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 道心を嫌っていたことも忘れ、龍麻は告げられた己の宿命を呆然と繰り返した。
「俺が……黄龍の……器……」
「ああ。おめェはこの世に生まれたその瞬間から、黄龍の器としての宿命を持っていたのさ。
その宿命はおれら凡人には到底計り知ることなど出来ねェ……
それでも龍山の爺はおめェを宿星から遠ざけようとしたが、おめェは戻ってきた。
それが他人の導きだろうがなんだろうが、この黄龍の穴のある東京にな」
 仲間達の視線が自分に注がれるのも気づかず、龍麻は己が掌をじっと見ていた。
道心の告げた黄龍の器、という言葉を聞いた途端、氣が、そら恐ろしいほど膨れた。
ゆっくりと息を吸い、吐きだすだけでたぎるほどの氣が身体に満ちる。
チャクラを巡り、細胞のひとつひとつにまで浸透した氣に、こころが呼応していた。
 そして変化が生じたのは、龍麻だけではなかった。
「龍麻くんが……黄龍の器……」
「葵……?」
「身体が……熱い……」
 葵は両肩を抑え、静かに震える。
内から昂ぶる想いが、狂おしいほど龍麻を求めていた。
全てを──芯からの全てを彼に捧げ、彼の全てを受け入れ、彼を護り、彼に護られよと。
「菩薩眼が『器』に共鳴しているのさ。
人の歴史と同じくらい深い、黄龍の器と菩薩眼との間にある太古の記憶にな」
 道心の説明を聞いて、葵はようやく春からの疑問に答えを得た思いがしていた。
初めて彼が隣の席に座った時から、不思議な懐かしさを感じていた。
会ったことなどないはずなのに、ずっと以前まえから知っている。
その不思議な想いを、葵は封じこめてきた。
男性を好きになる、というのとはあまりにも異質に思えたし、
誰に話しても理解してもらえるとも思えない。
だから葵は親友である小蒔にさえそれについては相談せず、努めて忘れようとした。
 しかし春に目醒めた不思議な『力』を得てから、龍麻に護られ、あるいは支えるうちに、
増していく彼への好意と共にその想いは動かしがたいものとなっていった。
それが決定的になったのは、敵である鬼道衆の、棟梁である九角天童と闘った時だった。
龍麻がこれ以上傷つくのをみたくないという一心で、愚かにも九角の許に自ら赴いた葵は、
彼の傍がどれほど暖かな場所で、彼がどれほどひかりに満ちた存在なのかを確認させられたのだ。
菩薩眼という、葵にとっては忌むべきものですらあった宿命。
かつて多くの人間が菩薩眼の女を求め、殺し合い、死んでいった。
菩薩眼を受け継ぐ者として過去の記憶を視た葵は、
龍麻をも呪われた運命に巻きこんでしまうのではないかと、一度は彼を拒絶した。
 しかし龍麻は、そんな自分を叱り、赦してくれた。
共に往こうと言ってくれた。
その一言は葵の中に巣食っていたかげを祓い、進む先を照らしてくれるひかりとなった。
 それらは全て──そう、全て幻想でも偽りでもなく、
二人が到底知らぬいにしえの想いだったのだ。
「人には重過ぎる『力』を、この人も持っている。
私の中の『力』が、全てを賭してもあなたを護りたいと叫ぶのは、
あなたの背に新たな時代が背負われているからなのね」
 涙が頬を伝うに任せ、宿命にふるえる葵に、龍麻も含め全員が圧倒されていた。
人と人とが出会う、宿命──
宿命などというものを最も信じていなかった京一でさえ、
龍麻と葵が出会い、惹かれあったことに関してはえにしというものがあると認めざるを得なかった。
むろんそれは好意的なもので、
この期に及んで葵を抱き締めようとしない龍麻にいささか呆れながらも、
送る眼差しには暖かな光が躍っていた。
「あァ。龍麻、おめェこそが時代に選ばれし者。
龍脈の『力』を得、時代の覇者となって新しい時代をひらく存在。
その……はず・・だった」
「はずだった? なんだそりゃ」
 道心の言葉に不吉なものを感じ取り、京一が訊ねると、道心は険しい表情を龍麻に向けた。
「黄龍の器はひとつの時代に一人。だがどういう訳か、この時代に限って器は二人居る。
おそらく『凶星の者』が外法を用いて人工的に器を創り出したんだろう」
「……!!」
たとえるならおめェは『ひかりの器』だ。
そしてもう一人、『かげの器』の方は最早、黄龍を受け入れるために必要な
覚醒の最終段階に入っている」
 仲間達が見ているのに気づいた龍麻は、力なく首を振った。
覚醒、とやらがどのような手続きを経て行われるものかは知らないが、
少なくとも龍麻にそれらしきものが起こったという自覚はない。
できれば起こって欲しくはない、とさえ思うものの、そういうわけにもいかないようだった。
「十七年前、中国は客家にある黄龍の穴の活性化をいち早く察知した奴は、
『黄龍の器』たる者を捜し出し、己の傀儡として大陸の龍脈の『力』を得ようとしていた。
だが奴の施した覚醒の法が未完成であったことと、弦麻の犠牲によって全ては歴史の闇に葬られた」
 道心の声に張りが増す。
世を捨てたはずの老人は、若者達に威厳さえもって未来を語った。
「天海が上野の地を忌地と偽ってまで厳重に封じたのも、
人間如きでは決して制することのできない強大な『力』と、
いつか現れる『力の器』によって徳川の治世が乱されることを恐れてのことだったんだろうよ。
だが、『器』は現れた。こうなった以上、龍穴は『器』を拒みはしねェだろうな」
 黄龍──圧倒的な『力』がひとたび目醒めてしまえば、それは四百年前に天海が恐れたように、
東京を、ひいては世界を混乱の極みに陥れることだろう。
「あの男……あの、修羅のをした男が望むものを知り得ることができたのは弦麻の奴だけだった。
だがそれがなんであるにせよ、止めなきゃならねェ。
たったひとりが支配する世界に真の平穏などあるはずはねェからな」
 ましてや柳生という男が目指すものは、力有る者だけが生きることを許される修羅の世界だ。
そんな野望は、絶対に阻止しなければならなかった。
「おめェにだってあるはずだろう? 命に代えても護りてェもんがよ」
 言われるまでもないことだった。
時代の覇者になどなる気はない。
大切なものを、大切な女性ひとを護る──
それだけが、龍麻の望みだった。
「本当の敵は、上野寛永寺にある──そう考えて間違いないんですね」
「そういうこった」
 この日初めて龍麻は道心に、真っ向から口を聞いた。
道心も小馬鹿にした態度は取らず、小さな眼から驚くほど強い眼光を投げつける。
「いいか、お前ェは宿星てん龍脈に選ばれたんだ……それを忘れんじゃねェぞ」
 もう龍麻は道心を、そして宿命を拒まなかった。
彼に言いたいことはあるが、過去に向かってそれを言うよりも、
未来に対して為すべきことを仲間達と話す方が、よほど意義があるはずだった。
 道心に頭を下げた龍麻に、友人達もならい、辞去しようとする。
ちょうど龍麻が踵を返した時、地面が不意に揺れた。
「なんだ、地震か?」
 揺れは小規模で、すぐに止んだ。
しかしそれが意味する真の理由は、道心だけが知っていた。
「方陣が破られたか……おめェら、客が来たみてェだぞ」
 道心の方陣は自分を他者から、あるいは世から自分を隔絶するためのもので、
道心が認めた者でなければ通り抜けることはできない。
その上で道心に会おうとするならば、方陣を上回る術を以って、これを破らなければならなかった。
そして今龍麻達が感じた振動は、まさに方陣が破られた際の振動だった。
「おれの方陣を容易たやすく破りやがった。
どいつかは知らねェが、ちったァ骨のある野郎みてェだな」
 頷いた龍麻達は、濃い陰氣のする方に対して構える。
待つほどの間もなく、醍醐をも上回る巨大な異形が数体、地面を揺るがせながら近づいてきた。
「何アレ……鬼?」
 異形はかつて龍麻達も目にしたことのある化け物、
その名を組織名に頂く鬼道衆が使役した鬼だった。
 相手がなんであれ、襲いかかってくる以上龍麻達は闘わなければならない。
敵は龍脈の『力』を手に入れ、世界を恐怖に陥れようとする者達なのだ。
和平を求めることも、逃げることも龍麻達には許されていなかった。
「おじいちゃんは下がっててッ!」
「けッ、このおれを捕まえて下がってて……か。まァ、これからはおめェらの時代だ、好きにやんな」
 威勢の良い小蒔に、どこか寂しげに苦笑した道心は、酒を呷りかけて止めた。
「そうだ、居候を貸してやる。こいつはただ飯食らいだからな、き使っていいぞ。
おい、弦月! 寝たふりしてねェで出てこいや」
 草むらに向かって呼びかけた道心に応じて出てきたのは、
やはりと言うべきか、数十分前に会ったばかりの劉弦月だった。
細い目を、その名の通り弦月にたわめ、ばつが悪そうに照れ笑いをしている。
「さっきはすまんかったなァ。じいちゃんに手出しすんなって言われたもんやから、
手伝うたのバレるとやっかいなことになるさかいにな」
「けッ、おれの方陣の中でバレねェ訳がねェだろうが」
「なんや、気づいとったんかいな、覗き見なんて趣味悪いで」
 道心が居候、と言ったように、劉と道心はそこそこ長い付合いがあるようだった。
道心の毒舌にも慣れているらしく、横着な孫と意地の悪い祖父のような雰囲気がある。
背にした青竜刀を抜き放った劉は、道心に対して犬を追い払うように手を振った。
「来よったで、ほれ、じいちゃんは下がって酒でも呑んどき」
 劉は、こうしてちゃっかり自分についての説明を省くことに成功してしまった。
それに気づいた龍麻は問い質そうとしたが、もう鬼は眼前に迫っている。
ひとまず彼の追及はおいて、龍麻は氣を練り始めた。
 先に道心に言われたことを思いだし、蓄えた氣をチャクラに巡らせる。
基底ムーラダーラから、天頂サハスラーラへ。
一種の快感めいた感覚と共に、氣が膨れる。
身体の隅々へと満ちていこうとするそれを押し留め、もう一度基底へ。
たったそれだけのことで、総毛立つほどの氣が身に充填された。
 己を意識する──氣を操るにおいて基本とも言える事項。
氣を操るというだけでもほとんどの常人には不可能なのだが、
龍麻の場合はその意味合いが異なっていた。
すなわち、黄龍の器──常人において氣の制限ともなる身体能力が、龍麻には枷とならない。
大地に、万物に宿る膨大な氣を、龍麻は自由に引き出し、用いることが出来るのだ。
それこそが黄龍の器の、真の『力』だった。
 今こうして、氣が集まっていない状態ですら龍麻はそれまでの数倍にもなる氣を己のものとしている。
これで龍穴という、氣を凝集させる場所が解放されてしまえば、
道心の言った、世界を手にするということも不可能ではないかもしれない。
そんな野心は龍麻には毛頭ないが、それほどの感覚だった。
 一瞬、意識を失いそうになり、慌てて気を引き締める。
あまりに多くの氣を一度に操ろうとするには、まだ鍛錬が不充分ということなのだろう。
 それを心に留めた龍麻は、あっという間に練りあがった氣に命じて地面を蹴った。
重さをまるで感じさせず持ち上がった己の身体を、目標の一歩手前で降ろし、次の一歩で地面を踏む。
踏みつけることで蓄えた力を両腕に乗せ、素早い動きに対応できていない鬼の腹に撃ちこんだ。
腕を伸ばし切る寸前に腹に触れた掌を、ねじりながら最後の一伸ばしを加え、一気に氣を放つ。
鬼の背中から、金色の光が突き抜けた。
巨大な鬼の身体を破壊してなお余りある氣が、槍の如く迸ったのだ。
 一撃で斃された鬼の巨体が、ぐらりとよろめく。
龍麻が素早く跳び退ると、重い地響きの音を立てて鬼は地面に倒れた。
早くも塵と化していく鬼の最期を見届けず、龍麻は仲間を助けるために移動した。
 人外の存在である鬼といえど、春から数多くの闘いを経験してきた龍麻達には既に敵ではない。
特に今回はけいの達人である劉に加え、道心によって己の素質を開花させた龍麻のおかげで、
ほとんど危険らしい危険もなく全ての鬼をたおし終えた。
「なんか……凄いね、ひーちゃん」
 小蒔が評し、仲間が感じたことを、龍麻自身も思っていた。
何しろ呼吸によって集まる氣の量が格段に増えており、
しかもそれを練ることで昨日までの何倍もの氣を拳に乗せることが出来るのだ。
おまけに氣を放出するそばから体内には新たな氣が生成され、動きが軽い。
初見の印象からどうにも道心に好意は抱けない龍麻だったが、
感謝はしなければならないようだった。
 そう思って龍麻が道心を見ると、
この一癖も二癖もある老人は全てを見とおしたような笑みを白髭にたくわえて殊更に酒を呷った。
「……」
 頭を下げかけていた龍麻は、彼を放って京一のところへと行った。
 木刀を収めた京一は、ちらりとだけ龍麻を見て呟く。
「一体何がどうなってんだ、今更鬼なんてタチが悪すぎるぜ」
「まだ、鬼道衆がいるのか……?」
 かつて東京を混乱と破壊に導こうとした鬼道衆。
彼らは外法と呼ばれる呪法を用い、人を鬼に変えて龍麻達を襲った。
普通の人間が鬼に変生へんじょうしていくさまは、吐き気がするほどおぞましいものだった。
外法を操る鬼道衆の棟梁、九角天童の死により、
鬼道衆も壊滅したはずであったが、残党がいるのだろうか。
 しかし、醍醐の問いは関西弁によって明確に否定された。
「いや、それはないで」
「劉」
「あんたらが斃したあの鬼道衆ってぇ奴らは、鬼道っちゅう呪法をつこうて人間を鬼に変えよった。
人間には陽の象徴であるこんと、陰の象徴であるばくのふたつが
均等のバランスを保って肉体の中に宿ってるんや。
鬼道っちゅうんはこの魄の部分を肥大化させ、魂の部分──つまり、人間の人間らしい部分を追い出して、
代わりに怨念の塊の如き悪霊をこの部分に植えつけるっちゅう呪法や。
怨念の塊と化したそれは、最早人間の姿を留めてはおれんのや」
「それが俺達が今まで闘ってきた鬼の正体ってことか」
「そうや。せやけどアンタら、五色不動を封印しよったやろ?
五色の鬼の護りによって、鬼道の材料となる怨霊共は、もうこの地には入ってこれんはずなんや」
 劉の説明には龍麻達を頷かせるだけの説得力が備わっていた。
 九角の手下であった水角、炎角、岩角、雷角、風角。
彼らをたおしたことで入手した五色の摩尼まにを、龍麻達は元あった不動尊へと戻している。
全てを元あった場所に安置することで再び結界が効力を持ち、
鬼や邪の侵入を防ぐという説明は龍山に聞いたものと一致しており、
劉がなみなみならぬ知識を有しているのは間違いなさそうだった。
 しかし、中国人である彼がどうして、そして何の為にそんな知識を学ぶ必要があるのか。
「随分詳しいじゃねェか」
 京一が皮肉ってみせると、劉はいつもツッコまれた時のようなおどけはせず、
地面に視線を落として答えた。
「黙っとったことはすまんと思うとる。せやけど今のわいは、私怨じぶんのためで闘うとるだけや」
 それを言うならば、龍麻も似たようなものだった。
東京を護る、というのは大義名分ではあるが、
その根底にあるのは彼をたすけて死んでいった比良坂紗夜の仇を討ちたいという思いで、
彼女がそんなものを望んでいないとしても、彼女を利用し、
死に追いやった鬼道衆は全て斃し尽くさなければ、龍麻は自分を許せなかったのだ。
 それが変わったのは、秋に織部神社で雪乃と雛乃に話を聞いてからだ。
その少し前に異次元の邪神を召喚して東京を混乱に陥れようとしていた鬼道衆の一人、風角と、
故郷を滅ぼされた憎しみで邪神を追って日本に来たアラン蔵人。
彼らは共に強いかげの氣を放っており、同じ復讐の念に囚われていた龍麻を慄然とさせた。
 そして雛乃が諭した、どちらか一方に片寄ってしまう危険。
陰陽……魂魄はどちらが欠けてもならず、均衡こそが大切なのだと彼女は語っていた。
怒りは、抑制しなければならない。
喜びに、浮かれ過ぎてもいけない。
己を律し、均衡を保つべく、人は努力しなければならない。
 龍麻は、劉を責めるつもりなどなかった。
均衡が崩れそうになったならば、正せばよいのだ。
龍麻が頭を振ると、京一達も同意してくれる。
 劉はいたく感激したようで、龍麻の手を取って何度も頷いた。
「弦麻はんの息子がこないにええ奴で、わい、むっちゃ嬉しいわ」
「俺の……親父のことを知ってるのか」
 訊ねる龍麻の、劉は両肩に手を置いた。
力強く置かれた掌に、龍麻は万感の想いを感じ取る。
「なァ、龍麻。わいとあんたは、ずっと昔に、一度うてるんやで」



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