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教室を抜け出した龍麻達は、
事件を目撃した杏子が手に入れた唯一の手掛かりである鷲の紋章について、
どんな些細なことでも載っていないかと新聞部の資料を漁っていた。
「あァッ、もうッ!!」
杏子が絶叫する。
情報収集、分析はジャーナリストを志望するなら必須の能力であったが、
これだけの手掛かりで膨大な資料を当たるとなると並大抵の苦労ではない。
杏子は醍醐や小蒔の数倍の早さで山と積まれた資料を片っ端からめくっていたが、
同じ紋章を見つけることはどうしても出来なかった。
「ないないない、小学校中学校高校大学短大公立私立総合学園専門学校、
どこにもないわッ!! 一体どういうことなのよッ!!」
「全国会社便覧……こっちにもないよ」
杏子が五冊ほど調べた頃、ようやく一冊だけ調べ終えた小蒔がぼやく。
醍醐も隣で同じような疲労を肩に浮かべ、龍麻だけが黙々と調べ続けていた。
否、龍麻だけではなかった。
最もこの手の作業が苦手であると思われる男も龍麻の横で山と積まれたファイルをめくっていたのだ。
「ねぇ……どうしたのかな、京一」
「うむ……朝食った飯が当たったのかもしれんな」
小蒔と醍醐が酷いことを言っても、反応すらしない。
いよいよこれは世紀末か、などと二人が悲観した時、京一がやにわに立ちあがった。
「あったッ!!」
「あったって……何が?」
間抜けなことを聞く小蒔を、京一はじろりと睨みおろした。
「何がじゃねェッ! こいつを見やがれ」
京一が指差した先にある記事を、小蒔は声に出して読んだ。
大田区文化会館で行われた世界孤児救済バザーは、盛況の内に幕を閉じ、
その収益金が財団法人の理事長、ジル・ローゼスさんに手渡された。
ジルさんは長年、孤児の育成と教育に携わり、自らも今春、
大田区内にローゼンクロイツ学院を創立。世界各国の恵まれない孤児達を引き取り、
熱心な教育と手厚い保護の元、日々救済に励んでおられる──記事にはそうあった。
そして記事に添えられた写真には、子供から目録を受け取る一人の初老の男が写っている。
規律よりも威圧を感じさせる、あまり良い印象を受けない制服の襟には、
まさに鷲を象(ったバッジがあった。
「これ……!」
「そうよ、今日の新聞じゃないッ! あたしッたらなんで思い出さなかったのよ」
「お前、読んでたのかよ……だったらもう少し早く思い出しやがれ」
杏子が早く思い出していれば、肩の凝る作業をする必要もなく、
マリアと葵をより早く助けに行けたのだから、皆がじっとりとした視線で睨んだのは仕方のないことだった。
「ま、まぁいいじゃない、見つかったんだから。それよりこれで行く場所は決まったでしょ」
「そうだ、ローゼンクロイツ学院(に行こう」
龍麻は勢い良く立ちあがる。
杏子を責めたところで意味がなかったし、犯人が判った以上、一秒とて時間を浪費する気はなかった。
「気が早ェな──が、確かに怪しいな。行ってみようぜ」
「よォし、予備のカメラも持ったし、乗り込みましょうッ!」
部屋の片隅から二台目のカメラを取り出し、意気揚揚と立ちあがった杏子に、
目配せしあった四人は役割分担を決めて話しかけた。
「遠野。お前は残って美里とマリア先生のことを適当にごまかしておいてくれ」
「なッ、何よそれ」
「絶対に誘拐されたことを周りに知られんなよ」
「そうそう、そういうのは口が達者なアン子が適任だもんねッ」
記者の本質は真実に近づくことにあると信じている杏子は、
皆に口々に言われても引き下がらなかった。
「騙されないわよッ、またそうやってあたしを置いてくつもりなんでしょッ」
「頼むよ遠野さん、この件を警察沙汰にする訳にはいかない。
昼まででいいから、なんとかごまかしてくれないかな」
龍麻が止めたのは、彼女の安全を慮(ってのことだった。
相手は銃を持ち、誘拐のような荒事も平気で行う集団だ。
何の『力』も持たない杏子を連れていくのは、どれほど彼女が望んでも出来なかった。
杏子は龍麻に負けないくらい強い光を眼鏡の奥の瞳に宿らせて抵抗していたが、
遂に諦め、軽く俯く。
「……もう、緋勇君にそんな顔されたらどうしようもないじゃない。
わかったわよ、こっちは上手くやっておくから。そのかわり」
「あぁ、マリア先生と美里さんは絶対助け出してくる」
力強く請け負った龍麻は、京一達と共にローゼンクロイツ学院へ急ぐべく部室を飛び出した。
可能な限りの早さで大田区へ移動した龍麻達は、
杏子が調べてくれた住所にある、灰色の塀に囲まれた建物を見つけていた。
「ここか……ローゼンクロイツ学院ってのは」
「学校……なんだよね一応。でも塀は高いし、無機質で、なんか嫌な感じだなぁ」
小蒔が塀を見上げて呟いた。
塀の上には鉄条網まであり、刑務所か収容所のようなたたずまいを見せている。
角から顔だけを出して正門を覗った京一は、仲間達に軽く首を振った。
「あぁ……警備員までいやがる。こりゃ簡単には中に入れなさそうだな」
「とりあえず塀を一周してみよう。他の入り口が見つかるかもしれないし」
龍麻が口元に手を当て、少し考えてから言うと、醍醐が賛意を示した。
「そうだな……誘拐なんぞするような手合いだ、正面から入って通してくれるとも思えんな」
しかし、龍麻達が期待するような侵入口は、残念ながら見当たらなかった。
塀は三メートル近い高さがあり、更に鉄条網の為に、乗り越えるのは不可能でないにしても困難だ。
やむを得ず、正門が見える位置まで戻ってきた龍麻達は、次の作戦を練ることにした。
「行こう」
「行こう……って正面からかよ」
龍麻の大胆な作戦……というよりもただの強行突破に、さすがに京一も首を縦には振れない。
すると龍麻は珍しく強引に自分の意見を押し通そうとした。
「どうせ誘拐するような奴らだ、少しくらい怪我させたって構わないだろ」
「そりゃそうだけどよ」
京一も荒事は望むところであるし、二人を攫った犯人に対する怒りも強い。
だが彼女達の安否が確認出来るまでは、軽々しく動くべきではなかった。
その程度のことは解っているはずなのに、やはり冷静さを失っているのだろうか。
早くも腰を浮かせかけている龍麻を、京一は結構な力で止めなければならなかった。
「ちょっと待てって」
「他に方法はないだろうッ!?」
押し殺してはいるものの、龍麻の語勢は強い。
龍麻にも言い分はあり、人を誘拐し、銃など所持しているような奴らだ、
派手に暴れたところで二人の身柄さえ押さえてしまえば大義名分はこちらにあるし、
いくら損害を与えたところで彼らも被害届など出せないだろう。
ここで相談していてもらちが開かないのだから、思いきって突撃するべきだ。
しかし、京一はおろか、醍醐と小蒔もその意見には消極的な姿勢を示した。
龍麻は友人達の態度が愚鈍に思え、身体を抑える京一の腕を振り払った。
「なら──俺一人で行く」
「待てっつってんだろッ!」
無謀な作戦を実行しようとする龍麻と、それを止める京一、
それに京一に加勢する醍醐との間で、深刻な諍(いが発生する。
こんな状態ではどんな作戦を立てたところで上手くいくはずがなく、
小蒔がおろおろしていると、突然、背後から女性の声がした。
「方法ならあるわ」
「誰だッ!」
学院の関係者に発見されたと思った龍麻は、鋭く誰何(する。
しかし、そこにいたのは龍麻の良く知った女性だった。
「天野、さん……」
研ぎ澄ませていた氣が、一度に抜ける。
張り詰めていた心身も弛緩してしまい、
恨みがましく神出鬼没のルポライターを見る龍麻に代わって、京一が訊ねた。
「絵莉ちゃん……どうしてここに?」
「もちろん仕事(よ。理想の福祉施設と名高いローゼンクロイツ学院の取材、ってね」
「え?」
「それと、その裏に潜む陰謀を暴くために……ね」
「陰謀って……やっぱここにはなんかあんのかよ」
絵莉は、同意というには大げさすぎる頷き方をした。
「何かどころか、この学院ほど叩いて埃(が出る学校もないんじゃないかしら。
それはそうと、あなた達はどうしてここに? 何か、乗りこもうとしてたみたいだけど」
龍麻と京一が同時に言おうとして、同時に口を閉ざす。
それきり黙ってしまった二人に代わって、仕方なく小蒔が説明した。
「葵が……誘拐されたんです。友達がそれを目撃して、そこに落ちてた校章がここのやつだったから」
「美里さんが?」
「はい。美里と一緒に、俺達の担任も」
「担任って──マリアが!?」
醍醐の補足を聞いた時の絵莉の反応は、只事ではなかった。
元より年齢よりも若い喜怒哀楽を見せる彼女だったが、
この時はほとんど小蒔と同じくらいの驚きようだった。
「絵莉ちゃん……マリアせんせー知ってんのかよ」
「えッ、ええ、まぁね」
友人──というよりも悪友に近い、
呑み仲間という関係を彼らに説明する気にはなれなかった絵莉は、
興味津々で自分を見る京一や小蒔の追求をかわさなければならなかった。
「それはいずれ機会があったら話すとして、そうね、そういうことなら協力するわ。
まずローゼンクロイツ学院(についての情報を聞いてちょうだい」
「そんな時間は」
「ううん、絶対損にはならないから」
焦りと不満を斑(に浮かべる龍麻を強引に説き伏せ、
絵莉はここに取材に来た動機となる、ローゼンクロイツ学院の裏の面について語り始めた。
「このローゼンクロイツ学院は孤児達を集めて英才教育を施し、
施設の面でも優れた評価を得ている学校なの。
でも、その実態はあまり知られていないわ。
わたしが入手した情報では、ドイツ人である学院長のジルは、
孤児を引き取り養育する福祉施設という仮面の裏で、
身寄りのない子供達を利用した人体実験を行っているらしいの」
「人体……実験?」
小蒔の顔が嫌悪に歪む。
「詳しくは解らないけど、脳の成長が最も活発な、
十代前半までの子供達の右脳を人為的に操作する──平たく言えば、超能力に関する実験が」
「超能力……って」
小蒔は半信半疑といった風に腕を組んだ。
自分達の『力』も超能力の一種だが、それを研究するというのは、
こんな力などなくても一向に構わない彼女にとって理解しがたいことなのだ。
しかし絵莉は、いたって真面目に話を続けた。
「人間の隠された能力を開発する研究は、昔から行われているわ。
時には、国家機関でさえもが関わって」
うそ寒そうに首をすくめる小蒔に、
絵莉は悪いと思いつつも更に彼女が嫌悪を抱かずにいられないであろう話題を出した。
「学院長のジルは、福祉財団の理事長であると共に、医科学の権威としての側面も持っているわ。
その辺りも取材で聞き出そうと思っていたんだけど、
ヨゼフ・メンゲレの再来でないことを祈るしかないわね」
「めんげれ……? 誰だそりゃ」
京一が頭の悪い発音で首を傾げたが、今回は京一だけでなく、誰もその名前を知らなかった。
これは彼らが不勉強なのではなく、普通の高校生は全く知る必要のない人名だからだった。
「ナチスドイツの時代、あのアウシュビッツ収容所で人体実験に興じ、
死の天使と恐れられた狂気の医師よ」
その名はかつて人類に恐怖と絶望を植え付けたナチスドイツの関係者の中でも、
最悪な部類に属するもののひとつだった。
自らの欲望のままに人体実験を繰り返し、多くの無辜(の人間を殺した医師。
彼の悪名は忘れてはならない負の遺産として後世に伝えられている。
自分でナチスの名前を出したことで、絵莉はもうひとつ、
その忌まわしい組織と今龍麻達が乗りこもうとしている学校との関係に思い至った。
「そういえば、ここの校章を見たって言ってたわね。あれについては何か知ってる?」
「ただの鷲じゃないんですか」
「ええ、鷲を紋章に使うのは特にヨーロッパの方に多いんだけど、
その中には──ナチスもあるのよ」
龍麻達の顔に、不安が色濃く浮かぶ。
ナチスについて詳しい訳ではなくても、その名が不吉なものだと言うことくらいは知っているのだ。
しかし、ナチスといえば、あの有名な紋章なのではないか。
その疑問を京一が口にした。
「ナチスって……あれじゃねェのかよ、まんじとかいう」
「よく誤解されているけど、それは向きが反対なのよ。ナチスの使ったのは鉤(十字、
ハーケンクロイツと呼ばれるものね。
でも、あまりにも鉤十字のインパクトが強いから目立たないけれど、
ナチスは鷲の紋章も良く使用していたわ」
子供を人体実験の材料にする、ナチスの亡霊──
それは最悪の組み合わせだった。
そして、そのような組織に囚われてしまった葵の運命は。
「超能力の研究……ということは、美里を攫ったのも俺達の『力』を知っての可能性が高くなったな」
「それじゃ──葵も実験に使われちゃうの?」
醍醐の低い声に答える小蒔に、普段の生気は全くない。
親友が実験材料にされるなど、想像することさえ耐えられるものではなかった。
龍麻もそれは同じで、爪が食い込むほど拳を握り締め、恐怖と怒りに身をわななかせる。
「急いだ方がいいわね」
険しい表情で頷いた絵莉は、彼らを学院内に入れるべく手早く作戦を立てた。
「方法は──そうね、わたしは取材許可を取ってきたから、一応、ここへの来訪を許可されているわ。
だからあなた達は、ジャーナリスト志望の学生ってことにして、
今日は一日見習いとして一緒に中に入る。これでどうかしら」
「そうだな……そっちの方が良さそうだ。いいだろ、龍麻」
「……ああ」
龍麻は短くそう答えただけだった。
絵莉の作戦が有効であることは判っていたが、それでも迂遠さを感じるほど焦っていたのだ。
しかし、龍麻の焦りは少し激しかったとしても、決して行き過ぎたものではなかったから、
仲間達はもう彼をたしなめなかった。
「それじゃ、正門を抜けたら自由行動ってことでいいわね」
「でも、そしたら天野サンに迷惑がかかっちゃわない?」
もっともな小蒔の心配を、絵莉は一笑に付した。
「気にしなくていいわ。マリアはわたしの友人でもあるし、
ローゼンクロイツ学院(は相当胡散臭い所みたいだから、
わたしのことなんて気にしないで好きにやっていいわよ」
そう言いきった絵莉は、龍麻達を従え、堂々と正門に向かって歩き出した。
彼女に気付いた警備員が、警戒を隠そうともせず身構える。
「こんにちは。学院長に面会をお願いしました、ルポライターの天野ですけど」
「身分証を」
愛想良く話しかけた絵莉にも警備員の態度は変わらず、
いかにも後ろ暗い場所を警備しているという印象を龍麻達に与えた。
絵莉が差し出した身分証を、警備員は嫌味なほど念入りに確かめてから返す。
「確かに。学院長は本日急用で外出しているので、替わりの者が話を伺うことになっている」
「わかりました」
早速中に入ろうとする絵莉だったが、さすがに警備員は見逃さなかった。
良く訓練された動きで絵莉達の進路に立ちはだかる。
「待ちなさい。その学生達はなんだ」
「あぁ、この子達はわたしの母校の後輩達で、ジャーナリストの卵なんです。
今日はわたしの助手として一緒に連れてきました」
「そんな話は聞いていない」
「はい、いつも頼んでいるカメラマンと助手が風邪で寝込んでしまって」
尋問のような口調の警備員にも、絵莉は動じることなく嘘を並べ立てる。
さすがにフリーのルポライターとして経歴を積んでいるだけあってか、
このようなことはお手の物であるらしかった。
「学院長は、今回の取材を学院の宣伝の一環だと仰っていました。
いい記事を書きますから、許可願えないでしょうか」
「しかし……」
なお渋る警備員に、絵莉は幾度か使い、効果のある戦法(を使った。
「なんでしたら、わたしの方から学院長にお話してもいいのですけど」
最上位者に名前を知らされて喜ぶ組織の人間はあまりいない。
それが苦情や疑問めいたものなら尚更で、出世や勤務評定に関わることは極力避けたいのだ。
絵莉の読みは的中し、鉄面皮だった警備員の顔に微(かな狼狽が生まれた。
「そんな事で学院長の手を煩わせる必要もない、止むを得んな、立ち入りを許可する。
ただし指定された場所以外に入らないこと、大きな声を出して騒がないこと。
以上は厳しく守らせるように。わかったな」
「ありがとうございます。皆、行くわよ」
明るい声を出して助手達を促した絵莉は、
こうしてまんまと龍麻達を潜入させることに成功したのだった。
無言のまま人気のない──敷地内はほぼどこも人の気配などなかったが──
場所まで来てから、絵莉はようやく息を吐き出す。
場数は踏んでいても緊張することに変わりはないのだ。
「ふぅ……上手くいったみたいね」
「ボク、ドキドキしたよ」
小声で興奮を語る小蒔に愛嬌のあるウィンクをしてみせた絵莉は、表情を改めて龍麻を見た。
「それじゃ、わたしは話を聞いてから怪しいところを探ってみるわ。あなた達も」
「はい……必ず二人を助け出します」
「お願いね」
龍麻の肩を叩き、絵莉は取材をするべく彼らと別れる。
この学院の実態を探る必要はあったし、
取材をすることでいくらかでも龍麻達への注意を逸らすことが出来るのだ。
友人の無事と救出を祈りつつ、絵莉は自分の役割を果たすため、伏魔殿へと入っていった。
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