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 行きつけのラーメン屋に入った龍麻達は、いつも座っている席ではなく、奥にある座敷を借りた。
諸羽とさやかを加えて総勢七人になったので、テーブルでは座りきれなくなったのと、
さやかがあまり人目につかないようにという配慮からだ。
 改めて自己紹介をしあった龍麻達は、
相変わらず呆れた早さで出てきた七人前のラーメンを前にして、
しばらく会話らしい会話も交わさず健康的な食欲を満たすのに専念する。
威勢良く麺を啜るのは異能の『力』があろうとアイドルだろうと同じだったが、
京一がいたく感動したように呟いた。
「さやかちゃんが……本物の舞園さやかがラーメン、食ってる……」
「何言ってんの京一」
「だってお前、さやかちゃんだぞ」
 行き過ぎた崇拝は、それを崇拝していない者には不気味でしかない。
今の京一がまさにそれで、本物のアイドルに会えた興奮を隠そうともしない彼に、
さやか自身が細い眉を軽くしかめ、不安げに龍麻達を見渡した。
「そんなに……意外ですか? それとも私、どこかおかしいんでしょうか……?」
「ああ、京一こいつはバカだから」
「筋金入りのな」
 小蒔と醍醐が口を揃えて言い、補強するように龍麻が頷く。
不安が全て消え去ったわけではないにせよ、さやかはひとまずは安心したようで、
嬉しそうに龍麻に頷き返した。
しかし京一はまだ拘っているようで、
いつもなら真っ先に完食する味噌ラーメンも半分ほど残したままうなっている。
「だってお前、あのさやかちゃんが塩ラーメン食ってんだぜ……くそッ、カメラ持ってくりゃ良かった」
 葵がラーメンを食べるところをしょっちゅう見ている龍麻は、
京一が何故そんなことで感激しているのかさっぱり解らない。
解るのは、食べ物ひとつ食べた食べないで騒がれるのは誰だって嫌だろう、ということだ。
だから龍麻は、この件に関しては全面的にさやかの肩を持つことに決めた。
もっとも、この件に限らなくてもさやかと京一とでは、
彼女が世界征服を企んででもいない限りさやかの肩を持つのではあるが。
それこそ月とスッポン、提灯に釣鐘というものではないか!
 冷ややかな瞳で京一を見た龍麻は、さやかの隣に座っている諸羽が、
京一以上に食べていないことに気づいた。
「それより霧島、どうした? 麺が伸びちまうぞ」
「ええ……具合でも悪いの?」
 彼らしくもなくぼんやりとした顔をしていた諸羽は、
龍麻と葵に続けて訊かれ、弾かれたように顔を上げた。
「あッ、いえ……その……何でもないんですッ。
それよりここのラーメン、ホントに美味しいですねッ」
「あ、あぁ……」
 最初の歯切れの良い態度があまりに印象的だったため、
彼が言葉を濁すと露骨に何かあるのだろうと勘ぐれてしまう。
ただその理由までは解らず、もしかしたらあまり味が合わなかったのか、
いぶかる龍麻達をよそに、さやかだけが静かに笑っていた。
 それに目ざとく気づいた小蒔が興味深そうに身を乗り出す。
「さやかちゃん、何か知ってるの?」
 さやかの答えは、この場にいる全員の意表を突くものだった。
「霧島くん、蓬莱寺さんに見惚みとれてるでしょ」
「さ、さ、さやかちゃんッ!!」
 諸羽の動揺が、何よりもそれが真実だと告げていた。
味噌ラーメンよりも顔を赤くした諸羽は、首に両手まで振って否定していたが、
年上の龍麻達の好奇に満ちた視線に負け、遂に目を伏せがちに認めた。
「ち、違うんです、僕はただ、その、蓬莱寺先輩のこと、格好いいなって思って」
「京一が……」
「格好いい!?」
 口を揃えたのはまたも小蒔と醍醐であったが、今度は龍麻だけでなく葵も目を丸くしていた。
それどころか名指しされた本人でさえもがあんぐりと口を開けている。
すると諸羽は吹っ切れたのか、熱く京一のことを語り始めた。
「はいッ!! さっき助けてくれた時も凄く堂々としていて」
「いや、それは単に自身過剰なだけで」
「それに名前を言っただけで皆逃げていって」
「それは単に悪名が高いだけで」
「それにその木刀けん!! きっと腕もたつんですよね」
「それは……間違いではないけど」
 醍醐と小蒔と葵の反論も効を奏さず、諸羽はいよいよ目を輝かせて京一を見据える。
「僕は西洋剣術を学んでいるんですけど、蓬莱寺先輩のような人に稽古をつけて貰えたらなって。
僕、蓬莱寺先輩を尊敬しますッ!!」
「尊敬!? 今までそんな言葉言われたことあった? 京一」
 正直過ぎる小蒔の台詞に被せるように醍醐も言う。
「霧島、考え直すなら今だぞ。師を選ぶことは一生を左右することなんだからな」
 龍麻と小蒔と葵が揃って頷く。
剣術の師範なら世に幾らでもいるだろうに、よりによってこの男を選ぶこともないだろう。
しかし諸羽は京一がさやかに抱いている崇拝の念と同じか、
それ以上の憧憬を京一に対して持ってしまったようで、
瞳を無垢な輝きで一杯にして京一に詰め寄った。
「蓬莱寺先輩、僕、本当に先輩のこと尊敬してますッ!!」
「あ、あァ、そう……」
「だから、あの、その……あのですね、……京一先輩って呼んでもいいですか?」
「そ、そりゃあまァ……これといってダメな理由もねェけどよ」
「本当ですかッ! ありがとうございます、蓬莱寺先──京一先輩ッ」
「お、おぅ」
「僕のことは諸羽って呼び捨てで構いませんから」
「そ、そうだな……」
 万事に渡って歯切れだけは良い京一が、どうにも口を濁している。
それは大層滑稽こっけいな場面であり、龍麻達はこの喜劇を特等席で観る観客だった。
「京一ってばすっかり霧島クンに圧倒されてるね」
「ああ……滅多に見られるものじゃないな」
「う、うるせェッ!!」
 しみじみと呟いた醍醐と小蒔に、珍しく精神の骨格を露にした京一が声を荒げる。
この期に及んでそれは、更に喜劇の要素を強めるものでしかなかったが、
龍麻達はもう一方の役者の為に笑うのを我慢したのだった。
龍麻は唇を噛むことでどうにかそれが出来たものの、
小蒔は醍醐の背中に隠れてしまったところを見ると失敗したようで、
小刻みにスカートの襞が震えていた。
「そんで、えっと……霧島。中野の帯脇ってのは知ってんのか?」
 露骨な照れ隠しではあっても、それは確かに重要なことであったから、
龍麻達も京一をからかうのを止めて二人を見る。
すると、穏やかに微笑んでいたさやかの顔がたちまち曇った。
諸羽も同調するように眉をひそめる。
「……あの人の狙いは、私なんです」
「良かったら聞かせてもらえないかな、力になれるかもしれない」
「でも」
 いくら窮地を救ってもらったとはいえ、
今日会ったばかりの人間に打ち明けてしまって良いか、さやかは悩んでいるようだ。
しばらく諸羽と顔を見合わせていたが、龍麻達の真剣な表情を信じる気になったのか、
姿勢を正した諸羽は龍麻を真っ直ぐ見据えて語り始めた。
「帯脇……帯脇斬己きりこは中野界隈かいわいでは有名な不良で、
さやかちゃんの……熱狂的なファンなんです」
 諸羽は帯脇という男に対してファン、と言う言葉すら使いたくないようだ。
まだ少年の方に近い端正な顔に、らしくない苦味が滲んでいた。
「それで、さやかちゃんを……自分のモノにしようと執拗につけ狙ってくるんです」
「それって……もしかしてストーカーってヤツ?」
 諸羽は頷かなかったが、どうやらそれよりももっと性質たちが悪いものらしい。
さやかの沈んだ表情を見れば、ある程度推察がついた。
「なるほど……どうしようもねェ変態野郎みてェだな」
「それで今日のようなことが良くあると言う訳か」
 醍醐に頷いたさやかの顔色には、血の気が全くない。
余程粘着質に帯脇という男にまとわりつかれているようだった。
「その他にも学校や仕事場で待ち伏せされたりして……
何度も断ったんですけど解ってもらえないんです」
「それでボディーガードってワケなんだ。最初に聞いた時は大げさだな、って思ったけど」
 まして今日の一幕を見れば、帯脇という男は力づくでさやかを手に入れることも辞さないのは明らかだ。
諸羽が自らにボディーガードを任じているのも解る話だった。
「でもよ、その帯脇ってヤツ……ただの変態なだけならイイんだけどよ」
「どういう意味だよ京一」
「俺達みてェなのじゃなきゃいいけどよってコトさ」
 京一にしては気を利かせた発言だったが、残念ながら小蒔には伝わらなかったようだった。
「ボク達みたいな……って、あッ、もしかして『力』のコト?」
「言っちまってどうするよ。けどまァ、そういうこった」
 自分達が持つ『力』は、普通の人間からすれば信じられるものではなく、
また信じられても今度は畏怖の対象になる可能性が高い。
出会ったばかりの諸羽とさやかには伏せておいた方が良い、という配慮は、
しかし今回は、『力』の存在を小蒔がほのめかしたことがかえって福音となったようだった。
「『力』……って、もしかしてさやかちゃんの歌声にある『力』のようなものですか!?」
 二人も、『力』を知っている──予想外の展開に、龍麻達は顔を見合わせずにはいられなかった。
 京一が学校で話していた、さやかの歌を聴いて病気が治ったという奇跡は、
与太話ではなく真実だったのだ。
「さやかちゃんの……じゃあやっぱり」
 今日偶然出会っただけであるはずの自分達が、
実は何か数奇な縁で結ばれていたように龍麻が感じたのは、
誇大妄想と切り捨てるには事情が特殊過ぎた。
さやかも気持ちは同じらしく、彼女はただ同じ異能力を持った仲間を見つけた喜びというだけでない、
安堵のようなものも同時に浮かべた笑顔を見せていた。
 ややあって、龍麻はその理由に気づく。
それでなくてもアイドルという、一般人とは違う扱いをとかく受けがちな彼女は、
更に彼女を普通の人々から遠ざける『力』をおそれていたのだ。
それは諸羽という心安い存在がいても、歌う限り意識させられていたに違いない。
 彼女は、初めて心から悩みを分かち合う仲間を得ることが出来たのだ。
「その『力』に気づいたのはいつ頃なの?」
「はい、今年の春、高校に入って本格的に芸能活動を始めてからです。
頂いたファンレターやスタッフの方から私の歌を聴いて病気が治ったとか勇気が湧いてきたとか、
それを聞いて初めて気付いたんです。自分の歌には不思議な『力』があるって」
 問いかけに答えるさやかの声は弾んでいる。
彼女の喜びがそのまま空気を震わせているようで、聞いている龍麻までもが嬉しくなってくる。
彼女の『力』を目の当たりにした龍麻は、改めてさやかを見つめる。
どうやら遅れ馳せながら、彼女のファンになってしまったようだった。
 帰りにCDを買っていこう、と龍麻がにわかぶりを発揮している間に、
醍醐が話をまとめてくれている。
「そうか……ここにいる全員、それに今年の春から知り合った何人かも、『力』を持っている。
仲間になった奴もいるし、敵になった奴もいる。
何故急にこんな『力』が使えるようになったのかは解らんが、
俺達は今まで、大切なものを護る為に闘ってきた」
「そうだったんですか……それで皆さん、あまり驚かれたりされていないんですね」
「あぁ、だから舞園さんも」
 これからは一人じゃない──そう龍麻が瞳で告げると、さやかは嬉しそうに頷いた。
「はい、ありがとうございますッ。あ、わたしのことはさやかって呼んでくださって構いませんから」
「え? あ……あぁ、そうするよ」
 とは言われても女性を名で呼ぶのはまだ照れくさく、いきなりそうは呼べない龍麻は、
顔を真っ赤にした挙句何も言えず、
むしろ名前で呼ばれない方に違和感を抱くさやかに不審を抱かせてしまう。
「緋勇さん……どうなさったんですか」
「い、いや、何でもないんだ、本当、何でもない」
「てめェ、さやかちゃんに心配させるとはどういう奴だッ!!」
 忙しく首を振る龍麻に京一が絡む。
一同は話は終わったとばかりに、一斉にラーメンを啜り始めた。

 ラーメンを食べ終えた一行は、店を後にする。
満腹による幸福感と、それ以上の感激が七人の間にはあった。
その中でもたぶん最も感激しているであろう男が、閉めた扉を見ながら言った。
「店の親父、どさくさに紛れてサインもらってやがったな」
「きっと飾るつもりだよねアレ」
「でも、あんな年配の方も私を応援してくれているなんて、とっても嬉しかったです」
 確かにもうアイドルに夢中になる年齢ではなさそうな店主が、
さやかを見た途端彼女に気づいたのは大したものかも知れない。
しかし、ラーメンの丼と一緒に色紙とペンを持ってきた時は、
いつから用意していたのかと思わず訊ねそうになった龍麻だった。
もっとも、その後に臆面もなく京一が生徒手帳にサインをねだってくれたおかげで、
龍麻もちゃっかり恩恵をこうむることが出来たのだが。
 胸のポケットにしまった手帳をさすってみて、
そこにある長方形を確かめれば頬も緩むと言うもので、
どうやらすっかり京一を笑えなくなってしまった龍麻だった。
 その隣では京一が、新しく出来た後輩の肩を叩いている。
「帯脇って野郎のコト、俺達の方でも調べてはみるけどよ、二人も気を付けろよ」
「はいッ、京一先輩、今日は本当にありがとうございました」
 また丁寧に頭を下げた諸羽は、今度はさやかに話しかけた。
二人の間のごく自然な雰囲気に、龍麻達は感心するやら悔しがるやら様々な反応をしていた。
「そろそろ帰らないとマネージャーさん心配するね。内緒で出てきちゃったから、今ごろカンカンだよ」
「何だよ、お前が連れ出したのか? 結構度胸あるじゃねェか」
 京一がからかうと、諸羽はたちまち顔を赤らめる。
全く今時珍しい純情な少年と言うべきで、
こんな少年が京一に懐いてしまった不幸を龍麻達は今更に嘆く。
せめて自分達に出来るのは、京一を少しでも真人間にすることだ、と、
龍麻達は期せずして誓ったのだった。

 遠慮する二人を強引に説き伏せ、新宿駅まで彼らを送っていくことにした龍麻達は、
雑多な人の中を堂々と歩いていた。
何しろ木刀を持っている京一と二メートルになんなんとする醍醐がいるので、
彼らがさやかを取り囲むように歩いていれば、目を向ける人間ものずきもいないのだ。
「相変わらず人の多いトコだな、新宿ここは。歩くのにうっとうしくてしょうがねェ」
「そう? ボクは賑やかで好きだけど」
 ぼやく京一に彼女らしい返事を小蒔がすると、諸羽が生真面目に同意した。
「僕も自分の街は好きです。何もないところだけど、大切な人は一杯いる……
僕も自分の力で大切なものを護れるように強くなりたいんです。
だから、僕にも皆さんみたいな『力』があったら……って、そう思うんです」
「力はあるだけじゃ意味がねェけどな。それを使おうとする意思こそが大事なんであってよ。
ま、お前ならその点は心配ねェだろうが」
 立派な説教ではあったが、熱心に頷いたのは諸羽だけだった。
彼の仲間は目を丸くするか、呆れていたのだ。
「京一……良いコト言ってるけどさ、どう見ても京一の方が危ないよね」
「そうだな、欲望に流されっぱなしの京一が言っても説得力は少ないな」
「んだとてめェらッ!」
 京一以外の笑い声が弾ける。
その中には、諸羽やさやかの声も含まれていた。
「皆さんといると、嫌なことは全部忘れてしまえます」
 軽やかな──京一や龍麻を虜にせずにいられない美しい笑い声を立てたさやかは、
気ぜわしく歩く人々を見ながら続ける。
「私は好きです、新宿このまち──だって、こうして人混みに紛れてしまえば誰も私に気づかない。
たくさんの人の中で、私も普通の女の子になれるんです」
 常に誰かの視線を気にしていなければならないさやからしい意見に、
小蒔は一度頷いてから、口調を悪戯っぽく変えた。
「でもさやかちゃんだと、逆にナンパがうるさいんじゃないかなぁ。
この辺は京一並にタチの悪いのがごろごろいるから」
「どうしてそう一言多いんだよ、お前はッ! さやかちゃんが誤解したらどうすんだよ」
「誤解してんのはさやかちゃんじゃなくて霧島クンの方だよね」
 再び弾けた笑い声は、秋空高く吸いこまれていった。



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