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「やっと着いた〜ッ。ここが白髭公園よ〜」
「なんか、緊張感が抜けちゃったよボク……」
 朱から薄紫へと変わる空に全くそぐわない舞子の声が、墨田区に響き渡る。
それに答える小蒔は、声だけでなく全身をげんなりとさせていた。
何しろ歩いている間中ひっきりなしに話しかけ、おまけに何歩かごとに立ち止まったり
あらぬ方に駆け出したりする舞子に振り回されっぱなしだったのだ。
そんな小蒔に答える醍醐の声にも張りが無いが、こちらはどうも違う理由からのようだった。
「そ、そうか……俺はここに入った時からどうも寒気がするんだがな」
「ふふッ、大丈夫〜。怖い事なんてないよ〜。ね、龍麻くん」
「うん……」
 龍麻の声に淀みがあるのは、実は醍醐と同じ寒気を感じているからだった。
氣でもない、何か独特の気配。
危険は感じないものの、なんとも妙な雰囲気が、そこかしこから伝わってきていた。
しかし、舞子はそんな龍麻にお構いなしではしゃいでいる。
「わあッ、やっぱり男らしい。わたしのお友達にも、後で紹介するからね〜。
……あッ、こんにちは〜。ふふッ、元気よ〜。……あ〜、久しぶり〜」
「……おい、誰と話してんだ?」
「さ、さぁ」
 声をひそめる京一に答える龍麻も、腫れ物に触るような声だ。
正直に言えば、元からあまり──率直にいって変わっていると感じた彼女だったが、
今は極めつけだった。
空に向かって親しげに手を上げ、語りかけるなど、どう考えても普通まともではない。
しかしどういう地獄耳なのか、京一の疑問を聞きつけた舞子は、
いかにも嬉しそうに微笑んだ。
「ふふッ、この辺りを漂ってる幽霊さんたち〜ッ」
「ああそう、幽れ……ッ!!」
「!!」
「ほら、あそこにもおばあさんと女の子が〜」
 舞子が指差す先にいるという「おばあさんと女の子」は、もちろん誰にも見えなかった。
幽霊が「見える」と口にする奴は、毎年クラスに一人くらいは居るものだったが、
それは大体放課後だの修学旅行だののイベント時に出てくるもので、
今ここでそんなことをアピールしても意味が無いはずだ。
……と、いうことは。
あまりぞっとしない結論に辿りついた一行は、お互いを見渡し、なんとなく身体を寄せ合う。
「ほ、ホントに……見えるの?」
「うん。成仏出来ない幽霊さんたちがいっぱい」
「幽霊……さん?」
「この辺りはね、東京大空襲の時に爆撃されてたくさんの人が犠牲になったの〜。
今もね、戦争が終わったことも知らないまま、
苦しみ、彷徨さまよい続けてる人達がいっぱいいるの。
だからね、時々ここへ来てみんなとお話するの」
「本当……みたいだね」
「……龍麻くん、わたし……ヘンじゃないよね?」
「うん……大丈夫」
 あまりに唐突なために驚いてしまったが、良く考えれば自分達の『力』もそうとうにヘンなのだ。
今更騒ぐことでもない、ような気がした。
「……良かったぁ〜」
「院長先生が言ってた、人とは違う『力』ってこのコトだったんだね」
 小蒔の言葉に、舞子が嬉しそうに頷く。
その笑顔には、天使のそれに近い純粋な喜びに、どこか哀しげなものが混じっていた。
幼い頃から他人には見えないものが見え、またそれを隠そうともしない彼女は、
やはりやや距離を置いた付き合いしかされてこなかったのだ。
違う形とは言え人ならざる『力』を持った龍麻達は、
初めて心の底から打ち解けあえる仲間と言えるのだった。
それを理解した龍麻の、これまでつっけんどんに当たってきた自分を恥じる気持ちが、
自然に頭を下げさせる。
「ごめん、高見沢さん」
「? なにが〜?」
「なんでもないんだ。行こう」
「ヘンな龍麻くん〜」
 首を傾げる舞子に龍麻は小さく笑いかえす。
すると、それに被せるような大声が突然、すぐ近くから聞こえてきた。
「とッ、ともかく、君が優しいのは良く解った。ぼ、ぼぼ僕達は先を急ごうじゃないか」
「今度は醍醐クンがヘンだよ……ね、大丈夫?」
「も、もちろんだ。緋勇、ちょっと来い」
 恋人のように龍麻の腕を取った醍醐は、数歩ほど仲間から離れたところで、
大胆にも肩に腕を回す。
しかしもちろんこの大男は、愛の告白などするために龍麻を呼んだのではなかった。
醍醐は耳に口を付けんばかりの距離で、声をひそめる。
「いいか緋勇、お前を男と見込んでお前だけには話しておくがな、
俺はその……幽霊とかお化けとか言うのがその、苦手というか、つまり、
あまり得意な分野ではないということだ。肉体の無い相手には何をやっても通じないからな」
 やたらと語を継ぎながら、必死の形相で説明する醍醐の顔を、
龍麻は思わず見なおしていた。
どうやらこの男は、怪談とか胆試しとかそういう類のものが全くダメらしい。
龍麻の眼差しを軽蔑と受け取ったのか、醍醐の顔は怯えと羞恥のまだらに染まっている。
しかし、醍醐の言種はひどくいい訳がましかったが、
理屈としてはなんとなく解るような気がした。
それに自分だって、実際に見えてしまったらやはり怖いかもしれない。
舞子の方を見やった龍麻の表情は、恐らくそこにたくさんいるだろう『友達』を思い、
自然と醍醐と似たものになった。
「で、だ。その……皆には、黙っていてくれないか」
「ああ……言いふらすことじゃないからな」
 龍麻にはむしろ醍醐が自分からラインを割ったことが不思議に思えたが、
意外な弱点を暴露した巨漢は目に見えて安心していた。
「そッ、そうか! 俺は本当に良い友を持ったよ。すまんな、緋勇」
「……そっか〜。醍醐くんって、幽霊が怖いのね〜」
「うわッ! 聞いてたのか」
「だ〜いじょ〜ぶ〜。わたしも誰にも言わないから〜」
 舞子は言ったが、その声が既に底抜けに大きく、後ろの京一達にも丸聞こえになっている。
もっとも京一は以前から知っていたようで、にやにやと笑っていた。
「……こりゃまた、意外だね」
 ぽそりと呟いた小蒔に、胆に似合わぬ巨体が弾かれたように固まる。
「さ、さッ、桜井は……やはり、臆病な男は嫌いか?」
「へ? ううん、別に誰だって嫌いなもののひとつやふたつあるでしょ」
「そッ、そうかッ! うむ、そうだな、そうだ、当然じゃないかッ!」
 さっきまでの弱気がどこへやら、俄然張りきった醍醐は再び龍麻の腕を取り、
スキップせんばかりの勢いで歩き出す。
それに引き摺られるようにして、公園を突っ切っていく龍麻だった。

「もう、待ってよ醍醐クンったら」
 小蒔の声が、醍醐の足を止める。
気持ちの悪い二人三脚をさせられていた龍麻が後ろを向くと、
もう百メートルほども小蒔達と距離が離れていた。
京一と舞子はのんびりと歩いているが、小蒔は小走りに駆けよってくる。
「もう、なんで急に行っちゃうのさ。はぐれたらどーすんの」
「すッ、すまん、桜井」
 巨体を縮めて謝る醍醐だが、もちろん小蒔は本気で怒っている訳ではない。
それ以上の謝罪は無用と軽く手を振り、話題を変えた。
「えッ……と、高見沢サンッ」
「な〜に〜?」
「案内してくれてありがとう。ここからはボクたちだけで大丈夫だから──」
 小蒔は何も意地悪で言っているのではなく、ここからはどんな危険が待っているか判らない為に、
一応は気遣って言ったつもりだった。
どうにも緊張を削ぐ彼女に、出来ればそろそろお引取り頂きたかった、
という本音が無いといえば嘘になるが。
しかし、全員の予想通り、舞子は駄々をこね始めた。
「えッ、そ〜お? ……でも、舞子、まだ皆と一緒にいたいィ〜ッ」
「ま、また今度暇な時に遊ぼうぜ」
「今度っていつ〜? お別れするの、寂しいよォ〜」
「ンなこと言われてもよ、この先どんな危ねェ事が待ってるか分かんねェだろ?
万が一何かあったら……ひでェ目に遭うのはこのなんだよ」
 京一の声にいつもの軽い調子はなく、一同はしみじみと彼に同情した。
それ故に相当の説得力を持つ言葉だったが、舞子は意固地になって引き下がらない。
「だッてェ〜、院長先生もわたしのこと役に立つって言ってたでしょ〜」
「う〜ん……本人が言うならもう少し一緒に居てもいいって気もするけど。緋勇クンはどう思う?」
 とうとう折れた……というよりも面倒くさくなった小蒔が、責任を龍麻に押しつける。
その時点で、答えは決まった。
「えッ!? あ、まぁ……別に、いいんじゃないかなぁ」
「ホント〜ッ!? うっれしい〜ッ!!」
 相変わらずどっちつかずの答えではあったが、今回はやむを得ないというところだった。
大きな肩でため息をつきたそうにしている醍醐が、代わりに頭を掻いて呟く。
「大人しく帰ってくれるとも思えんし、仕方ないか。京一、お前面倒見てやれ」
「なッ、なんで俺が……しょうがねぇな。俺の後ろを離れるなよ」
「は〜いッ!! よろしくねェ〜ッ!!」
 元気良く手を挙げる舞子に、京一は額を押さえ、
龍麻は役目を押し付けられないよう距離を置いて公園の出口へと向かったのだった。

 公園を出てすぐの所にあった廃屋に、一行は導かれるように入っていった。
あてずっぽうではあるが、龍麻は確信めいたものを感じていた。
ここに、間違いない。
京一達もなんとなく察したのか、顔を引き締めている。
「さて──と、問題はここからだね」
「あァ。敵は一体どこに潜んでいるのか……」
 軽く辺りを見回しても、薄暗い廃屋は全体像を把握することすら難しく、
誰かが潜んでいるかどうかなどとても解るものではない。
それでも慎重に、建物の中へと向かおうとする龍麻を、京一が止めた。
「……どうやら捜す手間は省けたみてェだぜ」
 京一が指差す先に、建物の陰から現れた一人の女性の姿があった。
女性にしては中々の長身で、顔までは良く見えないが、
どうやらセーラー服を着ているらしく、龍麻達と同じ年頃のようだ。
しかし節々に感じられる態度は堂々としたもので、小蒔や舞子などが年下に見えるほどだった。
少女は警戒を露にしている龍麻達を見ても全く動じる事はなく、軽く髪をかきあげて言った。
「待ってたわよ。あんまり遅いからもう帰ろうと思ったけど」
「お前は……待ってたとはどういうことだ」
 醍醐の問いに、少女は嘲るように口に手を当てて笑った。
「あははッ……野暮なことを言わないでよ。こっちには全部判ってんのよ。
あんた達があの女とどういう関係で、ここに何しに来たのかもね」
「お前が、美里さんをあんな目に遭わせたのか」
 龍麻の声が自然と低くなる。
葵を昏倒させ、死の淵に追い詰めている敵の正体が女性とは意外だったが、
無論容赦するつもりはなかった。
「あら怖い。あたしは墨田区覚羅かぐら高校三年の藤咲 亜里沙ありさ
──で、あんた達はそっちから桜井小蒔、醍醐雄矢、蓬莱寺京一に──緋勇龍麻。でしょう?」
 亜里沙と名乗った少女は、奇妙に熱の篭った視線で龍麻達をめつけた。
いささかの息苦しさを覚えた龍麻は、それを振り払うように頷く。
ここで嘘を吐いても詮無いことだった。
「潔い男は好きよ」
「俺はあんたに好かれても嬉しくないけどな」
「あら、残念。あんな女にご執心なのね。人間、諦めが肝心なのに。
……まったくアンタ達はイカレてるわね。あんな、なんの面白みも無さそうなお嬢サマを助けるために
のこのここんな所まで来るんだものね」
「なんだとッ! 葵のコトを悪く言うと許さないぞッ!!」
 もはや我慢ならない、と小蒔が叫ぶ。
それは真から葵のことを思いやった台詞であったが、亜里沙は馬鹿にしたように手を振った。
「トモダチ!? あッはははッ。麗司もとんだ読み違いをしたもんね。
こんな青春バカにあたしたちが負けるはずないのに」
「その麗司って野郎が主犯か。美里だけでなく、今までの事件全ての」
「なんでそんなことを……」
 理解に苦しむ、と言った小蒔の言葉は、本人も予想していなかった効果をもたらした。
「ガタガタうるさいんだよッ。あんたたちみたいな甘ちゃんに、
あたしや麗司の想いはわからない。……いいさ、おしゃべりは終わりにしよう。
あの女を助けたいんだろう? だったらついてきな」
 突然激昂した亜里沙は、言うだけ言ってさっさと身を翻して廃屋の中に入っていった。
あまりの変貌ぶりに、龍麻達は思わず顔を見合わせる。
戦闘において敵の怒りを誘うのは有効な戦法ではあったが、
まだ麗司とやら言う人物も明らかになっていない今の段階では、
危険な事態を招いてしまうかもしれなかった。
「緋勇、どうする? 罠の可能性が高いぜ」
「行くさ。他に道も無い」
「ま、そうだろうな。けどよ、気をつけろよ」
「あいつらが……あいつらが、葵を……」
 亜里沙の態度があまりにはっきりとしていた為に、かえって龍麻は冷静になることが出来た。
しかし、小蒔はそうはいかず、肩を震わせ、亜里沙の去っていった先を睨みつけている。
 そこに割り込んだのは、ひどく間延びした声だった。
「あの〜」
「なにッ!?」
「あの人を、あんまり嫌いにならないであげてね」
「何言ってるのッ!? あいつは麗司とかいう奴とグルになって葵を……葵を殺そうとしてるんだよッ!!」
 小蒔の怒りをまともに浴びた舞子は、ひどく悲しそうな顔をしていた。
さすがに怒りの矛を収めた小蒔だったが、舞子の表情の原因はそれだけでは無いようだった。
「でも……あの人を助けてって、みんなが言ってるの」
「みんなって……さっきの?」
「うん。特に、あの人の後ろにいた、小学生くらいの男の子。
よくわからないけど、なんだか凄く悲しい……悲しい氣が満ちてるの」
「悲しい……氣?」
 そう言われた所で、龍麻達には何のことか完全には解らない。
それに、もし舞子の言っていることが本当だとしても、
やはり葵を殺そうとしている敵の一味ということには違いない。
「とにかく、あの女の後を追おう」
 厭なことを聞いてしまった、と思いながら、龍麻は亜里沙が入っていった建物へと向かったのだった。

 亜里沙がいたのは、何の変哲も無い一室だった。
部屋、といっても単にコンクリートの壁で区切られているだけの空間と言った方が正しいかもしれない。
廃屋なのだから当然と言えば当然なのだが、
ただ、古びたタンスや机などが妙に多く壁際に置いてあることと、
そして説明は出来ない何かが龍麻の勘に触った。
外の光がほとんど入ってこないので、うかつに動くことも出来ず、
様子をうかがう龍麻達に、亜里沙はそっけなく告げる。
「さァて。お客さんにはここで少しお待ち願おうかね」
「麗司ってやつはどこにいんだよ」
「そんなに焦らなくてもすぐ会えるさ。これから、あんたたちを麗司の国に案内してあげる」
「国……? なんだそれは」
「ふふふッ、いいから大人しく待ってな。あんたたちには他に選択肢はないんだからね」
 そう言い残した亜里沙は、何故か部屋を出て行く。
彼女の言う通り他に選択肢は無いのだが、龍麻は違和感をますます募らせた。
同じ事を感じていたのか、京一が呟く。
「変な手順を踏ませやがるな……まるで」
 その先を言おうとする京一を、小蒔が遮った。
「あれッ、なにこれ……ドアが開かないよッ」
「しまったッ!」
 入った時に感じた違和感の正体。
それは、この部屋にはドアが一つしか無い、ということだった。
袋小路になっているこの部屋は、後は窓さえ塞いでしまえば容易に密室となる。
迂闊と言えば迂闊だったが、わざわざ姿を見せている敵が、
まさかこのような罠を用意していると思わなかったのだ。
「ね、ねぇ、何か変な匂いがする……」
「やべェな、ガスか! 緋勇、醍醐、ドアをブチ破るぜッ!」
「よし、いいか緋勇!」
「あぁッ!」
 しかし、ドアは何かで重しをされたのか、屈強な三人が体当たりをしても開かなかった。
「畜生ッ、もう一回だッ!」
 龍麻も京一も醍醐も、並の高校生とは膂力が違ったが、
それでもドアを破壊できるほどの力を持っていようはずもなかった。
何度目かの体当たりを行おうとした龍麻の背後で、人が倒れる音がする。
舞子と小蒔が、たちこめる煙の中でうつぶせになっているのが見えた時、
龍麻の意識は急激に遠ざかっていった。
「桜井ッ、桜……井……」
 隣にいるはずの醍醐の叫びも、遠く、頼りない。
「美里……さ……ん……」
 そう最後に呟いた龍麻は、ゆっくりと床に倒れこんでいった。



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