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「な、龍麻、頼むぜ、隣で見ててくれりゃいいからよ」
 正直自信はない……が、京一を救わないと、
年末にかけて物入りな時期にいくら金を無心されるかわかったものではない。
義侠心とは少し異なる理由から、龍麻は友人の頼みを聞くことにした。
決して積極的ではないにせよ。
「ひーちゃんも甘いよね。京一なんか反省として卒業まで夏服で通わせればいいのに」
 肩をすくめる小蒔に、自分でもそう思う龍麻だった。
 放課後の暇つぶし、ではない、予定が決まった龍麻達は、教室へと戻りながら会話を続ける。
「しかし白い学ランとは随分派手だな。新宿にはそんな制服の高校はないはずだが」
 中学の頃から、都内のかなりの高校と喧嘩をした経験のある醍醐は、
ガラの悪い高校ところならほぼ把握している。
その彼の記憶の中に、当てはまる高校はなかった。
「ああ……多分ヨソもんだろうよ。だからデカい顔させとけねェんだよ」
「ま、歌舞伎町なら京一みたいなバカがほいほい引っかかるでしょうから、
小遣い稼ぎするんなら最適よね」
 力説する京一だったが、杏子の容赦ない一言にたちまち撃沈されてしまうのだった。
 京一は学生の本分としては当然であるが、授業を受けていくという。
休みゃいいじゃねぇか、と龍麻が言うと、出席日数がヤベェんだよ、という答えが返ってきた。
正論に勝る理屈なし。
 教室に戻ろうと龍麻達は廊下を歩く。
B組の前まで来たところで杏子と別れようとすると、彼女は思い出したように呼びかけた。
「っとそうだ、緋勇君、近頃身辺に変わった動きとかない?」
「変わった? いや、ないけど」
 春から思えば数え切れない波乱の日々を過ごしてきた龍麻だが、
ここ数日は特に怪しげな気配を感じたりはしていない。
即答し、もう一度記憶を辿り、やはり首を振った龍麻に、小蒔が代わって訊ねた。
「どしたの、なんかあったの」
「確証はまだないんだけどね、ここひと月くらい、
二十三区内で結構な数の高校生が行方不明になってるのよ。
警察がそこ・・に着目してるかどうかは定かじゃないけど、でも、
あたしの調査によれば、それらは皆、今年の春に二十三区に転校してきた男子なのよ」
 龍麻は五人の視線が自分に集中していることを知った。
春に、転校してきた男子高校生──
二十三区にどれだけ該当する生徒がいるか知らないが、確かに特異すぎる条件だった。
そして龍麻には、犯人がその条件の人間を狙う理由に少なくともひとつ、心当たりがある。
多分とても重要な、心当たりが。
「もしも相手が『力』の持ち主で、意図的に転校生を狙ってるとすれば、
いずれ緋勇君も狙われる可能性がある」
「意図的……」
 もしかしたらその事件は、自分を狙うために仕掛けられているのかもしれない。
龍麻は思ったが、口には出せなかった。
仲間達に要らぬ心配をかけるのが嫌だったのだ。
だがこの春から共に『力』を奮い、時に助け、時に助けられてきた仲間達は、
龍麻が一人で悩みを抱えこもうとするのを許さなかった。
「八剣に俺達を狙うよう依頼した人物の可能性もあるな」
 八剣とは、鬼剄という『力』を用いて京一を一度は倒した、拳武館高校の刺客だ。
彼は何者かに高額の報酬で、龍麻を殺すよう依頼を受けたと喋っていた。
だが八剣は敗れ、その後の消息は定かではない。
八剣に敵対し、一度は龍麻と共闘した、同じく拳武館の壬生紅葉の言うところによると、
掟は絶対であり、特に今回の件をきっかけとして副館長派を叩く動きが活性化するという。
自分は関わる気はないが、彼らを止める気もない。
きっと、八剣は制裁を与えられるだろう──そう告げる壬生に、
ひとまずその件は終わったと思っていたのだ。
 しかしどうやら、未だ姿の見えない敵は、新たな策を仕掛けてきたらしかった。
「ってことは、まさか京一が声をかけられたのも偶然じゃなくて」
「俺をおびきだす為の罠……?」
 何故そこまで自分が狙われるのだろう、と不安をよぎらせる龍麻に、
安心させるように京一は肩に手を置いた。
「だったら尚更、そいつの顔を拝んどく必要があるんじゃねェか」
「調子いいこと言ってるけど、一理あるかも」
「そうだな、授業が終わったら行ってみよう」
 口々に言う皆に、龍麻はややもやのかかった表情で頷いたのだった。
 教室に入ろうとする杏子を、今度は葵が呼びとめる。
「アン子ちゃんはどうするの? 私達と一緒に行く?」
「残念だけど、今日はあたし日本橋に行くのよ」
「日本橋……秋月さんの個展?」
「さっすが、美里ちゃんは高尚な趣味を持ってるわね。
そうよ、秋月マサキの個展に行くの。今日までだから外せないのよね」
 葵を褒めることでさりげなく自分を褒めた杏子は、得意げに鼻を鳴らした。
だが男性陣でその名を知っている者はなく、
美術鑑賞などに縁もゆかりもない彼らには彼女の自慢も今一つ伝わらなかったようだ。
「秋月……なんか聞いたことあるよ。確かボク達と同じ高校生なんだよね」
「ええ、中央区のエリート校、私立清蓮せいれん高校の三年生。
今話題の車椅子の天才高校生画家よ」
 かろうじてその画家の名前は知っていた小蒔に葵が説明すると、杏子が補足を加える。
「大胆かつ柔らかなタッチの絵と、あの浮世離れしたどこか儚げな風貌。
もう護ってあげたいって感じなのよね」
「アン子……まるっきり京一だよ、それ」
 絵だけならともかく、画家本人の風貌にまで言及する杏子に、小蒔が呆れてみせた。
すると図星を突かれたのか、両手を合わせてどこかを見上げていた杏子がはたと我に返る。
「な、何よ、アイドルおたくの京一なんかと一緒にしないでよね」
「なんだとてめェッ!! 俺のさやかちゃんを馬鹿にする気かッ!!」
「誰も舞園さやかを馬鹿になんてしてないでしょ、馬鹿にしてんのはアンタよ、ア・ン・タ・ッ!!」
 言い争う二人はどう見ても同類で、口を差し挟む気をなくした龍麻達は京一を放って教室に戻っていった。
朝だと言うのに白熱した口喧嘩を続ける二人は、それも目に入らない。
「俺を馬鹿にするってことはさやかちゃんを馬鹿にするってこったろうがッ!!」
「馬鹿も大概にしなさいよね、あんたの馬鹿は特別製でしょ、他の誰とも較べようがないほどのねッ!!」
「くッ……」
 言い争いでは形勢不利とみた京一は、頼もしい友人に援護を頼む。
「なぁ龍麻、お前も語ってやれ、さやかちゃんの素晴らしさをッ!!」
 だが振りかえった京一の後ろには、もちろん誰もいなかった。
灰色の廊下に空しく叫び声を響かせる京一に、杏子の嘲笑が追い討ちをかける。
「はッ、見捨てられたみたいね」
「くそうあいつら、血も涙もねェ……へッくしッ!!」
「ぎゃあッ!! あんた何人に向かってくしゃみしてんのよ、唾が飛んだじゃないのよッ!!」
 眼鏡のレンズに唾がかかり、杏子はほとんど卒倒寸前になっていた。
慌ててハンカチを取り出して拭く彼女に、京一のニ撃目が襲いかかる。
「ンなこと言ったってしょうが……ッくしッ!!」
「こ・の……ッ、さっさと教室へ帰れーッ!!」
 京一は唸りをあげて飛んできた鉄拳をくしゃみで躱し、そのまま逃げるように教室に戻っていった。
怒り狂った杏子の鼻息は、冬の冷風を圧して廊下に吹き荒れていた。

 放課後、龍麻達は早速歌舞伎町に向かうことにした。
京一の話では薄暗くなった頃にしか現れないらしいが、
葵と小蒔もいるのであまり遅くなるわけにもいかない。
その賭博師とやらが現れたら、すぐに接触したいところだった。
「クソッ……アン子のやつ、本気で新聞に載せる気かよ」
 両腕を擦りながら京一が毒づく。
だが友人達の返事は、彼の望むものではなかった。
「まあ諦めるんだな。あれだけ浮かれて報告に来たんだ、手はずは全部整っているだろう」
「それに京一下級生に人気あるからさ、売れるだろうしね。全然信じられないけど」
 全く他人事、しかも事実を告げる醍醐と小蒔に、龍麻と葵も笑って頷く。
新聞の売上を至上の命題としている杏子にとって、
そのチャンスを手放すつもりなど槍が降ってもないだろう。
どうやら次号の真神新聞は、京一の裸が一面を飾るのは間違いなさそうだった。
「くそう……俺の可愛い子羊ちゃん達が……」
「でもお前、本当にパンダのパンツなんて履いてたのかよ」
 もう大人の方に近い男性が履くにしては、あまりに子供っぽい柄だ。
いささか呆れながら、龍麻は言った。
「うるせェな、お前には関係ねェだろ」
 嫌なことに触れられたからか、京一は苛立っている。
これ以上刺激しない方が良さそうだと判断した龍麻は肩をすくめて話題を打ち切ったが、
それに気づかない、いや、もしかしたら気づいていてあえてなのか、小蒔が絡んできた。
「そうだよねぇ、京一が自分で選ぶとは思えないよねェ……まさか彼女の趣味?」
「彼女って……いんのかお前?」
 四六時中一緒にいてそんな気配は微塵も感じたことのない龍麻は、目を丸くして訊ねる。
だが京一はむっつりと黙ってしまい、
彼のことを良く知っていそうな醍醐を見ても黙って頭を振るだけだった。
「桜井さん……見たことあるの? 京一の彼女」
「え? いや全然。いたら面白そうだなって思っただけ。でもいないよね、京一だし」
「だよね」
 安心して頷く龍麻と笑い合う小蒔に、遂に京一の怒りは頂点に達したようだった。
「てめェら……好き勝手言いやがってッ!」
「べーだッ、パンダが怒ったって怖くないもんねッ」
 挑発する小蒔にではなく、何故か龍麻に向かって木刀は振り下ろされる。
「うわッ、危ねえ」
とっさにかわした龍麻が見たのは、怒りに瞳を燃えたぎらせている京一だった。
ちょっとやり過ぎた、と反省はしたが、今は逃げる方が先決だ。
再び振りかぶる京一に身を翻すと、小蒔と並んで走り出した。
「てめェッ、待ちやがれッ!!」
 木刀を振りかざしてそれを京一が追いかけていく。
あっという間に米粒ほどに小さくなった三人に、醍醐は深いため息をつかずにはいられなかった。
「やれやれ、困ったものだな、あいつらにも」
「そうね」
 短く答えながら葵が考えていたのは、パンダのパンツは龍麻に似合うだろうか、ということだった。

 五人で騒ぎながら廊下を歩いていると、小蒔が前方に知り合いを発見した。
「あ、ミサちゃん。これから霊研?」
 京一が露骨に嫌な顔をしている相手は、隣のクラスの裏密ミサだった。
京一の苦手な物と言えば五番目辺りには名前が挙がる彼女は、
もちろん京一が避けていることなど意にも介さず、呼び止められて振り向いた。
人形を持っているのは別に構わないのだが、首を両手で持っているのが、
どう見ても絞めているようにしか見えず、
気付いてしまった龍麻は顔に出さないように苦労を強いられる。
 占いの腕は真神全校に轟き、文化祭の時は真神始まって以来の長蛇の列を記録したという
オカルト研究会の部長は、小蒔の問いに意味ありげな笑みを浮かべた。
「うん〜。アン子ちゃ〜んに、調べものを頼まれて〜、今から調べるところなの〜」
「アン子ちゃんに? それってもしかして、転校生が行方不明になるって事件と関係があるの?」
 朝に杏子に聞いた話を覚えていたのは、小蒔だけではなかった。
葵が一歩進み出る。
彼女の顔によぎっている不安めいたものに、心配してくれているのか、
と龍麻は葵が聞いたら怒るに違いないことを思った。
 仲間達を多くの危険から護ってきたこの男は、自分の身に関してかなり無頓着であり、
それがどれほど仲間達を心配させているか自覚していない。
特に葵は、仲間達の中でも最も彼の身を案じていると言ってよく、
龍麻もそこに気づけばもう少し考えなおすだろうが、
まだ龍麻はそこまで思い至る精神的な円熟を迎えていなかった。
「そう〜。アン子ちゃ〜んが現場の近くで面白いものを拾ってきたから〜」
「面白いもの?」
「これよ〜」
 龍麻達にミサは、一枚の紙片を差し出した。
その記号が意味するところが全くわからない龍麻達にも、
何やら怪しいということだけはわかるものがしるされている古ぼけた和紙だ。
「お札……みたいだね」
「これでもう大体犯人の目星はつくんだけどね〜」
 どこか誇らしげに言うミサに、龍麻はもう少し詳しく紙片を見てみた。
 縦に四本、横に五本引かれた線が格子模様を描いている。
その下には、一筆書きで描ける星の図形があった。
 最初に受けた不気味な印象は変わらないものの、やはり図形についてはさっぱり解らず、
龍麻は助けを求めるようにミサを見た。
「これは『ドーマンセーマン』って言ってね〜、九星九宮きゅうせいきゅうぐう九字くじを表す、
陰陽おんみょう道で用いるところの代表的呪術図形のひとつなのよ〜。
傾向としては、『晴明桔梗せいめいぎきょう』とも呼ばれる、五芒星の形の『セーマン』だけを
用いる方が多いんだけど〜、わざわざドーマンをしるす辺りに渦巻く怨念の香りがするわ〜」
 ミサの説明は熱っぽく、そして全く解らない。
それでもなんとなく頷いていると、京一が耳打ちしてきた。
「陰陽道ってなんだよ、龍麻」
「あれだよほら、安倍晴明とかだろ」
 せいめいぎきょう、と聞いてとりあえず偉そうに言ってみたものの、
陰陽道と安倍晴明あべのせいめいについて名前以外に知っていることはない。
教科書には出てきてないよな、俺が忘れてるんじゃないよな、
と受験を控えた学生にしてはいささかまずいことを考えつつ再びミサを見ると、
龍麻が浅学ではないと証明してくれた。
「うふふふふ〜、陰陽道とは〜、森羅万象についてその状態を陰か陽かで示す『陰陽説』と、
その性質を木火土金水もくかどごんすいのどれかに分類する『五行説』が統合されて
確立した『陰陽五行理論』によって〜、星の意図を読み、あらゆる事由を解く『占術せんじゅつ』から
神仏、鬼神の力を借りて邪を滅し、他を暗殺する『呪術じゅじゅつ』まで〜、
あらゆる呪法を可能にした〜、日本古来のオカルティズムよ〜」
「……さっぱりわかんねェ」
 頭を掻きむしる京一と、龍麻は似たようなものだった。
氣を学ぶにあたってそんなことを聞いたような覚えもあるが、
当時は何しろ修行と言っても良いくらい厳しい特訓の日々を送らされており、
座学のことなどほとんど忘れ去ってしまっていた。
その後の実地研修たたかいで、喜と楽が陽の氣、怒と哀が陰の氣だということは一応掴んではいるが。
 葵を除いて同じ顔をしている五人に向かって、ミサの講義は続く。
途中、京一が寒そうに腕を擦ったが、もちろんミサがそれで中断するようなことはなかった。
「さっきも言ったとおり、ドーマンセーマンは陰陽道の呪術図形〜、
そして何より〜、この札は〜、明らかに陰陽道の儀式にのっとって描かれたものなのよ〜。
それもミサちゃん独自の計測によれば〜、相手は相当の修練者つかいてだわ〜。
たぶん本物の『陰陽師』ね〜」
「陰陽師……って、今もそんなんいるのかよ」
 平安の世に誕生した、いわば魔法使いである陰陽師。
そんな存在が現代日本にいるのか、という京一の疑問は当然と言えた。
ミサはすぐにはそれに答えず、別の方向から話を続ける。
「緋勇く〜んは、『式神』って知ってる〜?」
「いや……全然」
 何か否定ばかりで申し訳ない気分にすらなりつつ、龍麻はまた首を振るしかなかった。
ミサの目が怒ったように感じられたが、
何しろ彼女の目はぶ厚い眼鏡に隠されているのでその予感が正しいのかどうか、龍麻には解らなかった。
「式神っていうのはね〜、陰陽師が使う呪術のひとつでね〜、高位の陰陽師つかいてともなれば、
紙片に仮初めの生命を吹き込み、生き物のように変化させ〜、自在に操ることも出来るの〜。
アン子ちゃんが持ちかえったこの札も、恐らく式神の依代よりしろとして使われたものだと思うわ〜」
「紙に命を吹き込むって……なんか凄いね」
 話を聞いた小蒔が、ミサの手から紙片を摘まむ。
眺め透かしたり振ったりしていたが、紙片に変化が訪れないと知ると、残念そうにミサに返した。
 紙片を小蒔の頭上から覗きこんでいた醍醐が、低い唸り声を出す。
「転校生を狙っているのが、裏密の言った陰陽師とやらいうのだとすれば」
「京一がやられたのは関係ないってコトになるね」
 陰陽師がどんな人物かは知らないが、歌舞伎町の裏路地で花札をやったりはしないだろう。
目的が少し希薄になって、京一は焦ったようだ。
「おいおい、ここまで来て止めるだなんて言うなよ」
 その人物が陰陽師でなかったとしても、京一の制服と財布は取り返してやらねばならない。
だから歌舞伎町に行くのを止めるようなことはなかったが、
龍麻は意地悪くしばらく返事をしなかった。
「おい何か言えよ、まさかラーメン食いたくなったんじゃねェだろうな、
だったら金貸してくれよ、俺今日一円も持ってねェんだよ」
 既に適当なことを言っている京一に龍麻は、校門を出るまで返事をしてやらなかった。

 一際強い風が吹く。
葵と小蒔は上着の襟を立て、龍麻も身をすくめたくらいの冷風だ。
もちろん京一は身をすくめるどころでは済まなかった。
「うおおッ、寒うぅゥゥッ」
 両腕に鳥肌を立て、勢い良くその場で足踏みしている。
一緒にいるのが恥ずかしいくらい季節外れな服装の男に、小蒔が呆れてみせた。
「そりゃそうだよ、もう十二月だよ? 長袖どころかコート着たって寒いくらいなのに」
「ちくしょうッ、お前ら皆着込みやがって、ちったァ俺か小学生を見習えッ」
「小学生って……そりゃ確かに真冬でも半袖半ズボンの子とかいたけどさ」
 理解不能な話の飛躍をさせる京一に小蒔はまた呆れたが、一旦は閉ざした口をすぐに開いた。
「ひーちゃんもそのクチだった?」
「俺? 俺は……」
 何気なく答えようとして、龍麻はふと視線を感じた。
見れば葵がさりげない好奇心を浮かべている。
目が合った葵が焦ったように顔をそむけたので、龍麻も急に恥ずかしくなってしまった。
「? どしたの?」
「い、いや、忘れちゃった。桜井さんはスカートとか履いたの?」
 上手いとは言えない話題の逸らし方に、小蒔はじろりと睨んできた。
「なんか引っかかる聞き方だね」
「そ、そうかな」
「確かにスカートはあんまり履かなかったけどさ」
「あ、やっぱり」
 また余計な一言を言ってしまい、また小蒔にじろりと睨まれる。
「い、いや、桜井さんのことだからさ、元気な子だったんだろうなって。なぁ醍醐」
「う、うむ、そうだな」
 こと彼女に関する限り、有力な切り札となる男を龍麻は利用した。
少しあざとくもあるが、醍醐を使えば小蒔の追及が鈍るのは事実で、利用しない手はない。
それにしてもこちらの思惑はともかく、話題を振ってやったのだから上手く利用すれば良いのに、
この巨漢はどうにも口下手で機会をことごとく無駄にする。
今も自分に同意するだけでなく、
なんでもいいから小蒔に話しかければ会話の糸口くらいは掴めただろうに、
と、自分の都合で話を振ったにも関わらず随分と勝手なことを龍麻は思った。
「近所のガキ大将だったんじゃねェのか」
「弱い子はいじめてないもんねーだ」
 からかう京一に対する小蒔の答えは、間接的に問いを認めていた。
自分よりも体格の大きな上級生の男子にも臆することなく向かっていく、
小さな小蒔の姿は容易に想像出来て、龍麻は口を綻ばせた。
見れば葵も親友に気づかれないよう、ごくさりげなく同じ表情をしており、
お互いに気付いた二人は少しだけ笑みを広げる。
 番長と大将なら、似合いじゃないのか──
そう、龍麻は醍醐に、葵は小蒔に言いそうになってしまったほどだ。
だが醍醐にクリスマスに小蒔を誘うような度胸は期待できず、
小蒔に色恋を求めるのもまだ無理なようだ。
 同じ思考を進めていた二人は、ここで極めて重要な五文字に心を留めた。
クリスマス。
多分この日を逃したら、受験が終わるまで関係を進展させることは出来なくなるであろう降誕祭。
必然的に重なった眼差しに、促されるように口を開いたのは龍麻が先だった。
「あっ……と……」
「なに?」
 葵の反応は妙に素早く、問われてもいないのに既に返事すらしたがっているようにみえる。
いける、今なら間違いなくいける──
頭の中では勇気がそう合唱している。
ほんの数言、言葉を紡げば、きっと葵は色よい返事をくれ、大切な約束を交わしてくれる。
それなのに喉は、凍ってしまったかのように動かなかった。
「何してんのひーちゃん、それに葵も」
 いつのまにか立ち止まってしまっていた龍麻に、小蒔が呼びかける。
葵にも声は聞こえているだろうに、彼女はじっと一点を見つめたまま応えない。
葵は待っている。
俺が誘うのを。
もはや龍麻の全身が言え、言ってしまえと命令を下していたが、
ただ一箇所、声帯だけが指示に従わなかった。
 わずか一秒か二秒の時間がどうしても作り出せず、
情けない空気を生み出すのがやっとの龍麻に、ついに葵が諦めたように首を振った。
「どうしたの、二人とも」
「なんでもないわ、行きましょう、小蒔」
 小蒔の声は近く、葵の声は地の果てよりも遠い。
歩き去る葵が一瞬だけ龍麻に向けた瞳は、
最大の機会チャンスを逃した愚者にふさわしい絶対零度の冷たさを持っていた。
吹きすさぶ冬の風が心まで凍みいってきて、哀れな意気地なしはがっくりと頭を落としたのだった。



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