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 今後の自分達を待っている運命、そして為すべきことを聞いた龍麻達は、
マサキ達に別れを告げ、元の世界に戻ることにした。
「では帰りはわたしが表の世界までご案内しましょう」
 帰りは芙蓉ではなく、彼女の主が導いてくれるという。
 龍麻が改めてマサキに礼を言うと、逆に彼のほうが頭を下げた。
「こんな場所までお越し頂いてありがとうございました。
僕も……この脚さえ動けば、もっと皆さんのお手伝いをすることもできるのに」
 マサキは同情を求めているのではない、というように笑ってみせたが、
それは龍麻達から見れば透明すぎる笑みだった。
彼も年頃は龍麻達と同じはずだが、まるで、悟りきった老人のような笑みは、
かえってうかつに応じることなど出来ない重さを感じさせるものだった。
 マサキが望んでいないであろう気まずさを抱きつつ、
結局上手くとりなすことも出来ないまま、龍麻達はぎこちなく辞去しようとする。
 その時突然、露骨にあざける笑い声がどこからか聞こえてきた。
「その通りよねェ。マサキちゃんは秋月のおちこぼれですものォ、
星神の呪いを受けたその脚はもう二度と動かない。でもその『力』、陰陽司る者には魅力的よねェ」
 この場にいる者ではない。
音源はひどく曖昧で、声の主はどこにいるのか見当もつかなかったが、
それよりも先に龍麻達の琴線に触れる響きを有していた──悪い意味で。
「なんだ、この気持ち悪い声は」
「オカマだよ、オカマッ!」
 騒ぐ醍醐と小蒔に、一同は大きく頷く。
それは聞いただけでオカマ、それも、かなり性質たちの悪いオカマだと知れる声だった。
「オカマって言うんじゃないわよッ!!」
 叫ぶことでますますオカマっぽくなった声は、一転、身の毛のよだつような猫撫で声になる。
小蒔などは鳥肌が立ってしまったのか、両腕を寒そうに抱えており、
龍麻も本当はそうしたいくらいだった。
「ついに見つけたわよォ、『黄龍の器』がこんな所に隠れてたなんてねェ」
「『黄龍の器』? なんだ、それは」
 聞き慣れない単語に首を傾げる醍醐に、答えられる者はいない。
もしかしたら御門なら知っていたかもしれないが、
彼は村雨と素早くマサキの傍に立ち、辺りを警戒していた。
「ちッ、なんであの野郎がここに……どこかに式でも潜りこませてたってことか?」
「わたしの結界を見くびられては困りますよ、村雨。
阿師谷の者如きの侵入をそう簡単に許すはずがありません」
 とりあえず村雨に反撃しておいた御門は、鋭い眉目を一層細め、
何も存在しない空間に向かって呼びかけた。
「何か強力なものの『力』を借りましたね? 伊周ともあき
姿を見せたらどうです、それともあなた如きの能力では人形に姿を映すことも出来ませんか」
「余計なお世話よッ、相変わらず嫌味な男ね。今やってあげるわよッ」
 やや間を置いて、髪から服装まで緋で統一した男が現れる。
全体の輪郭は掴めるが、細部はぼやけていて、
突然現れたところからしても目の前の男はどうやら実体ではないようだった。
しかしそんなことよりも先に、龍麻達五人は彼に対してある共通の印象を抱いていた。
「こりゃ……オカマだ」
「うん、どう見てもオカマだよね」
 口に出す京一と小蒔、大きく頷く龍麻、眉をしかめる醍醐、控えめに小さく頷く葵。
それぞれに表した態度に、御門にのみ名を呼ばれた、伊周という男は声を荒げた。
「うるさいわねッ!! ……っと、こっちはちょっといい男だけど、
それ以上言うとただじゃおかないわよッ」
 どうにもやる気を削ぐオカマ……男だったが、彼は紛れもなく敵だった。
それを彼は、自ら証明してみせた。
「御門……今日こそその高慢チキな鼻を明かしてやるわッ。
あたしの『力』……見せてあげるッ」
 懐から紙片を取り出した伊周は、人差し指と中指を立てた手をかざし、
縦横に線を切り始める。
それは早九字と呼ばれる、陰陽道の呪法のひとつだった。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前──陰陽に使役されし三十六の猛禽もうきんよ、
蘆屋の名の下に我が符に宿ってその力を示しなさいッ!!」
「何あれ、紙の鳥が」
 小蒔の言った通り、紙片は徐々に形を失い始め、淡い光の中に消えていく。
そして伊周が印を組み終えた時、紙片は一羽のからすへと変じていた。
「オーッホッホッホッ、覚悟してね、マサキちゃんッ!!」
 伊周の高笑いに呼応するように鴉は襲いかかってきた。
動きの速く、鋭いくちばしを持つ鴉に人間が対抗するのは容易ではない。
以前にも渋谷で唐栖という男が操る鴉の群れと闘ったこともある龍麻達だが、
より攻撃的で明確な意思を持つこの鴉は手ごわい相手だった。
迎撃しようとする龍麻達を翻弄するが如く飛び回る鴉に、
この場で最も動きの鈍いマサキの護りが、一瞬手薄になる。
そこを突いて、鴉が龍麻達の隙間を縫ってマサキに肉迫した。
失策を悟った龍麻達だったが、誰もがやられる──と覚悟した瞬間、
芙蓉がマサキの上に覆い被さっていた。
「芙蓉!」
「あ……秋月様……ご無事で……何よりで……す……」
 身を挺して護ったマサキに、
口許にわずかに、笑みと見えるようなものを浮かべた芙蓉の身体が青白く縁取られる。
その光はすぐに強さを増したかと思うと、彼女の背中にくちばしを突き立てていた鴉ごと
芙蓉を包みこみ、それが消失した時彼女の身体は消えてしまっていた。
「消えちまった……」
 呆然とする京一に、御門がマサキの足下にかがみ、何かを拾い上げてから説明する。
彼の手にあったのは、人形をした紙片だった。
「式神に打たれたために、肉体の素である符が傷つき、一時的に異界に戻っただけです。
ご苦労でしたね、芙蓉。すぐに再生してあげましょう」
 彼女が人間ではないと聞かされてはいても半信半疑だった龍麻達だが、
こうして目の前で見せられてしまえば信じざるをえない。
陰陽師が使役する、式神──現代人の常識を超えたところにある神秘の力に、
驚嘆するしかない龍麻達だった。
 一方紙片を拾い上げた御門は、わずかに揺らいでいる伊周に相対する。
その瞳には、これまでの村雨との毒舌の応酬にも見られなかった怒りが燃え盛っていた。
「ですがその前に伊周。あなたはわたしに対する最大の禁忌を犯してしまったようですね」
「な……なによッ、ちょっとした冗談じゃないッ」
 御門の逆鱗に触れ、伊周は明らかに怯んでいた。
むろん彼の行ったことは冗談で済まされるはずもなく、
御門は一片の慈悲もない表情で伊周を威圧した。
 彼に代わって伊周を罵倒したのは、龍麻達の中で最も情に篤い小蒔だ。
小蒔はまだ芙蓉と会話らしい会話をしていないことも、
彼女が人間ではないことも全く関係なく、伊周に対して本気で怒っていた。
「何が冗談だよッ、このオカマッ!」
「お黙り、桜井小蒔ッ!」
「なんでボクの名前知ってんのさ、ボクはお前みたいなオカマ知らないぞッ」
「オカマって言うんじゃないって言ってんでしょッ!!」
 伊周は御門が苦手なのか、小蒔とやり合うことでかえって普段の調子に戻ったようで、
声を張り上げ、気色の悪い目つきで龍麻達を舐め回した。
「あんただけじゃない、皆知ってるわ。醍醐に蓬莱寺に美里。それに緋勇。
うふッ、捜したわよォ、何しろパパの占いじゃ高校三年、転校生、この二つしか情報がないんですもの。
とにかく片っ端から式神に転校生を襲わせたんだけど、どれもこれもスカばっか。
あっけなく死んじゃったわ。あの方・・・が現れなかったら一生見つからなかったかもね」
 どこまでもふざけた態度の伊周だが、口にした内容は恐るべきものだった。
彼と彼の父親は、龍麻一人を探すために何人もの高校生を襲い、命を奪ったというのだ。
そうまでして俺を探す理由はなんだ──
純朴な正義感に怒りを焚きつけられ、龍麻は伊周を睨みつける。
是が非でも彼を倒し、自分を狙う理由を訊ねなければならなかった。
 伊周はそんな龍麻を見て、気色も悪くウィンクしてみせる。
「あら、あんた良く見ると結構いい男じゃない。
あたしは江東区綱護つなもり高校三年、阿師谷あしや 伊周ともあき
ねッ、こんな奴ら放っといてあたしと組まない? うふ、後悔はさせないわよォ」
「悪いけどオカマは趣味じゃないんだ」
 一刀両断に斬って捨てた龍麻に、伊周は音も高く歯軋りをした。
どうやらこちらがのようで、顔も男そのものになっている。
「……く……ッ、どいつもこいつも……ッ。
いいわ、アンタ達を始末するのもあの方との約束ですもの。
ホホホ、御門も悔しければあたしの所へいらっしゃい、
待ってるわよ、祇孔しーちゃんもね。オーホホホホホホッ!」
 結局威嚇するのが目的だったらしく、言い捨てて伊周は消えてしまった。
あれだけ怒っていた御門が追撃せず、あっさりと諦めたところを見ると、今追っても意味はないらしい。
龍麻達はひとまず、マサキの無事を確かめることにした。
「大丈夫か、秋月」
「ええ……慣れてますから」
「こういうことが度々あるのか」
 実際マサキは命を狙われたにも関わらず落ち着き払っており、
御門と村雨も簡単に無事を確認しただけで騒いだりはしない。
騒がないのは彼らの性格的なものだとしても、
襲われるのが既に日常と化しているような態度は、
龍麻達に彼らの凄惨な生活をうかがわせずにはおかなかった。
「秋月家に受け継がれる星見の能力は陰陽道を生業とする者にとって、
何物にも代え難い貴重な宝なのです」
「そしてそれを護るのが東の棟梁たる御門こいつの役目ってわけさ」
 村雨の口調に皮肉は混じっていない。
やはり根底では、彼らは友情で結ばれているようだった。
たとえ表向き、どんなに仲が悪そうに見えたとしても。
「それじゃさっきあのオカマが言ってた星神の呪い……ってのはなんだよ。
聞く筋じゃねェのは解ってるけどよ」
 京一の問いかけには、彼らしくないためらいがあった。
そのためらいは正しかったらしく、マサキの瞳にうれいが浮かぶ。
返事がないならば、それでも構わない──万事に明快を旨とする京一も、
珍しく妥協の姿勢を見せたが、マサキは心持ち力を抜くと、静かに語り始めた。
「……少し、昔話を聞いて頂けますか」
「秋月様」
 どうやら京一が訊ねたのは秘密に属することらしく、
マサキを止めようとする御門の口調は強いものだった。
しかしマサキは、片手を挙げてそれを制すると、龍麻達全員を見渡して微笑んだ。
「どうしてでしょう……初対面なのに、あなた方には話してみたいと思ったんです」
 そう前置いたマサキは、半ば目を伏せ、表情をくらませて語り始めた。
「先ほども申し上げた通り、僕には星と人の運命を視る『力』があります。
数年前、僕の……大切な人が、志半ばで死に至るという啓示が天に現れたんです。
その運命を『力』で無理やり捻じ曲げたために、僕は凶星に宿る荒神の呪いを受けました。
医学的にはなんの異常もないこの足がもう二度と動かないのは、
僕にとってはその人が今も生きている証。
ですから……本当はなんら不自由はないんです」
 穏やかな顔で、想像を絶する重い事実を告げたマサキに、
龍麻達は呼吸すらためらうほど衝撃を受けていた。
「天の星々の位置を強引に差し替えるなど、いくら秋月家の者でもそう簡単に為せる技ではありません。
それどころか、足を奪われただけで済んだなんて……まったく幸運もいいところですよ」
 御門が投げやりに、その実底知れぬいたわりを込めて呟く。
 幼い頃から御門家次期当主として陰陽師たることを義務づけられた御門は、
数代に一人と称えられる彼自身の資質により周囲の期待に常に応えてきた。
そのため努力や、己が身を賭けて何かに当たるということを全く軽蔑していた。
そんなものは能力のない者の言い訳に過ぎないと思っていたのだ。
幼い頃から星を詠み、天命というものを数限りなく視てきた御門にとって、
秋月マサキ・・・・・の死も、その中の一つに過ぎなかった。
人には等しく死が訪れる。
ただ、それが早いか遅いかだけ──
 淡々と事実を受け入れた御門に対し、敢然と宿命に抗ってみせたのは彼の妹だった。
偉大な力を持つ兄の影で、見向きもされなかった彼女が、
自分の命を賭けて命脈を定められた兄を救おうとしていると知った時、御門は困惑と共に止めた。
その術に成功した者は歴史上において数えるほどもおらず、
まして明らかに才に劣る彼女が成功するはずがない。
彼が死ぬのは仕方ないが、貴女まで命を失う必要はない──
そう、出来得る限りの言葉で翻意させようとしたが、彼女は頑として信念を曲げず、
遂に術を為し、そして……成功させた。
 人身御供を得られなかった代償として天星は彼女の足をもぎとり、
そして彼女の兄は助かったとはいえ昏睡状態が続いている。
それでも、御門は少なからず──いや、心の底から彼女に敬意を払った。
人は決して、天に定められた命のままに生きるだけの存在ではないと教えられたのだ。
以後、御門は彼女と、彼女の兄を護るためにいかなる労力もいとわず、
彼女達に災いをもたらそうとする者あれば、持てる力の全てを用いてこれを排除すると決めた。
それが天星、宿命であったとしても。
 御門ほどではないにしても、宿さだめられた命を変える、
ということがどれほど大変なのか、龍麻にも薄々はわかる。
だからマサキが、彼の大切な人を救うために命をも投げ出す覚悟だというのは痛いほど伝わってきた。
そして彼を救うためにならば、御門と村雨も同じ覚悟を持っているのだということも、
龍麻には解ったのだった。
「それじゃ、その足……もう治らないの?」
 マサキはまた静かに笑った。
先ほども見せた、諦観と誇りとが調和した透明な笑顔は、小蒔の問いが正しいと告げていた。

 御門によって生み出された清廉な空間は、東京のように汚染された大気など微塵も存在しない。
にも関わらずマサキの話はそれ自体が質量を持っているかのように、
龍麻達の周りの空気を沈殿させていた。
 彼らの闘いに、興味本意で軽々しく踏みこんでしまったことに若干の後悔をしながら、
京一は髪にまとわりつく湿気を振り払うように頭を振った。
「ところで、さっきのオカマは何なんだよ。知り合いみてェだけどよ」
 京一に答える御門は、もう普段の嫌味な彼に戻っていた。
「あのような輩を知り合いといわれるのは極めて心外ですが、
あれが先ほどお話した阿師谷家の者です。
当主の阿師谷 導摩どうまとその息子の伊周。
安倍晴明様の直系である御門家と芦屋道満殿の子孫である阿師谷家。
平安の時代、おふたりは互いに双璧を為す陰陽道の権威でした。
度重なる衝突の末、晴明様の主、藤原道長暗殺を依頼された道満殿は
その呪を晴明様に暴かれ、播磨の国へ流されたのです。
その子孫である阿師谷家は、未だ晴明様を恨んでいるのですよ。
まあ、彼らとて星の動きのひとつくらいは読めるはずですから、
適当な占いの末に朧気おぼろげながらもこの東京の命運を左右する
緋勇さんの存在を嗅ぎ当てたというところでしょう」
 敵とはいえ、あまりに容赦ない解説ぶりはうっかり同情しそうになるほどだった。
だがもちろん、彼らは罪もない高校生を何人も殺した罪人であり、
彼らの狙いが龍麻達の命である以上、闘わねばならない敵手だ。
 御門の説明に頷く龍麻達に、村雨が顎を撫でながら疑問を口にする。
「にしてもだ、なぜ奴が全員の名前を……ましてや、ここにいることをどうやって知ったんだ?」
「恐らくは阿師谷の影にいる者の仕業でしょう。
……事はわたしが思っているよりも深刻なようですね」
 御門も扇子で口元を覆い、何やら考えこむ。
 するとマサキが、彼をたしなめるように言った。
「それより御門、早く芙蓉を元に」
「御意。皆さん、少々下がってください」
 命じられた通りに龍麻達が下がると、芙蓉だった式札を置いた御門は目を閉じ、何事か唱え始めた。
バン・ウン・タラク・キリク・アクてんをまわるいつつのぎょうといつつのちとくよ
陰陽に使役されし十二の神将よ、我が符に宿りて護法を成せ。
……天后招魂てんこうしょうこん急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう──!!」
 彼女が鴉の攻撃を受けて式札に戻らされた時と同じ、青白い輝きが置かれた式札を満たす。
目を開けていられないほどの眩さが消えると、そこには忽然と現れた芙蓉が立っていた。
 怪我も回復しているらしい彼女は、彼女の主に深く頭を下げる。
「晴明様……かたじけのう存じます」
「ご苦労でしたね、芙蓉」
 主にねぎらわれ、芙蓉は更に低頭した。
一方御門の口調も、伊周を評した時はもちろん、京一などに対する時とも明らかに異なっており、
どちらかと言うとマサキに対するそれに近い。
まるきり物として扱っている訳ではないようで、余計なお世話ながら安心する龍麻だった。
だが同時に、芙蓉が人でないと目の当りにして驚きを受けてもいる。
「すごいな……これが陰陽道ってやつか」
 紙に生命を吹き込む、陰陽道という神秘のまじないは、何度見ても驚きから解放されることはない。
そして龍麻は、彼女に初めて会った時に感じた違和感の正体にも思い当たっていた。
 彼女の眉目は、あまりに完全な美なのだ。
人間の顔は、どれほどの美人であっても左右対称ではなく、どこかにずれがあるのだという。
だから左右対称に加工された人物の写真や絵を見ると、
違和感が生じてしまうのだと龍麻は聞いたことがあった。
 自分の感覚が間違っていなかったことに満足した龍麻は、ふと葵を見た。
彼女の顔を真正面からじっくりと見たことはまだないが、やはり非対称なのだろうか。
湧いた疑問が気になって、なんとか顔を覗きこもうとしていると、
当然というべきか、葵に気づかれてしまった。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない」
 あまりにも脱線してしまったことを恥じ、龍麻は会話に戻った。
 彼の仲間達は、為すべきことを忘れていないようで、真面目に情報を集めている。
「ッてことはよ、あのオカマも同じことが出来るってことか?」
「十二神将は安倍様の御名によりわたしの下にある鬼神ですから、
阿師谷如きに自由に扱うことはできません。
ですが、代わりに彼らは芦屋殿の御名の下、
三十六の猛禽を符に宿らせ式神として使役することができるのですよ」
 つまり、伊周と闘う際にはさっきの鴉やその他の猛禽をも相手どらなければならない。
中々一筋縄ではいきそうにない相手と言えそうだった。
しかし、だからと言って引き下がることも出来ない。
放っておけば伊周はまたマサキを、そして龍麻を狙ってくるであろうし、それに、
「阿師谷の言っていた『あの方』とやら……
恐らく、拳武館に緋勇の暗殺を依頼したのと同じ人物だろう」
 醍醐の言う通り彼らの背後にいる人物を確かめる必要もあった。
「そうだな……今度こそあのオカマを締め上げてそいつの正体、吐かせねェとな」
「御門クン……あいつの居場所って知ってる?」
「ええ」
 当然、と言いたげに頷いた御門に、マサキが命ずる。
「二人とも、緋勇さん達をご案内して差し上げなさい」
 主とも言える人物の命令だったが、村雨も御門も即答はしなかった。
ちらりとお互いに視線を交わし、意見が同じであることを確かめてから控えめに反論を始める。
「そりゃあ構わねェけどよ、二人で留守はマズいだろ」
「ええ、敵は阿師谷だけではありませんからね。
この機に乗じてどのようなやからが秋月様の御身を狙うか知れたものではありません」
 正論を述べた御門は、扇子を閉じて言った。
「そうですね、ならばわたしが道案内をしてさしあげましょう」
「珍しいじゃねぇか、自分てめぇから出向くなんてよ」
「阿師谷には先ほどの借り、返しておかねばなりませんからね」
 淡々と説明した御門だったが、言葉の水底には深い怒りがたゆたっている。
何者かの手を借りたとは言え格下とみなしていた伊周に結界を破られ、
あまつさえマサキを襲われ、芙蓉を傷つけられたのだ。
陰陽師としての矜持を踏みにじられた御門は、彼一人でも伊周を倒しに行くつもりでいた。
 村雨は賭博の次に好きな喧嘩の出番を取られて不満ではあったが、
御門の怒りを彼の声ではなく表情で察し、ここは譲ってやることにした。
「そういうこった、アンタらとはここでお別れだ、ま、しっかりやんな」
 龍麻達も彼らの事情を知ったのだから、無理強いして同行を求めることはしない。
それに陰陽師との闘いになるのなら、恐らく運が強いだけの村雨より、
同じ陰陽師である御門の方が心強い味方となってくれるだろう。
「で、どこにいるの? あのオカマ」
「このわたしに直々に喧嘩を売りに来るくらいですから、
場所は恐らく阿師谷にとって最も有利な地相のはず。ご案内いたしましょう」
 御門は自分の周りに寄るよう龍麻達に命じ、印を切る。
短いかけ声が発せられたと思った瞬間、龍麻達の姿は消失していた。

 龍麻達が去った後、浜離宮恩賜庭園を模した結界の中にはマサキと村雨だけが残っていた。
二人とも何も言わず、彼らが向かった方角を見つめている。
それぞれの瞳にそれぞれの思いを宿し、それぞれの想いを交錯させて。
 かすかな吐息を捉え、村雨は振り向いた。
薄い不安を眉目に浮かべているマサキに、殊更に軽い声をかける。
「どうした、マサキ。御門が心配か」
「そういう祇孔こそ、彼らと共に行きたかったのではないですか」
 硬さが残る笑顔を向けられ、村雨は学帽の角度を直す。
それだけでは足りないと思ったのか、マサキに背を向け、独り言のように呟いた。
「……俺が惚れた女は、俺みてェなチンピラにゃとても手の届かねェ高嶺の花さ。
けどよ、その花を護るくれェなら俺にもできるだろうよ」
 しかし背を向けたことで、村雨は表情をくらませたのと同時に、
マサキの表情をも汲み取れなくなってしまっていた。
 背中に浮き上がる彼の想いと宿命に、マサキは応える。
決して届かないと判っていてなお想いを向けてくれる男へ、穏やかな春日の如き眼差しと共に。
「行きなさい、祇孔。それがあなたの、もうひとつの天命でもあるのですから」
「……」
 村雨は答えない。
ただ二つの相反する情理に、拳を目に見えないほど微かに震わせるだけだ。
 彼を繋ぎとめる一方の鎖を持つ女は、桎梏しっこくを解き放つ。
「この地を護ることは、わたしを護る──違いますか」
 表現を変えたマサキに、村雨はわずかに苦笑したようだった。
彼が両手で学帽を直すときは、決まってそういうときだ。
背を向けたまま左手を軽く挙げた村雨は、やがて歩き出す。
 龍麻達を追って彼が姿を消した後も、マサキは微動だにせず、彼の後姿を見つめていた。



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