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新宿駅に着いた龍麻達は、二人が改札口を通るまでは、と共に構内に入っていった。
人の数が急激に増え、あまり話も出来なくなってしまった諸羽の足が止まる。
「──!!」
「どうした?」
静から動への、あまりに急激な変化に、龍麻達もすぐには彼の意図が解らなかった。
それが伝わったのは、
低く押さえた声で諸羽が切符売り場の前に立っている男の存在を指摘してからである。
「あの男……緑色の髪をした男、あれが帯脇です」
龍麻が視線を滑らせると、そこには派手な緑色の髪をモヒカンにした高校生がいた。
足を止めた龍麻達に男も気づいたようで、顔を向ける。
しかし、切符を買わねば諸羽とさやかは帰ることが出来ないので、
龍麻達は心持ちさやかを囲む輪を縮め、意を決して近寄った。
近づくにつれ、帯脇の顔の輪郭が鮮明になってくる。
龍麻は顔で人を判断するような愚人ではないが、
帯脇とやらはどうあっても友人にはなれそうにないタイプの男だと思われた。
髪型はともかく、細い目の奥には陰湿そうな輝きが鈍く灯っており、
口の端はいつもその形をしているかのように厭らしくひん曲がっている。
おまけに身体からは、鼻をつまみたくなるような陰氣が滲みでていた。
等々力渓谷で闘った九角も陰氣を全身から放っていたが、
その氣には覇気も含まれており、不快ではあっても、理解らないものではなかったのだ。
だが、この帯脇という男から発散される氣は、
淀んだ泥沼のように濁り、ただ昏(く、おぞましいものだった。
「よォ、霧島っちゃん!! こんなトコで会うとは奇遇だなァ」
帯脇の一声は馴れ馴れしいものだった。
しかしその裏に潜む陰(は龍麻達全員が容易に感じ取れるものであり、
その下卑た笑みに応える者はいない。
「……どうせまた、さやかちゃんの後を尾けてたんだろう」
霧島の口調も変わっている。
整った眉目も憎悪に歪んでおり、実直そのものといった彼がここまで負の感情を見せる、
その点だけで帯脇という男の為人(が判ろうというものだった。
周りも目に入っていないように、ただ帯脇だけを睨みつける諸羽の視線を、
さりげなく京一が遮る。
「ふーん、こいつが帯脇ねェ……確かにバカの元締めみてェな頭してやがるな」
「霧島っちゃん、事情も知らねェ他人を巻き込んじゃあ、いけねェなァ」
京一には軽く一目くれただけで、帯脇は再び諸羽に話しかける。
「なァに黙りこんでんだよ、俺様に挨拶もなしかァ?」
言葉のひとつひとつが、毒にまみれている。
龍麻はこの声だけで帯脇を嫌いになることが出来たし、葵でさえもが不快気に眉をひそめていた。
しかし大したものと言うべきか、帯脇は龍麻達が嫌悪から憎悪へ、
感情を少しずつ移り変わらせても表面的には怖れた様子を見せない。
あるいは自分の器を知らないだけなのかも知れないが、
とにかく、帯脇は怯えるどころか諸羽と京一の壁の隙間から目ざとくさやかを見つけ、
一層馴れ馴れしい声で呼びかけた。
「ヘヘッ、相変わらず可愛いじゃねェか、さやか」
「さやかちゃんに触るなッ!」
「すっかり騎士(気取りだなァ? けどよ、あんま俺の女にベタベタ触んじゃねェよォ」
「さやかちゃんはお前なんかのものじゃないッ!!」
「ガキが粋がってんじゃねーよッ!!」
初めて帯脇は声を荒げ、感情を露にする。
錆びた鉄のような毒々しい声であったが、彼が龍麻達を怖れなかったのと同様、
龍麻達も彼に対して退く理由などどこにもなかった。
その先鋒たる京一が、木刀で肩を叩きながら挑発する。
「なぁ霧島、そろそろヤッちまっていいか? そろそろ我慢も限界なんだけどよ」
「てめェらが真神かよ。知ってるぜェ、バカの蓬莱寺に図体だけの醍醐、
男女の桜井に、美里──ケケッ、結構いい女じゃねェか」
喉の奥で厭らしく笑った帯脇が、舐めるように葵を見た。
怯える彼女をかくまい、怒りを募らせる龍麻に、帯脇は初めて関心を見せたようだった。
「ん? てめェは誰だ? ま、名前なんざどうでもいいけどよォ、俺様の抹殺リストには載せてやらァ」
己の情報網を誇示した帯脇は、しかし抹殺とやらをすぐに実行する気はないらしく、
狂ったピエロのように両手を掲げてみせた。
「ま、俺様は寛大だからなァ、今回は見逃してやるぜ。
けど、次はねェからなァ。覚悟しとけよ、霧島ァ……」
「俺達も次は要らねぇんだけどな。なんならここでやるか」
「おォ怖ェ。バカが調子に乗ってんじゃねェぞ」
どこまでも苛立たされるその態度に、京一などは今にも殴りかからんとしていたが、
帯脇は平然と背を向け、去っていく。
背中から殴りかかることはさすがに出来ず、龍麻達は歯軋りしながらこの場は見送るしかなかった。
帯脇の姿が見えなくなってたっぷり三十秒以上も過ぎてから、諸羽が悔しげに呟いた。
「ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」
「いや……ンなことはいいんだけどよ、帯脇か……思ってたよりずっと性質(が悪そうだな」
謝る必要はない、とむしろ煩わしげに手を振った京一に、
小蒔が憤懣(やるかたないと言った風に肩をいからせた。
「うん……あのやらしい目! ボク気持ち悪くてしょうがなかったよ」
だが、ここで怒り続けていても仕方がない。
アイドルとの記念すべき出会いが、
最後はなんとも後味の悪いものになってしまったが、龍麻達は二人を見送ることにした。
「それじゃ、僕達はそろそろ行きます」
「あァ……じゃあな」
二人が改札口を過ぎたあとも龍麻達はその背中を見ていたが、
階段を上り、見えなくなったところで帰路に就いた。
歩きながら、葵が不安を口にする。
「二人とも大丈夫かしら……何も起こらなければいいのだけれど」
「そうだな……俺は帯脇の自信が気にかかるな」
確かに、単なる不良とも異なる、粘質の雰囲気がなんとも癇(に障る男だった。
人の良い諸羽などでは足を掬われてしまうかもしれない。
その危惧を醍醐が告げると、京一の答えは意外なものだった。
「ま、霧島がいるから大丈夫だろ。あれで根性はありそうだしよ」
「へぇ、良く見てるんだ。さッすがセンパイッ!」
「うるせェな、ほれ、帰んぞ」
何か仕掛けてくるにしてもすぐにではないだろう、そう考えていた龍麻達だったのだが、
帯脇は予想を超える早さでさやかを手中に収めんと動き出していたのだ。
鬼と化した九角が告げた、真の恐怖。
それが彼らの前に姿を現す、胎動が始まろうとしていた。
放課後の三年C組の扉を最初に開けたのは、C組の生徒ではなかった。
HRが終わるや否や教室を飛び出そうとする生徒よりも先に、外側から扉を開いた者がいたのだ。
物凄い勢いで開かれた扉にぎょっとする生徒達を尻目に、
その女子生徒はずかずかと教室の奥まで歩いていき、
迷いのない歩調で一人の男子生徒の前に立つと、両手を腰に当てて怒鳴り散らしたのだ。
「ちょっと、アンタ達ッ」
扉が凄い音を立てた時から杏子が入ってくるのを見ていた龍麻は、
訪れる嵐に対して充分覚悟していたつもりだったが、彼女の勢いは予測を大幅に上回るものだった。
「昨日舞園さやかと歩いてたって本当なのッ!」
杏子が不用意に発したさやか、と言う名前にクラスの各所から反応があがる。
たちまち周りに人垣ができ、龍麻は一瞬にして時の人になってしまった。
さやかの人気ぶりを思い知らされた龍麻だが、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、
早くもほとんど暴徒と化したクラスメートにすっかり囲まれている。
「どこで聞いたの、そんな話」
「どこだっていいでしょッ! 本当かどうかって聞いてんのよッ」
「ほ……本当……だよ」
物理的な圧力に耐えかねて龍麻は白状(してしまう。
その情報はたちまち人垣に伝播し、教室内の一点は狂騒的な熱気に包まれた。
胸倉を掴まんばかりに詳細を聞き出そうとする者、興味本位であれこれ聞く者、
何しろ皆が一斉に喋るので、龍麻は質問を聞くこともままならない。
するとその煮え切らない態度はますます群集の怒りを誘い、阿鼻叫喚、
と言った言葉が相応しい災禍の中心に龍麻は閉じ込められてしまった。
「相変わらず強引な女だな……」
囲みの外から京一が、中に入らなくて良かったと呟く。
それを耳ざとく聞きつけた杏子が振り向くと、クラスメートも一斉に振り向き、
その統一された動きは何か恐ろしさすら感じさせるものだった。
「やっぱり本当なのね、そんな美味しいネタを隠しておくなんて、なんて酷いのよアンタ達は」
「隠すったって、昨日の今日じゃねェか」
「電話すりゃいいじゃない」
「なんで俺がお前の家に電話しなきゃなんねェんだよッ」
京一の言うことは正論なのだが、頭に血が上っている杏子には全く通じず、
日本刀にも似た一瞥をくれて再び龍麻の方を向き、胸倉を締め上げる。
「ああもうアンタと話してると進まないわ、緋勇君、さっさと白状(しなさいよ、
ああッ、血が騒ぐッ!!」
「何かの禁断症状みてェだな……大丈夫なのかこいつ」
友人を生贄(に捧げた京一は、
救いを求める龍麻の視線にあえて気づかないふりをして集まってきた他の友人を顧(みた。
「最近平和な日々が続いていたから、アン子ちゃんも欲求不満なのよね」
虫も殺さぬような穏やかな笑顔で、葵が口にしたのはとんでもない台詞だった。
思わず京一は彼女の顔を見なおしたが、気付いていないのか──そんなはずはないが──
葵は端正な口元を綻ばせたままだ。
何か言おうとして止めた京一は、龍麻に同情して小さく頭を振った。
「そうなのよ、鬼道衆の件もキレイさっぱり片付いちゃったし、
早く新しい脅威でも現れてくれないかしら。うんと凶悪で、う〜んと強烈なヤツッ!!
ね、緋勇君。緋勇君もその方が腕が鳴るでしょ?」
その龍麻はようやく級友達から解放され、魂を抜かれたような表情で息を整えている。
龍麻が瀕死に至る原因を作った張本人は、けろりとした顔で訊ねたものだった。
何がなんだか判っていない龍麻は、とりあえず首を縦に振る。
「でしょでしょッ!! 血湧き肉踊る、興奮の連続──これぞ青春よね」
「何が青春だ……むちゃくちゃ言いやがって。
誰がンな厄介なモンを相手にすると思ってんだ、お前はッ」
自分勝手にも程がある杏子に、京一は呆れ、怒ってみせるが、
正義の記者を自認する彼女には毛ほども反省させることは出来なかった。
「も・ち・ろ・ん、アンタ達。そしてそれを記事にするのはあたし。
見てご覧なさい、この立派な需要と供給の図をッ!!」
自分に都合の良過ぎる需給関係を示してみせた杏子は、
遂には記事(を自作自演(で手に入れようと仄(めかし始めた。
「ああもう、この際ミサちゃんに頼んで邪悪な化け物でも呼んでもらおうかしら」
「ッたく……どうしようもねェな」
「そうだ遠野、そんなに暇ならひとつ頼みたいことがあるんだがな」
さじを投げた京一に代わって醍醐が口を開く。
それに対する杏子の反応は、猫が鼠を見つけた時よりももっと目ざましいものだった。
「なになにッ、何よッ!!」
「文京、中野辺りで最近妙なことがなかったか、調べてみてくれないか」
「文京、中野……豊島区を挟んだ辺りね」
頭の中で地図を描いていたらしい杏子は、醍醐の頼みに極めて危険な笑みを浮かべた。
「……ふッふッふッ。これこれ、来たわよ、この感じよ。
いいわ、事件の匂いがする……任せておいて、来週には報告出来ると思うから」
「た、頼んだぞ」
頼んだ醍醐が早くも失敗だったかと思ってしまったほど豹変した杏子に、一同は何も言えなかった。
ミサもかくや、と言うほど不気味な笑みを三十秒ほども続けた杏子は、
ようやく収めた笑いの代わりに右手を差し出した。
「それじゃ、ハイ」
「ん……?」
「調査料は前払いが基本よ」
ちゃっかりし過ぎている杏子に、一同ははじめ声も出なかった。
一瞬の沈黙の後、烈火の如く京一が怒り出す。
「せっかくヒマつぶしのネタをやったんだ、それで満足しろッ」
「何よ、怒鳴ることないでしょ。
判ったわよ、その代わりこれが終わったら舞園さやか、紹介してもらうからね」
結局強引に報酬を取りつけ、杏子は出ていってしまった。
嵐が過ぎ去った後、小蒔が呟く。
「アン子……踊ってたよ」
「余程暇だったのかしら」
またも穏やかな表情で毒の篭った台詞を吐いた葵に、
龍麻は何か言おうかどうか迷い、いつものように止めたのだった。
ラーメンは昨日食べたので、今日はさすがに食べられない。
食欲だけならいつでも可能なのだが、悲しいかな、金銭的に厳しいのだ。
とは言ってもバラバラに帰る必要もなく、
途中までは一緒に帰ろうと五人は連なって歩いていた。
しかし、校門まで来たところで、一人だけ足が止まる。
「げッ」
「どしたの、ひーちゃん」
訝(る小蒔に龍麻は前方を指差す。
小蒔が視線を動かすと、そこには見慣れない制服を着たごつい(男が立っていた。
「アレって……紫暮クン?」
「ああ」
答える龍麻の声がいきなり沈んでいる。
不思議な顔をする友人達に、龍麻は一語ごとにトーンを落としながら説明した。
「あいつ散打しろってうるさくってさ」
「さんだ?」
「ああ、えっと……組み手っていうのか、実戦形式の稽古」
聞けば紫暮も三年で部活を引退したのだが、
物心ついた時から空手を行っている彼にとっては空手こそが日常であり、
日々たゆまぬ稽古を続けているのだと言う。
それはそれで結構なことで、実家に道場もあるらしいのだから頑張ってくれよ、
と思うのだが、紫暮は鎧扇寺学園高校で行った勝負がいたく気に入ったらしく、
その後もちょくちょく電話がかかってくるようになったのだ。
いくら稽古といえども紫暮とやりあえば無事で済むとも思えず、
なんだかんだ言い訳をして断っていた龍麻だったのだが、
業を煮やした紫暮は遂に直接乗りこんできた、という訳だった。
「よお、緋勇。今日こそは付き合ってもらうぞ」
今更逃げることも出来ず、重い足取りで校門に辿りついた龍麻を紫暮が出迎える。
美少女ならともかく自分より背も横幅もある男にそんなことを言われても嬉しいはずもなく、
龍麻は助けを求めて仲間を見渡した。
「ま、今日は特に予定もねェからよ、たっぷりシゴいてやってくれよ」
教室に引き続きあまりに友達甲斐がない京一に、龍麻は思わず天を仰いだ。
しかも京一だけでなく、醍醐も興味津々といった態でこちらを見ており、
どうやら逃げる方策は尽きてしまったようだった。
だが、救いの手は思いもよらない方向から差し伸べられた。
龍麻が連行されようとした寸前、後ろから、少し間延びした龍麻を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
「龍麻く〜ん、待って〜」
「あれ? あののんびりした声は」
その声は、紫暮以外の全員に聞き覚えがあった。
なので足を止め、声の主を確かめる。
果たしてそこには、ピンク色の看護服を着た少女、高見沢舞子が危なっかしく走ってきていた。
「良かった、間に合った〜」
「高見沢さん、その格好……病院から走ってきたの?」
多分小蒔の質問は間違いないのだろうが、舞子は息を整えるのが精一杯らしく
口を何か言う形に動かしてはいるものの声が出てこない。
帰る途中の真神の生徒達が奇異の目を向ける中、辛抱強く待っていた龍麻達に、
ようやく息を整えた舞子が発したのは次のような台詞だった。
「た……大変なの〜ッ」
「大変って……どうしたの」
「とにかく、大変なの〜、みんなもボ〜ッとしてる場合じゃないの〜ッ」
龍麻達は別にボ〜ッとしたくてしているのではなく、
彼女が何を伝えたいのかさっぱり解らないのでそうしているしかないのだが、
何故か彼女は怒り出してしまう。
「大変だって言ったら大変なの、大変で大変で大変で」
「高見沢さん、ちょっと落ちついて」
軽いパニックに陥っていた舞子は、しゃっくりが止まった時のような顔をすると、
やっと正気に戻ったのか、少し落ちついた様子で話し始めた。
しかしその内容に、今度は龍麻達がパニックに陥ってしまう番だった。
「霧島くんって……みんなのお友達〜?」
「霧島だとッ! 奴がどうかしたのか」
真っ先に反応したのは京一だった。
「さっき病院に運びこまれて来たの〜ッ」
「霧島クンが!?」
「うん、何か(に襲われたみたいで、ヒドい怪我なの〜」
「酷い怪我……とは」
「集中治療室に入ったままで、意識もないの……。
ただうわ言で、さやかって人と、京一くんの名前を呼んでたから、院長先生が呼んで来いって。
万が一のこともあるかも知れないからって」
「そんな……」
かわるがわる訊ねる龍麻達に、舞子は要点を的確に答える。
一瞬で青ざめた顔を見合わせた龍麻達は、急いで桜ヶ丘中央病院へと走り出した。
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