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編集部に戻ってきた龍介にヤクザの本拠地に乗りこむと聞かされた萌市は、その場で卒倒しかけた。
普段から彼のことを頼りないとは思っている龍介だが、今日ばかりは同じ気持ちだった。
ただし、萌市が本当に気を失ってしまうと一人で行かねばならなくなるので、その辺りは必死になだめすかす。
「ですが、あの……いえ、その……僕は荒っぽい人種とはちょっと肌が合わないというか何というか……」
それはそうだけど、と思わず龍介が頷きかけると、横から虎次郎が肩を突きだしてきた。
「あァんッ!? 誰が荒っぽいってッ!?」
「そ、そういうノリが苦手というか嫌というか……」
「聞こえねェなァッ!! 男ならもっとでけェ声で喋れッ!!」
「ひィィィッ!! と、東摩氏ィィィッッ!!」
萌市はたまらず龍介の背中に隠れた。
可愛い女の子ならともかく、男ではやる気も何も出たものではないが、これでも貴重な同行者だ。
龍介は一応、萌市を庇った。
煙草を買いに行ったのか、左戸井はおらず、編集部には龍介と萌市しかいない。
これからどうするか、内心で困る龍介の背中から、萌市が囁く。
「お願いします、東摩氏の力でこの乱暴者ごと霊を駆除根絶しちゃってください」
その余計な一言はしっかり虎次郎にも聞こえており、彼は龍介に凄んだ。
「けッ……てめェら二人とも、しくじったら五体満足で帰れると思うなよ」
龍介は無言で頭を振り、大急ぎで支度を始めるのだった。
江戸川区の虎次郎の家までは、車での移動だった。
準備を整えた龍介と萌市、それに虎次郎が夕隙社の外に出ると、黒塗りの国産高級車が横づけして停まっていたのだ。
車にもたれて立っていた男は、虎次郎の姿を見つけると姿勢を正して後部ドアを開けた。
「兄貴ッ! お疲れさんです、どうでした、夕隙社との話は」
「おう、きっちりつけてきたぜ」
「さすが兄貴ッす! で、悪霊をブチのめすのは何時っすか」
「明日だ」
「ってことは、夕隙社の連中は明日から?」
「いや。今日は調査に来るらしい」
「調査ッすか、本格的っすね。じゃあ、後から来るんすか?」
虎次郎は明らかに嫌そうに、顎で二人を指し示した。
「こいつらが夕隙社だ」
「なッ……!!」
小太りにパンチパーマ、薄いサングラスをかけた、虎次郎よりもチンピラに見える、
おそらく彼の舎弟は、兄貴分同様に絶句した。
わざとらしくサングラスを下げて肉眼で龍介を睨みつける。
事を荒立てたくない一心で龍介は無難な、見ようによっては卑屈な愛想笑いを浮かべたのだが、
隣の萌市は突然右手をまっすぐ伸ばして上げたかと思うと、彼らしからぬ大声で叫び始めた。
「科学とはッ!! 進むことであり、その偉大なる進歩は新しい大胆不敵な想像力からもたらされるのであるッ!!」
「せ、浅間ッ、落ち着け、落ち着けって」
現実を直視したくないあまりにネジが外れてしまったらしい萌市を、龍介は責める気になれなかった。
とはいえここは新宿の路上であり、大声で叫ぶ輩はそう珍しいものではないとしても、
通報されでもしたら大変に面倒くさいことになる。
なにしろ一緒にいるのは現役のヤクザで、そのうえ夕隙社自身も叩けばホコリまみれになるから、
官憲の世話にならないよう常々千鶴に言われているのだ。
「あッ、兄貴ッ、まさかこいつらが――」
「信じたくねェ気持ちはわかるが、正真正銘、こいつらが悪霊を退治するってェ奴らだ」
一方で怒りと失望がみるみる充填されていく虎次郎の機嫌も損なわないように気を遣う必要があり、
龍介の胃の辺りはちくちくと痛んだ。
「と、とにかく行きましょう、ほら、浅間も乗れって」
「我々は決して歩みを止めてはならないッ!! それは科学の敗北であり、人類の……」
どうにか萌市を押しこみ、龍介は自分も後部座席に座った。
ちなみに、萌市は助手席だ。
本来なら龍介と萌市が後部座席なのだろうが、虎次郎も彼の子分も当然のように虎次郎を後ろに座らせる。
すると萌市か龍介が後部座席になるわけで、虎次郎と萌市を並べるのは、
生まれたてのペンギンをシャチの前に放り出すようなものだと考えた龍介は、
やむなく自分が虎次郎の隣に座ったのだった。
自分も餌に変わりないということは、あえて考えないようにして。
車が動きだすなり虎次郎が煙草を取りだす。
車内に煙が充満するのは避けたい龍介は、何と言って彼の気を逸らそうか思案に暮れた。
しかし年長者、それも職業暴力者の機嫌を取る妙案など都合良く思いつくはずもなく、
無為に時間だけが過ぎていく。
「おい、さっきから何見てやがる」
挙げ句様子をうかがっていたのがバレて、龍介は窮地に陥った。
「い、いえ、何も……あれ? それ煙草じゃないんですか?」
「あァッ!? どこをどう見りゃ煙草に見えんだこれが。ハッカだ、ハッカ」
「す、すみません」
確かに良く見れば全然煙草ではないが、こんな風貌の男が細長いものを口に咥えたら誰だって煙草だと思うだろう。
というようなことをもちろん龍介は言わなかった。
それにしても、いかつい風貌とハッカの間には相当のギャップがある。
笑うような失策は犯さないまでも、不思議には思う龍介だ。
ハッカについて訊くのはありだろうかと考えていると、虎次郎の方から話しかけてきた。
「おい」
「はいッ」
「霊が現れたとしてだ、どうやって殺るんだ」
「俺は鉄パイプを使います」
「ンだそりゃ、そんなんで斃せるのかよ」
「は、はい、一応」
虎次郎は呆れている。
字面だけ見れば虎次郎の疑念は正しいだろう。
鉄パイプ自体はどこのホームセンターでも売っている何の変哲もないパイプだし、
極端なことを言えば、闇雲に振っても当たることだってありうるのだ。
だが、プロと素人の違いは効率と確実性にある。
どこに霊が出現するのか突き止め、逃げられないように封印を施し、目視による直接攻撃で仕留める。
どのフェーズが欠けても霊退治は失敗し、依頼人は枕を高くして眠れなくなるのだから、
やはり龍介の存在も必要不可欠なのだ。
「ならチャカの方が早ェだろうが。あァ!?」
「そ、それはそうかもしれません……けど……」
チャカというのが銃を示す隠語というのは龍介も漫画で読んで知っている。
実際に聞くのはもちろん初めてで、しかも使ったことがありそうな当人が口にしたのだ。
物騒極まりない凶器を、虎次郎が本当に所有しているのかどうかは、怖くて訊けなかった。
というか、ヤクザに対して積極的に話しかけるのは、健全な高校生にとって負担が大きすぎる。
一秒でも早く目的地に着いてくれるよう、龍介は祈らずにいられなかった。
依頼人の家に着いたとき、すでに龍介は疲弊しきっていた。
ヤクザの運転はイメージしていたほど凶悪なものではなく、その点で疲労したわけではない。
車の乗り心地は悪いはずもなく、これも疲労の原因ではない。
車から降りた途端、東京の美味しいとは言えない空気を、冷涼な高原のそれのように感じたのは、
ひとえに車内の空気の悪さだった。
何しろ虎次郎は黙っていてもバックミラーに反射して殺気を感じるほどの鋭い眼光を前方に向けていて、
いつ彼の機嫌が爆発するのか気が気ではない。
萌市は萌市でぐったりしているのだが、いつスイッチが入って演説を始めるか、これも気が気ではなく、
車内の三人がほぼ敵という状態で、龍介は小一時間ほどを耐え抜いたのだ。
厳次郎と虎次郎が住む家は、これも龍介の勝手なイメージとはある意味で異なり、ある意味で合っていた。
厚い門扉やサングラスにスーツの男達が勢揃いしているようなことはなく、
純和風の、一辺百メートルはありそうな白い漆喰の壁がぐるりと囲む、巨大な屋敷だったのだ。
虎次郎と舎弟に続いて龍介と萌市は山河家の玄関をくぐった。
玄関は大きな家に相応しい、旅館かと見紛うような広さで、大きな衝立がしつらえてある。
他にも壺やら額に入った書やら、高価そうなものが半ダースほどは置いてあった。
こんなところで戦う羽目に陥るのだけは勘弁して欲しい、と切に願いながら、龍介は靴を脱いだ。
「親父、入るぜ」
虎次郎が部屋に入り、二人も続く。
この家に、より正確には車に乗ったときから二人は借りてきた猫のようにおとなしかったのだが、
部屋の中に居た老人は、会った瞬間から二人を完全に萎縮させてしまった。
虎次郎の父親という話だが、祖父くらいは離れているかもしれない。
初老ではなく、はっきり老境にある彼は、オールバックにしている白髪も、
おそらくは霊に憑かれているためだろう悪い顔色も、どこにでもいる老人と変わりがない。
だが、両目に漲る凄まじい眼力は、ただそれだけで戦慄に似た感情を龍介にもたらし、
虎次郎に言われるまでもなく背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取った。
老人が二人を一瞥する。
刃物を当てられたような緊張が龍介に走ったが、老人の方は龍介になど全く興味のない風で虎次郎に話しかけた。
「……新しい祓い屋か? 居ねェと思ったらこんなのを探しに行ってやがったのか」
こんなの呼ばわりされても怒りさえ芽生えない龍介に、老人は意外なほどきちんと正面を向いた。
「火暮会の火暮厳次郎だ」
「ゆ、夕隙社の東摩龍介です」
舌をもつれさせながらも、差しだした名刺を持つ手は震わせなかったのは上出来だった。
儀礼的に名刺を受け取った厳次郎は、目を細め、やや頭を起こして名刺を眺めた。
「夕隙社? 昔、どこかで聞いた名前だな」
「知ってるのかよ、親父」
「いや……聞いた覚えがあるって程度だ」
頭を振った老人は、龍介達の度肝を抜く行動に出た。
軽くとはいえ若輩の堅気に頭を下げたのだ。
「客人方、わざわざ良く来てくだすった。トラが無茶を言ったようだが、どうぞ少しの間、付きあってやっちゃくれねぇか」
老人は間違いなく任侠であり、剣呑な雰囲気が言動の端々に見え隠れしている。
彼の気に障れば本当に五体満足で夕隙社に帰り着くのは難しいかもしれない。
それでも、龍介は今のところ、彼を嫌うことはできそうになかった。
依頼だから全力を尽くすのは当然としても、やる気が上乗せされたのは間違いなかった。
ところが、龍介の斜め後方に居た萌市が、厳次郎の方は見ないようにして呟く。
「僕は仕方なく同行しただけで来たくなかったんです。そもそも科学とは……」
「ちッ!!」
虎次郎がすかさず萌市の腰を殴った。
腹にしなかったのは、腹など殴れば病院送りになってしまうからだ。
骨で護られている腰を、それも彼としては相当弱く殴ったつもりだったが、
萌市はひょろ長い身体をくの字に曲げて悶えた。
「よさねぇか、トラッ! 相手は堅気だぞ」
息子を叱責した厳次郎は、さらに厳しく言い渡した。
「いいな、トラ。客人方が祓うのに失敗しても、丁重にお返しするんだぞ」
虎次郎はふてくされたようにそっぽを向く。
彼を無視して厳次郎は龍介達に説明を始めた。
「俺に取り憑いてる奴ァ、中々しぶてェ野郎でな。俺の命ァ取るまでは、この身体を離れねェだろう」
厳次郎は不敵に笑ってみせたが、龍介には威嚇されているようにしか見えない。
龍介の怯えを知って知らずか、厳次郎は淡々と自らの境地を披露した。
「俺ァこの稼業を始めた時からいつ死んでも良いと覚悟してやってきた。
シマを守るために殺った殺られたが当たり前の稼業だ。
目を閉じりゃァ死んだ仲間や敵だった連中が手招きして待ってやがる。
今更悪霊の一匹や二匹に取り憑かれたからって驚くモンでもねェ。
その時が来た――ただ、それだけの事よ」
「馬鹿な事言うんじゃねェよ親父ッ!! 俺が必ず何とかしてやるからよ」
息子の叫びに、老任侠はむしろ面倒くさげにうなずき、布団の上にあぐらを掻いた。
「お二人さん、始めてくんな。この部屋も俺も好きに調べてくれていいぜ」
龍介と萌市は早速霊の調査を始めることにした。
「どうですか、東摩氏……視えますか?」
屋敷に入った時から、龍介は霊がいないか気をつけていたが、
霊が存在するとき特有の異臭や寒気もなく、厳次郎の周辺にも霊の姿はなかった。
そう龍介が告げると、萌市はこの家の周囲に霊が居るかどうか、測定するための機材を準備した。
その間に龍介は厳次郎に話を聞くことにする。
「霊の特徴を教えてもらえませんか。どんな小さなことでもいいですから」
「俺にゃア視えねェんだ。気配みてェなのは感じるがよ」
「え、それじゃガンマンの霊というのは」
「トラよ」
「えッ……!!」
龍介は驚いて虎次郎を見た。
この見た目も性格もヤクザそのものである男が、霊を視る能力を持っているとは。
彼が導火線の極めて短い爆発物であるということを忘れ、思わず龍介は立ちあがった。
「虎次郎さんは霊が視えるんですか!?」
「……それがどうしたッてんだ」
真冬に屋外でビールを呑まされたような顔をしている虎次郎に、龍介の興奮はいっぺんに醒まされてしまった。
視えるのならなぜ自分で直接戦わないのだろうという疑問も吹き飛ばされてしまう。
「い、いえ、あの、霊の何か特徴みたいなのは……」
「知るかよ。あァ、銃はコルト・シングルアクション・アーミーだったな。ありャア、
ピースメーカー……いや違うな、たぶんフロンティアだ」
聞く人間が聞けば重要な手がかりかもしれないが、銃の知識など皆無に等しい龍介は、
虎次郎が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
「顔とか服とかは何か覚えてませんか?」
「あァンッ!? 帽子とマントを着てやがったな。あとは知らねェ」
虎次郎の機嫌はなぜか怖ろしいほどに悪く、それ以上の質問を龍介は断念した。
とはいえ、手持ち無沙汰でいるわけにはいかない。
この部屋には厳次郎と虎次郎という二人のヤクザが陣取っており、さらには部屋の中に二人待機している。
彼らの無言の圧力は尋常なものではなく、下手な冗談でも言おうものなら、なます切りにされてしまいそうだ。
龍介は真面目に――おそらく、彼も圧力から逃げているのだろう――機材を設置している浅間の所に行って話しかけた。
「浅間」
「なんでしょう、東摩氏」
「厳次郎さんに憑いている霊がガンマン……アメリカ人の霊だとして、毎回アメリカからここに来るってことはあるのか?」
「そうですねえ……アメリカとイギリスで、死んだ後に霊として友人のところに現れたという例があります」
男は生前に「死んだら君の前に現れる」と言い、手紙を遺していたため、有名になったのだ。
ただしその霊は一度現れたきりだったため、信憑性が疑われてもいる。
「霊の分類法のひとつに、地縛霊と浮遊霊というのがあります」
「あ、それは聞いたことがある」
「はい。地縛霊は土地や建物に縛られる霊を、浮遊霊は特定の場所に留まらない霊を指しますが、
浮遊霊の多くは特定の場所に留まる理由を忘れてしまうほどに自己同一性(アイデンティティ)を
失ってしまった霊だ、とする説があります」
「とすると、ガンマンの姿を保つくらいの霊がさ迷っているってのはおかしい?」
「はい。一般的に霊が長距離を移動するというのはないはずで、移動するとしたら誰かに憑いてからと言われています。
親分氏がそのガンマンと知己でないのなら、どこかで憑かれたという可能性が残りますが」
「親父は外国なんざ行ったことがねェぜ」
虎次郎が口を挟んできても、なぜか萌市は怯えなかった。
話が霊関連だからだろうか。
「ですよねぇ。ということは、理屈としてはありえないのですが」
「でも、現にガンマンの霊は現れている。どうしてだろう」
「そうですねぇ」
萌市が考えこむ。
沈黙を避けようと、龍介は思いついたことを口にしてみた。
「たとえば、誰かが霊を喚びだして厳次郎さんを狙わせるってことはできないかな。ほら、コックリさんみたいな感じで」
コックリさんとは一九七〇年代から八〇年代にかけて子供達の間で流行した、
霊を喚びだせると言われる降霊術の一種だ。
紙に五十音と鳥居を書き、鳥居の上に十円玉を置いて参加者全員が指を添える。
そしてコックリさんに呼びかけると、霊が降りてくれば十円玉が動くようになるというものだ。
問題になったのは降霊術が終わった後も霊が帰らず、参加者が取り憑かれたという事例が日本全国で発生したからだ。
学校や親が禁じてコックリさんは沈静化したが、どうしたものか、何年かに一度はブームになり、
親たちの頭痛の種になっているという。
「狐狗狸さんは低級霊しか喚べないはずですし、霊にとって無関係かつ特定の相手に取り憑かせるなんてできない……
いや、待ってください、もしかしたら」
左手を右手の肘に添え、右手で顎に手を当てて何事か考えた萌市は、不意に龍介に問いかけた。
「東摩氏は霊媒師という職業を知っていますか?」
「霊媒師? ……いや」
霊という言葉が入っているから想像はできるが、はっきりとは知らない龍介は、頭を振った。
「霊媒師とはミーディアムとも言いますが、この世界と霊の世界を繋ぐ触媒となる人間のことです。
口寄せやシャーマンとも呼ばれますが、有名なところでは東北地方のイタコがそうです」
「ああ、イタコなら知ってる」
有名な恐山のイタコは、死者の霊を身体に下ろして会話をする、口寄せという能力で知られている。
恐山にイタコが来るのは夏場だけだが、それ以外の時も地元で口寄せや占いを行って生業としており、
地域に根ざした霊能力者として東北地方では身近な存在だ。
「霊媒師は普通の人間が聞いたりすることができない霊や神の言葉を霊言や神託として代弁したり、
時には霊や神そのものを喚びよせたり、憑依させたりすることができると言われています。
ペンやウィジャボードを使った自動筆記も、霊媒が霊と対話するときに用いる手法のひとつです。
ウィジャパッドの名前は、そのウィジャボードに由来しているんですよ」
すっかり饒舌になって萌市はオカルト知識を披露する。
そこに何やら舎弟に指示を出していた虎次郎が戻って来るや否や、萌市の胸ぐらを掴んだ。
「おい、今霊媒師ッつったな!」
「ひぃッ! は、はいッ、それが何か」
気を失わんばかりに怯えている萌市と、我を忘れんばかりに憤っている虎次郎の双方を龍介はなだめつつ、
虎次郎の話を聞いた。
「怨霊会ってェ江戸川区にある同業がいてな。俺達とは対立してる。その怨霊会に怪しい連中が出入りしたことがあってな」
「怪しい連中、ですか」
「あァ。最初はヤバいブツの裏取引でも始めたかと思ってたんだが、
出入りしてる連中の中に占い師みてェな格好した女がいたッてェ話でな。
あまりにも場違いだから気になってよ、詳しく調べさせたんだよ」
「その女が霊媒師だって言うんですか?」
「あァ、間違いねェ。その霊媒師ってのか? なんでも霊を喚びだせるって話じゃねェか。
親父の前に悪霊が現れ始めた時期と、怨霊会に霊媒師が出入りしていた時期は同じくらいだ」
話しているうちに怒りを募らせたのか、虎次郎は右の拳で左の掌を強く殴った。
その音だけで怯えた萌市が、龍介の背中に貼りつく。
虎次郎は萌市など眼中にない様子で話を続けた。
「それだけじゃねェ、どっからか腕の立つ用心棒も雇ったって話だ。
以前から怨霊会はウチのシマを狙ってやがった。親父に何かありゃあ、あいつらには好都合って訳よ。
親父んとこに現れた悪霊が、怨霊会の手のモンだとしたら……」
虎次郎は何度も激しく手を打ちつける。
彼の怒りは龍介達に飛び火せんばかりだったが、厳次郎が厳しく息子を諫めた。
「いいかトラ、くれぐれも先走るんじゃねェぞ。奴等はお前が動くのを待ってんのかもしれねェ。
霊媒師とかッてのもわざとらしく見せつけておいて、うかつにお前が出ていったところで
難癖吹っかけてくるってェ絵を描いてんのかも知れねェんだ」
「けどよ、親父」
なお言い募ろうとする息子を、厳次郎はすえた眼で睨みつける。
さすがの貫禄と言うべきか、虎次郎は不承不承ながらも怨霊会に対する疑いを取り下げた。
いくつかの情報は得られたものの、霊の正体を突き止める決定的な証拠はなく、
萌市が設置した機械で測定した結果も、現在この屋敷の周辺に霊の存在はないということだった。
このまま手ぶらで編集部に帰ることになると、千鶴の叱責が怖ろしく、それ以上に虎次郎の激高が恐ろしい。
使命感と危機意識から、龍介と萌市はなんとか霊の痕跡を見つけようと努力を続けたが、それを許さぬ事態が発生した。
動き回る二人にさほどの関心もなく、部屋で座っていた厳次郎が突然咳きこんだのだ。
「親父ッ、大丈夫かッ」
虎次郎が父の許に駆け寄る。
龍介は自分の眼で確認し、さらに萌市を見た。
「霊反応ありません」
無情ともいえる報告に虎次郎が二人を睨みつけると、厳次郎が喝を飛ばした。
「これッくれェでガタガタすんなッ。……だが客人方、申し訳ねェが今日はここまでにしちゃアくれねェか」
この場に霊は居ないとしても、体調不良の原因が霊であるのは明らかだ。
もう少しこの場に留まって、せめて霊の兆候くらいは見つけたいと考える龍介だったが、
厳次郎の容態は収まる気配を見せず、遂には床に伏してしまった。
虎次郎が舎弟を呼び、一気に部屋は騒がしくなる。
「……親父はみっともねェところを他人に見せるのを嫌う。今日の所は帰ってくれ」
苦渋と焦燥を滲ませる虎次郎にそう言われては、調査を続ける術はなく、仕方なく龍介達は撤収することにした。
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