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最初の勢いはどこへやら、抱き締める腕の力は弱く、絡まる舌はとても優しかった。
しかしキスが終わっても龍麻は離れようとせず、小蒔も逆らわない。
息をするように自然に、龍麻の唇をついばみながら、茶目っ気たっぷりに囁く。
「問題。今日のパンツの色は何色でしょう。当てたら脱ぎたてあ」
「黄色」
「は?」
問題を言い終えるより前に、光の速さで返ってきた答えに、さすがの小蒔も戸惑ってしまった。
「黄色」
最低限の答えをしつつ、龍麻は早速賞品を手にしようとスカートの内側に手を潜りこませる。
それをはたいた時にした、ぺしっという音が小蒔を閃かせた。
「……あッ、さてはさっき見たなッ!」
「お前が無防備すぎんだよ。とにかく正解は正解だからパンツよこせ」
さっさとパンツに手をかける龍麻に、驚いた猫の敏捷さで飛びのいた小蒔は、
そのまま四つんばいで毛を逆立てた。
闘いの予感に、起きた龍麻も静かに身構える。
姿勢のやたら低い相撲のように向かい合った二人は、睨み合って浅く一呼吸入れる。
相手の髪の毛一本の動きすら見逃すまいと対峙していた二人だったが、仕掛けたのは小蒔の方だった。
「誰がやるかッ!」
跳びかかり、迎え撃とうとする龍麻をそのまま押し倒して馬乗りになった小蒔は、
龍麻の頬、眼の下辺りを親指で押し引っ張った。
見た目にはなんでもないが地味に痛いこの攻撃をしばらく続け、更に眼球を指腹で押す。
「いててててててて」
情けない悲鳴が、決着の合図だった。
秒殺された挑戦者は無様にマットに散り、王者からパンツを奪うことは叶わなかったのだ。
さすがに長い時間は小蒔もやってこなかったが、
龍麻はしばらくの間瞼に感じる嫌な痛みを我慢しなければならなかった。
眼球を掌底でマッサージしながら怨み言を言う。
「失明したらどうすんだよ」
「その時はさ、ボクが杖になってあげる。手を握ってさ、『こっちだよ』って。
おじーちゃんとおばーちゃんになってもさ、手繋ぐのってステキじゃない?」
「本当に一生面倒みてくれんのか?」
「うーん……どうしよっかな」
龍麻が涙したのは、いかにも適当な返事だったからではなく目にダメージを受けたから、のはずだった。
もう痛みはそれほどなかったが、今目を開けると誤解されそうなので手は被せたままにする。
すると小蒔が近寄ってくる気配を感じた。
「まだ痛い?」
顔は見えないけれど、気遣う様子は伝わってくる。
こうなると男としては、いつまでも痛いなどと、ましてやふりなどしているわけにはいかなかった。
「いや……もう平気」
ここで龍麻は、嘘でないと証明する為に手をどけてしまった。
掌でせき止めていた水滴が頬を伝って自分の失敗に気付いたが、既に手遅れで、
小蒔は瞳を大きく見開いて固まってしまった。
「そんな……痛かった? ゴメンね」
親指が目の端に触れる。
さっきのとは違い、指先はいたわるように優しく動いた。
また騙そうとしてやがる──
狼少年に騙され続けた村人のように警戒を強める龍麻だったが、
指先はなんやかやで昂ぶっていた情感をむやみに刺激してきて、結局龍麻はまた騙される道を選んだ。
「大丈夫だからそんな心配すんなって。それに見えなくなったら杖になってくれんだろ?」
「やっぱりさっきのなし。だって、ひーちゃんにはボクのこと見てて欲しいもん」
ヤバい──
龍麻は危険を感じたが、目許には小蒔の指があってどうしようもない。
この近距離で鼻をすすってこらえることもできず、遂に新たな涙があふれだしてしまった。
「ひー……ちゃん……?」
指を濡らす熱い水滴に、小蒔の瞳が一杯に見開かれる。
それを見た途端、もう龍麻は歯止めが効かなくなってしまった。
小蒔の目の前なのも構わず、号泣を始める。
大の男が格好悪く泣いているのにも、小蒔は笑わず、優しく抱き締めてくれた。
背中を撫でてくれる手は、とても温かかった。

ひとしきり泣いた龍麻が顔を拭こうとすると、小蒔がティッシュを取ってくれた。
「はい、ちーん」
たぶん弟に良くしてやっているのだろうが、あまりにも自然にティッシュを鼻に当てられたので、
龍麻はついいわれた通りに鼻をかんでしまった。
有無を言わさずもう一度鼻をかまされると、だいぶ楽になった。
まだ視界のぼやけている目に、小蒔が映る。
快活な表情を、今は曇らせている彼女を見ていると、龍麻は湧き起こる感情があった。
泣いたせいで剥き出しにされてしまったのだろうか、
その想いは抑えがたく膨らみ、口を開かせようとする。
すぐに圧力に負け、想いを口にしようとした寸前、小蒔が顔を離した。
「落ちついた?」
「ああ……悪い」
「謝るコトなんてないよ。ボクね、ちょっと嬉しかった」
「嬉しい? なんで」
「なんでかな、説明できないけど……でも、ボクも泣きそうになっちゃった」
言いながら、小蒔は目許を拭う。
確かにその指先は、かすかに濡れていた。
その、たとえようもなく綺麗な輝きに、再び口が開く。
想いは一度遮られても消えはせず、ずっと解き放たれる瞬間を待っていたのだ。
「見ててやるよ」
「え?」
「見ててやるよ。ずっと」
どうして龍麻が泣き出したのか、どうして自分も涙ぐんだのか、小蒔には判らない。
ただ、龍麻が自分のために泣いたのは確かだったし、それを嬉しい、と思ったのも本当だった。
だから、このことはもう聞かない──小蒔はそう決めていた。
それくらい大切なことだと、心のどこかではわかっていた。
それがかえって、急に告げられた想いに素直に答えさせるのをためらわせ、
小蒔に、何分か前に訊かれたことを冗談めかして訊ね返させてしまった。
「一生?」
「一生」
笑いながら訊いたつもりだったのに、答えは真剣で、そして早かった。
さっきパンツの色訊いた時より早いじゃない、それじゃ冗談じゃなくなっちゃうよ──
ふちが赤くなっている龍麻の目は、黒く、深い。
その黒が急に滲み、自分の目の熱さに耐えられなくなって、小蒔は龍麻の胸に顔を埋めた。

「ほら、鼻かめよ」
龍麻がティッシュをあてがってやると、小蒔は思いっきり鼻をかんだ。
女の子としては少し下品かもしれないくらいで、龍麻は無言で眉をしかめる。
しかし、二回目は自分でかんだ小蒔が顔を上げると、思わず息を呑んでしまった。
泣き濡れた小蒔の顔は、目は赤く、頬には涙の跡も残ってまだら模様になっている酷いものだったが、
それを圧するほどの、春に息吹いた新たな芽のような生気に満ちあふれていたからだ。
頼まれなくても、ずっと見ててやる──
そう決めた時、龍麻は自然とくちづけていた。
「ん……」
薄く開いた小蒔の唇は湿っていて、そのキスは、今までで一番甘い味がした。
龍麻はそう感じ、今日のことを記憶に留めておこう、と強く思ったのだが、
小蒔はどうも違う感想のようで、顔を離すといきなり吹き出した。
「なんかしょっぱいね。鼻水の味だったりして」
「お前な……そういうこと言うか普通」
「あ、なに、甘いとか思ってたの?」
「……」
「ロマンチストだね、ひーちゃんって」
揶揄されて口を尖らせると、その先端にキスされる。
「でもね、そういうトコ好きだよ、ボク」
こういう時、龍麻はどんな表情をして良いかわからなくなる。
あまりに感情を掻きまわされて、ついていけないのだ。
しかも小蒔はそんな龍麻を見るのを明らかに楽しんでいるようで、
今度は恥ずかしげもなく股間に手を伸ばしてくる。
程よい強さで刺激されては、悲しい性というべきか、反応を始めてしまうのはどうしようもなかった。
「あ、おっきくなってきた」
いかにも楽しそうに言う小蒔に、遂に龍麻はたまりかねてしまった。
「お前な、どっちかにしろよ」
「なんでさ、両方ともボクなんだからいいじゃない」
しかしそう切り返されて反論できず、言葉を詰まらせてしまう。
小蒔は時に龍麻の裡にある、感受性を刺激する鐘を音高く鳴らすような言葉を無造作に放るのだ。
そうすると龍麻はたちまち何を言って良いかわからなくなり、
ただ不器用に目の前の少女を見つめることしかできなくなってしまうのだった。
「ね……いいよ」
悔しげに唇を噛む龍麻を、笑い、笑いながらキスをした小蒔は、
今日初めて、押し倒すのではなく押し倒された。



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