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 外見からはスポーツマンとも勉強家とも見える優男である支我正宗は、
学業の成績は学年で常に上位をキープし、運動面では車椅子テニスを愛好して、
こちらも確かな成績を残している優秀な生徒で、
運動はそこそこ、勉強はなんとか大学志望ができるといったレベルの龍介とはかなりの差がある。
 質問攻めも嫌だが孤独もできれば避けたい龍介は、支我の方を向いて座りなおした。
「朝の話だけど、支我は幽霊を信じるのか?」
 龍介は出会って一時間ほどの同級生に、最も気になることを質問した。
どこの学校でも学年に一人くらいはこういう趣味を持つ人間がいるものだが、
この学校はそういった手合いが多いのか、それとも単にいきなりジョーカーを引いてしまったのか。
車椅子を使っている理由ももちろん気にはなるが、それ以上に先の質問のインパクトが強かった。
「ああ、信じているよ」
 支我の返事は明快だった。
あまりに明快すぎて判断する暇がないほどで、龍介は反応に窮した。
「それは、視たことがあるからか?」
「……東摩はこういう話が本格的に好きみたいだな」
 巧妙にはぐらかされている、と龍介は思った。
こういった話題が好きで、視た、あるいは幽霊のようなものを視たならば、
喜んで話題に乗ってくるはずだ。
逆に幽霊を信じていないのにそれらしきものが視えてしまうなら、話題そのものを避けるだろう。
だが、支我の態度はいずれとも違う。
支我がなぜはぐらかしたのか、龍介はさらに仕掛けようとした。
 その肩越しに、先んじる声があった。
「ちょっとあなた達、高校三年生にもなって幽霊の話なんかで盛りあがらないでちょうだい」
 支我と龍介が揃って振り向くと、そこには二人の同級生が立っていた。
「なんだ、深舟か」
 腰までの艶のある黒髪を持つ、歴然とした美少女の名前は深舟さゆりと言う。
クラスの委員長を務める彼女は、龍介が声を交わすのはこれで二度目だ。
「同じクラスだったのかよ」
「悪い? 言っておくけど先にこのクラスに居たのは私の方で、あなたが後から来たのよ」
 朝の記憶が甦ってあまり友好的には接せられない龍介だが、
さゆりの方も転校生に親切にしてやろうなどという気はさらさらないようだった。
「朝からぼーっとしたり幽霊の話をしたり、受験生っていう自覚が足りないんじゃない?」
「朝からぼーっとって、何かあったのか?」
 支我に聞かれたので龍介は朝の話をした。
自分が被害者であり、この女が絡んできたのは完全ないいがかりであることは
必要以上に強調しなかったが、支我は状況を察したようだ。
「それは、その子が急いでいたから前を良く見ていなかっただけじゃないのか?」
「それにしたって女の子とぶつかりそうになったら避けるべきよ」
 朝からのめちゃくちゃな論理を毛一本ほども曲げない深舟を、龍介は唖然として見た。
友人をかばおうとして引っ込みがつかなくなったとかならまだ可愛げもあるが、
さゆりは顔色を変えずに自説が正しいと信じこんでいる。
そもそも龍介と支我との話だって、大声で話したり周りに賛同を求めたりしたわけでもないのに、
深舟の方から割りこんできたのだ。
見た目に騙されて関わるとロクなことにならないかもしれない。
 というようなことを龍介が考えていると、態度からそれを察したのか、深舟がまた絡んできた。
「だいたい、この時期の転校生なんておかしいわよね」
 龍介が答えないでいると、さらにさゆりは食ってかかってきた。
「大方前の学校で何かやらかしたんでしょ。ぼーっとして女の子に怪我させたとか」
「それは言い過ぎだろう、深舟」
 支我にたしなめられて、桃色の唇を不本意そうに尖らせたさゆりは、それでも一応は引き下がった。
「まあいいわ、あなたが何者だろうと私には関係ないものね」
 俺は朝の一件以外に、彼女に嫌われるような言動をしただろうか?
龍介が深刻に考えてしまうくらい、深舟さゆりの放つ言葉は棘付き鉄球の形をしていた。
転校初日で、それも女子に喧嘩を売るのは百害あって一利なしどころか
万の敵が待ち構えている陣に一人で突撃するようなものだ。
そう理解していても、深舟さゆりの言動は驚くほど挑発的で、龍介は知らず口をへの字に曲げていた。
 いかにも機嫌の悪そうな龍介をちらりと見上げた支我が、そ知らぬ顔で言う。
「そうだ深舟、放課後に東摩に学校を案内してやってくれないか」
「なんで私が」
「俺が案内してやれればいいんだが、この脚だからな。
それにバイトのことで職員室に呼ばれているから、必然的に予定が空いていない」
 さゆりはくっと顎を引いた。
案内をするのが嫌なのが丸わかりな態度だが、案内される方も歓迎しているわけではない。
この車椅子の同級生は、世界に悪人はいないと本気で思っている聖者か、
それとも人類皆仲良くすべきだという博愛思想の持ち主とでもいうのだろうか。
だとしても、雨の日に傘ではなくレインコートを持って行くよう勧めるような、
一言で言って余計なお世話だった。
「いいよ、一人で見て回るよ」
 龍介は実のところ案内など要らなかったし、そもそも校内を見て回る必要も感じていなかった。
今更部活をする気もないので、購買とトイレの場所が判ればそれで良いのだ。
「ああ、普通ならそれでもいいんだがな、この学校には立ち入り禁止の場所があるんだ」
「立ち入り禁止って、何かあったのか?」
 支我は答えずにさゆりを見た。
彼の視線を受けたさゆりは、大きな瞳でぎろりという音が聞こえてきそうなくらいに龍介を睨んだ。
その睨みっぷりは、この女が立ち入り禁止の原因を作ったのだとしても龍介は驚かない。
「仕方ないわね。いい、支我くんの頼みじゃなかったらあなたなんか絶対に案内しないんだから――!?」
 話したくないなら別に、と龍介が言う前にさゆりは話し始めたが、
突然両腕をかき抱いて小さく身震いした。
「どうした、深舟?」
「ううん、ちょっと寒気がしただけ。きっと東摩くんを案内しなければならないから身体が嫌がったのね」
 水と油というか、油に炎というか。
もうこの女とは絶対に理解しあえないと龍介は思い、
校舎の案内も支我の義理を立てて案内されてはやるが、途中で帰ると決心した。
 龍介の内心などお構いなしに、さゆりは話を続ける。
「この校舎の四階は立ち入り禁止になっているのよ。
知りたいって嫌らしい顔してるから仕方なく教えてあげるけれど、飛び降りがあったの」
「飛び降り……? どうして」
 いちいち癇に障る深舟の物言いだったが、飛び降りという言葉に龍介は確かに興味を惹かれてしまった。
「知らないわ。学年も違うし、部活だって違えば、同じ学校だからって知らない人の方が多いもの」
 女というのはこういう話に一も二もなく飛びつくのではないかという偏見を抱いていた龍介は、
さゆりの冷たい口調に驚いた。
もっとも、その驚きは良い方向には作用せず、同じ学校に通う人間が
死んだというのに冷たいのではないかという憤りに近い感情を覚える。
「ホームルームが始まる直前だったから、目撃した人間も結構いたらしくてな。
屋上と四階の廊下に死んだ生徒の霊が出るっていう噂が広まって、
もちろん学校側は否定したんだが、集団ヒステリーに近いことも起こってしまって、
とうとう閉鎖されたという訳さ」
 話を支我が引き取って締めたところで予鈴が鳴った。
「それじゃ、放課後頼んだぞ、深舟」
「わかったわよ。さっさと済ませるから支度して待ってなさいよ」
 前半はため息混じりで支我に、後半は怒気混じりで龍介に言ってさゆりは自分の席に戻っていった。
さゆりの態度について龍介は支我から一言あると思ったのだが、
彼も素早く車椅子の向きを変えて去っていく。
仕方なく、龍介も今のやり取りはできるだけ忘れるようにして、次の授業の準備をしたのだった。

 暮綯學園での初日が終わった。
正確には授業が全て終わった、で、龍介はこの後校舎の案内をされなければならず、
學園の一日はまだあと数時間を残しているのだった。
支我が余計な気を回してくれなければこんなに気が滅入ることもなかったのに、
と十何度目かのため息をつきながら、龍介は教科書を鞄に詰め始める。
すると、龍介のため息の原因がまっすぐに歩いてきた。
「授業が終わったらすぐに支度して待っておくようにって言ったわよね?
私はあなたなんかで一秒だって無駄にしたくないの。もしかして舐めてんの?」
 この女は相手を怒らせる天才だ。
その点だけは認めてやってもいいと考えながら、罪のない教科書を鞄に叩きこんだ龍介は勢いよく立ちあがった。
「授業中に考えてたんだけど、案内されてあなたにはメリットがあるけど、私には何もないのよね」
「俺にだってメリットなんかねえよ」
 押し殺した声で龍介は言ったが、その程度は想定内だったのか、さゆりに鼻で笑われてしまった。
「まあいいわ、あなたが変なところに入りでもしたら学級委員長の私にまでとばっちりが及ぶかもしれないものね。
十八歳にもなったら行動は個人の責任にして欲しいけれど」
 言うが早いかさゆりは身を翻して教室を出て行く。
反論する機会すら与えられず、龍介は歯ぎしりしながら彼女の後を追った。
 さゆりは案内といっても丁寧に説明する気などないらしく、走る寸前の早足で廊下を往く。
案内が手短なのは龍介にとっても歓迎だが、彼女の早足についていくのは容易ではなかった。
遅れでもしたら何を言われるか分かったものではないので、龍介は気合いを入れて彼女を追った。
「三階は音楽室と美術室。芸術関係の教室だから、あなたには関係ないわね」
「……」
「あら、何も言わないの?」
 残念ながら龍介は音楽も美術も人に誇れるほどの素養は持ち合わせていない。
まるきり音痴ではないからいい、というのがこれまでの認識だったが、
こう言われると一言くらいは言い返してやりたくなる。
「お前はどうなんだよ」
「女だから芸術に秀でているなんていうのは差別的な考えよ」
「気に入らないことはなんでも差別って言う女か、お前は」
 さゆりは核ミサイルの発射スイッチを押す寸前の独裁者のような目つきで睨むと、
無言で階段を下りていってしまった。
言い過ぎたか、と思った龍介だが、どう考えても彼女の方が悪意の質量共に多い。
問題は彼女がクラスメートに言いふらすと残りの学園生活はかなりハードなものになるであろうことだが、
言ってしまったことは仕方がないし、謝るつもりも今のところはない。
なるようにしかならないと腹を決め、龍介は階段を下りた。
 ところが意外なことにさゆりは階下にいた。
帰るつもりで階段を下りた龍介は、唇をひん曲げたさゆりに睨まれて不本意ながら狼狽した。
「何してたのよ、一秒だって時間を無駄にしたくないって言ったでしょ」
「ご、ごめん」
 なぜ帰らなかったのかと問おうとしてさすがに龍介は止めた。
もしかしたら口の悪さと性格の悪さとは直結しておらず、
さゆりは猛烈に毒を吐き散らしても義理堅い人間なのかもしれない。
……だとしても、毒を浴びる距離にいてはとても好意を抱けるものではないが。
 相変わらず早足で二階の廊下を往くさゆりは、一つの教室にさしかかると速度を緩めた。
「そっちが物理化学室で、ここが生物室。生物室には剥製やホルマリン漬けの標本が保管されているから
行くのを嫌がる生徒は多いわね。死んだ剥製や標本が動き出す訳でもないし、私は気にしないわ。
あなたは好きそうだけど。なんなら入ってみたら?」
「よし、行く」
「本気? 正気?」
 軽く顎を突きだして挑発するさゆりに龍介は即答し、驚く彼女に溜飲を下げた。
もっとも、彼女がそんな表情をしたのは一瞬で、すぐに割り箸が乗りそうな程眉間にしわを作った。
 実際のところ龍介は生物室など見たいとは思っておらず、
さゆりへの嫌がらせだけで中を覗くと宣言したので、鍵がかかっていれば良いのに、
と扉に手をかけたときすでに思っていた。
しかし、引き戸は簡単に開き、二人を中に招き入れる。
啖呵を切った以上龍介が先に入るほかなく、さゆりではないが時間の浪費だと嘆きつつ戸をくぐった。
 もちろん生物室の中に龍介の興味をそそるようなものは何もなく、
前居た高校と比較しても何が違うのか思いだせない。
棚にしまわれた実験器具の数々や、誰が育てているのか不明な魚の入った水槽まで同じだった。
 あからさまに興味を無くした顔を、一応は隠しつつ辛抱強く部屋を出るタイミングを計っていた
龍介は、不意に顔をしかめた。
「なんか臭うな」
「あなたの臭いじゃないの?」
 顔を歪める龍介などさゆりは意に介しなかったが、ほどなく龍介と同じく顔をしかめる。
彼の発言が嘘ではないと嗅覚が察知したのだ。
形の良い小鼻を龍介に見えない位置で動かしながら、微臭を鼻に溜める。
お世辞にも楽しい行為ではなかったが、やがて彼女は一つの記憶を探し当てた。
「これ、どこかで嗅いだことが……そうだ、家族で行った箱根の」
「硫黄だな」
 問題を最後まで読めなかった出題者の気分が鼻の奥に浸透する。
勝ち誇る龍介の顔が一層気分を悪くして、さゆりは彼の回答を無視して言った。
「もういいでしょ、さっさと出ましょ」
「おい、放っといていいのかよ、なんか漏れてたらマズいんじゃないのか」
「馬鹿ね」
 ばとかに思いきり力を込めてさゆりは言い放った。
「第一に用もないのに生物室に入った理由を説明できない。第二にここの管理責任者は私達じゃないわ。
それでも臭いの原因を突き止めて報告したいのならどうぞご自由に」
 さゆりの言い分はずいぶん勝手に聞こえるが、こうも強気に断言されると彼女の方が正しいと思えてくる。
覆すだけの論拠も思いつかず、龍介はぐッと言ったきり喉を詰まらせた。
「ふんッ」
 聞こえるように鼻を鳴らし、さゆりは先に教室を出た。
「おや、深舟君じゃないか」
「きャァッ!!」
 さゆりの悲鳴は高く、鋭く、関係者の鼓膜をひっかいた。
彼女の一番近くにいた人間は、三半規管にダメージを受けて大きくよろめいた。
「うおおおッッ……! 心臓が止まるかと思ったよ……おや、深舟くんじゃないか。
どうしたんだね、こんなところで」
「あッ、先生。い、いえ、これは……」
 肥満気味の担任教師を心臓発作で殺しかけた容疑者は、そしらぬ顔で龍介を指さした。
「今日転校してきた東摩君がどうしても生物室を見たいって言うので案内していました」
「ほう、そうかね、それは感心。それにしても東摩くんは生物に興味があるのかね」
「ええ、まあ」
 呉越同舟ということわざを思い浮かべながら、龍介はさゆりに合わせた。
 龍介達の担任教師は良くいえば鷹揚としている、悪くいえば置物のようで、
生徒に過剰に干渉するタイプではなさそうだが、学生の常として教師からはなるべく遠ざかっておきたいのだ。
ところが、担任教師の隣に立っている成人女性を目にした龍介は思わず叫び、
教師達の興味を自ら惹いてしまった。
「あッ、朝の」
「あら、意外と早い再会だったわね」
 彼女は朝通学中の龍介に話しかけてきた、紫色のスーツを着た怪しい女性だった。
 朝取ったそっけない対応を思いだして気まずそうにする龍介に、女性は親しく語りかけた。
「二度目の縁なら名前を聞いてもいいわよね?」
「東摩……龍介です」
 警戒しつつも答えるしかない龍介に、さゆりが舌打ちしたげな表情を浮かべる。
 やはり誰かの保護者には見えない女性は、とても誰かの保護者には見えないことを言ってのけた。
「東摩君、ね。隣にいるのは彼女? 今日転校してきたって聞いたけど、なかなかのプレイボーイなのかしら」
「「違います!!」」
「あら、きれいにハモってるわね」
「「違います!!!!」」
「うーん、青臭い春って感じね、奥歯がムズムズしちゃうわ」
 さゆりが顔を真っ赤にしているのは、もちろん照れているからではないだろう。
彼女が先に怒った分、龍介は冷静になることができた。
「本当に学校に用事があったんですね」
「取材に来たのよ」
「取材、ですか?」
「そうよ。今度出す本の」
「本、ですか」
 出版関係ということか。
それならば彼女の服装についても納得できるかもしれない。
それに教師がついているのだから、素性が怪しいというわけでもなさそうだ。
「そう。来月の特集は『若者の無軌道を問う』よ」
 女性は熱弁を振るいはじめた。
「いわばキミたちは学校という檻に囚われた哀れな子羊の群れ。
その狭い檻の中で一生を過ごすにはあまりに刺激が無さすぎる。あまりに無味乾燥すぎる」
「一生じゃないし」
 さゆりの指摘を無視して女性は続ける。
傾きかけている夕陽が、彼女の眼鏡の端で光った。
「そんな若者達は一体どこで欲望を発散するのか!? 羊たちの青春は一体どこへ向かうのか!?
――という特集企画の取材ね」
 もはや女性は隣に教師が居ることも忘れているようだ。
さゆりはあっけにとられ、龍介も五ミリほど足を引き、重心を後ろに置いて彼女の話を聞いていた。
「興味なさそうね、ネンネにはちょっと早いかしら」
「――!」
 さゆりの顔が土赤色に早変わりする。
もうちょっと落ち着け、と龍介は思ったが、むろん口には出さなかった。
「キミはどう? 興味ある?」
「ええ、まあ。俺に聞いてもあんまり取材にはならないと思いますけど」
「正直なのは結構ね、いいわ、見本誌が上がってきたら送ってあげる」
 ここで置物だった教師がわざとらしく咳払いをした。
それはおそらく、この場にいる全員を救う天使の福音だった。
「そろそろ行きませんか」
「そうしましょう。それじゃね、バーイ」
 手を振って彼女は去っていった。



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