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 翌日、龍麻達は新宿中央公園の入り口に集まっていた。
十時といういつもよりはやや遅い時間もあってか、
仲間達が最も不安を抱いていた京一もなんとか遅刻せずに来ていた。
 軽く手を挙げた京一は、いつもと変わらぬ様子の公園に視線をやる。
「昨日龍山のジジイはあんなこと言ってたけどよ、本当にその道心とかいう坊主はいるんだろうな」
「龍山先生の仰ることだから、嘘はないと思うが……」
 自分達の庭といってもよい新宿中央公園。
朝昼夜、時間を問わず何度も中を通り抜けている京一だが、そんな老人は見た覚えがない。
答える醍醐もやはり道心という老人を見たことはなく、師である龍山が、
よわいに似合わぬ軽口は叩くが嘘は吐かないというのを拠り所に反論するのがやっとだった。
「とにかく捜してみようよ」
 温かそうなダウンジャケットにミニスカート姿の小蒔が彼女らしく提案する。
頷いた龍麻達は、龍麻の父、弦麻と共に闘い、龍麻達がこれからすべきことを知っているという
楢崎道心を探しに公園に入っていった。
 捜す、と言っても昼間であるし、何しろ場所が場所なので、五人は散歩気分が拭えない。
適当に歩きながら、昼飯は何にする、などと緊張感のかけらもない会話を交わしていた。
「別にどうってこたァねェ、いつもの公園だな」
「うん……それっぽい人はいないね」
 大方を歩いた辺りで、五人は一旦立ち止まった。
やはりそれらしい老人はどこにも見当たらず、途方に暮れてしまったのだ。
「いねェな」
「ああ」
「いないね」
「そうだな」
 京一と龍麻、小蒔と醍醐が同時に同じことを話す。
奇妙に揃った声に、四人は顔を見合わせて笑い出した。
 男三人はそのままぶつぶつと話し始めるが、小蒔は同調しなかった。
葵が、気もそぞろと言った風にあらぬ方を見ているのに気づいたのだ。
「ん? 葵どしたの?」
「え? な、なんでもないわ」
「ふーん……ぼーっとしてたみたいだけど、具合悪いのかと思って」
 まさか昨日のことをまだ反芻はんすうしていた、などとは言えず、
葵は気遣ってくれる親友に適当に嘘をついた。
親友を心配させるようなことでは全くなかったし、
何より龍麻に気づかれてしまったら合わせる顔がなくなってしまう。
内心で小蒔に謝りながら、葵はクリスマスが終わるまでは彼女にも黙っていようと決めた。
「やっぱそんなジジイいねェんだよ」
「龍山先生は嘘は吐かんと言っているだろうが」
「じゃあジジイの知らねェところでくたばったとかよ」
 気の短い京一などは早くも捜索を止め、ラーメンを食べに行こうと言っている。
とりあえずなだめた龍麻も、じゃあどうすんだよ、もう一周すんのかよ、
と言われると少し面倒な気もしてしまうのだった。
 とは言っても、放って帰るわけにもいかず、良識派の葵と醍醐が口添えしたこともあって、
龍麻達は結局もう一回だけ公園の中を捜索することにした。
「ま、いいけどよ、見つかんなかったらメシお前の奢りな」
 どさくさに紛れて何を言う、と龍麻は一蹴しようとする。
しかし、振り向いた視界の端に葵の顔を捉え、そこに一瞬だけ意識を留めたのが災いした。
口を開きかけたまさにその瞬間、小蒔に割り込まれてしまう。
「ホント、ひーちゃん奢ってくれるの!? やった、大盛りにしようっと」
「小蒔ったら……京一くんは見つからなかったら、って言ってるのよ」
「あ……そっか。エヘヘ」
 葵がたしなめてくれたおかげでこの場は助かった。
だが、もし道心を発見出来なかったら小蒔は約束を履行させるに違いなく、
とんだ日曜日になってしまう。
龍麻は一周目以上の情熱をもって、謎の老人を捜しに歩き出そうとした。
「!?」
 違和感を覚えて、龍麻は立ち止まった。
 前方に、奇妙なもやを感じる。
さっきまで青と緑が大部分だった景色が、
目の前に赤いフィルムを置かれたように奇妙な色調となっていた。
仲間達を見渡すと、彼らも異変に気づいたようで、お互いに視線を交差させる。
霧はたちまち視界の大部分を覆い、ともすれば姿すら見えなくなってしまうほどだった。
「ん? なにコレ……霧?」
「本当ね。それになんだか、風景が歪んでいるみたい」
「もしかしたらこれが、龍山先生の仰っていた方陣というやつかもしれんな」
「ああ……確かに空気が変わりやがった。おい龍麻、ジジイに言われたこと忘れてねェだろうな」
「名前か」
 道心の方陣に踏みこんだら、お互いの名前を言ってはいけない。
それが龍山に教えられた、道心に会うためのルールだった。
「ああ。何のことだかさっぱりわからねェが、気をつけた方が良さそうだ」
 改めて龍麻達がそのルールについて確認していると、遠方から何者かの声が聞こえてきた。
「おーい」
 どうやら声は自分達に向かって呼びかけているようだ。
顔を見合わせた龍麻達は、用心深く距離を置いて声の主が現れるのを待った。
「よかったぁ、他にも人がいたんだね」
 意外にも霧の中から姿を現したのは、ごく普通のサラリーマンだった。
 服装にも顔にもやや疲れが見られる、最も平均的な会社員の姿だ。
龍麻達に会ってあからさまに安堵の表情を浮かべる会社員に、京一が拍子抜けしたように言った。
「なんだ、ジジイじゃねェのか」
「そんな簡単に出てくるワケないだろッ」
 小蒔がすかさず京一の腹に肘をくれる。
そのまま言い争いを始める二人を放って、醍醐が代わりに訊ねた。
「それよりあなたのような人が、どうしてこんな所に」
「いやァ、休日出勤なんてさせられてうんざりしてたんだけど、
あんまりいい天気だったんでサボって昼寝をしてたんだよ。
それで気がついたらこの霧だ。一体どうなってるんだい?」
「ンなこと言われても俺達も迷ったようなもんだからよ」
 小蒔との舌戦を打ち切った京一の返事は、無情なほどだ。
いくら初対面とはいえ、もう少し礼儀を守ったほうが、と葵などは思ったようだが、
会社員は別に気分を害することもなかったようだ。
「そうか……でも、他にも人がいてくれて助かったよ。実を言うと一人で心細かったんだ」
 営業スマイルというやつなのだろうか、妙に安っぽい笑顔を浮かべた会社員は、
名案を閃いたように手を打った。
「ああそうだ、僕は田中と言うんだけど、良かったら君達も名前を教えてくれないかな」
「名前……ですか?」
「ああ、だって君達は五人もいるのに名前を知らなかったら呼びにくくて不便だろう?」
 こうもすぐに道心の罠とやらが現れるとは思っていなかったので、
龍麻達は一瞬あっけにとられてしまった。
それでなくても赤い霧と同時に現れた会社員など怪しいのに、
道心というのもこの程度の人物なのだろうか。
「俺は鳳凰寺」
 京一が偽の苗字を名乗る。
他の仲間達もそれぞれ適当な苗字を名乗り、最後に龍麻の番になった。
「真神ヶ原です」
 偽名なのだからなんでもいい、と思っていた龍麻だったが、友人達の反応は実に微妙なものだった。
葵ですら微妙に顔をそむけ、小蒔はその葵の背後に隠れてしまう。
醍醐はいつもの困った顔をして、京一はと言えば顎を大きく落として二秒ほど龍麻を見ていた。
「そ、そうだ、真神ヶ原だった。悪いな、お前の名前忘れちまうなんてよ」
「へえ……鳳凰寺君に西郷君、それに佐倉さんに美崎さん。
そして君が真神ヶ原君か。……よし、憶えたよ」
 指を一本ずつ折って名を呟いていた田中と名乗る会社員は、やがて大きく頷いた。
その態度も既に白々しく、龍麻達には見える。
それでも万が一の可能性を考え、もうしばらくは様子を見てみることにした。
「んじゃ俺達は出口探してみるけどよ、あんたはどうする」
「もちろん一緒に行くよ。
僕は向こうから来たから、あっちに行ってみようよ。少し明るくなっているし」
 龍麻達に田中を加えた六人は、霧の中を歩く。
既に公園の中なのかどうかも判らないほど霧は深い。
方向感覚も失せてしまっているので、龍麻は京一や醍醐と何度かぶつかってしまっていた。
「痛ッ」
「なんだよ、もうちょっと離れて歩けよ」
「そっちこそ離れろよ」
 不毛な会話を交わしながら龍麻が考えたのは、昨日、
皇神学院高校の御門と会った時に通った時空の狭間のように、
葵と手を繋げないだろうか、ということだった。
そうすればぶつかることもない、と名分だけは立派だったが、
この霧の中では葵の姿を捜すのも難しく、
適当に手を伸ばして京一の手でも掴んでしまったら目も当てられないので、
せっかくの計画も断念するしかなさそうだった。
 龍麻がそんなしょうもないことを考えている間にも、真面目な醍醐はこの状況を真剣に分析している。
「行けども行けども霧の中……か。周りが見えないから何処を歩いているのかさっぱりわからんな」
「そうだね……僕も出口を知ってる訳じゃないからね。とにかく、今度はあっちへ行ってみようよ」
 田中は妙に張り切っている。
この濃霧でも彼には方向が判っているらしく、龍麻達の先頭に立って歩いていた。
 彼に促されるまま、龍麻達は歩く。
無言のままの彼らの裡では、しかし、疑惑が確信へと変わりつつあった。
 歩き始めてからと同じくらいの時間が過ぎた頃、遂に京一が立ち止まる。
「なあ田中さんよ。いつまで同じところを回らせるつもりだよ」
「同じところなんて回っていないよ」
「そうかい? まァいいさ。それよりあんた、この公園でジジイを見てねェか」
「いや……? そんな奴、見たことないけどね」
「そうか。じゃあ悪いがもうお前にゃ用はねェ。とっとと正体見せてもらおうか」
 長い沈黙の後に、田中が発した声は白々しいほど陽気なものだった。
「なんだ、ぞろぞろと群れてるから頭ん中はカラだと思ったのにィ」
 身体ごと振り向いた田中の、輪郭が歪んでいく。
全身が奇妙に細長くなっていき、顔までもが、人間でありながら別のものへと変わっていった。
「あァ、もうどうでもいいや。
この霧の檻の中を歩き回らせてヘロヘロのフラフラにさせてから生気を抜いてやろうと思ってたけどォ、
どうせお前らはここから永遠に出られないんだしねェ」
 今や五十センチほどにも伸びた爪を舐め、田中であったものはわらう。
彼の余裕の源は、しかし、龍麻達にすっかり見抜かれているのだった。
「随分自信あるじゃねェか。そりゃ俺達の名前を知ってるからか?」
「なん……だと?」
 木刀を抜いて言い放った京一に、田中の顔から余裕が消える。
どうやら彼は随分と間抜けな化け物のようだった。
「何を企んでいたかは知らんが残念だったな。嘘の名前を確かめもせずに騙されてくれて助かったよ」
 指を鳴らす醍醐に、京一が重々しく頷いてみせる。
「全くだ。どっかのやつが真神ヶ原なんて言い出しやがった時はどうしようかと思ったけどよ。
いくらなんでももうちょっとセンスある名前思いつけなかったのかよ」
「うん。ボクもうちょっとで笑っちゃうところだったよ」
 恥じ入った龍麻は顔を赤らめてうつむく。
赤い霧の中で顔を見られないで済んだのは幸いかもしれなかったが、
いずれにしても、それはあまりにも緊張感のなさすぎる会話だった。
すっかりピエロと化した田中は、赤い眼に、細長い猫のような瞳孔を一杯に拡大させ威嚇する。
「クソォ、お前らァ……生きてここからは出さないィ……出さないぞおォ」
「出さないってよ、もしかしたらてめェも出られなくなったんじゃねェのか?」
 京一の台詞は正鵠を射たらしく、田中はいよいよ冷静さも失せ、怒りも露に龍麻達を睨みつけた。
すると、彼に応じるように瘴気が集まってくる。
半端に人の形を取っているそれらは、恐らく田中の犠牲者の成れの果てだろう。
見た目の気持ち悪さを除けば、大した脅威ではなさそうだった。
それでも数は多く、
特に醍醐があからさまに怯えているところからすると楽勝というわけにはいかないかもしれない。
 醍醐には葵達を護ってもらうことにして、
京一と二人でまず田中を斃そうと作戦を定めた龍麻が氣を練り始めると、
どこからかやけに明るい声が聞こえてきた。
「間におうた、ちょっと待ってやッ!」
 言葉がもつれているような奇妙な関西弁は、龍麻達が聞き覚えのあるものだ。 
「この怪しい関西弁は……劉クン?」
 果たして緊張高まる場面に陽気に現れたのは、
以前池袋の街で起こった異変を解決する時に協力してくれた、劉弦月リュウシェンユエだった。
劉は背中に持つ青竜刀を抜き放ちつつ、空いた手で気さくに手を挙げて挨拶する。
「奇遇やな、あんたらこないな所で何しとるんや」
「それはこっちの台詞だッ。てめェがなんでこんなトコにいるんだよ」
「ん? ……ははッ、ま、ええやないか。見たトコ取り込み中みたいやし、わいも仲間に入れてんか」
 返事をする暇はなかった。
痺れを切らした田中と怨霊達が、生者の氣をすすろうと襲いかかってきたのだ。
「ほれ、いくでッ!」
 先陣を切って敵中に斬りこんでいく劉に、
龍麻と京一は彼に対する質問を後回しにして闘うしかなかった。



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