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 絵莉と別れた四人も、足音を殺して建物の奥へと進む。
灰色の廊下に暗めの照明は、どうにも陰鬱いんうつな気分に龍麻達をさせた。
「なんか……とても子供達を養育する場所には思えないね」
「ああ……冷たくて、嫌な感じだ」
 小蒔の感想に、龍麻は半ば無意識に答える。
その返事はあるいは先入観から生じたものかも知れなかったが、それを訂正する気は龍麻にはなかった。
今頭の中にあるのは、葵とマリアを救出する、その一点のみだ。
全神経を集中させて彼女達の居場所を探る龍麻に、京一はその鋭気を和らげるように話しかけた。
「結構でけェ建物だな……龍麻、どっから探すよ」
「そうだな、表向きは学校なんだから、そんな場所で実験なんかしないだろう。
何かあるなら地下か奥だな」
ちげえねェ……よし、先に一番奥まで行っちまおうぜ」
 初めは見つからないよう慎重に進んでいた龍麻達だったが、
どうやらその必要はないようだと気付いたのは、ほとんど最奥部まで来てからだった。
「人っ子一人いないね」
「あぁ……病院だってもうちょっと人の気配はすると思うが」
 教室の入り口らしい扉はいくつかあったものの、どれも覗き窓ひとつない重い扉で、
部屋の中の声など一切聞こえてこない。
天井の、かろうじて点いている照明がなければ、廃墟かと思ってしまうほどだった。
 だから建物の一番奥のくらがりにひっそりとあった階段の前に、
鮮やかな赤い服を着た少女が立っているのにも全く気付かず、
彼女が振り向いた時にはもう隠れようがなかった。
「やべェ、見つかっちまったか」
 慌てる京一を制し、龍麻は少女に近づいていく。
ここまで来たら、もう遠回りは出来なかった。
「こんにちは」
「……アナタタチ、ダレ」
「ぼく達はね、この学校を取材に来たんだ」
「シュザイ……?」
 龍麻は膝に手をついて身をかがめ、少女と目の高さを合わせて話しかける。
そうなった時には容赦なく昏倒させるしかないとしても、
大声で人を呼ばれさえしなければ、彼女に危害を加えるつもりは龍麻にはなかった。
 少女に日本語は通じるようであるが、難しい言葉は解らないようだ。
まだ十歳程度にしか見えない少女に、龍麻は逸る気持ちを抑え、ゆっくりと言葉を選んだ。
「うん。ここはとてもいい学校だって聞いているから、それを教えてもらおうと思って来たんだ」
 努めて穏やかに話しかける龍麻の、少女は忍耐力を試すように小首を傾げるだけで何も言わない。
その時、後ろで彼女を見ていた小蒔から驚きの声が上がった。
「ね、ひーちゃん。このコが持ってる腕時計……葵のだよ」
「それ……本当?」
「うん、間違いないよ。葵、入学祝いにお父さんから貰ったって嬉しそうに見せてくれたもん」
 何故この少女が葵の時計を──努力も水泡に帰し、龍麻の口の端がゆっくりと曲がり始める。
しかし、葵という言葉に反応したのは龍麻だけではなかった。
「アナタタチ……アオイヲ知ッテルノ?」
 この少女は、何かを知っている。
情報を引き出すため、龍麻は苛立ちを抑え、辛抱強く頷いた。
「うん、葵は──美里さんはぼく達の友達なんだ」
「トモ……ダチ?」
 反応の鈍い少女に痺れを切らしたのは、龍麻より小蒔の方が先だった。
「ねぇッ、葵の居場所知ってるの? 知ってるんだったらお願い、教えてよッ」
「ドウシテ? ドウシテ、アオイヲ捜スノ?」
 少女の問いに、小蒔は声を詰まらせてしまう。
それほど人間味のない、そして小蒔にとっては考える必要さえない問いかけだった。
「どうしてって……そんなの当たり前じゃない。
葵はボクの……ボク達の、大切な仲間なんだから」
「ナカ……マ?」
 仲間という言葉に対する少女の反応は異常だった。
「仲間ハ、大切ジャナイヨ。ダッテ、新シイ仲間ハイクラデモ作レルモノ。
データサエアレバ、イクラデモ増ヤセル」
 少女の日本語は片言で聞き取りにくかったが、
例え完全に発音されたとしても龍麻達は意味を理解することが出来なかっただろう。
 京一がこんなガキ放っといて先に行こう、と目で促す。
それを無視して小蒔は膝をつき、少女の両肩を掴んで語りかけた。
「増やせる……って、何言ってるの? 葵は人間なんだよ。
ううん、人間だけじゃない、キミのそのネコだって、死んじゃったら増やせないんだよ」
「メフィストガ……死ヌ?」
 身近な例えを出されて、少女は小蒔の言うことを理解したようだった。
腕に抱いた猫を見下ろし、眉を曇らせる。
「そう、生きているものは死んじゃったらもう帰ってこない。
メフィストがいなくなっちゃったら、悲しいでしょ?」
「カナシイ……ワカラナイ」
「お願い、葵の居場所を知ってるんだったら……教えて」
 困惑したように頭を振る少女に、小蒔は懇願する。
すると想いが通じたのか、少女は指を下方に向けた。
「ソコノ階段ヲ……降リタトコロ。
デモ、ジル様ガ入ッチャ駄目ダッテイッテタ。実験スルカラッテ」
「──ッ!!」
 最悪の想像に背中を鷲掴みにされた龍麻達は、
もう少女のことなど省みず、階段を争うように降りていった。
 ただ一人この場に残された少女は、彼らが降りていった先をじっと見つめていた。
ジル様ハ入ッチャ駄目ダト言ッタ。
アオイ──メフィストト同ジ、トモダチ。
ジル様ハメフィストトモダチヲ殺セト言ッタ。
マリィノトモダチアオイヲ助ケニ来タ、アオイノトモダチ。
アオイガ死ンデシマウト、アオイノトモダチハ言ッタ。
幾つもの考えが、幼い少女の頭の中を巡る。
どうすれば良いのか──今まで命令されるだけで、自分の考えで行動したことも、
またその自由も与えられなかった少女は、今、初めて自分の行動を、自分自身で決めようとしていた。
 考えることに慣れていない少女には、それはとても難しいことだった。
ジルの意に従うか、反するか。
トモダチを助けに行くか、見捨てるか。
たった二つの選択肢を、いつまでも選ぶことが出来ず、マリィは、
考えるのを止めて、部屋に戻ってしまおうかと思いはじめる。
そうすれば、昨日までと変わらない日常だけは確保されるから──
そう思い、踵を返そうとしたマリィの腕の中で、メフィストが鳴き声をあげた。
「メフィスト……?」
 まだトモダチになって数日とはたっていない黒猫は、低いうなり声を発している。
メフィストが自分の決断に異を唱えているのだとマリィが理解したのは、
腕に立てられた小さな爪の痛さによってだった。
「メフィストモ、アオイヲ助ケタイノ……?」
 腕を引っかかれた拍子に離してしまったメフィストは、
マリィの問いに答えることなく、マリィとは反対方向に歩きだす。
軽やかに階段を下りていくメフィストに、マリィは見捨てられたような気がして心がすくんだ。
トモダチガ、イナクナル──
それはジルに怒られて鞭で打たれるよりも、罰として食事を抜かれるよりも、
もっとずっと辛いことだった。
「待ッテ、メフィ」
 それを小さな友人に教えられたマリィは、黒猫の後を追う。
「ニャア」
 踊り場を曲がったところで待っていたメフィストは、遅れてきた友人に一声鳴くと、再び腕の中へと戻った。
「ウン……行コウ、メフィ」
 トモダチを離さないよう、しっかりと抱いたマリィは、
彼女にとって二人目の友人を助けるため、暗い地下室へと下りていった。

 龍麻達が向かった地下の研究室では、今まさに実験が行われようとするところであった。
巨大なコンピュータが幾つも並び、その隙間に白衣を着た人間が何人かいる。
部屋全体は薄暗く、最小限度の照明が不気味に灯っているだけであったが、
その最奥部だけが不思議なほど明るかった。
 床から天井まで、三メートルほどもある巨大なシリンダーが貫いており、
中に満たされた薄緑色の液体が、幻想的ともいえる輝きを放っていたのだ。
全部で五本あるシリンダーは三本が空であったが、
その内の一本には何か得体の知れぬ生き物がうごめいており、
そして、最後の一本には──裸の女性が入れられていた。
白い肌が薄緑色の液体に包まれ、筒の中に浮かんでいる姿は、女神像のような美しさであった。
 彼女の前に、一人の男が立っている。
制服を着、直立不動で立つ男の瞳には、女神を崇拝する神官のような陶酔が浮かんでいた。
均整の取れた裸身を眺めながら、男は機械に向き合っている部下に尋ねた。
「様子はどうだ」
「はッ、ジル様。サイ粒子抽出機をテレモニターに接続。被験者の念波動を原子結晶化し、
抽出、培養、増幅。その後、粒子断面及び検出数値がモニター化されます」
「よし、続けろ」
 男はローゼンクロイツ学院長、ジル・ローゼスであった。
己のよこしまな野望の為にさらってきた葵を、
その『力』の秘密を探るべく実験にかけようとしていたのだ。
「フフフ……ミサトアオイか、素晴らしい、この『力』。実験せずともワシには解る。
こやつこそ、ワシが探していた『鍵』だ。よもやこんな島国で出会おうとはの」
 完璧な素体を前にして、思わずジルは感嘆を漏らした。
目の前の女は、これまでに実験してきた二百人の素体などとは比べ物にならぬ素質を有している。
この女が長い間世界中を捜し歩いて求めてきた『鍵』であることは、疑いなかった。
「この『力』を解明すれば、我が帝国は更なる進化を遂げる。
シロウとやらはしくじったが、下等民族にはどの道必要のないものよ。
我ら優良種たるアーリア民族こそが大いなる『力』を手にするに相応しい」
「ジル様、ご覧くださいッ。超能力PSYレベルが最高値に達しています。
このままではメーターが振りきれますッ!」
「構わん、続けろ。……素晴らしい、まことに素晴らしい。
この『力』──第三帝国復活の大いなる一歩となるであろうぞ」
 ジルの声が興奮にうわずる。
訪れる第三帝国ドリッテライヒ、そしてその指導者として君臨する自分を思い、
法悦の境地に浸っていると、研究室内に非常警報音が響き渡った。
「何事だッ!」
「侵入者です……男三名、女一名。こちらへ到着するまであと八秒……七……」
 警備員が報告するより前に、ジルの傍らにいる盲目の少女が告げる。
彼女は常人にはない超感覚的エクストラセンサリーな視力を有しており、
四人の男女が全速力でこちらに向かっているのを、どんなカメラよりも正確に捉えていた。
「何ということだ、神聖なる実験の最中に。……ここから生きて出られると思うな」
 歯軋りしたジルは、実験を一時中断して、いまいましい侵入者を抹殺すべく指示を下し始めた。

 ものものしい扉を見つけた龍麻は、一気に踏み込んだ。
罠の存在も、敵の不意打ちも頭にはなかった。
そして扉の向こうで龍麻を待っていたのは、罠でも、不意打ちでもなく、よりおぞましいものだった。
遥か向こうの空間で、葵が、一糸まとわぬ姿で細長い容器に入れられていたのだ。
薄緑色の液体が満たされた筒に閉じ込められた彼女は、
数ヶ月前に死蝋しろうという男の研究室で見た、
忌まわしい実験の結果である生物を思い出させた。
「葵ッ!!」
 胸糞むなくその悪い想像に、龍麻の氣が爆発的に膨れる。
仲間達が物理的な圧力を感じたほど、それはこれまでの闘いのどれよりも膨大な氣だった。
膨大で、そして危険な陰氣。
遅れて部屋に入った醍醐は、今にも飛び掛らんとする龍麻を必死に留めた。
「待てッ、緋勇ッ!!」
「離せッ!!」
 単純な力較べなら醍醐に分があるはずだったが、龍麻は体重が百キロに届く醍醐が、
渾身の力で止めてもなお引きずっていく。
醍醐は、龍麻に同じてつを踏ませる訳にはいかなかった。
「落ち着け緋勇ッ、憎しみで闘ってはいけないと言ったのはお前だろうがッ!!」
「解ってるさ、けどこいつらはそれだけのことをしてるッ、
俺は……絶対に許せないッ!!」
 制止にも耳を貸さず、遂に醍醐をも振り払った龍麻は階段を飛ぶように下り、
機械の迷路の中を駆けていく。
「ちッ……どの道ここまで来たらやるしかねェんだ、行くぜ、醍醐、小蒔ッ!!」
 極めて狂暴な存在と化した龍麻に舌打ちした京一は、
周りが見えなくなっている彼を援護すべく後を追った。
醍醐と小蒔もすぐに続く。
 邪魔な研究員を突き飛ばし、一直線に葵の許に向かっていた龍麻は、
彼女の前に立つ老人を視界に捉えた。
彼こそが葵を攫った犯人であるジル・ローゼスだと直感し、
激怒を燃えあがらせて肉迫する。
 しかし、あと数歩で間合いに入るという距離で、突然不可視の壁が立ちはだかった。
何が起こったか判らないまま弾き飛ばされた龍麻は再び突進する。
だが醍醐を振り払った膂力りょりょくを以ってしても、
壁を打ち破ることは出来なかった。
再び吹き飛ばされる龍麻を、追いついた京一が起こす。
「何だこりゃ……これも『力』なのか?」
 龍麻は答えず、無言でジルを睨みつける。
 侵入者が17サラの築いた壁に空しく体当たりするのを、
微動だにせず見ていたジルは、あざけった笑みを浮かべた。
「フフフ……ここまで辿りついたのは褒めてやるが、所詮はその程度か」
学院長ジル様。この人間達にもアオイと同じ『力』が視えます」
「なるほど……17おまえの予知に表れたのはこやつらか。
いいだろう、こやつらも実験材料にしてくれる。
19イワン21トニー、やれッ、殺して構わんッ!!」
 17サラの報告に得心して頷いたジルは、彼の忠実な兵士ゾルダート達に命令を下した。
「了解しました」
「ケケッ、オモシレエ。グチャグチャニ潰シテヤル」
 二人の子供がジルの前に進み出る。
京一は彼らに奇妙な氣を感じたが、口ではこう言って挑発した。
「けッ、こんなガキ共で俺達の相手が務まるワケがねェだろうが」
「ここにいるのはワシが創り上げた革命レヴォルツィオーンの為の兵士達だ。
お前等如き、軽くほふってくれるわ」
 京一に人が持ちうる限りの悪意を凝縮した笑みを向けたジルは、拳を振り上げ、演説を始める。
それは彼が崇拝してやまない、総統フューラーアドルフ・ヒトラーの動きを寸分違わず模したものだった。
「ワシは大地を流れる大いなる『力』を長い間研究してきた。
そして創りあげた──『力』を授かるに相応しい人間を。
貴様等は特別な人間ではない。単に神が気まぐれを起こしたに過ぎぬのだ。
貴様等に『力』を使うだけの資格があると思っているのか? 下等民族の貴様等に」
 傲然と言い放ったジルは、彼らの後ろにいる小さな人影に気付いた。
20出来損ないめ……どこに行っておった」
 ジルの声に、龍麻達は先ほど階段の前にいた少女がいつのまにかいることに気付いた。
明るいグレーの瞳は、数分前とはまるで異なる光にあふれている。
彼女と目の前の初老の男との関係は判らなかったが、
少女の目に浮かんでいたものは、自分達と同じ輝き、葵を助けたいと想う意思だった。
「何だそのは……よもや貴様、こやつらを手引きしたのではあるまいな」
「……」
「調製が足らなかったようだな。こやつらを始末したら、もう一度レベル2からやり直さねば」
 吐き捨てたジルの目には、既に20マリィは物としか映っていない。
大人が、子供に対して決して向けてはならない視線だった。
 二人のやり取りを見ていた龍麻の心に、男に対する更なる怒りが加わる。
拳を衝き動かさんとするそれを制御し、龍麻はいつでも飛びかかれるよう身構えた。
男の前に立つ二人の子供もそれに呼応して構えるが、男は演説を続ける。
「崇高な力を持つワシの兵士、お前達は選ばれた民なのだ。
成長して汚れることもなく、いつまでも美しく輝く帝国の民。
永遠に純粋な残酷さを持ち続ける至高の子供達。
それなのに貴様は、汚らわしく俗な、甘い感情を捨てきれぬ。どうしようもない失敗作よ」
 小さな身体を蝕む言葉の猛毒にも、マリィは唇を噛んで良く耐えていたが、
遂に決然とジルを、育ての親を睨みつけた。
「アオイ……マリィノコト、トモダチッテイッテクレタ。
アオイガ死ンジャッタラ、マリィ、悲シイ……ダカラ、アオイハマリィが護ルッ!!」
「貴様──その『力』の故に親に捨てられ、
のたれ死ぬしかなかった貴様を拾ってやった恩も忘れおってッ!!
貴様等兵器がこの学院から出て生きていけるとでも思っているのかッ!!」
「ワタシハ兵器ジャナイッ!!」
 叫び声と共に、龍麻達の傍らを熱風が通りすぎた。
驚いた彼らがとっさに顔を庇うと、紅蓮の焔が龍麻の前方の空間に燃えあがる。
息苦しくなるほどの気流が消え去った時、龍麻の突進を阻んだ超物理的な壁は焼失していた。
 17サラが生み出した壁が破られたことにジルは驚きの表情を見せたが、
すぐにより凄まじい侮蔑を取って代わらせる。
それは人の物とは思えない、悪鬼の顔だった。
「フン……『力』があればこそ使ってやってきたが、やはり失敗作は失敗作か。
19イワン21トニィ20出来損ないも始末しろ」



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