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ようやく男どもが静まったので、さゆりは依頼内容を聞くことにした。
「それじゃ早速だけど、詳しい話を聞かせてくれる?」
「最近私の周りで、不可解な事故が相次いで起こっているんです。
リハーサルでも本番中でも、急にマイクの音が途切れたり、照明が点滅したり、物が落ちたり、変な声が聞こえたり……」
典型的な霊現象だ。
さゆりは頷き、アイの不安に名前を与えることでまず安心を与えた。
「ポルターガイスト現象ね」
「ポルターガイスト?」
小首を傾げるアイに、一瞬の隙を突いて萌市が割りこんできた。
「ポルターガイスト現象というのは、有名な心霊現象の一種で、誰も触れていないのに物が動いたり、
故障したり、異音が聞こえたりする現象です。異音はラップ現象という別の心霊現象に分類されることがありますが、
科学的には、家を構成する建材などが乾燥することで音を立てているとも言われています。更には――」
早口でまくしたて、なお説明を続けようとする彼に、さゆりは冷静に指摘した。
「野々宮さんが引いてるわよ」
効果はてきめんで、ひたひたとアイの領域に浸食を図っていた萌市は、音が聞こえそうなほど急速にしぼんでいった。
「すッ、すいませんッ!! つい調子に乗って語ってしまって」
「あっ、いえ……浅間さんって物知りなんですね。尊敬します」
「そッ、そそそそそそッ、尊敬ッ!? 僕のことを、アイちゃんが尊敬!!??」
萌市は両腕を縦に揃えて口元を押さえる。
気持ち悪い、と夕隙社の面々が同時に思ったとたん、彼の全身から力が抜け、椅子にぐったりと倒れかかった。
「きゃっ、どうしたんですか?」
「感動しすぎて倒れたみたいね。放っておいていいから、話を続けましょ。ポルターガイスト現象以外に何か変わったことは?」
「それ以外には特に変わったことはないです」
ポルターガイスト現象は、霊が出現する前兆であるとも言われている。
今の時点で霊が出現していないのは、とりたてておかしな事ではないかもしれない。
しかし、霊が存在しなければ、退治することもできない。
これは引き受けるか否か、慎重に見極めなければならない。
せめてもう少し情報を引き出そうとさゆりがしたとき、テーブルの向かい側から虎次郎が言った。
「嘘だな」
「えっ?」
「可愛い顔して平然と嘘をつくたァ、さすがにアイドルってやつだな」
「ちょっと、依頼人に失礼よ」
たしなめるさゆりを虎次郎は無視して、アイを睨みつけた。
本気ではなかったものの、充分に威圧的な眼光に、アイは怯む。
依頼人の、それも年下の女性を脅すなどあってはならないことだと憤激するさゆりをよそに、
彼はアイから一時も視線を外さなかった。
「こいつらは誤魔化せても俺の目は誤魔化せねェ」
「私、嘘なんてついてません」
いきなり嘘つき呼ばわりされて、アイの目には涙が浮かんでいた。
それを見た萌市が、さゆりに勝る勢いで憤激し、虎次郎に食ってかかろうとする。
混乱と怒りが渦を巻き、業炎となってテーブルを食らいつくそうとする寸前、虎次郎がさらに声を低めて言った。
「ならお前、なんで一人で来た?」
「――!!」
アイの目が大きく見開かれる。
アイドルにふさわしい愛嬌のある目は、実はそれが偽りであったかのようにわなないていた。
溜まっていた涙が、耐えきれず一筋こぼれた。
彼女の劇的ともいえる変化に、萌市も、他の二人も凍りつく。
虎次郎がアイを見る眼差しは相変わらず鋭かったが、もうヤクザのそれではなく、年長者のものだった。
「こんな事が騒ぎになればアイドルとしちゃあマズい。こんな話は普通、マネージャー辺りが処理するモンだ。
当然、ここに来るのだってだ。なのにお前は自分で来た。それも、一人で」
「それは、みんなに余計な手間をかけさせたくなくて……」
「違うな」
虎次郎はむしろ、諭すように遮った。
「――お前、その現象を起こしたのが、誰か知ってんだろ?」
とどめの一撃を受けたアイは力尽き、がっくりとうなだれてしまった。
顔を覆った両手の隙間から、嗚咽が漏れる。
信奉するアイドルを陵辱された萌市も、アイに殉じるように膝の上に両手を置き、震えていた。
「俺はこの東京で人を騙し、陥れてしたたかに生きる連中をゴマンと見てきた。
人を騙すのが悪いとは思っちゃいねェさ。俺に言わせりゃ騙される方が悪いってモンよ。
それに、騙す方だって人を蹴落とし、這い上がるしか生きていけなかったんだろうからな」
虎次郎は一度口を閉ざした。
だが、割りこもうとする者はいない。
アイの嗚咽は収まらず、話を聞いているのかも怪しかったが、虎次郎は話を再開させた。
「だがな、そうやって人を騙し、自分を偽って生きる先に何が残る?
人は自分をさらけ出した奴にしか心を開かねェもんだ。偽りの人間には偽りの人間や世界しか見えねェ。
本当に助けて欲しけりゃ、自分をさらけ出すこッた。
それができねェなら、人に助けなんて求めずに、てめェ自身で何とかするんだな。
俺はお前が悪霊に取り殺されようが知ったこっちゃねェ。だが、そいつは心底お前を助けたいと願っている筈だぜ」
一気に言い終えた虎次郎は、コップの水を飲みほした。
空のコップがテーブルに激突し、悲鳴を放つ。
その残響が消え去らないうちに、虎次郎は立ちあがった。
「外の空気吸ってくる」
言うだけ言って虎次郎が去った後も、積極的に動こうとする者はいなかった。
長い沈黙の後、ようやくさゆりがかすれた声を出す。
「野々宮さん、大丈夫?」
アイは頷いたが、顔は隠したままで、さゆりが差しだしたハンカチも受け取ろうとしなかった。
さらに数分が過ぎ、ようやく落ちついてきたのか、自分のティッシュで鼻をかみ、顔を上げた。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって」
「いいのよ、初対面の子にあんなこと言うなんて、後できっちり叱っておくわ」
「でも、山河さんのおっしゃったことは正しいと思います」
正しければ何を言っても良いというわけではないし、言い方というものもある。
いくらアイドルといえども、怒っても当然のはずだったが、彼女のけなげな態度は、
さゆりに訴えかけるものがあったらしい。
「わかったわ。私達がなんとかするから、野々宮さんは安心して」
あまり安請け合いをするものではない、と龍介は思った。
だが、萌市は安請け合い派だろうし、二対一となった以上、依頼を受ける方向で物事を進める方が良いだろう。
「……でも、その霊現象について何か心当たりがあるのなら、教えて欲しいな」
龍介は努めて柔らかく言ったつもりだったが、アイは決心がつかないのか、困った顔をしている。
すると、落ち着きを取り戻した萌市が、静かに頭を振った。
「いいんですよ、言わなくても」
「え?」
「アイドルは僕達の知らない顔があり、隠された部分があるからアイドルなんです。
全てが白日の下に晒されたアイドルは、アイドルじゃありません」
「浅間……さん……」
「だから、言わなくてもいいんです。本当のことを……過去に何があったのかを」
アイの肩が強ばるのを、さゆりは鋭く観察していたが、口は挟まなかった。
「僕達ファンの夢は、アイちゃんが笑顔でいることです。
そして、僕達夕隙社の役目は、TV局に出た霊を斃すことです。
アイドル――野々宮アイの過去を暴くことではありません」
「その通りね。たまには浅間君も良いこと言うじゃない」
フフフ、と笑う萌市の笑顔は、少しぎこちなかった。
「それじゃ、早速そのスタジオに行ってみましょう」
さゆりが立ちあがり、龍介達も続く。
こうして夕隙社は、野々宮アイを依頼人とした霊現象の解決に向けて、動きだすことになった。
アイを加えた四人が外に出ると、虎次郎が店の前にいた。
精神安定剤代わりのハッカを咥えているが、どこか所在なげでもある。
「おう、話は終わったのか」
だが、さゆりは無視して行ってしまい、萌市とアイもはばかりつつ彼女についていく。
残ったのは彼の世話係を命じられた龍介で、虎次郎は目が合った途端、がっちりと首に腕を回してきた。
爽やか系だがややキツめのコロンの匂いが鼻を刺す。
「……おい、あの女怒ってんのか」
「え、いや、まあ、そんなこともないと思いますけど」
なぜさゆりの肩を持たねばならないのか、理不尽な気がしたが、
物理的に持たれている肩の危険を考えるとやむを得ない。
それよりも、虎次郎もさゆりに苦手意識を持っているようなのが、おかしかった。
などと思っていると、首に回された腕の力が強くなる。
「おめェも男なら、女に舐められッぱなしでいるんじゃねェぞ。たまにはガツンとやってやれ」
極められた首を龍介が必死に振ると、虎次郎は一応解放してくれた。
前門の虎次郎、後門のさゆり。
二人の教育係を押しつけられた龍介は、どちらがまだマシだろうかと悩まずにいられなかった。
霊現象が起こるというスタジオは、喫茶店から歩いて五分ほどの場所にあった。
表通りに面していて人通りも多く、芸能人を待っているとおぼしき若者が十数人ほど建物の前に居る。
野々宮アイが見つかったら騒ぎになるのではないかと龍介達は危惧したが、意外にもすんなり中に入れた。
外観はそれほど派手な印象は受けなかったスタジオは、中に入ると一気に華やかになった。
ここはテレビ局ではなく、番組の撮影や歌の収録をする際に用いられる外部のスタジオなのだが、
いわゆる業界人が使うからか、壁や廊下に至るまで、浮世離れした雰囲気で装飾されていた。
おのぼりさんよろしく周りを見渡す龍介達とは対照的に、
野々宮アイは勝手知ったる自分の家とばかりに奥へと歩いていく。
「まず、心霊現象があった場所を調べてみましょう。霊の痕跡を調べるんです」
「はい、それじゃスタジオに行きますね」
アイと並んで先頭を歩く萌市は、至福を感じているに違いない。
彼の気合いの入りようは後ろからでも一目瞭然で、虎次郎のみならず、さゆりもやや呆れ気味に呟いたものだった。
「野々宮さんと居たいがために、わざと依頼をしくじるなんてことは無いわよね」
「ンな奴ァ男の風上にも置けねェ。あの野郎が下手打ちやがったらブン殴ってやる」
いくらなんでもそんなことは、と龍介は思うが、時々ニュースで見るように、
オタクは欲望のためなら他人の迷惑も顧みずに何でもするという偏見が彼の中にもあった。
そして、萌市は典型的なオタクであるという評価を、残念ながら覆すことはできない。
「皆さんッ、何をぐずぐず歩いているんですかッ。早く行きますよッ」
萌市に怒られた三人は、肩をすくめて彼を追いかけた。
「おはようございま〜す」
「おはようございます」
廊下ですれ違うたび、軽やかな声が飛び交う。
むろん、それは龍介達にではなく、アイに向けての挨拶で、声をかけたスタッフの中には、
学生服の龍介やさゆりに怪訝そうな顔をする者もいた。
龍介は呼び止められたらどうしよう、と小心なことを考えるが、
さゆりや虎次郎は堂々としたもので、意外に萌市もしっかりしていた。
虎次郎の屋敷に行ったときとは大違いで、たぶんアイの依頼を解決するという使命感に燃えているからだろうが、
何か差がついたようにも思う龍介だった。
年期の入り方は良い勝負だが、小綺麗さで遙かに優っているエレベーターで地下に行く。
地下二階で止まったエレベーターを龍介達が下りると、華やかな雰囲気は一転して人影も少なく、
装飾も乏しい、地下に相応しいものとなった。
アイは四人を並ぶ扉の一つに連れていく。
扉の前に立つと、彼女が緊張するのが龍介達にも伝わってきた。
「ゴースト野郎が出るってスタジオはここか?」
虎次郎が訊ねると、アイは頷き、彼らを呼ぶことになった原因を語った。
「昨日はこの奥にある倉庫で、置いてあった機材が倒れてスタッフさんが危うく下敷きになる事故がありました。
その前は控え室に備えつけの鏡が割れたり、幸い怪我人は出なかったんですけど、祟りだっていうスタッフもいて……」
「祟り?」
「はい。実はこの建物のBスタジオで、何年か前に事故があって……」
アイの説明をさゆりがメモに取っていく。
彼女はもちろんスマートフォンを持っているし、夕隙社支給のウィジャパッドも持っている。
しかし、メモに関しては筆記で取る主義だった。
彼女が記録を取ってくれるおかげで龍介は楽ができるのだが、雑誌の編集者っぽいことをやっている彼女を見ると、
少し対抗意識が出てきたりもする。
といって筆記能力ではさゆりに劣るので、張り合うのなら実働部門で頑張るほかない。
一度、小さく呼吸を整えたアイが、ドアノブを掴む。
そこに廊下を通りかかったスタッフと思われる若い男が声をかけた。
「あ、アイちゃん、さっきマネージャーさんが捜してたよ」
「いっけない……無断でスタジオから抜け出したから捜してるんだわ。ごめんなさい、ちょっと行ってきます」
言うが早いか、アイは身を翻して来た道を戻っていってしまった。
廊下に取り残された四人は肩すかしを食った感を拭えず、揃って顔を見合わせる。
「アイドルって忙しいのね」
「ああ、アイちゃん……」
至福の時間があっけなく終わりを告げて、萌市はしおれたもやしのように意気消沈している。
彼の喜怒哀楽にいちいちつきあうと疲れるというのを龍介は学んだので、励ましたりはしなかった。
首筋に手をやりながら、虎次郎が呟く。
「あのねえちゃんの話を疑ってたわけじゃねェが、確かにここは嫌な感じだぜ。
この建物に入った時から後ろの毛が焼け焦げるような感じがしやがる。
こいつァ……カチコミかけた時に俺を狙ってる相手と出くわしたときに似てるぜ」
収録スタジオで人が死ぬことは少ない。
だが、ここにはおそらく、一般的な会社よりも喜怒哀楽が凝縮されているのだろう。
良い曲を歌えたり、新しい番組に出られる喜びや楽しさは、
上手く歌えず、オーディションに落ちた哀しみや怒りと表裏一体だ。
中には無念の死を遂げた人もいるはずで、そうした想いが何十年も積もれば、
巨大な念となって建物に染みつくこともあるだろう。
「そうね……たくさんの気配が入り交じってるけど、多すぎて何が何だかわからないわ」
同意を求めるように龍介を見たさゆりは、彼が頷くと、思いだしたように虎次郎に訊ねた。
「ところで平気なの? 前は立てないくらい苦しがってたけど」
「おう、あれから発作は出ねェ。親父が発作を紛らわすためにくれたこのハッカも、
もう必要ねェと思うんだがな、何ていうか口寂しくてよ。で、どうすんだ? このまま待ってんのか?」
虎次郎の問いに答えたのは、やる気を取り戻したらしい萌市だった。
「アイちゃんが戻ってくるまでに、ちょっと他の場所も調べてみましょう」
待っているよりはマシだと思った龍介達は頷き、廊下の奥へと歩きはじめた。
ちょっと調べてみる、というのが思ったより大変だということを、すぐに龍介達は思い知った。
片っ端から部屋を開けて、中に関係者が居た場合、龍介達は身分の説明に四苦八苦することになる。
依頼人に迷惑をかけない、というのは夕隙社の基本的な方針だったので、
野々宮アイの依頼で霊を捜している、などとは言えない。
それに気づいた龍介は、うかつに人に出会ったら危険だと悟り、人気を避けて歩いているうち、
どこにいるのか判らなくなってしまったのだ。
それほどややこしい構造はしていないはずだが、廊下の照明はどちらかといえば暗く、
また、スタジオの大きさが何種類かあるためか、結構入り組んでいるため、
いつのまにか見覚えのない場所を歩いていた。
「そろそろ戻らないとまずいわね……あ、あそこに人がいるわ。ちょっと訊いてみましょ」
さゆりが手を挙げ、小走りで女性に近づいていく。
女性はセーラー服姿のさゆりを見て驚いたようだったが、舞台衣装とでも思ったのか、それ以上怪しむことはなかった。
「どうしたの?」
「あ、あの、私達控え室を探していたら迷ってしまって」
「そうね、この建物は入り組んでいるから迷いやすいのよね。
控え室はこの廊下をまっすぐ行って、右に曲がった先にあるわ」
「ありがとうござ……」
「ううッ、うううッ、うううううッッ……!!」
そつなく答えていればお嬢様に見えるさゆりが、そつなく答えようとするのを、怪しい呻き声が遮る。
「ちょっと何唸ってるのよ。すいません、この人ちょっと病気で」
地が出かけたさゆりが、酷い言い訳で逃れようとすると、呻いていた萌市が突然、背筋を伸ばしてさゆりの肩を掴んだ。
「深舟氏ッ!!」
「な、何よ」
「深舟氏はこの方を知らないんですかッ!!」
「わ、私歌番組とかあまり見ないから」
いきなり肩を触られた不快感よりも、萌市の迫力に圧されてさゆりは半歩後ずさる。
彼の眼は怪しい狂熱に輝いており、肩を掴まれているのでなければ、一目散に逃げだしたいところだった。
さゆりと女性とを交互に、せわしなく見ながら、萌市は彼らの前に立っている女性が何者かを、
授賞式に際してプロフィールを読みあげる司会者のように説明した。
「高校生アイドルとしてデビューした後、歌手、モデル、女優とキャリアを積み、
その全てにおいて成功を収めたレジェンド、今年デビュー十六周年を迎える歌姫、舞園さやかとはこの方ですッ!!」
「あ……そういえばテレビで見たことあるわ」
「そういえば!!?? そういえばとは何ですか深舟氏!! さやか様に対してなんたる無礼な態度!!
神が許してもこの浅間萌市が許しません!!」
萌市の、他人の不幸をわめきたてる芸能リポーターのようにうわずる声の気味の悪さに誰も止めようとしない中、
萌市のテンションは止まるところを知らず上昇し、主に対する執事のように身体を深く、ほとんど直角に折り曲げた。
「すみません、さやか様。この庶民が無礼なことを言いまして」
「ふふッ、いいのよ。それよりも、私のことをそんなに詳しく知っていてくれるなんて嬉しいわ、ありがとう」
「おおおおおッ、さやか様から御礼の言葉を頂戴できるなんてこの浅間萌市、感激ですッ!!」
萌市は感極まったのか、眼鏡を外して涙を拭いている。
その間隙を縫って、虎次郎が前に出た。
「ものはついでだ、ねえちゃん、悪霊って知ってるか? ここで何か怪しいことが――」
「天誅ゥゥゥッッッ!!!」
ゲームの必殺技のように萌市は一回転しながら拳を突き上げた。
予想外の動きと速さに、喧嘩慣れしている虎次郎が避けられず顎にもらってしまう。
幸いだったのは萌市の動きは速くても力がなく、大したダメージにはならなかったことだ。
それでも本気で闘ったら一発でのしてしまうのは間違いない相手に、
不意打ちとはいえ一発もらった虎次郎は当然怒った。
「何しやがるこのもやし野郎ッ!」
「さやか様にねえちゃんとは何事ですかッッ!! 今のは神に代わっておしおきです!!」
顔を真っ赤にして鼻息も荒く、唾を飛ばして逆に掴みかかる萌市に、さすがの虎次郎も怒気を削がれる。
「ねえちゃんはねえちゃんじゃねェか」
彼にとって女性は職業や容姿に関係なくガキ、ねえちゃん、婆ァの三種類しかなく、
ある意味公平ですらあるのだが、むろんアイドルとそれ以外という二種類しかない萌市には通用しなかった。
「いいですか、さやか様は普通なら僕達なんて話すこともできない雲の上の存在、スーパーアイドルなんですよッ。
それをねえちゃんなどと不特定多数を表す言葉で軽々しく……ねえちゃんなどと……!!」
「わ、悪かったよ」
現役ヤクザを謝らせるという偉業を成し遂げた萌市は、彼にとっての女神に恭しく頭を垂れた。
舞園さやかは萌市が崇めるだけのことはあり、全身に今まで龍介が見たこともないような気品をまとっている。
彼女が高校生の頃はさぞ可愛かったのだろう、あとで検索してみようと龍介はこっそり思った。
その舞園さやかが、驚いている。
それは出来の悪いコントを見せられたからに違いないと龍介とさゆりは信じ、自分たちがしでかしたことのように赤面した。
しかし、驚いた表情も充分に美しい彼女は、怒ることも、むろん笑うこともなく、今度は龍介達を驚かせた。
「悪霊って、あなた達……もしかして、野々宮さんの事件を調査しに来たの?」
龍介とさゆり、虎次郎と萌市がそれぞれ顔を見合わせる。
悪霊などという、漫画やゲームやドラマや映画、つまり虚構世界以外では
ほとんど耳にしない言葉を聞いても、さやかは動じていない。
それどころか、明らかに心当たりがある態度だった。
「舞園さんは……何かご存じなんですか」
「ごめんなさい、少し待って」
さゆりの問いにさやかはなぜか目を閉じ、胸の前で手を組んだ。
祈っているような仕種の意味は判らず、龍介達は戸惑う。
数十秒ほどで目を開けたさやかは、優しい微笑を浮かべた。
「……あなた達は不思議な氣を持っているのね。私達のとは違うみたいだけれど、正しい氣を」
「……?」
き、とは何のことだろうか?
まさか龍介達が発行する雑誌で扱うような、超常的な力のことなのだろうか?
そんなはずはない。
手をかざしただけで相手が吹き飛んだり、治療不可能な病気を治してしまうなど、できるわけがないのだ。
きっと自分が聞き間違えたのだろう。
なまじ世間一般の常識から、半歩ほどずれた世界に身を置く龍介達は、自分たち以外にもそういった、
非日常に関わったことのある人間がいるという可能性を考えられなかった。
だが、仮に思いついたとしても、萌市が言うように女優としても歌手としても成功したような女性が、
かつて氣を操り、声に秘められた力で東京を護るために戦ったのだとは到底信じられなかっただろう。
舞園さやかは自らの言葉について龍介達に説明しなかったが、
微笑から一転して真摯な表情になると、彼女の方から近づいてきた。
「お願いするわ、野々宮さんの力になってあげて」
そう言って彼女は、龍介達を控室の一つに招いた。
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