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 彼女たちが去った後、さゆりは三十秒以上も固まったまま動かない。
龍介が声をかけようとすると、やにわに肩をいからせ、床を踏みならした。
「何よ、なんなのよあのおばさんッ! ムカつくッ!!」
 彼女の怒りは平面にとどまらず、垂直に移動する。
「あんたもデレデレしてんじゃないわよッ!!」
「デレデレなんてしてねえよ」
「フンッ、鼻の下伸ばして言ったって説得力ゼロよ。鏡見たら?」
 プチンという音を龍介は聞いた。
切れたのはもちろん堪忍袋を縛っていた紐だ。
これまでこの女につきあってやって来たが、もう充分だろう。
明日からはすっぱりきっぱり縁を切ってストレスのない学生生活を取り戻すのだ。
「もう案内は終わっただろ。とりあえず礼は言っとくよ。貴重な時間を使わせて悪かったな」
 最後は嫌みのつもりで言い、さっさと向きを変えて立ち去ろうとした。
「ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよ」
 罵声なら背中に浴びてそのまま帰るつもりだった。
しかし、さゆりは肩を掴むという実力行使で龍介を引き留める。
半分以上本気でうんざりしつつ、龍介は肩越しに振り向いた。
「まだ案内していない場所があるわ」
「……四階か」
「数は数えられるみたいね」
 この女とは前世で殺し合いでもしたのだろうか。
そう疑ってしまうくらい龍介は怒っていた。
「立ち入り禁止になってるんだろ? そんなところわざわざ案内してくれなくていいよ」
 手を払いのけようとして止め、前進することで引きはがそうとする。
だがさゆりは肩に爪を食いこませて龍介の逃亡を阻止した。
「痛ェッ」
「いいから来なさいッ。調べたいことがあるのよ」
 なら最初から言え、と思いつつ、制服を貫通した鋭く深い肩の痛みをこらえて、
龍介は彼女について四階へと向かった。
 四階へと続く階段は、何本かの鎖によって道をふさがれていた。
まだ真新しい銀色の輝きは、やや厳重に過ぎるように龍介には見えた。
 さゆりが先に階段を上り、龍介が続く。
単に鎖が張ってあるだけのはずなのに、異界に侵入するような気分がした。
照明がないからだと龍介は思いこむことにしたが、いずれにしてもさゆりに弱気を見せるわけにはいかない。
「本当に立ち入り禁止になってんだな」
「私が嘘を言ってると思ったわけ?」
「気にくわない転校生を騙すくらいはやりそうだからな」
 鎖をくぐりながらも舌戦はやめない。
それはもちろん、龍介がさゆりを磁石の同じ極のように感じていたからで、
さゆりの方でもより強くそう思っているのだろうが、鎖の先に広がる薄暗がりは、
何か喋っていないと急激に冷えていくように思われた。
階段を上って四階に到着するとその感覚はますます強くなり、
一人で行けと言われたら正直ためらうだろう。
「何を調べるんだよ」
 龍介の問いに、さゆりは直接答えなかった。
「警察も学校もただの自殺って言ってたわ」
 事実を淡々と告げているようでありながら、彼女の声には怒りも感じられる。
それが気のせいでなかったのは、続く言葉で判った。
「朝、普通に友達と一緒に登校していた女子生徒が、その数十分後に書き置きも遺書もなく、
屋上から飛び降りた、ただの自殺」
 さゆりはまっすぐ廊下の先を見つめながら言う。
黄昏が案内灯のように照らす先に、彼女が求めるものがあるかのように。
「誰も真実を知りたがらない。この學園の誰も、この事件の真相を突き止めようとしない。
……みんな怖れているのよ。深入りすることで、自分も事件に巻きこまれるんじゃないかって。だから」
 さゆりが立ち止まる。
龍介は迷いつつも彼女と肩を並べた。
さゆりは、怒らなかった。
「だから私は、怖れを持たない人間とこの場所に来たかったの」
 つまりさゆりは、最初から――おそらく、支我に案内してやってくれと頼まれたときから、
龍介をここに連れてくるつもりだったのだ。
その割に態度が図々しいとか、最初から言っていればこちらとしても考えるところがあったのにとか、
思うところはあったが、龍介は口にはしなかった。
それどころか、お人好しにも程があると自覚しながら、
彼女の願望を手助けしてやっても良いと思いはじめていた。
それは彼女の決意が黄昏に呑まれそうで危うく見えたなどという小じゃれた義侠心ではなく、
皆が事なかれで済ませようとしている真相を、一人で暴こうとしているさゆりの反骨心が、
確かに琴線に触れたからだ。
 ただ、事件が起きてから一月以上経っているので、何か手がかりのようなものを見つけるのは難しいだろう。
単に徒労に終わる可能性の方が高いかもしれない。
それでもまあ、今日一日くらいは付きあってやっても良いと龍介は決心した。
「で、どこを調べるんだよ」
 龍介が言うと、さゆりは驚いて龍介を見た。
「何だよ、その顔は」
「……手伝ってくれるの?」
「何も知らない俺が調べたって、何か見つけられるとは思えないけどな。一人よりは二人の方が確率は高いだろ」
「そ、そうね」
 続けてさゆりは何事か言ったが、口の中に閉じこめたので龍介には聞こえなかった。
「ん?」
「な、なんでもないわよ、ほら、行くわよ」
 早足で歩きはじめたさゆりを慌てて龍介は追った。
 何も見つからないのではないかという龍介の予想はあっけなく裏切られた。
それも龍介が探すまでもなく、さゆりが、飛び降りた女生徒の教室に着いた途端、何かを見つけたのだ。
「何、この白い粉」
 教室のドアに沿って白い粉が撒かれている。
細く、しかしはっきり線となるよう撒かれている粉は、明らかに何かの意図を持って撒かれたものだった。
龍介は指の腹を押し当てて数粒をつけてみる。
粉はそれほど古くない、というか割と最近のもののようだ。
何気なく龍介が舐めてみると、後ろでさゆりが慌てふためいた。
「ど、毒だったらどうすんのよ。私は関係ないけど、嫌よ、死体の第一発見者なんて」
「しょっぱい」
 それは龍介が良く知る調味料に他ならなかった。
一瞬安堵の表情を浮かべかけたさゆりは、まるでそれが罪悪であるかのように消し去る。
「塩なの? なんで塩がこんな場所に……これ、撒いてあるのよね」
「多分な」
 では、誰が何のためにかというと見当がつかない。
改めて調べてみると、塩は二ヶ所の入り口それぞれと、中央にある窓にも撒いてあった。
しかし、四階の全ての教室に撒かれているかというとそうではなく、八つ並んでいる教室のうち、
今龍介とさゆりが立っている教室だけに塩が撒かれているのだった。
「ちょっと、変じゃない? どうして立ち入り禁止の教室に塩なんて撒く必要があるのよ」
「俺が知るかよ」
「あなたが撒いたんじゃないでしょうね」
 さゆりの舌鋒にも鋭さがないのは、薄気味の悪さが拭えないからだろう。
 この教室には何かがある。
かといってそれを確かめるために塩をまたいで中に入るのは、どうにも気が進まなかった。
「……」
この部屋に入るのは最後にするとして、他の部屋から探ってみようと龍介が提案しようとしたとき。
急にさゆりが息を呑む気配が伝わってきた。
「あ、あなた……どこから入ってきたの?」
 さゆりの見ている方を龍介も向く。
そして、彼女と同じ驚きを共有することになった。
「……!」
 龍介から五メートルほど離れたところに、一人の少女が立っていた。
年齢は龍介達と同じ、十代後半のようだが、制服は着ておらず、この学園の生徒ではなさそうだ。
白い半袖のワンピースは今の季節にはやや早いような気もするが、それよりも奇異なのは、
少女は裸足であったことだ。
薄暗い廊下に立つ少女は、着ている服のせいか、燐光を発しているように見える。
自分たちの後から来たのか、それにしても気配を一切感じさせず、
今も妙に存在感の薄い彼女を、どうしたらよいか判断できず固まっている二人に、少女の方から語りかけた。
「たおして」
「え?」
「紅いコートの男を斃して」
 唐突に過ぎる少女の言葉を、二人が脳内で反芻する間もなく、少女は消失した。
あまりに瞬間的に、一切の痕跡を残さずに消えた少女に、龍介とさゆりは思わず顔を見合わせた。
「消えた……そッ、そんな、今の女の子、あんたも見てたわよね!?」
「あ、ああ」
「そ、そうよね。それじゃどうして消えたのよ、教えなさいよ」
「幽霊……かな」
「ばッ、馬鹿じゃないのッ、だとしたらあんたがそんな非現実的なことを信じたりしてるから出たのよッ!」
「そういう問題かよ」
 さすがに呆れて龍介は言うが、さゆりは本気で怒ったようで、
顔を赤くして龍介を睨みつけると足早に立ち去ってしまった。
「おい……!」
 追いかけようとしてそれが理不尽な行動であると気づき、龍介は立ち止まった。
さゆりが帰ったのならこの気味の悪い教室を探索する必要もなくなり、好都合ではないか。
とはいえ彼女の後をすぐ追うのも気まずく、数分時間をおいた方が良さそうで、やむなく留まることにする。
 人の気配が全くない陰気な場所に一人だと、思い浮かぶのはどうしても先ほどの不思議な少女についてで、
龍介はおそるおそる少女が居たらしき場所に近づいた。
かがみこみ、床をくまなく調べる。
「何もない……よな」
 少女の足跡も、なにがしかの匂いも、痕跡と呼べるものは何もない。
では気のせいか幻覚、と考えるのが二十一世紀に生きる人間としてのたしなみであって、
先ほどはうっかり口走ってしまったが、幽霊などという存在はテレビの特集の中にだけ居ればよいのだ。
見たのが自分一人なら、龍介はそう結論づけて以後は考えないことにしただろう。
だが、先に見つけたのは深舟さゆりだ。
テレビの幽霊特集どころか龍介そのものを嫌っていると思われる彼女が、第一発見者であるのは笑い飛ばせない。
そして少女が消えるところは二人揃って見たのだ。
彼女が幽霊でないとしたら、相当に高度なトリックということになる。
立ち入り禁止の高校の廊下にそんなトリックを仕掛けるような酔狂な手合いがいるとも思えなかった。
 不意に龍介は、彼女がさゆりの調べようとしていた、飛び降り自殺をした少女なのではないかと思った。
龍介が幽霊の存在を信じていたからではなく、さゆりが死者に思いを馳せていたから、
彼女はさゆりの前に姿を現したのだとすれば、つじつまがあう。
「そうだ、俺じゃなくてあいつが呼び寄せたんだ、ッたく、人騒がせな奴め」
 そう結論づけた龍介は明日たっぷりと嫌みを言ってやろうと決め、威勢良く立ちあがった。
 廊下の角から影が現れたのは、まさにそのときだった。
「うわッ」
 前を塞ぐように現れた影に、龍介は思わず声を出してしまう。
ひっくり返らなかったのは上出来というべきだった。
「東摩じゃないか」
 現れたのは今日クラスメートになったばかりの支我正宗だった。
龍介は決して臆病ではなかったが、本物とおぼしき幽霊を見た直後とあってはいかにもタイミングが悪い。
心臓があちこちに飛び跳ねているのをなだめながら、龍介は何もない風を装った。
「ここは立ち入り禁止……そうか、深舟に連れてこられたのか」
 支我は律儀なだけでなく頭の回転も速いようだ。
龍介が嬉しそうに頷くと、彼は車椅子の向きを変えて廊下の両側を見渡した。
「それで、深舟は?」
「ああ、なんか先に帰った」
 まさか幽霊の少女を見て逃げ帰ったとは言えなかった。
支我は幽霊を信じると言っていたが、常識的に考えて毎日通う学校で幽霊が出たなどと
信じてもらえるわけがない。
深舟さゆりを決して好いてはいないとしても、こういう貶め方はするべきではないと龍介は思った。
「そうか……それなら、東摩も帰った方がいいな」
「そうするつもりだ。……でも、どうして支我がここに?」
「ちょっとな、用事があるんだ」
「立ち入り禁止の階にか?」
 食い下がる龍介に、支我は眉間にしわを寄せる。
「同級生として忠告するが、これから先のことを説明する気はないし、
この階に入ったこと自体を忘れるべきだ」
「……」
 支我の態度そのものが何かただならぬ事がこれからここで起きるのだと言っている。
しかし、支我は話は終わったと車椅子の向きを変え、廊下を奥に進んでいった。
その後をついて行くことはさすがにできず、廊下の端に下がった龍介は、
通路の曲がり口から頭だけを出して事態の推移を見守った。
 八つ並んでいる教室の、龍介の居る方から数えて奥から三番目の教室に着いた支我は、
バッグから小さな台を取りだした。
三方と言う名の神具であるそれを、ドアの端に一つずつ置き、その上に塩を盛る。
それは龍介達が発見した塩の線の両端に位置する場所であり、
両側のドアに計四ヶ所、さらに中央にある窓にも二ヶ所置いた。
 遠目から見ていた龍介が思わず出て行って問いただしたくなったところで、一人の女性が近づいてきた。
龍介が居るのとは反対側の階段から上ってきた彼女は、支我を見つけると軽く手を挙げた。
「状況は?」
「現在気温がマイナス三度。硫黄濃度はプラス二。光の遮蔽率は十三パーセント増加。
このままだと出現時刻は予定より八時間早いです」
「予測に誤差が生じてるわね……いつものことだけど」
 頷いた女性は肩と頭を大きく回した。
こきこきと音を鳴らし、さらに腕を伸ばす。
「全く、社員が出払ってるとはいえ社長が実戦にかり出されるなんて、
零細企業の社長なんてするもんじゃないわね」
「早く大きくしてくださいよ」
「それにはあんた達に頑張ってもらわないとね」
 人気のない廊下は離れた場所にいる会話も良く聞き取れるし、
これから運動をするようにしか見えない彼女の準備運動もはっきり見えた。
かなり親しい仲であるような支我と女性にも驚いたが、
女性を見た龍介は思わず声を上げそうになっていた。
彼女は朝、龍介に話しかけ、数十分前に学校内で会った女性に違いなかった。
結局正体は分からずじまいだったわけだが、支我と知り合いというのはますます不可解だ。
会話を聞く限り彼女は社長で支我は社員であるようで、
だとすると出版関係の仕事なのだろうが、こんなところでどんな取材をするというのか、
興味は募るばかりで、龍介は全身を耳にして二人の会話を聞いた。
「対霊結界は?」
「場所が場所なので今回は塩を使います。散布場所は教室のドア二箇所及び窓全域」
「コンセント、ガス管、蛇口は」
「コンセントは封印済み。ガス管と蛇口はありません」
「よろしい。これで奴は袋のネズミってわけね」
 うなずいた女社長は持ってきたバッグから何かを取り出す。
五十センチほどの長さの、鈍色に光るそれは、見事なまでに鉄のパイプだった。
学校で鉄パイプを握りしめるOLなど、あまりに日常からかけ離れている。
それにたいれいけっかい、という言葉が何を意味しているのか、龍介には解りかねたが、
ドアの端に置かれたのは、盛り塩というやつのはずだ。
商売繁盛を願って店の前に置いたり、心霊話で霊が入ってこないように置く……
「教室の中に霊でも居るってのか? ……まさか」
 独語した龍介は、先ほど自分たちが出くわしたのも霊――正しくは、その可能性があるというだけ――
であったと思いだして愕然とした。
あの少女を鉄パイプで殴るつもりなのか?
それほど悪い存在ではないように見えたが、いや、その前に霊というのは鉄パイプで殴れるものなのか、
龍介は訝しまずにいられなかった。



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