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二台の車が大きな建物がそびえ立つ敷地の中へと入っていった。
一見ごく普通の寮か、あるいは小規模の学校のように見えるが、
門前に立つ警備員の目は険しく、建物自体にもどこか暗い雰囲気が漂っている。
窓の一切に黒いフィルムが貼られた、見るからにいかがわしい高級車は、
この敷地内に入ってむしろ本来の居場所に戻ってきたように溶けこんでいた。
車が停まり、中から複数の人間が降りてくる。
彼らもまたこの建物に相応しい品格の持ち主だったが、
その中に、陰湿な雰囲気からはかけ離れた二人の女性の姿があった。
数十分前に誘拐された、マリアと葵だ。
別々の車によって連れてこられたマリアと葵は、
誘拐した犯人達が目的地に着いたことによってようやく再会していた。
しかし、それを彼女達が知ることは出来ない。
車に乗せられると同時に、目隠しをされてしまっていたからだ。
更に降ろされると今度は後ろ手に手錠を嵌められてしまう。
両脇を抱えられて連行された二人は、どこか部屋のような場所まで来ると、乱暴に突き飛ばされた。
マリアが必死に身体を起こそうとすると、白人の少年の声がする。
「ただいま戻りました、学院長(様。女は無事確保しました」
「ごくろう」
ここはジルが、『鍵』である葵を手に入れるよう命令した部屋であった。
傍らにはどのような『力』によってか、彼女が鍵であると見抜いたサラという少女もいる。
そしてジルに報告した白人の少年は、彼と同じ制服を着ていた。
この部屋の中で同じ服装をしているのがこの二人だけということから、
少年がジルにとって特別視されているのが判る。
新しく築かれるべき第三帝国(に、有色人種は必要無いのだ。
報告に満足気に頷いたジルは、葵の傍らに伏す女に気づいた。
「うむ……? そっちの女はなんだ」
「はッ、目標と一緒に居た為に」
「目撃されたからよォ、ついでに連れてきちまった」
わずかに身を固くして答える白人の少年──イワンに、黒人の子供──トニーが声を被せる。
着崩した服装、ガムを噛みながらの応答に、ジルは誰にも判らないほど眉をひそめたが、
何かを言ったりはしなかった。
豚が醜いからといって腹を立てても意味のないことで、
肉さえ美味ならば手をかけて育てるのは当然のことだ。
この唾棄すべき黒人の子供は、ただその『力』にのみ存在意義があるに過ぎなかった。
「もうひとり、隠れていた女が写真を撮っていましたが、
その女のカメラは21(の『力』で破壊しておきました」
19(から報告を受けたジルは、『鍵』に恭(しいまでの態度で話しかけた。
「ようこそ、我がローゼンクロイツ学院へ」
「ローゼン──クロイツ?」
葵はその名を聞いた覚えがあった。
確か、昨日のバザーを主催した学校が、その名前を持つはずだ。
会場には学院長のジルという男も来ていて、収益金を受け取っていたはずだ。
ならば目の前にいる男がそのジルなのだろうか。
善意の仮面の裏でこのような非道な行為をなし、自分と母親を裏切った男に、
葵は二重の衝撃を受けていた。
口を閉ざしてしまった葵に代わって、憤然とマリアが糾弾する。
「あなたたちッ! こんなコトをして、許されると思っているのッ!!」
「貴様……名は何という」
「私はマリア・アルカード。この娘(の担任教師よ」
目隠しをされ、両手を括られて床に転がされていても、
マリアの威厳はいささかも損なわれることはなかった。
教師として葵を護り、大人として少女を庇うという気概にあふれている。
しかし悲しいかな、生徒達の英語の成績を押し上げる原動力となっている熱意も、
今の状況では空回りしてしまうだけだった。
ジルはマリアにそれ以上の関心を示さず、再び葵に語りかける。
「我々が用があるのは、ミサトアオイ──貴様の内に秘められた、強大な『力(』だけだ」
「この娘(をどうするつもりなのッ」
「どうもせんよ。ただ、我々選ばれた民の為、千年王国の礎(となってもらうだけだ」
声を荒げるマリアに酷薄な笑みを浮かべたジルは、黒人の少年に命じた。
「死にゆく者にこれ以上話をしても時間の無駄だ。21(、この女を始末しろ」
「OK」
相変わらずガムを噛みながら、トニーと呼ばれた少年は軽く頷いてみせた。
しかしすぐにジルは気が変わったのか、21(を制止する。
「いや、待て──他の者にやらせよう。20(──お前が殺せ」
「えッ……」
部屋の中にいたものの、誰からも存在を無視されていた少女は、
突然名前を呼ばれて哀れなほど身を震わせた。
彼女の腕の中にいる猫が、低く喉を鳴らす。
「聞こえなかったのか。お前が殺せと言ったのだ、20(。
お前の火走り(の能力を見せてみろ」
「マリィ……デキナイ……」
「この……出来損ないがッ!!」
拳を固めたジルは容赦無くそれを用いようとしたが、無機質な少女の声がそれを止めた。
「学院長(様。この女性」
「どうした、17(」
「この女性の発する原子核波動に分裂、不調和の波が見えます。
しばらく調査の対象物にされてはいかがでしょう」
一瞬、ジルは17(が20(を庇ったように感じ、不快に思ったが、
ようやく実用段階にまでこぎつけた貴重な番号付き(を、
20(はともかく、二人も失う訳にはいかない。
特に17(は、有色人種であるのが惜しいほど自分に忠誠を尽くしている。
「……よかろう、この二人を収容施設に連れていけ」
そう命じたジルは全員が退出した部屋に一人残り、
壁に大きく掲げられた鉤十字(に敬礼することで不愉快を晴らしたのだった。
一命を取り留めたマリアと葵は、石畳の部屋に移されていた。
部屋といっても灯りや一切の調度品はなく、扉は鉄格子製のものだ。
「まるで牢獄ね」
マリアの呟きは、事実を正しく言い表していた。
冷たい床と薄暗い室内は健全な精神力を蝕んでいく。
目隠しと手錠が外されていたのがせめてもの救いだった。
マリアは教え子の様子を観察したが、恐怖で顔が蒼ざめてはいるものの、取り乱している様子はない。
教え子の勁(さに感嘆していると、鉄格子の向こうを見つめていた葵が小声で呟いた。
「先生……ごめんなさい。私のせいで、先生をこんな目に遭わせてしまって」
マリアは思わず教え子の横顔を見据えていた。
本来なら教師が側にいながらこのような危険な目に遭わせられてしまったことを責めてこそ当然なのだ。
それを彼女は、彼らの目的が彼女にあったとはいえ、年長の自分の方を気遣っている。
今まで接してきたどの人間にも、このような慈愛を持った者はいなかった。
だからマリアは、葵が本心から言っているのではない、と思ったのだ。
しかし彼女の瞳に嘘はなく、マリアは己を恥じる気持ちと、彼女への感動を胸の裡に抱(いた。
「美里サン」
「は、はい」
「アナタのせいじゃないわ。アナタが誘拐されなければならない理由なんて、どこにもありません。
だから、自分のせいだなんて言うのはお止めなさい」
「はい……すみません」
怒られた訳ではないがうなだれる葵に、マリアは励ますように微笑んでみせる。
硬質の笑いで応じた葵の表情が急に変化した。
「くしゅん」
確かにここは嫌な水気があり、空気も冷たい。
マリアは教え子の身体を優しく抱き寄せた。
「もっと……こっちにいらっしゃい」
ほんの少しだけ強張らせたが、葵はおとなしく身を預けてくる。
マリアは肩を包み、自らの温もりを彼女に分け与えてやった。
そして寒さだけが理由ではないだろう、全身を震わせている葵の髪を撫でてやりながら、
とにかく話すことが必要だと考え、静かに口を開く。
「彼ら……アナタの『力』のことを知っているようだったわね」
「はい」
葵の声が慄(いている。
異能の『力』を持っているが故に狙われる──
それは普通の高校生にとってはとても受け入れられない事実に違いない。
ましてや彼女のような、心優しい性格では。
マリアは深い同情を瞳に湛えて彼女を抱きしめたが、
口にするのはどうしても彼女自身が抱く疑問になってしまう。
「ジルという男、一体何者なのかしら……それに、あの子供達の『力』。あれは──」
そこまで言ったマリアは、急いで口を閉じた。
誰かが近づいてくる足音が聞こえてきたのだ。
いざとなれば、彼女だけでも救わなければならない──
葵の肩を抱く手に力を込め、マリアは足音の主が姿を見せるのを待った。
足音はどうやら一人分のようで、それも軽さからいってあのジルという男や、
自分達を拉致した子供二人のものでもないようだ。
ならば、サラと呼ばれていた少女か──
しかし予想は外れ、マリア達の前に現れたのは、マリィと呼ばれていた一番幼い少女だった。
目隠しをされていたマリアと葵が、彼女がマリィであると判ったのは、
彼女の腕に抱かれている小さな黒猫によってだった。
連れていかれた部屋の中で、低く、小さくはあったが場違いな猫の声を、二人とも聞いていたのだ。
鉄格子の前に立ったマリィは、辺りを窺いながら手を牢獄の中に差し出す。
開かれた掌の上には、小さなパンが乗っていた。
「Meals(」
今更毒を盛る可能性もないだろうが、彼女はまぎれもなく学院長と呼ばれていた男の一味だ。
食べ物などと言われて受け取れる訳もなく、マリアは蒼氷色の瞳を険しく輝かせた。
しかし、あろうことか葵が立ちあがり、少女の許に近寄る。
制止しようとマリアが声を喉元まで出しかけると、その前に葵が少女の手からパンを受け取った。
「私達……に?」
「Yes」
葵ももちろん目の前の少女が自分を攫(った一味の仲間だと言うことは解っている。
しかし、彼女はマリアを殺せという男の命令に従わず、結果的に救ってくれたのだ。
こんな、まだ年端もいかない少女だというのは驚きだったが、
自分を見つめる少女の、明るいグレーの瞳に敵意は感じられなかった。
どちらかというと、何かに怯えているような様子さえ窺える。
今はそばかすの浮いている、けれどきっと将来は美人になるだろう端整な顔は、
眉は曇り、瞳にも子供らしい輝きはなかった。
「あなた……日本語が判るの?」
少女の返事に、自分が日本語で話していたと気付いた葵は、表情を和らげて訊ねる。
少女はわずかに眉目を動かし、それがどうやら自分の顔を真似ようとしていると解って、
葵は更に微笑んだ。
ぎこちないながらも少女の顔に笑顔めいたものが浮かぶ。
「スコシ。コレ……食ベテ」
「ありがとう。あなた……名前は?」
「マリィ……マリィ・クレア」
「そう……素敵な名前ね。私は美里葵。ミ・サ・ト・ア・オ・イ。わかる?」
「ミサ……ト……ア……オイ……?」
「うふふ、そう。……あら、血が出てるわ。どうしたの?」
たどたどしい発音で名を呼ぶマリィの、額の端に小さな血の痕を見つけ、葵は眉をひそめた。
すると途端にマリィの表情も、元と同じものに戻ってしまう。
「ジル様ニ……叱ラレタ」
「そう……手当てしてあげるわ」
幼い少女にこのような仕打ちをするジルという男に新たな嫌悪を抱きつつ、
彼女の額に手をかざし、『力』を念じる。
柔らかな光にマリィは驚いたようだったが、すぐに目を閉じ、おとなしく治療を受け入れた。
「はい、これで大丈夫よ」
「アリ……ガト」
マリィは戸惑っているようだ。
それが『力』に対してなのか、それとも思わぬ親切を受けたからなのか、葵には解らない。
しかし、今は彼女をこれ以上怯えさせてはいけない、それだけを意識して葵は話しかけた。
「かわいい猫ちゃんね。この子の名前も教えてくれる?」
「メフィスト……マリィノトモダチ」
彼女の肩に乗り、人形のように身動きしない黒猫について訊くと、
初めてマリィは自分から嬉しそうに答えた。
猫はじっとこちらを見ている。
翠玉(の瞳には少女と同じく敵意は感じられなかったが、
どうも観察されているような気がして、葵は妙な居心地の悪さを覚えた。
それを払拭すべく頭を振り、少女に微笑みかける。
「そう……ね、私もマリィの友達になってもいいかしら」
マリィは頷かない。
しかし、彼女の態度は拒絶しているのではなく、
戸惑っているように見えたので、葵は積極的に話しかけた。
「マリィは何歳(? 十歳くらい?」
「……十六」
「……え?」
外人の子供は日本人から見ると年齢が判りにくい。
だがそれは一般的には発育が良いため実年齢より上に見えるのであって、
目の前の少女はまだ第二次性徴も表れていないようにしか見えなかった。
とっさに意味が呑みこめず、葵はニの句が継げなくなってしまう。
「イイ匂イ、スル……アノ時計ト同ジ」
「あの時計……って」
しかし、マリィは素早く立ちあがると、妖精のように身を翻して行ってしまった。
再び沈黙が訪れる。
食べ物を貰いはしたものの、それはマリィの善意に応えただけであって、
食べる気など全く起こらない葵は、無意識に奥の壁に背をつけて座った。
胸に、再び不安がせり上がってくる。
──緋勇くん、助けて──
不安を堪(える為に、葵は龍麻の姿を、彼の笑顔を必死に念じ続けた。
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