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「ことだま? なんだそりゃ?」
「ひーちゃん知ってる?」
 京一と小蒔に問われ、龍麻は道心の前で悔しいが渋々かぶりを振った。
すると案の定、道心はわざとらしく嘆いてみせる。
「なんだ、知らねェのか、仕様がねェな。
いいか、教えてやる。言霊ってのはこの日本に古来から伝わる日本独特の、
神々の名前にも由来している呪法のことよ。
例えば天照大神あまてらすおおみかみは天を照らす大いなる神の意、
思兼命おもいかねのかみは神々の思い──考えをひとりで兼ね備える知恵の神、
そういう具合に名は体を表すという『力』に基づいている。
もっと簡単に言うとな、あるものに別の名を与えることによって、
その名通りの『力』を持たせる事を可能とする呪法が言霊よ」
「名前にはそのものを縛り付ける『力』がある……そういうことですか?」
 苛立つ龍麻を牽制するように醍醐が確認してみせた。
 怒りどころが判りやすい京一と異なり、
春からの友人はどこが臨界点なのか把握しきれないところがある。
特に龍山や道心に対する龍麻の態度は短絡的とも言えるほどで、
その気持ちは理解できるのだが、やはり激発させるわけにはいかない。
 醍醐の努力が実ったのか、道心はひとまず龍麻を挑発するのを止めたようだ。
「ふん……筋がいいじゃねェか。ああ、そういうこった」
「わかんねェ……」
 しかし、うっかり呟いてしまった京一に、すかさず細い眼が向けられる。
良く見ればその眼差しは決して危険なものではなかったのだが、
道心の態度が悪過ぎるので誰も気づかない。
それに危険ではないといっても意地悪なものであることに変わりはなく、
どちらにしても京一はとんだ災厄に巻き込まれることになってしまった。
「おめェのような奴にはやってみせるのが手っ取り早ェな。おめェ、蓬莱寺っつったな」
「なんで俺の名を知ってんだよ」
 それは京一ならずとも疑問に思うことだったが、
道心は答える気は全くないらしく、自分のペースで事を運ぶ。
「黙って聞いてろ。いいか蓬莱寺、おめェをおれが『石』と名付けたとしよう」
「石だァ!?」
「おうよ」
「なんだそりゃ……」
「いいから言ってみろ」
「ちッ……俺は石だ」
 渋々口にする京一を、道心は小馬鹿にしたように頷いた。
「よしよし。そして、例えば俺が、おめェに向かってこう言ったとしよう。『石よ動くな』」
 その途端だった。
ふてくされていた京一が固まり、微動だにしなくなってしまう。
それは単に動きを止めたというだけでないのは、すぐにわかった。
「お、おいッ、京一ッ!」
「い……息してないよ」
 京一の顔の前で手を振った小蒔が喉から塊となった声を絞り出す。
龍麻は道心を睨みつけたが、酒精に汚れた眼にはどこまで届いたか怪しいものだった。
「とまぁ、こういうこった」
「いいから早く戻してください」
「けッ、面白みのねェやつだな。──おめェは石じゃねェ、蓬莱寺って名だ」
 やはり唐突に、色付きの彫像と化していた京一が元に戻った。
「あ……戻った」
「てめェジジイ、何てことしやがるッ!!」
 冷静に呟く小蒔をよそに、京一は土気色だった頬を怒りに染め、道心に詰め寄る。
掴みかかる京一をひらりと躱した道心は、わざとらしく酒を呷ってうそぶいた。
「こうやって目の当りにすりゃいやでも解っただろうが」
「今のが……言霊というやつですか」
 怒り心頭に発する京一を抑えつつ、醍醐が確認してみせる。
龍麻はといえば京一の具合を慎重に観察していて、
もし何か後遺症でもあろうものなら容赦なく京一と共に道心を攻撃するつもりだった。
しかし、京一は全く五体満足のようだ。
残念、と思いかけた龍麻は、自分が本末転倒に陥っていることに気づいて赤面した。
「おうよ。名前ってのはそのものの性質を決定すると共に、
そのものが存在するために必要な『力』でもある。
つまり名前ってのは、それ自体がまじないなのさ」
 名前といえば、龍山に言われ、赤い霧の中で実際に体験したこともそうだ。
それに気づいた醍醐は道心に問うた。
「さっきの方陣も今のを使った……?」
「見かけによらず察しがいいじゃねェか。
その通り、あの方陣の中で名前を言うとな、その名前の主に呪をかけるのさ。
名前を言ったが最後、二度とこの霧の中から出られなくなるな」
 恐らくあの田中と名乗った化け物も、道心に真の名を知られて結界から出られなくなったのだろう。
道心の結界には一般人は入れないだろうから、ある意味ではあの化け物を隔離したのだとも言えるが、
龍麻達のように用事がある人間にとっては極めて危険な罠でもある。
「なんでそんな物騒なモン仕掛けてやがんだよッ!」
「なに、最近おれのところにも物騒なが来るんでな。
おめェらが来るのは知ってたが、こんな罠にかかって悪霊共の餌食になっちまうようじゃ
おれが相手をしてやるまでもねェってことよ」
 石にされた恨みもあってか、怒鳴りつける京一だったが、道心は反省するふりすらみせない。
「なんて性格の悪いジジイだ……」
「おうよ、龍山の爺もそう言ってただろうが。
大体てめェら、龍山の爺に言われたことも守れねェで東京を護るだなんて自惚れてたんじゃねェだろうな」
 道心の言っていることは正しいのだが、いちいち嫌味を付け加えるのがこの老人の趣味らしかった。
 このままでは龍麻達は日曜の昼間に老人に嫌味を言われただけで終わってしまう。
しかし、さすがに道心もそれだけで済ませるつもりはないようだった。
「話の本題はここからよ。この東京を護るもの、そいつは言霊だと教えたな。
だがこいつは誰でもかけられるってわけじゃねェ。
それ相応に修行をした奴だけがかけられる、強力な呪なのさ。
おめェら、天海という名を知ってるか」
 京一と小蒔がすかさず龍麻を見る。
今度は龍麻はその名を知っていたが、老人に答えるのが嫌だったので葵に返事を任せた。
 龍麻の視線を受けた葵は、小さく頷いて答えた。
「確か、江戸時代初期に徳川家に重用された僧ですよね」
 天海──家康、秀忠、家光という江戸幕府創世期の三代将軍に仕え、
徳川家三百年のいしずえを築いた政僧。
家康の信任も篤く、一説によれば、
大坂の役の口実となった方広寺鐘銘の「国家安康」が家康を二つに分けたものだと
いう指摘も彼の案によるものだとされる。
「あァ、そうさ。ではその天海が言霊を使ってこの地に何をしたか。わかるか?」
 いくら葵といえども、日本史の一人物として天海の名を知っているだけであるから、
そこまでは知りはしない。
まして後世に伝わる業績などではなく、言霊という常識では計り知れない力を用いてのことなど、
隣のクラスの裏密ミサでもなければ解るはずがなかった。
 道心もそれは心得ているのか、嫌味を言ったりはせず説明を始める。
するとそれがまた女には甘いのか、などと龍麻には思えて面白くないのだが、
口を挟んでも無駄であるばかりか害悪なのは承知していたので黙っていた。
「天海僧正ってのは江戸時代、比叡山天台宗の坊主だ。
埼玉の川越に寺がある。名を、星野山喜多院。そこの住職だった天海は、
比叡で学んだ天台密教だけでなく、高野の真言密教や神道に通じ、風水や様々な呪法にも詳しかった。
後に家康にも重用された天海は、己の持つあらゆる知略と法力を駆使して徳川家を守護した。
そして家康の拠点となる江戸の都市作りにおいて、天海は京都に目をつけた」
「京都……どうしてですか」
「京都には朝廷がある……それ故、昔から陰陽師、風水師達による霊的な護りがかれているからよ」
 小蒔はまだ小難しげな顔をして話に聞き入っているが、
京一は最初から諦めているのだろう、あらぬ方を見ている。
後で話の内容を聞いてきた時、なんと言ってふっかけてやろうかと考え、
龍麻はうっかり笑いそうになってしまった。
声に出すのはなんとか防いだが、葵に視線でたしなめられてしまう。
内心で謝った龍麻は、後で怒られないためにも道心の話に改めて耳を傾けることにした。
「天海はそいつを東京……江戸にも持ってきたかった。
だが風水的に理想の地だった京都と違い、江戸には水浸しの下町と小山程度の台地しかない。
風水の呪法を施すにはあまりに悪相だった」
 四神相応の地とは、東に川、西に大道、南に湖沼や湾、北に丘陵が位置する土地のことを指す。
この条件に適った地に都を造営すれば繁栄が約束されるというもので、
京都の平安京はこの地相に合わせて造営されている。
天海はこれに従い、江戸を四神相応の地にしようと、
東に平川、西に東海道、南に江戸湾、北に麹町台地を整えた。
そしてそれに留まらず、様々な寺社を建立し、あるいは移築して、
江戸の街に京都と同じく霊的な守護を施したのだ。
その際に用いられたのが、言霊だと言うのである。
「天海は言霊を用いてこの江戸の地に方陣を敷いた。ただ、徳川の権威と繁栄を護るためにな」
「すげェ話だな」
「それが悪いって訳じゃねェ。結果的には長き時代に渡って江戸、東京──
ひいてはこの日本と言う島国を護ることになったんだからな」
 江戸時代というのは身分制度もあり、決して万人が幸福であった時代とは言えないだろうが、
二百五十余年の長きに渡って大きな戦乱もなく、
まず平和といってよい状況を保ち続けた国家は歴史上にも数少ない。
そしてそのいしずえは、一人の僧正によって江戸の全域に築かれたのだ。
 北に日光東照宮、南西に日枝山王社、南に増上寺。
その他にも神田明神や鳥越神社など、幾つもの寺社が注意深く、江戸を護るために配置されたが、
その中に、天海自身が土地を受領した地がある。
「風水の力と言霊の呪法によって江戸の地に荘厳なじゅの曼荼羅を築き上げた天海だったが、
その中でも特に封じこめるのに身を砕いた場所がある。鬼門よ」
「鬼門?」
「おうよ。鬼門ってのは字のごとし、鬼の入る門のこった。
うしとらの方角、つまり北東のことを昔はこう呼んだのさ」
 この方角からは邪気や災い、鬼や死霊が出入りすると信じられており、
昔から忌み嫌われ、封じられるべき方角であった。
現代でもその信仰は残っており、家において鬼門にあたる北東の方角には門や蔵、
および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を設置しないようにすることが多い。
「かくいう天台宗の総本山、比叡山も京都から艮の方角、
つまり京都の鬼門封じとして建てられているってことよ」
 道心の話が現在の自分達にどう関わってくるのか。
疑問と、不本意ながらいささかの興味をそそられて龍麻は耳を傾ける。
ただ、あくまでも聞くだけで、質問するのは友人に任せた。
もう一度道心が癇に障る態度を取ったら、その時は容赦しないと解っていたので、自制したのだ。
「では天海は、江戸の鬼門を封じるに何を以って行ったか。
まず鬼門たる場所には、東叡山という名が付けられた」
「東叡山……東の、比叡山ということですか」
「そうよ。それまでただの小山だった場所が、そう名付けられた途端に『力』を持ち始める。
言霊の『力』によってな」
 それは容易には信じられないことではあったが、
龍麻達は何しろたった今その力を目の当りにしたばかりだ。
道心の語る東京の霊的な護りについての話に、五人はおとなしく耳を傾ける。
「それだけじゃねェ。弁才天の祀られた平凡な池は琵琶湖を、桜の植えられた小山は吉野山を、
そして輪王寺りんのうじって小寺は京都御所を。
こうしてその地は、まるまる京都最強の方陣の再現となった。
その場所こそが、上野寛永寺よ」
 それは全てにおいて徹底しており、寛永寺という名前も、
延暦年間に建てられた延暦寺と同じに、建立時の年号から付けられている。
そしてその地は天海の思惑どおり江戸の地への鬼の侵入を防いだ。
歴史に残る江戸の繁栄が、その何よりの証拠だろう。
「寛永寺が、東京の鬼門……」
 自分達が住んでいた街にある神社仏閣にそのような意味が込められていたとは知らず、
葵が驚嘆の吐息を漏らした。
その隣で、小蒔が同じく大げさに頷く。
「凄いね……鬼門ってそんなに厳重に封じないといけないの?」
「そうさ……と言いてェ所だが、実はこの話には恐るべき裏がある」
 小蒔の呟きに、道心が見せた反応は、意外なほどのものだった。
眼光に力強い輝きが満ち、彼に反感を持っていた龍麻でさえ姿勢を正して話に聞き入った。
「裏?」
「そうよ、龍山の爺がおめェらをおれの所に寄越よこした理由、おれが語る最後の真実だ。
恐らくこれに気づいているのはおれと龍山の爺、それから御門の若棟梁くれェだろうな」
 突然出てきた知り合いの名に、全員が驚いて道心を見た。
「御門の……って、御門クンのこと!? おじいちゃん御門クンを知ってるの!?」
「会ったことはねェけどな」
 詳しくは語らなかったが、道心は陰陽道にも造詣があるらしく、その方面の人脈も持っているらしい。
ただの呑んだくれの世捨て人ではない、とまた認めざるをえない龍麻だったが、
どうにも尊敬する気にはなれなかった。
 そんなことよりも、道心の語る最後の真実とやらの方が今は遥かに重要だ。
龍麻は口を引き結んで、彼の話に聞き入った。
「おれはさっき、上野は江戸の鬼門だと言った。
だが、江戸城本丸から正確に北東を測ると、おそらくそこは寛永寺じゃねェんだ」
「どういうことですか」
「江戸の鬼門を影で護り、封じてきたのは浅草にある浅草寺。
では、江戸の鬼門でもねェのに厳重な封を施された寛永寺は一体、何を封じるためのものだったのか。
……それは、この江戸にあり、日本で最大の『力』を持った『龍穴りゅうけつ』、
真にこの島国の黄龍のおわす穴よ」
「黄龍のおわす……穴……?」
 道心の声に威厳が篭る。
この、天下に怖れるものとてなさそうな老人が、黄龍と言った時は確かにかしこまっていた。
そして眠たげな眼を龍麻に向けた後も、道心の態度に変化はない。
「この小さな島国を司る、大いなる主龍の流れの末に開く穴。
それこそが黄龍の穴と呼ばれる、その地で最大の龍穴よ。
この穴から吹き出す大地を統べる大いなる『力』は、いつの時代にもたった一人だけのためにある。
卓越した『力』持つ者と、菩薩眼の天女の間に生を受けしそいつのことを、
『黄龍の器』……そう呼ぶのさ」



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