<<話選択へ
<<胎 動 2へ 胎 動 4へ>>


 それほど長い時間抜けていたわけではないのだが、
こっそり仲間の所に戻った龍麻は目ざとく小蒔に気付かれてしまった。
「どこ行ってたの」
「いや、ちょっと」
 闇商人と裏取引を済ませて来たとも言えず、適当にごまかす。
いつもなら怪しまれるその態度も、今日は立ち並ぶ屋台が小蒔の関心を惹きつけてくれていた。
「うわ、あのくじ引き、ボクの子供の頃から変わんないよ。懐かしいな」
 小蒔が言っているのは、網で囲まれた大きな箱の中に様々な景品が入っており、
その一つ一つに結び付けられた紐を引く遊戯のことだ。
紐は箱の上で一度一箇所に束ねられ、そこから一本を選ぶので何が当たるのかは判らない。
小蒔の言う通り古典的な縁日の屋台のひとつだった。
「ね、ひーちゃんやってみてよ」
「俺?」
 ぶら下がっている景品に、めぼしい物は見られない。
今更こういう景品欲しさにはしゃぐ歳でもないだろうが、
仲間達といると妙に心が浮き立つのもあり、龍麻はやってみることにした。
「頑張ってね、龍麻くん」
 葵の声援が耳に快い。
「こりゃ完全な運試しだからな、頑張って、はちょっとナンセンスだぜ、美里」
「あ、そ、そうね」
 彼女──そう言って良いのかは判らない、多分まだ駄目だろう──に余計なことを言うな京一め、
と心の中で憤慨した龍麻は、葵のためにも良い景品を引き当てなければ、と力こぶを作った。
 想いが運に変えられるのならば、龍麻は間違い無く最高のものを──
と言っても本物かどうかも判らない指輪だが──引くことが出来ただろう。
だが龍麻が引いた紐の先にぶら下がっていたのは、
どう見ても一回五百円のくじ引き代よりは安い、多分今放送しているテレビのロボットのおもちゃだった。
こんなものを持って帰ってもゴミになるだけなので、弟にあげてよ、と小蒔に押しつける。
ま、こんなものだろ、と澄ました顔をして仲間達を促して歩かせる龍麻に、
京一がこっそり耳打ちしてきた。
「おおかたあの指輪でも引いて美里にやろうとしてたんだろうけどよ、残念だったな」
 勝ち誇った京一の態度に、がっくりとうなだれる龍麻だった。

 むせかえるほどの人いきれ、雑多な音の洪水の中で、龍麻は不意にそれを感じた。
手の甲に触れる、誰かの手の甲。
それが葵のものであると、龍麻はためらいなく確信できた。
何故かはわからない。
彼女が意図的に触れさせてきたのかどうかもわからない。
だから龍麻は、それを確かめようとその手を握った。
一瞬強張った手は、しかし、穏やかな意思を込めて握りかえしてくる。
その柔らかさに、その温もりに、心臓が踊り出す。
もどかしげに指を搦めようとすると、葵の手が広がり、静かに受けとめてくれた。
一分の隙もなく合わさった手を、見たいという欲求を封じこめて龍麻は歩き出す。
少し遅れてついてくる葵が、とても心地良かった。
 前方に醍醐の頭と京一の木刀が見える。
それは何かの店の前で止まっており、そこに向かって龍麻は人波を掻き分けた。
いくらかの期待を込めていた右手は、彼らの許に着く直前に離れてしまう。
当然と残念、そのどちらもを顔には出さず、龍麻は京一達がじっと見ているものを見た。
「なんだ、りんご飴じゃないか」
 彼らが見ていたのは、焼きそばと並んで祭りの風物詩とも言える真っ赤な飴だった。
多分小蒔が止まったから京一と醍醐も止まったのだろう。
りんご飴は嫌いでなくとも、男が嬉しそうに食べるものではないという固定観念がある龍麻は、
いささか拍子抜けしてしまった。
「綺麗……」
 しかし傍らでいたく感動したように呟いている葵を見れば、その態度も一変する。
いつもと違う横顔の彼女の微笑みに、鼓動が拍子を早める。
その身体に触れてみたいという欲求を昇華させようと、
彼女の大げさな反応に思い当たるものがあった龍麻は訊ねてみた。
「美里さんもしかして、りんご飴って初めて?」
「え、ええ……あんまり屋台とかは見なかったから」
 その述懐は小蒔に感銘を与えたようで、葵の親友を自負する彼女はしみじみと頷いたものだった。
「……なんか、育ちが違うんだなーって改めて思ったよ」
 小蒔の声は、龍麻の聴覚を通さず体内を通過していった。
彼の中では、全身全霊を挙げての会議が始まっていたのだ。
しかし目の前に並んでいる商品よりも顔を赤くしている葵に、遂に龍麻は決心した。
震える声を抑え、さりげなさを装って店主に頼む。
「二つください」
 受け取った真紅の玉を、薔薇の花を贈るがごとく差し出した。
「はい」
 仲間達の前で葵に贈り物をする──それがどんなに些細なものであっても、
龍麻にとっては全身の勇気を総動員しなければ出来ないことだった。
友人達の反応を思えばひとりでに赤くなっていく頬を気にする余裕もなく
りんご飴を不必要に力強く掴んでいると、手の先がふっと軽くなる。
「……ありがとう」
 きっと微笑んでいるに違いない葵の顔を、龍麻は見たくてたまらなかったが、
どうしても顔を上げることは出来なかった。
 不器用過ぎる龍麻の反応に対する当事者以外の反応は様々だった。
口の端を軽く曲げ、担いだ木刀で肩を軽く叩きながらも何も言わない京一、
困ったような、感動したようなどちらつかずの表情で顎に手を添えている醍醐。
そして小蒔は唯一身動きした。
「おじさん、ボクも二つ」
 龍麻と同じく二つのりんご飴を頼んだ小蒔は、龍麻よりもずっと軽やかな動作で右手を伸ばす。
「ハイ、醍醐クン。さっきのお返し」
「お、俺にか!? う……うむ、すまんな、桜井」
 動転しきった醍醐は声を乱高下させ、
ごつい手を震わせながらもかろうじて落とさずに紅玉を受け取る。
サイズから言えば一口で食べきってしまいそうな飴を、子供のように恐る恐る口に含む
醍醐の隣で顔をそむける京一の肩は、激しく上下に揺れていた。
「甘酸っぱくて、凄く美味しいわ」
 少し脇にそれ、邪魔にならないところでりんご飴を食べる。
いかにも美味しそうに食べる葵を、
龍麻は放っておくとすぐに緩んでしまう頬を隠すために飴を頬張りながら見ていた。
小さな棒を両手で握って、ほんの少しだけ顔を俯かせている姿は、
杏子ならずともシャッターを切りたくなってしまう風流なもので、
カメラを持っていない龍麻は杏子を呼び戻そうか、と本気で考えたほどだ。
 アップでまとめた髪は、普段は隠れてしまっているうなじを一夜の幻とばかりに現出させている。
うっすらと滲んだ汗のせいで、ほっそりとした項に貼りついたほつれ髪は、
見てはいけないものを見てしまっているような感覚を龍麻にもたらした。
「どうしたの?」
「え? いや、なんでもないよ」
 どうやらその感覚にはずいぶんと長い間浸ってしまっていたらしく、
葵が心配そうにこちらを見ている。
 りんご飴を含んでさえ緩みきっていた頬を引き締め、大げさに首を振る龍麻を、
京一と小蒔は穏やかな笑顔で見ていた。
 りんご飴を食べ終えた五人が再び奥に進もうとすると、甲高い子供の声が彼らを呼びとめた。
「アオイオ姉チャンッ!」
 まだ少し硬さの残る、けれど以前よりずっと滑らかになった発音で葵の名を呼んだのは、
数ヶ月前に彼女の義理の妹となったマリィ・クレアだった。
葵達を見つけて笑う顔は、子供らしい喜びに満ちたものだ。
ローゼンクロイツ学院にいた頃とは較べようもない、幸せそうな彼女に、龍麻達の顔も自然にほころんだ。
「あれ、マリィじゃない。マリィも来てたんだ……お父さん達と?」
 小蒔がお父さん、と言ったのは葵の父のことだ。
 ローゼンクロイツ学院の学院長、ジル・ローゼスに引き取られた孤児という形で日本に来ていたマリィは、
篤志家の仮面の裏で人体実験を繰り返していた、
第三帝国ドリッテライヒの復活を目論む狂気の医者であったジルが龍麻達によって倒されると
身寄りを失ってしまったのだが、その彼女を快く引き取り、養女として迎えたのが葵の父だったのだ。
はっきりとした身分証明もないマリィを養女として迎えるには相当の困難があったと思われるが、
今のマリィの顔を見る限り新しい両親を心から慕っているらしい。
それはマリィに関して同情の気持ちはあっても無力であった龍麻達にとって、
計り知れない喜びをもたらしたのだった。
 ここで龍麻が不意に緊張したのは、いささか先走りしすぎた思考のせいだ。
ついこの間葵に想いを告げたばかりだというのに、
もう彼女の父親に挨拶する羽目になるのでは、と思わず唾を呑み下す。
だがどうやら、幸いにも滑舌かつぜつを葵の父親の前で試される機会はまだ先のようだった。
「ウウン、学校のトモダチ」
 マリィは父親とではなく同級生と来ているという。
マリィの目線を受けた龍麻達が同じ方向に顔を向けると、
少し離れたところにいる数人の少女が弾かれたように頭を下げた。
義妹の頭を撫でてやりながら、葵が説明を付け加える。
「この間から中学校に通っているのよね、マリィ」
「ウン。学校、大好き」
「お小遣いはもらったの?」
「パパにもらった、でも、欲シイモノいっぱい」
 大人びた笑顔のマリィに、醍醐が感心したように呟いた。
「随分日本語が達者になってきたな」
 もともと聡い子なのだろう。
これから彼女は、好きなだけ勉強し、友達と遊ぶことが出来るのだ──自分の意思で。
暖かなものが胸郭を満たすのを感じた龍麻は、おどけて言った。
「京一も英語教えてもらったらどうだよ」
「大きなお世話だッ」
「じゃあ、マリィ行くねッ」
 龍麻達と一緒にひとしきり笑ったマリィは手を振り、友達の所に戻っていく。
その姿を、五人は混じり気なしの好意で見送っていた。

 社務所には雪乃の言った通り、花園神社の手伝いをしている雛乃がいた。
どうやら今はちょうど谷間の時間らしく、それほど人もいない。
お守りを並べなおしていた雛乃は、龍麻達に気付くと嬉しそうに頭を下げた。
「皆様」
「久しぶりだね、雛乃。元気だった?」
「はい。皆様もお変わりなくて何よりです」
 巫女装束を纏っている雛乃を見ると、雪乃が気にしたのも解る気がする龍麻だった。
雪乃が似合わないのではなく、雛乃が似合い過ぎるのだ。
そして振る舞いも、竹箒片手に走っていく雪乃とは異なり、両手を楚々と揃えて迎えてくれている。
残念だけどこの服を着てたら雪乃に勝ち目は無いな、と思ってしまう龍麻だった。
「今日はどのようなご用で」
「おみくじを引こうかと思って」
 頷いた雛乃はくじの入った筒を龍麻達に差し出す。
良く振ってくださいね、と快い響きで説明してくれる雛乃に、
龍麻が早速振ろうとすると、京一が口を挟んできた。
「雛乃ちゃん、俺には是非大吉を……」
「図々しいな、お前」
 凶でも引きやがれ、と言おうとした龍麻よりも前に、いたって真面目に雛乃が答える。
「皆様の運勢をわたくしが変えるなど、到底できませんわ」
 なんとなく神妙な気持ちになった龍麻が改めて振ろうとすると、
何故かすぐに数字の記された棒が出てきてしまった。
「零番」
「零……ですか。残念です、緋勇様」
 悲しげに首を振る雛乃に抱いた龍麻の予感は、残念ながらくつがえらなかった。
人を呪わば穴二つ。
「残念って……あッ! お前凶なんて引きやがったなッ!」
「うそ、ボク初めて見るよ」
「確かに……珍しいな、こういうのは縁起を担いであまりないものだと思っていたんだが」
「うわ、寄るな、伝染うつるだろ」
 仲間達に口々に言われ、京一にとどめをさされ、龍麻はほとんど泣きそうになる。
神に見捨てられ、友人にも見放された龍麻を救ったのは小蒔の一言だった。
「あれ、でも恋愛運はそんなひどいコト書いてないよ。『誠意を尽くせば報われん』だって」
「本当?」
 この時の龍麻の声は、押し入れに閉じ込められた後に許しを乞う一番下の弟を思い出させるものだった。
わた菓子でも買っていってあげよう、と殊勝なことを考えつつ、小蒔は自分のおみくじを引いた。
他の三人も引き、それぞれ見せ合う。
「ボクのは中吉。まぁまぁかな。葵はどうだった?」
「私は吉だったわ。これから上昇するか下降するかは努力次第、ですって」
「ありがちだな……お前はどうなんだよ、醍醐」
「俺も吉だった。中身も美里とほぼ一緒だな」
 友人達のを見終わった小蒔は、まだ一人だけ見せてもらっていないのに気づいた。
「んで京一はどうだったのさ」
「ま、まぁいいじゃねェか。所詮はおみくじ、運試しだろ」
 京一の態度に怪しいものを感じた龍麻が、閃光の如く手を伸ばしておみくじを奪い取った。
「ナイス、ひーちゃんッ!!」
 小蒔は歓声を上げたが、くじの一番上に書いてある文字を見た途端、龍麻の動きが止まる。
もう一度、わずかに手を震わせて己の視力を確かめた龍麻は、顔に恐怖すら滲ませて雛乃の方を見た。
「雛乃さん、これ……」
「はい、わたくしも見るのは初めてです」
 雛乃の顔も心なしか蒼ざめている。
二人のただならぬ雰囲気に、小蒔はそっと龍麻の手から紙片を取った。
「何……? うわ、大凶!!」
 くじの一番上には、まさしく禍々しくも力強い字でそう書かれてあった。
他の仲間達も、葵でさえもが関心を寄せて龍麻の周りに集う。
「緋勇の上を行くとはな……」
「ええ、わたしも初めて見るわ」
「どれどれ、多大な困難が降りかかる恐れあり。絶望の淵より一条の光見出し、
新たなる境地、拓くべし──」
 小蒔が読み上げたお告げの中身は、実はそれほど悲惨なものではなかったが、
何しろ大凶のインパクトが強く、絶望という言葉がやけに重く感じられた。
「けッ、冗談じゃねェ、やっとのんびりできそうだってのに
これ以上くだらねェことに巻きこまれてたまるかよ、なぁ龍麻」
 京一の台詞には重みがあった──大凶を引いてさえいなければ。
それにさっきの恨みとばかり、龍麻が馴れ馴れしく肩を叩こうとする京一からひらりと身を躱したので、
なんとも言えず気まずい雰囲気が神聖な空間に漂った。
「うッ……けッ、いいんだよ、俺は占いの類は信じねェんだよッ」
「ふふふ、蓬莱寺様は豪気なお方ですのね」
 雛乃はとりなすように微笑んだが、
彼女と京一を除く四人は乾いた笑いでそれに応じるしかなかったのだった。



<<話選択へ
<<胎 動 2へ 胎 動 4へ>>