

 声の主を見付けた龍麻達は、しばらく女性を助ける事も忘れて呆けていた。
 十羽以上の鴉が一斉に襲い掛かっている。
その黒い雲のような集団に、異様な気配を感じて立ちすくんでしまったのだ。
もちろん助けるつもりはあるにしても、どう手を出して良いか解らない。
すると、横合いの路地から、彼らに呼びかける声があった。
「おい、あンたらッ!!」
「なんだお前?」
「レディが助けを求めてンだ、その気があンなら手ェ貸しなッ!!」
 男は京一と同じ位の身長だったが、その顔立ちは幾分幼く見える。
髪の色は派手な金で、それが全て逆立っているために、見た目のインパクトは相当なものだった。
その気障きざな物言いに呪縛を解かれた京一が、木刀を取り出して鴉の群れに歩み寄る。
「ヘッ、お前に言われなくたって」
「フン、男が三人か。まぁ足しにはなンだろ。お嬢さんたちは下がってな」
 大見得を切った男は、京一と同じような細長い袋から何かを取り出した。
中から出てきたほぼ同じ長さの二本の木の棒を繋ぎ合わせ、
更にその先に尖った金属製の穂先を着ける。
「槍か……」
「そうさ。オレ様の槍さばき、良く見ておくンだなッ!」
 具合を試すように槍を回転させた男は、いきなりやや上方、鴉の群れの中心に向かって突き出した。
無造作に見える突きだったが、刺し貫かれた鴉が悲鳴を上げて群れから永遠に離脱する。
見事な槍術の腕前を見せつけられた龍麻達は、遅れをとらじと散開して鴉に相対した。
 鴉の群れはその知性の高さを証明するように統率された動きで襲ってきたが、
以前動きだけならもっと速い蝙蝠とも闘ったことのある龍麻達は、
飛行する類に対する闘い方を学んでいた。
 京一と龍麻が遠間から牽制し、鴉を女性から遠ざける。
次に小蒔と葵が醍醐に護られながら素早く女性を助け、安全な所まで下がれば、
後はもう思う存分にやるだけだった。
いくら鴉に鋭いくちばしがあっても、氣を纏った龍麻達にはいかほどの攻撃も与えられない。
顔面めがけて飛びかかってくる所を逆に狙い打ち、叩き落とす。
鴉達は自分達の爪と嘴が届く数十センチ先で激しい衝撃を受け、成す術無くやられていくしかなかった。
四人それぞれが一羽ずつ屠り、雨紋が更に一羽死に導いたところで、
遂に、一時的に夜になったかと言う程の羽根を散らしながら逃げていく。
鳴声が遠ざかっていき、静寂が訪れたところで龍麻達は肩の力を抜いた。
「どうやら片付いたようだな」
「あンたらも中々やるじゃねぇか。見なおしたぜ」
 馴れ馴れしい言葉に、龍麻達は改めて男を見た。
怪我は無い。
それどころか、息さえ切らしていない。
初めと同じ、瓢々ひょうひょうとした態度を崩さない男に、京一がうさんくさそうに尋ねた。
「お前──、一体何モンだ?」
「オレ様か? オレ様は通りすがりの正義の味方さ」
「オレ様なんて言う人初めて見たよ……ね、緋勇クン」
 袖を引っ張りながら囁く小蒔に龍麻は頷いたが、それよりも彼が見せた技の方に心を奪われていた。
槍術自体は珍しくはあるものの、見ない訳ではない。
しかし、彼の操る槍の先端からは、はっきりと氣が流れていた。
それも黄色の、まるで雷光のような氣が。
彼も、『力』持つ者なのか──
好奇と、いささかの警戒を含んだ口調を、龍麻は完全には消せなかった。
「名前を──教えてくれないかな。俺は緋勇龍麻」
 穂先に付いた禽の血を丁寧に拭った男は、名乗りを上げた龍麻に口の端を吊り上げる。
それは嫌味なものではなく、どちらかと言うと照れ隠しに見えた。
「あンた──そんなナリして、意外と丁寧なンだな。へッ、気にいったぜ。
オレ様は雨紋雷人。よろしくな」
「あぁ、よろしく。それで──その」
 『力』についてどう切り出したものか龍麻は言葉を選ぶ。
しかし、そこに彼らが救った女性が近づいてきたために質問は中断せざるを得なくなってしまった。
「ありがとう──あなたに助けてもらうのは、これで二度目ね」
「またあンたか? 全く懲りねェ人だな、いい根性してるぜ」
 どうやら雨紋と女性は知り合いであるようだった。
女性は二十歳は優に過ぎているようだったが、
話ぶりからすると、以前もこのように襲われていたのだろうか。
次々と涌いてくる疑問は尽きる事がない。
いささか混乱している龍麻に、女性が向き直った。
すっきりと通った眉と、その下で軽い三日月を描いている目は理知的な印象を見る者に与える。
あまり濃くはない、しかし要点は抑えている化粧は年頃の少年が漠然と抱く
大人の女性のイメージそのものだった。
真正面から見つめられた龍麻は、少し皮膚の温度が上がるのを感じてしまう。
それは、彼女の手から名刺を受け取った時に指がわずかに触れたことで一層高まった。
「あなた達もありがとう。これ、渡しておくわ」
「天野……絵莉さん」
「ルポライターって……アン子の親分みてぇだな。あんたも何かを調べてる途中かい?」
「まァ、そんなところね」
 名刺を覗きこんだ京一が訊ねても、絵莉はごく当然のように質問をはぐらかす。
それは、女性でフリーのルポライターとしてやって行くためには、しなければならない処世術だった。
 生き馬の目を抜くこの業界では、
ほんの少しの情報漏れによって飯の種を奪われることなど日常茶飯事だ。
目の前の子供達がこれから自分と関わるとも思えないが、用心はしくに越した事はなかった。
 それにしても、雨紋という少年といい、今の彼らといい、
大の大人でも難しいと思われる鴉の群れをあっけないほど簡単に撃退している。
それも雨紋の槍ともう一人の木刀はともかく、残る二人は素手でだ。
用心がルポライターになったことで身につけた能力なら、
貪欲なまでの好奇心はルポライターになるために必要な才能だった。
それが絵莉の中で目覚める。
「あなた達……なにか武術でもやっているの? 素手で鴉と闘うなんて普通の人は出来ない事よ」
 狙いを目の前の朴訥ぼくとつそうな少年に定め、質問責めにする。
「え? あ、えっと……」
「空手? それともボクシングか何か? 随分特訓してるんでしょう?」
 考えるいとまを与えず、こちらから次々と選択肢を提示していけば、
その中に答えがあった場合に答えるか、そうでなくとも必ず何らかの反応がある。
しかし、そんな絵莉の目論みは、金髪の少年によって邪魔されてしまった。
「やれやれ……いい加減この事件からは手を引いた方がいいぜ。
こないだも今も、オレ様がたまたま近くにいたからいいようなモンの」
 襲われていたことなど何とも思っていないような──事実そうなのだが──絵莉に、
辟易したように雨紋が口を挟む。
そんな妨害ごときで取材を止めてしまったら到底ルポライターなど名乗れない。
絵莉は構わず質問を続けようとしたが、今度は短髪の少女が雨紋に向かって口を出した。
「この事件って……もしかしてカラスのこと?」
 開きかけていた口を閉じた絵莉は、素早く全身を耳に切り換えて二人の会話に集中した。
「……」
「ボク達もこの事件を調べはじめたところでね、
今から代々木公園に行こうと思っていたところだったんだ」
 外見通りに活発な言葉遣いの少女は、訊ねもしないのに彼らの目的を教えてくれた。
周りの男達、特にこの中でも一番大きな身体つきをした少年が失策を嘆くように顔を手で覆っている。
むしろその態度が、それが彼らにとって重要な情報であることを示していた。
「桜井!」
「あ……」
 代々木公園……確かに鴉が多い公園ではあるけれど、あそこに何かがあるのだろうか。
眼光を鋭いものにした絵莉は、しかし注意深くそれを消し、少年達の会話を引き続き見守ることにした。
「あンたら代々木公園って……あそこが今どういう状況かわかって言ってンのかッ!?」
「フン──」
 不敵な笑みを浮かべるだけの京一に、雨紋は警戒を強めて訊ねる。
「あンたら──渋谷ここに何しにきた」
「お調子者が喋っちまったから仕方ねェ。俺達ゃ人食いカラスを退治しに来たのさ」
 もはや探り合いはこれまで、とばかりに京一は自分達がここに来た目的を雨紋に教えた。
こういう駆け引きが苦手な醍醐も顎に手を当てて考え深げに同意する。
「正直言って遠野の言うことだけでは今一つ信用出来なかったが──今は信じざるをえないな。
何しろ、こうして目の前で襲われていたんだから」
「おいおい、あンたら気は確かか? カラスが人を襲って殺すなンてありえないぜ」
 手にした槍を弄びながらおどけて否定する雨紋だったが、誰も乗ってこなかった。
もっとも、それは雨紋自身にも責任があるかもしれない。
何しろ、つい今しがた絵莉と同じ内容の会話をしたばかりなのだ。
それにあれほど殺気だっていた鴉と直接闘った龍麻達にしてみれば、
雨紋の台詞は白々しいほどだった。
「さっきの鴉は明らかに統一された意志の元で襲っていた。
それにもう一つ、鴉以外に気配を感じた。なぁ緋勇」
 龍麻は大きく頷いた。
自分達三人とこの雨紋の氣、それらが一箇所に集中していた為にはっきりとは解らなかったが、
確かにもう一人の氣がさっきはあったのだ。
「あぁ。何か……禍々しい氣だった」
「氣──だと?」
「あぁ、お前に言ったってわかりゃしねェだろうけどよ」
 馬鹿にしたようにも聞こえる京一の言葉にも、雨紋は反発しなかった。
それどころか表情を改め、探るような目つきで龍麻達を見やる。
「……どうやら伊達や酔狂で言ってる訳じゃなさそうだな。
──もう一度聞くぜ。本気で代々木公園に行くつもりなのか?」
「あぁ」
「代々木公園は今、スゲェ数の鴉に占領されてて入るどころじゃない。
ハンパな気持ちじゃ──死ぬぜ」
「ヘッ、誰がハンパな気持ちだって?」
 雨紋は決して脅している訳ではなかった。
それは低く抑制された口調からも明らかだったが、それだからこそ、京一は余計に反発した。
「よせ、京一。雨紋──とか言ったな。俺達の話も聞いてくれ」
「あンたは?」
「俺は醍醐だ。新宿の真神の」
 短くそう名乗っただけの醍醐に、雨紋は感銘を受けたように大きく頷いた。
やや斜に構えていた姿勢さえただし、醍醐に敬意めいたものを含んだ眼差しを向ける。
「……あンたが醍醐か。話にゃ聞いてるぜ。
っつーか渋谷ここで魔人学園の名前を知らねェヤツはいねェけどよ」
「光栄だな」
「そういやこの前もあンたんトコのヤツとウチのが揉めたとか聞いたな」
 思い当たる節がある醍醐は、その巨体に似合わない渋面を作った。
「佐久間か……迷惑をかけたようだな。すまん」
「別に怒ってる訳じゃねェさ。喧嘩なンてお互い様だしな」
「そう言ってもらえると助かるよ。……渋谷には詳しいのか?」
渋谷ここはオレ様の生まれ育った街だからな。知らねェところはねェよ。
──オレ様はここの神代高校ニ年だ」
「よろしくな、雨紋。──で、どうだ。俺達に力を貸してくれんか?」
「なッ、あンたいきなり何言ってンだ」
「どうも──お前も代々木公園に用があるように見えたんだが、俺の気のせいだったか?」
 陰口でも真神の総番長と呼ばれるだけのことはあり、醍醐は人の心を掴むのが上手かった。
今も強引に結論から入ったように見せかけて、巧みに雨紋に頷かせざるを得なくしている。
恐らく表情を隠す為だろう、手で顔を覆う雨紋に脈ありと感じた醍醐がたたみかけようとした時だった。
「その通りだろう? 雨紋」
 この場にいる誰のものでもない声が、雨紋の名を呼んだ。
驚く一同の中、雨紋だけが素早く反応する。
「唐栖──ッ!!」
「僕や奴の他にも『力』を持った人間が居たとは……少し計算外だったよ」
 静かな口調。
しかし、そこには何者をも寄せつけない昏さを感じさせる響きがあった。
「なッ、なに……この……音……ッ」
 小蒔が耳を押さえる。
謎の声と同時に、高い金属音のような物が辺りの空気を震わせていた。
脳に直接不快な周波数となって注ぎ込まれるような感覚に、たまらず女性三人がしゃがみこんだ。
一秒ごとにいや増していくその音は、やがて最高潮を迎え、そして唐突に消えた。
まだ頭の中で反響している金属音に対する不快感が、その音と共に現れた人物に対して注がれる。
「手前ェが鴉を──」
 京一の声もいつもほど張りがない。
それでも現れた男に向かって木刀を突きつけ、激しい感情を叩きつけた。
「そう……僕の名は、唐栖からす 亮一りょういち
 男は学生服の上に黒いコートを羽織っていると言うだけに留まらない、
まるで身体の内側から発しているような黒さをまとっていた。
かなり長い、女性で言えばセミロングにあたるほどの髪は鴉の羽根のような濡れた光沢を持ち、
闇から産まれたかのような彼の出で立ちで唯一色がある部分だ。
殺気こそ発してはいないが、粘性の感触を見る者に与える、そんな人物だった。
「あなたは一体……」
「ククク……無事だったんですか。……残念だ。十人目の犠牲者にしてあげようと思っていたのに」
「あなたが──鴉を使ってやったの?」
「だとしたらどうします? 記事にしますか?」
 嘲りを込めた口調に、絵莉は唇を噛む。
確かに、人が鴉を操り、九人もの連続殺人を行なったなどと常識ある人間なら信じはしないだろう。
黙ってしまった絵莉に代わって、指の関節を鳴らしながら詰問したのは醍醐だった。
「貴様……目的は何だッ!」
「ククク……地上を這いずる虫けらに、神の意志が理解できようはずもない」
「神の意志……だと?」
「そう……僕にこの素晴らしい……鴉の王たる『力』を授けてくれた神さ」
 唐栖が言った『力』という単語に、全員に緊張が走る。
目の前の男が犯人だとするなら、
やはり渋谷ここで起こっていた連続猟奇殺人事件は『力』によって引き起こされたものだったのだ。
立ち尽くす一行に、唐栖は口調に嘲弄をはっきりと含ませて話しかける。
それは、特に雨紋に対して向けられたものだった。
「雨紋も仲間が出来て良かったじゃないか。それだけいれば、もしかしたら僕を倒せるかもしれないよ」
「唐栖……」
「僕は逃げも隠れもしない。待って居るよ──代々木公園ぼくのしろで」
「手前ェ、待ちやがれッ!」
 言いたいことを言って、唐栖は踵を返す。
後を追おうとした京一を大量の鴉が阻み、彼らが飛び去った時にはもう姿はなかった。
忌々しげに鴉を睨んでいた京一だったが、相手が空を飛ぶ生き物ではどうしようもなく、
憤まんやる方ないといった顔で戻ってくる。
「どうやら、かなり普通じゃないのが出てきたな。これからどうするか」
「ンなの決まってんだろ。あんなイカレタ野郎、野放しにしておけるはずがねェ。
代々木公園に乗り込んでブチのめすッ! なぁ緋勇」
 龍麻はすぐには答えず、槍を持ったまま苦い顔をしている雨紋の方を向いた。
「雨紋……お前、あいつのことを知っているのか?」
「あァ……まァな」
 そう頷いただけで雨紋はそれ以上話そうとしなかった。
軽く思案する龍麻の背中を、誰かが小突く。
「放っとくと、十人目の犠牲者が出ちゃうかも知れないしね」
 確かに、小蒔の言う通りだった。
そして、『力』を知っているあの男に対することが出来るのは、恐らく自分達だけだろう。
そうと解っていて見ない振りをするのは、龍麻にも出来なかった。
「よし、行こう」
 短く、そして力強く頷く龍麻に、全員が同意する。
あれだけの危険に晒されておきながらなお事件に首を突っ込み、
あまつさえ解決出来ると思っている彼らが、絵莉には信じられなかった。
「あなた達は……一体……」
「正義の味方、ですよ」
 気負いを感じさせない表情で龍麻は笑う。
意外に大人びたその笑顔に絵莉は何かを感じたが、大人としての理性がなお否定させた。
「でも、あなた達は高校生でしょ? そういうのは警察や大人達に」
「さっきアイツが言ってただろ? 人が鴉を操ってるなんて誰も信じねェよ。
それに警察だって、鴉相手じゃ勝手が違うだろうよ」
「あなた達なら……違わないって言うの?」
「へへッ、ま、やってみなけりゃ判らねぇけどな」
 本当ならば厳しく止めるか、さっさと警察に連絡して行動を封じるべきだった。
しかし絵莉は、普段は重きを置くことのない直感をこの時は信じる気になっていた。
特に、彼らの中心格と思われる少年が放っている、只ならぬものを。
「……大法螺おおぼら吹きには見えないわね。それに、さっき私を助けてくれたのは本当だし」
 彼らを黙認することにした絵莉は、表情を改めて無謀とも思える少年達に忠告した。
「あの唐栖って子が何を考えているかはわからないけど、あの口振りからして、
単なる快楽殺人ではないのは確かね。彼は彼なりの──どんなに曲がっているとしても──
正義で行動しているんだと思うわ」
「そんな……だからって人を殺していい理由なんかにはなんないよッ」
「そうだな。桜井の言う通りだ。……だからこそ、俺達が止めなくては」
 龍麻達は代々木公園に向かおうと気勢を上げる。
その輪から少し離れた所に立つ絵莉に、葵が声をかけた。
「天野さんは……これからどうするんですか?」
「……ごめんなさい。私が付き合ってあげられるのはここまでなの」
「取材はいいのかよ」
むごいことを言うようだけど、ルポライターって仕事は、私にとってビジネスなの。
記事に出来ない事件をいつまでも追うわけにはいかないわ」
 いささか冷たくも聞こえる台詞だったが、それが建前であることは次の言葉で解った。
「それに──悔しいけど、私の手に負える事件でもなさそうだし」
「……そうだよね。慈善事業ボランティアしてるわけじゃないもんね」
「……ま、大人の仕事も大変だねェ」
「……そうね。それじゃ、私はもう行くわね」
 利いた風な口を聞く少年たちに大人の苦笑で応えた絵莉は、軽く手を上げて去って行った。
背筋を真っ直ぐに伸ばして遠ざかる後姿に、妙に格好をつけて京一が呟く。
「天野絵莉ちゃん……か」
「こいつは……ちょっと綺麗な女の人だとすぐ鼻の下伸ばして」
「ばッ、馬鹿野郎ッ。俺は……そうだ、緋勇だってそう思っただろうが」
「あん? ……知らねぇよ」
「へーへー。お前の好みは違うモンな。ッたく、誰かさんの前だとすぐ良い子ぶりやがってよ」
 その台詞を聞き捨てならないものに思った龍麻は、少し語勢を強めて聞いた。
「……なぁ京一。お前の頭ん中には女のことしか無いのか?」
「し、失礼なヤツだなお前は。あるに決まってんだろ」
「どんなんだよ」
「……は、腹が減ったとか、今日の晩飯何かな、とか」
「……」
 龍麻や小蒔だけでなく、今日会ったばかりの雨紋までがはっきりと馬鹿にした視線を投げる。
どんな魑魅魍魎ちみもうりょうでも怖れることなどない京一もこれは効いたらしく、
意味も無く龍麻を指差して大声を上げた。
「んなコトはどうでもいいだろッ。さっさと代々木公園に行こうぜ。お前も行くんだろ、雨紋」
「どうする、雨紋? 俺達は行くが」
 雨紋は考える格好をしたが、それがポーズであることは龍麻達には判りきっていた。
「……そうだな。どっちにしろ鴉は放っておけねぇし、
渋谷のこの街が汚されンのも許せねえしな。あンたらに付き合おう」
 やや素直でない物言いながら、雨紋も龍麻達に同行することを承諾した。
こうして、龍麻達五人に雨紋を加えた一行は、唐栖が待つ代々木公園へとその足をむけたのだった。



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