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新宿の街を軽やかなステップで五十メートルほど移動した龍麻と葵は、
ここで思わぬ知り合いに出くわした。
「お、緋勇に美里さんじゃねェか」
龍麻が呼ばれて振り向くと、そこには同じ制服を着た、同じ背の高さの女性が二人いた。
ただし顔の造作は異なっていて、醸し出される雰囲気も全く別なものになっている。
それでも、彼女達を見た大抵の人間が違和感を拭い去れないのは、
彼女達が紛れもない双子だからだった。
「こんにちは、緋勇様、美里様」
気さくに手を挙げて先に挨拶した、髪をポニーテールにしている少女に続き、
同じように結ってはいてもなお背中辺りまである長い髪の少女が深々と頭を下げた。
人通りの多い場所であるにも関わらず、ゆったりとした動作の彼女に、好奇の視線が何本か集まる。
それらを眼光で蹴散らしたポニーテールの少女が顔をこちらに向けるのを待ってから、龍麻は話しかけた。
「今日は買い物?」
「あァ、来週から修学旅行でよ、今日はこいつの買い物に付き合わされてんだ」
「姉様……そんな言い方をなさらなくても」
長い髪の少女が悲しそうな顔をする。
日本人形的な眉目を有する彼女がそんな表情をすると、
龍麻はひどいとは思いつつも美しいと感じてしまう。
とにかく女性的、とかたおやか、とか儚い、と言った言葉が似合うのが、
織部神社の双子姉妹の、妹の方である織部雛乃なのだった。
そして、彼女にそんな顔をさせた張本人であるのが、姉の方である織部雪乃だ。
目許や全体の雰囲気にわずかに似た気配を感じさせるものの、
大抵の人間は初対面ではまず彼女達が双子であると見破ることは出来ない。
それほど彼女は男勝り、というか丈夫だった。
もともとは小蒔の友人だった彼女達と、龍麻はまだ知り合って日が浅いが、
鬼道衆から東京を護る闘いを共にした仲間であり、彼女達に対する信頼は深い。
男に対してあまり免疫がないらしい雛乃と、
男に対して明確に隔意を抱いている雪乃も、何故か龍麻を気に入ったらしく、
こうして彼女達の方から声をかけてくれたという訳だった。
それにしても、双子なのだから当然雪乃も一緒に旅行に行くはずなのに、
雪乃は買い物がないのだろうか。
「ん? あァ、そりゃあるけどよ、オレの分はもう買っちまったからな」
「姉様はほとんど選ばずに買ってしまいますから」
「雛が長すぎんだよ」
二人のやり取りはまさしく阿吽(の呼吸で進む。
そのテンポに口を差し挟む余裕もなくただ聞いていた龍麻に、不意に雪乃が訊ねた。
「ところで二人もそろそろじゃねェのか? 修学旅行」
「ああ、明日からなんだ」
「んじゃ、お前らも買い物?」
「いや……これは」
デート、とも言えず、京一達に騙されて、と言うのも格好が悪い。
言葉を詰まらせる龍麻を察し、葵がさりげなく話題をずらした。
「雛乃さん達はどこへ行くの」
「沖縄です」
「そう……ゆきみヶ原は私立ですものね」
「美里様達は、京都ですか?」
「ええ」
お互いの行き先を聞いた四人のうち、羨ましそうな顔をしたのは二人だった。
「沖縄か……いいなぁ」
「へへッ、そうだろ」
まだ本州を出たことがない龍麻が言うと、雪乃は自慢げに笑う。
確かに雪乃には京都よりは沖縄の方がずっと似合っている……というか、
京都を歩く彼女を龍麻は想像出来なかった。
「でもわたくしは京都の方が良かったですわ。趣があって、落ちついていて」
確かに雛乃には京都がふさわしい……というか、
沖縄の烈しい陽射しの許にたたずむ、水着姿の彼女を想像しかけて龍麻は慌てて口元を押さえた。
「ん? 何やってんだお前」
緩みきった口を必死に押さえる龍麻に、雪乃が訊ねる。
大急ぎで首を振った龍麻は、彼女達だけでなく、葵に関心を持たれてしまわない為に頭を掻いた。
「そ、そろそろ行こうか、美里さん」
「そうね、それじゃ、私達はこれで」
「姉様、わたくし達も」
「おう、んじゃなッ、おみやげ忘れんなよッ」
どうやら彼女達は疑問を抱かなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす龍麻だった。
その声は雑踏の中にあって、大きくはないくせに人を惹きつける力強さを持っていた。
「よォ、緋勇サンじゃねェか」
真っ直ぐに自分に向けられた呼び声に、龍麻は振り向く。
その声の直線上にいた通行人と共に伸ばした視線の先には、彼の良く知った後輩の姿があった。
雨紋雷人。
渋谷区神代高校に通う二年生の彼は、龍麻とは渋谷区で鴉が人を襲うという事件の際に知り合っている。
彼もまた異能の『力』の持ち主で、渋谷の事件を解決した後も幾度か共に闘っている。
自らが率いる「CROW」というバンドのギタリストでもある彼は、
もっぱら渋谷区を拠点にしているのだが、今日はどういう訳か新宿区に来ているらしかった。
「ッと、こいつは邪魔しちまったかな?」
やって来た雨紋は葵をちらりと見て挨拶する。
声をかけておいて今更、と龍麻は思うが、雨紋も同じ考えらしく、悪びれた様子は一向にない。
金に染めた髪は全て逆立っていて、一見怖い印象を与えるのだが、
笑うとどこか無邪気な子供を思わせる表情になる。
そのせいか龍麻も本気で迷惑がる気にはなれず、苦笑して無粋な客を受け入れた。
「しかしいいタイミングで会うもンだな」
挨拶もそこそこに雨紋はそう切り出した。
顎に手を当て、わざとらしく頷いてみせる態度が龍麻の不審を誘う。
「なんだそりゃ」
「神代高(と隣接してる新宿の高校とでちょっともめ事(があってよ、
その助ッ人──じゃねェ、仲裁を頼まれて今から行くとこなンだよ。
ここで会ッたのも何かの縁だ、一緒に来てくれよ」
予想すら出来なかった頼みに、龍麻は絶句するしかなかった。
雨紋(は当事者かも知れないが、自分は全くの無関係だ。
首を突っ込んで余計なトラブルをしょいこむのも御免だし、何より今は葵がいる。
彼女がそんなものに行っていいなどと言うはずもなかった。
転校初日に絡まれたとはいえ喧嘩したのを知られてしまい、
その後はしばらく気まずい思いをした龍麻としては、おいそれと頷く訳にはいかない。
しかし雨紋はもう完全に龍麻を頼れる助っ人の一人とみなしているらしく、
今にも走り出さんばかりだ。
どう断ったものかと龍麻が頭を悩ませていると、これもまた実に良いタイミングで救いの声が現れた。
「雷人さんッ!!」
二人の学生が勢いきって雨紋のところにやって来る。
雨紋と同じ制服を着ているところからすると、彼の同級、あるいは後輩のようだった。
「なんだ、どうした?」
雨紋の問いに彼らは興味と警戒を湛(えて龍麻を見たが、
急いでいるらしく、口早に事情を説明し始める。
「それが……誰かが通報し(たらしくて、
逃げ遅れた奴らが警察(にしょっ引かれちまって、それで、
警察の方でも騒動の首謀者として雷人さんを探してるらしいんです」
それは事情を知らずに聞いていると、何やらとても物騒な会話だった。
誘われるままのこのこ行っていたら、補導されてしまっていたかもしれない。
身を救った幸運に感謝しながら、龍麻は当事者から首謀者へと出世した男を見た。
「そうか……そいつはオレ様が行かねェと始まらねェな」
雨紋は渋面を作っていても狼狽した様子はない。
どうやらこの手のトラブルが初めてではないようだった。
「悪ィ緋勇サン、どうやら喧嘩(どころじゃなくなっちまったみてェだ」
「警察って……大丈夫なのかよ」
全く余裕を失っていない後輩に、
仲間に対する演技だとしても大したものだと思いながら龍麻は訊ねる。
いくら異能の『力』を持っていても公権力に勝てるはずもなく、
何度も迫るサイレンから逃げた過去のある龍麻としては、
彼の度胸──あるいは無謀さは感心できるものだったのだ。
「あァ……警察なンざ慣れっこだし、捕まった奴らを見捨てちゃおけねェからな。ンじゃなッ」
軽く手を挙げた雨紋は、後輩二人を従えて走り去っていった。
その姿を見送っていた葵が誰にともなく呟く。
「雨紋くん……随分頼りにされてるみたいね」
葵の感想はピントがずれている、と思ったが、もちろん口にする龍麻ではなかった。
雨紋と別れ、そろそろラーメン屋に向かおうかと足を向けた龍麻を、葵が呼びとめた。
「ねぇ。……このまま帰っちゃいましょうか」
「……なんで?」
そう訊くしかない龍麻に、葵は人差し指を顎に当て、一瞬視線をさ迷わせてから答える。
その魅了されずにはいられない仕種で、既に龍麻の答えは決まったようなものだった。
「その方が京一くんや小蒔に『何かあった』って思わせることが出来るんじゃないかと思って。迷惑?」
「いや、そんなことは」
反射的に答えてから、龍麻は彼女が「迷惑か」と訊ねた理由を考えていた。
答えが出たのは、葵と別れてほとんど家に着く寸前になってからだ。
「……!」
数学の難問が解けた時でさえ、こんなに嬉しいと思ったことはない龍麻は、
きょろきょろと辺りを見渡した後、奇声を上げて走り出す。
その姿を神出鬼没の真神学園新聞部部長、
遠野杏子が見ていなかったのは大いなる幸いというべきだった。
もし見られていたなら、その写真が一面を飾る新聞が、かつてない部数で発行されただろうから。
いよいよ修学旅行当日、東京駅の決められた集合場所に龍麻は三十分前に着いていた。
早過ぎるか、と思わないでもなかったが、同じように浮かれている生徒が十人ほどおり、
その中には同じ班である桜井小蒔もいた。
「おっはよ、ひーちゃん」
いつもと変わらぬ挨拶ながら、機嫌の良さが端々に現れている。
龍麻が同じように機嫌良く頷くと、小蒔は二人分を合わせて満面の笑みを作った。
「エヘヘ、絶好の修学旅行日和だね」
小蒔の言う通り、龍麻が家を出た時の天気は、まさしく秋空といった快晴だった。
「どうしよう、なんかボクさ、こうやって新幹線待ってるだけでワクワクしちゃうよ」
それはいくらなんでも、と思いつつ笑う気にはなれない龍麻がやや曖昧に頷くと、
やってくる人影があった。
茶色のごくシンプルな旅行鞄を持っているのは、龍麻達の班長だ。
「おはよう小蒔、それに龍麻くんも」
「あ、葵」
親友がやって来たことでいよいよ興奮してきたのか、小蒔は今にも踊り出さんばかりになっている。
すると少し離れた所から彼女を呼ぶ声がした。
「小蒔、ちょっと」
「あ、うん。ちょっと行ってくるね」
小蒔は別の友人に呼ばれて二人の許を離れ、龍麻と葵が残される。
これからの四日間を決定づけると言っても良い最初の一言を、龍麻が慎重に選んでいると、
珍しく葵が先に話しかけてきた。
「龍麻くん……ちょっといい?」
「え?」
この場には二人しかいないのに、葵は何故か小さく手招きをして龍麻を連れ出そうとする。
首を傾げながらも龍麻がついていくと、真神の生徒達からは見えない柱の影で葵は立ち止まった。
「何?」
「あの……」
葵は班長であると同時にクラス委員長でもあるので、のんびりしている暇はないはずだ。
それなのに彼女は中々用件を切り出そうとはしなかったが、
辛抱強く待つ龍麻に、やがて意を決したように小さな包みを差し出した。
「あの、お弁当作ってきたんだけど、良かったら……」
「だッ、どッ、べッ、弁当ッ!?」
濁音ばかりが並んでいるのは、未曾有の驚きが龍麻を襲っているからだ。
生まれてこの方母親以外の女性に弁当を作ってもらったのなど初めてで、
元から旅行の興奮で浮かれ気味の龍麻の心は、
あっという間に上昇気流に乗って高く舞いあがってしまった。
そのまま宇宙まで飛んでいきそうな心に必死で手綱をつけ、地面に引きずり下ろす。
「あ、ありがとう」
それでも着地が上手くいったとはいえず、
何か言葉を覚えたての子供のようにぎこちない、
抱いた気持ちの半分も想いを込められなかったお礼を言った龍麻は、
とにかくありがたく小箱を受け取った。
「それじゃ」
よほど恥ずかしいのか、葵は小走りで皆の元に戻っていった。
鼻の下を限界まで伸ばしてそれを見送った龍麻は、弁当を制服の内側に隠し、
緩みきった顔も頑張って元に戻してから自分もクラスの列に戻っていったのだった。
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