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強い風が龍麻達の間を通り抜ける。
足元に特に強さを感じる風は、塵を舞い上げて吹いていった。
「ひゃーッ、今の風すっごく冷たかったね」
確かにそれは秋風、というには少し冷たすぎる、木枯らしと言っても良いくらいの風だった。
乱れてしまった髪を龍麻が元に戻そうとしていると、小蒔がスカートを押さえている。
美里さんは……と顔を動かしかけて、慌てて龍麻は止めた。
もし葵もスカートを押さえており、
そしてこちらを見ていたりしたら言い訳のしようがないだろうから。
「もう秋も終わりだからな」
「そうだね、ラーメンもいいけど、そろそろ鍋の季節だよね」
醍醐がしみじみと呟く。
だが小さな食欲魔人にかかれば季節の移ろいも食べ物の移ろいでしかないらしく、
小蒔は心底幸福そうに鍋のなんたるかを語り始めた。
少し気の早すぎる小蒔に、龍麻が苦笑しながら聞いていると、
彼女は急に何かを閃いたのか、手を軽く打ち鳴らした。
「ね、冬になったらさ、ひーちゃんちで鍋やろうよ」
「おッ、そりゃいい考えじゃねェか」
龍麻が口を開くより前に京一が答えている。
あまり綺麗とは言えない部屋に大勢を招き入れることに、龍麻は当然の抵抗を示した。
「俺ん家そんなに入れねぇって」
「いいってコトよ。肩寄せ合って食うのもオツなもんだぜ」
「そうそう。材料皆で持ち寄りでさ、絶対やろうね」
抵抗空しくあっさりと決まってしまった予定に、龍麻は口の中でぶつぶつと呟く。
そのふてくされようが可笑(しくて、葵は彼の肩を叩いた。
「いいじゃない。私も龍麻君の家、行ってみたいわ」
それこそが最大の障壁だということに、彼女は気づいているだろうか。
彼女に今現在の部屋を見せたら、卒倒してしまうかもしれない。
といって微笑む葵に反論することなど、未来永劫出来ないであろう龍麻は、
彼女に合わせてぎこちない笑みを浮かべるしかないのだった。
「おッ!!」
京一の大声に龍麻達は一斉に振り向く。
龍麻家での鍋パーティーなど小蒔が思いついた瞬間に既定の予定になっている京一は、
龍麻がふてくされているのも見ずにさっさと前を向いて歩いていたが、
急に足を止め、幸福そうに前方を視線を凝らした。
「なんだよ、でかい声出して」
「今、あそこのおネェちゃんのスカートが……」
見れば、京一の言った通り少し離れた所で女性がスカートを押さえている。
これだけの雑踏の中で瞬時に見つけ出すとは、呆れた動態視力だった。
ため息すら出ない四人に、京一は動じる様子もなく言う。
「まァいいじゃねェか。こうしておネェちゃんのパンチラが覗けるってのは平和な証拠だぜ」
そして平和を実感しようと首を左右に振った京一は、
今度は平和から程遠い、より彼好みのものを見つけたのだった。
「ん? 喧嘩か?」
「どこ?」
「そこの裏道をなんか横切っていったんだけどよ、どうも見慣れねェ制服だったな」
まっさきに訊ねる小蒔に答える京一の声には期待が混じっている。
それを長い付き合いで感じ取った醍醐は、否定気味に首を振った。
「気のせいじゃないのか? 別に喧嘩とも限らんだろうし」
「いや……ガラの悪い奴らだったからな、ありゃ間違いねェぜ」
野次馬根性を露呈させている男に、醍醐が更に何か言おうとした時、
彼のものではない高い声が雑踏に響いた。
「きゃあッ!」
「ほれみろッ! よし龍麻、助けに行くぜッ!」
言うが早いか京一は駆け出していく。
顔を見合わせた四人も、とりあえず彼の後をついていくことにした。
こういうことには鼻が利くのか、京一は一度は見失ったガラの悪い連中とやらを、
迷うこともなくすぐに再び発見した。
連中が四人であること、
彼らが追っていたのが一組の若いカップルであることを素早く確かめ、歩を緩める。
見ただけでどういう状況なのかはほとんど察しがついたが、
男達の大きな声によって救うべきがどちらか簡単に確認できた。
「もう逃げられねェぜェ、手間かけさせやがって」
「あのヒトが首を長くして待ってんだ、大人しく来てもらおうかァ」
少年と少女を囲んだ男達は、基本通りに脅しをかけている。
となれば、それを救う側も基本を守るべきだ。
京一はこれだけ近づいてもまだ気づかない男達に失笑を薄く浮かべながら、殊更ゆっくりと呼びかけた。
「よォ、てめェら」
「あン? 俺達ゃこの二人に用があンだよ。怪我したくなけりゃとっと失せやがれッ!」
男達は歯茎まで剥き出しにして威嚇してくる。
その醜さに心持ち顔を仰け反らせて、京一は答えた。
「人ん家(の庭先で幼気(な少年少女をいたぶろうたァ、
ちょいとおイタが過ぎるんじゃねェか?」
「なんだてめェらはッ!!」
「ヘッ、待ってたぜ、その台詞」
いかにも嬉しそうに答えた京一は、わざわざ咳払いまでしてから伝統に則(って自分の名を告げた。
「いいか、一度しか言わねェから耳の穴かっぽじって良く聞きやがれ、
新宿、真神一のイイ男、超神速の木刀使い、蓬莱寺京一様とは、あ、この俺様のことよッ!!」
最後は歌舞伎調になっている京一の名乗りは、
明らかに先日会ったコスモレンジャーの影響を受けている。
それに気付いた龍麻達が後ろで頭を抱えるのにも構わず、京一は得意顔で不良達を睨みつけていた。
ため息をついた醍醐は、無用な争いを回避するために指を鳴らす。
総番の座は龍麻に譲っても、まだ新宿近辺では彼が番長として通っており、
争いを避けられるのならこの際示威も仕方なかった。
「俺は同じ真神の醍醐だ。この名で引き下がってくれれば、
無駄な労力を使わずに済むんだがな」
「真神……魔人の蓬莱寺に、醍醐……!!」
「帯脇(さんが言ってた奴らか」
幸いなことに、彼らは京一と醍醐の名を間接的にせよ知っているようだった。
加えて京一の木刀と醍醐の体躯を見て、男達は明らかに怯んでいた。
「ヘッ、その帯脇とかいうのは少しはモノを知ってるみてェじゃねェか」
あからさまに挑発する京一に男達の一人が拳を固めたが、別の一人がそれを制止する。
「……一旦引き上げるぞ」
「け、けどよ」
「真神が出てきた以上、帯脇サンに報告するのが先だッ」
「そうそう、さっさと帰って大将に泣きついた方がイイぜ。
てめェら雑魚が何人束になろうと俺の相手じゃねェからな」
逃げ腰の相手に余計なことを言う京一に醍醐は眉をしかめる。
逆上でもされたら困ったことになるところであったが、
彼らはひとまず目的を達成するのを断念したようだった。
「くッ、中野、さきもり高の帯脇サンを敵に回したこと、すぐに後悔する羽目になるぜ」
捨て台詞を残して男達は逃げていった。
そのうちの一人が未練がましく後ろを振り向いたが、
仁王のような形相の醍醐に諦め、仲間達の後を追う。
もちろん少年達を助けることが目的だったから、龍麻達は彼らが角を曲がって見えなくなると、
それ以上の関心を払おうとはしなかった。
「行ったか……面倒なことにならなくて良かったな。
あまり弱い者を殴るのは性に合わんからな」
苦笑いする醍醐に同意の意味を込めて頷いた龍麻が少年達の方を向くと、
もう京一が彼らに話しかけていた。
「お前ら、怪我はねェか」
少年は少女を後ろに庇って緊張と覚悟を全身に漲らせていたが、
どうやら窮地は脱したらしいと知り、肩の力を抜く。
少年の背中からそっと顔を出した少女も、助かったと知ったのか、安堵の表情を浮かべた。
「は、はいッ。助けて頂いてありがとうございますッ」
「あの、本当にありがとうございました」
律儀に二人それぞれに頭を下げた、少女の声を聞いた途端、京一の動きが止まる。
それはぜんまいの切れたおもちゃのように急激であり、龍麻達は不審を誘われずにはいられなかった。
「どしたの京一?」
どうせ女のコが可愛かった、とかそんなんだろうけど。
そう思いつつ小蒔が京一を見ると、顔中に驚愕が浮かんでいた。
「ば、馬鹿野郎、お、おま、お前……これ、いや、この娘(、さやかちゃんじゃねェかッ!!」
「さやかちゃん……って、さっき話してた? ウソだよ、こんなところにいるはずが」
ないじゃない、と言おうとした小蒔の声が、彼女よりも高く、澄んだ音色に遮られる。
「舞園さやかです、よろしくお願いしますッ」
「え……本……物……?」
「本物も偽者もねェ、この声がさやかちゃん以外誰に出せるってんだッ!!」
何故かひどく叱られた小蒔は、腹立たしさを少しさやかにぶつけてしまった。
「でもなんで、こんなところに」
「それは……」
「馬鹿野郎、芸能人(には色々と複雑な事情があるんだよ」
口を濁すさやかに、京一が訳知り顔でたしなめる。
また叱られてしまったが、目の前でアイドルを見られた驚きの方が先だっている小蒔は、
いつものように混ぜっ返したりせずさやかを見た。
鮮やかなオレンジ色のブレザーは制服にしては少し派手過ぎるようにも思われるが、
彼女にはそれほどとも思えない。
それはだからと言って彼女が派手な顔立ちをしているのではなく、
何か、服の方が彼女に合わせる術を心得ているように感じられるのは、
さやかがアイドルだという先入観のせいだろうか。
だが生で見る彼女は確かに浮世離れした可愛らしさがあり、
京一が夢中になるのも無理はない、と納得する小蒔だった。
その京一は、もう危機は去ったのにも関わらずさやかが片時も離れようとしない男に、
穏やかでない視線を向けていた。
「時に少年」
「は、はいッ」
鋭さを増した京一の声に、少年は身を固くする。
気の毒なほど緊張する彼を、京一はじろりと見て訊ねた。
「お前は一体、さやかちゃんの何なんだ」
「はいッ、僕はさやかちゃんの同級生で、文京区鳳銘(高校一年の、
霧島( 諸羽(と言います」
「なんか……さわやかだね」
小蒔が思わず呟いたほど、諸羽と名乗る少年の声は歯切れが良く、
聞いているほうも思わず背筋を伸ばしたくなってしまうような爽やかさを持っていた。
しかもそれは生来のもののようで、嫌味なところが全くない。
やや意地の悪い心情から訊ねた京一でさえもが毒気を抜かれた態でまばたきしていると、
諸羽はほとんど直角に身体を折り曲げて再び礼を言った。
「皆さん、さやかちゃんを助けて頂いて、改めてありがとうございました」
「ま、まぁ気にすんなって。俺達ゃさやかちゃんの大ファンなんだからよ」
「本当ですかッ、ありがとうございますッ! 来月ニューシングルが出るんですけど、
そちらも是非お願いしますッ」
はきはきと、淀みなく宣伝する諸羽に、龍麻達は好意的な失笑をしてしまう。
この勢いで宣伝されたら、百万枚だって簡単に売ってしまうに違いない。
「霧島クンっていつもこうなの? なんかマネージャーみたいだね」
小蒔が笑うと、諸羽は少し表情を曇らせた。
「そ、そんな、僕はマネージャーじゃなくて、一応、その、ボディガードのつもりなんです」
「……今日みてェなことがしょっちゅうあんのかよ」
「……」
どうやら諸羽は全く嘘がつけない性格のようで、京一の指摘にたちまち黙ってしまう。
首を振った京一は、手の甲で押すように諸羽の肩の辺りを小突いた。
「なんだよ、男がそんなしけたツラすんじゃねェよ。仮にもボディガードなんだろ?」
「は、はいッ!!」
「あァ。俺達ゃもう行くぜ」
元気を取り戻した諸羽の返事に大きく頷いた京一は、事は済んだとばかりに引き上げようとした。
格好をつけているつもりなのか、さっさと振り向く京一を尻目に、小蒔は何気なく口を開く。
「ね、ボクたち今からラーメン食べに行くんだけどさ、良かったら二人も来ない?」
「馬鹿だな、さやかちゃんがラーメンなんか食う訳──」
さやかをほとんど崇拝している京一は、彼女がラーメンなどという庶民の、
つまり自分達と同じものを食べるはずがない、と小蒔を睨んだ。
しかしさやかは京一が言いきるよりも先に、心底嬉しそうに答えたものだった。
「いいんですかッ!? 実は私もさっき走ったからお腹が空いていたんです」
その笑顔はアイドルのものではなく、普通の女子高生のものだった。
さやかに面倒見の良い先輩の顔で頷いた小蒔は、二人を伴って歩き出す。
その横では衝撃覚めやらぬ様子の京一が、呆然と呟いていた。
「さやかちゃんが、俺達とラーメンを……」
「さ、いこいこ」
「え、でも」
「大丈夫、あんなヤツ放っといて平気だから」
さやかと諸羽は京一の仲間達を見たが、全員が小蒔に同調している。
加えて背中を押され、たちまち四人の中に溶けこまされた二人は、ラーメン屋へと連れていかれた。
「さやかちゃんが……あッ!! 待て、俺を置いていくなちくしょうッ!!」
道の真ん中で立ち尽くし、通行人に気味悪がられていた京一が彼らの後を追うのは、
きっかり三分が過ぎてからの話だった。
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