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「仁和寺はね、仁和四年──八八八年に天皇家によって建てられたんだけど、
後の応仁の乱などの戦で当時の建物の多くを失ったの。
今あるのはほとんどが徳川家によって再興されたものなのよ」
 歩きながら葵が説明する。
何しろ優秀なガイドがいるので、龍麻達もただ寺を歩くよりはずっと楽しい。
一応京一も含めた四人は葵が指し示す寺や塔をおのぼりさんよろしく観察し、
その都度おー、とかへー、とか感心していた。
「あ、見て見て、五重塔だよッ」
 小蒔が見つけた──というより目に飛び込んできた五重塔は、
本来仏舎利ぶっしゃりと呼ばれる釈迦の遺骨を収める為の塔だ。
もちろん最も有名なのは現存する最古のものである法隆寺のものだが、
仁和寺のそれも知名度において劣る訳ではない。
龍麻達は歴史の息吹を感じこそしなかったものの、
写真を撮ったり説明書きを読んだりしてそれなりに散策していた。
「他にも、今は季節が違うけれど、御室桜おむろざくらっていう有名な桜もあるの。
春に来たらとても綺麗でしょうね」
「桜なら俺は中央公園のが一番だと思うけどな」
 葵の説明に、木刀の切っ先で宙に円を描かせながら京一が答える。
旅行の時くらい手荷物を減らせば良いのに、ご丁寧にこの男は京都にまで愛用の木刀を持ってきたのだ。
しかし東京のビル街では浮きまくっている木刀も、この雅の地では妙に似合っている。
単におみやげで買って持ち歩いている人間が多いから、違和感がないだけなのかも知れないが。
 その京一の返事に更に返ってきたのは、低く鋭い声だった。
「そういうのを井の中の蛙、とも言うんだ、覚えておけ」
「げッ、犬神……せんせー」
 威圧的ではないが好意的でもない声に思わず京一が振り向くと、
そこには彼の天敵とも言って良い犬神杜人が立っていた。
 ここは学校ではないから彼はトレードマークとも言える白衣を着ておらず、
いかにも嫌そうにスーツを着ているのだが、またそれがよれよれで、
そしてネクタイはいつものように適当に締めているだけなのでどうにも風采が上がらない。
傍から見ればどう見ても教師には見えない彼は、半歩下がった京一に一瞥をくれると、
何故か龍麻に、やや和らげた視線を向けて続けた。
「まぁ、自分の故郷に誇れるものがあるというのは良いことではあるな」
 それは一般論にしても唐突に過ぎ、龍麻達は判ったような判らないような顔をするしかなかった。
その中で、やはり場慣れしているのか、葵が巧みに話題を変える。
「先生は見回りですか」
「そうだ。これから竜安寺と金閣寺にも行かなきゃならん。
お前らもくだらん騒動さわぎを起こして手間を増やしてくれるなよ、特に──」
「あーあー、わかりましたよッ」
 むくれる京一に鼻で笑った犬神は、言った通り次の見回り場所に行くのだろう、すぐに立ち去った。
どうやら要注意人物に的を絞って見回っているようで、他の生徒達には目もくれずに歩いていく。
それがまた面白くないらしく、京一は思いきりしかめ面をして龍麻達に提案したものだった。
「よう、あんなのに遭っちまったからよ、お参りして厄落とそうぜ」
 厄落としはともかく、お参りには賛成だったので、龍麻達は金堂へと向かった。
龍麻が小銭を取り出そうとすると、横から京一が覗きこんでくる。
「お前いくら出すんだよ」
「財布を見んなよ」
「おッ、金持ちめ、五十円も出しやがるのか」
 五十円で金持ち呼ばわりするのも、世界広しと言えどもこの男くらいだろう。
「ま、俺は五円でいいや」
 龍麻がいくら出そうが最初からそのつもりだったのだろう、
京一は五円を取り出すと無造作に放り投げた。
龍麻も彼よりはもう少し丁寧に賽銭箱の中に硬貨を放る。
始めは何もお願いするつもりもなかった龍麻だったが、ふと心に浮かんだことがあり、
それを願い終わって目を開けてみれば、京一はとっくにいなかった。
慌てて皆のところに戻ると、京一がイヤらしい笑みを浮かべて待っていた。
「何を頼んだんだよ、随分長かったじゃねぇか」
「何だっていいだろ」
「お、さては人に言えねぇコトか? 良縁がありますように、とかか?」
 その問いは充分に予想していたから動揺してしまうことはなかったが、
しつこく絡む彼に知らぬ顔をしていると、いつのまにか小蒔や葵までがこちらを見ている。
急に頬が熱くなるのを感じた龍麻は、
京一の腕を振り払って早足で──なにしろここは仏閣なので──歩きだした。

 京一と小蒔が揃って足を止める。
「あッ!」
「おッ!」
 兄弟みたいだ、と言ったらきっと二人とも気を悪くしただろうが、それくらい足並みは揃っていた。
「お茶屋を発見ッ!!」
 これまた見事に唱和すると、同時に走り出す。
その姿を見た醍醐が呆れて首を振った。 
「ったく、あいつらは……」
「ふふ、でもせっかくだし少し寄っていきましょうか」
 確かにちょうど三時になる頃で小腹も空いていたので、
龍麻達もさっさと二人が入っていったお茶屋で休憩することにした。
 お茶屋は昔ながらの布がかけられた簡素な長椅子に、番傘が立てかけられていて、
そこに座って団子と茶を飲んでいると時間を忘れさせてくれる。
この後は宿に向かうだけなので、龍麻が少しのんびりと休もうとしていると、
けたたましい声がそれをさせてはくれなかった。
「もう一皿くれッ」
「あ、こっちも!」
 京一と小蒔のところだけ、時間が倍の速さで流れているようだ。
残る三人は顔を見合わせ、同時に首を振った。
「京一……もう少し上品に食えんのか」
「うるせーな、腹に入れば同じなんだからいいじゃねぇか。にしても美味ェなこれ」
 男が上品に食うなどアホらしい、と思っている京一は醍醐の嘆息も全く聞いていない。
その横では、葵が小蒔をやはりたしなめていた。
「小蒔もよ、あんまり目の色変えるとみっともないわ」
「だって美味しいんだもん」
 答えになっていない、しかし万人を納得させてしまう幸福な笑顔で答えた小蒔は、
親のように顔をしかめる葵を見て、話しかけた。
「ひーちゃんって甘いモノ好きなの?」
「え? 嫌いじゃないよ」
 不意に話しかけられて驚いている龍麻よりも、目の前の葵の反応に集中しながら、
更にもう一つ団子を食べる。
「へぇ、男のコで甘いモノ好きなんて珍しいね。でもいいよね、一緒に食べに行ったり出来るから」
 あえて誰と、というのを付け加えずに言ってみると、
観察対象の瞳は、確かに一瞬だけだが動いた。
きっとその方向にいる人物の瞳も動いたに違いない、と確信しつつ、
小蒔はニ串目もきれいに平らげたのだった。
 あっという間に二皿、計四本の団子を食べ終えた小蒔は、何気なさを装って周りを見渡した。
無防備に置かれている団子を、保護しなければならないという情熱に取り憑かれて。
「あ、京一、それ食べないんならもらうよ」
「バカ野郎ッ! それは最後に食おうと取っておいたんだッ!!」
 空になった皿をぷるぷると震わせて京一は激昂する。
この真剣さの一割でも授業に回せばいいのに、と思ったのは一人ではなかった。
その中の一人ではない小蒔は、完全に食べ終えてから舌を出してみせる。
「そうなの? でももう食べちゃった、残念でした」
「てめェ──こうなったら」
 危険を感じた龍麻は慌てて残りの団子を口に放りこむ。
そこに京一が飛びかかってきて、団子は正式な手順を踏まずに奥へと入ってしまった。
「……!」
 息を詰まらせた龍麻は必死に喉を指し示すが、小蒔は笑っていて気づかない。
京一などはまだ未練があるのか、背後から首を締めてきた。
あっという間に血色が失われていく龍麻の顔に異変を察知したのは、やはりというべきか葵だった。
京一に抵抗する気配も見せない彼に、同じくらい顔を青くして醍醐の袖を引っ張る。
この時既に龍麻の顔は青を通り越して白になっており、醍醐は慌てて茶を手渡した。
一気に飲み干す龍麻だったが、それだけでは餅は動かない。
焦った醍醐は渾身の力で龍麻の背中を叩いた。
前のめりになる龍麻に、ニ撃目を放つ。
すると飲み下す大きな音がして、どうにか一命は取りとめたようだった。
何度か咳をしてから、もう一杯茶を飲んでようやく回復する。
「ふぅ……助かった……」
 額に浮かんだ嫌な汗を拭い、龍麻は命の恩人に礼を言った。
大きく息をついて安堵している葵に、余計な心配をかけてしまったと申し訳なく思っていると、
隣から吐き捨てるような声がする。
「ッたく、食い意地が汚ぇからそういうコトになるんだよ」
 事の張本人である京一に言われ、危うく殴りかかりそうになる龍麻だった。
 どうにか死人を出すことなく休憩も終わったので、五人は宿へと向かう。
ここからは一時間近く歩くことになり、いい食後の運動といえるかもしれない。
「ちょっと食べ過ぎた……かも」
 両手でお腹をさする小蒔の口の端には、あんこがついている。
それは女子高生というにはあまりな格好で、見かねて葵が拭いてやっていると、
京一がうなるような声で言った。
「そりゃあ俺のブンまで食えばそうだろうよ」
「まだそんなコト言ってんの? 小さいなぁ、京一は」
「ンだとてめェッ、待ちやがれッ!!」
「ベーだ、ひーちゃん先に行くねッ!」
 今日何度目のことだろう、顔を見合わせた三人は、もう何も言わず彼らの後を追いかけて歩き出した。

 風呂にも入り、食事も終えた龍麻が旅館のロビーでマリィや舞子に約束したおみやげを物色していると。
「ひーちゃんひーちゃん」
 こんな風に名前を呼ぶのは一人しかいない。
龍麻が振り返ると、はたしてそこには小蒔がいた。
彼女は風呂に入った直後なのか、肌をほのかな桜色に染め、
なんともいえない良い雰囲気を漂わせている。
龍麻は醍醐がいればきっと面白い反応が見られただろう、と思いつつ、
そういえばいつのまにか二人とはぐれたな、と思考を飛ばしていたので、
小蒔の言葉を最初聞き逃してしまった。
「え?」
 訊きなおすと、小蒔はわずかに声を強めてもう一度言いなおす。
「やだな、ちゃんと聞いててよ。ボク達の部屋に遊びにこない、って言ったの」
 今度はしっかりと聞いていたにも関わらず、龍麻は即答できなかった。
頭の中に流れこむ血、始まる耳鳴り、足りなくなる酸素、
それら諸々が思うように口を動かさせなかったのだ。
龍麻は自身を落ちつけるために胸を一度強く叩いて、ようやく声を絞り出した。
「……そりゃ……マズくない?」
「やだな、なんかヘンなこと考えてるでしょ」
 小蒔は近所のおばさんのように口に手を当て、もう片方をイヤらしく振ってみせたが、
ヘンなことも何も生徒が異性の部屋に行くことは当然禁じられている。
駄目だと言われれば行きたくなるのが人の心理ではあっても、
もしバレた場合迷惑をかけるのは葵なのだから、龍麻としては慎重になるしかなかった。
「大丈夫だって。ボク達もクラスの女の子五人くらい集めるし、
イザとなったらどっかに隠してあげるから」
 小蒔の説得にはまるで根拠がない。
そうと知りつつ、女の子の部屋に遊びに行けるという誘惑は抗いがたいものがあった。
それに偉そうなことを思っても、龍麻には中学の時にも呼ばれて遊びに行った前科がある。
その時にもバレずに済んだのだから今回も大丈夫だろうという楽観が、遂に龍麻を頷かせた。
「うん。それじゃ、あと十分くらいしてから来て。それより早いのはダメだよ。
ボク達も準備があるからさ」
 無駄に多く首を振った龍麻は、誰にも言わないように、
という小蒔の言い付けを守るべく、どこへともなく姿を消したのだった。
 京一や醍醐に見つからないように細心の注意を払って隠れていた龍麻は、
小蒔と別れてから九分四十五秒で扉を叩いた。
指の節だけで小さな音を出すと、二回目の残響が消え去らないうちに扉が開き、
魔法のように龍麻はその内側へと消えた。
「気付かれなかった?」
「ばっちり」
 親指を立てた龍麻は出迎えた小蒔に案内されて部屋の中に入る。
しかし桃源郷であるはずの空間には、小蒔以外の女性は誰もいなかった。
「まだ皆来てないんだ、ちょっと呼んでくるね」
「え? 俺も行くよ」
「いいよいいよ、ひーちゃんはここで待っててよ」
 妙に力強く押し留め、小蒔は出ていってしまう。
部屋に一人残された龍麻は、この時点では全く悪気なく部屋を見渡した。
 自分達と同じ、大して綺麗とも言えない、良く言えば風情がある和室の片隅に、鞄が二つある。
それは今日一日で何度となく見た、葵と小蒔の鞄だった。
 あの中に……とよからぬ想像をした龍麻は、頬を叩いて自らを戒める。
すると、その理性を褒め称えるように扉が開く音がした。



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