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「ここなら、しばらく人は来ないわ」
さやかは龍介達に座るよう促し、自分も座る。
薄暗い廊下でも彼女の美しさは際だっていたが、灯りの下での彼女は、より一層映えた。
龍介は彼女から片時も目が離せなくなり、萌市などは、関節が固まったかのようにぎくしゃく動いている。
虎次郎を除く男二人を、さゆりが軽蔑した目で睨んだが、それすら気づかないほど、龍介は浮かれていた。
龍介達の身分と事情を簡単に確認したさやかは、彼女がアイから受けた相談内容を語った。
「野々宮さんから相談があったのは今から一ヶ月くらい前。内容は祟りに関することだったわ」
後輩からの異様な相談にも、さやかは動じなかった。
それは彼女がアイドルや歌手として歩んできた人生の他にもうひとつ、
プロフィールには載せられることのない人生を歩んでいたからだが、
野々宮アイはその事情までは知らず、単に事務所の先輩だということで相談相手に選んだに過ぎない。
しかし、それは結果として最も善い選択だった。
野々宮アイの憧れでもある舞園さやかは、彼女の話を全て聞き終えると、疑いや嘲りは一切言わず、
不必要に脅かすこともなく、まずアイを落ちつかせることに心を砕いた。
「私に相談した日の一週間前にその事件は起こったそうよ。
このビルのスタジオで行われた、彼女の新曲の収録中に、誰もいない廊下を走る音がしたり、
照明が点滅したり、スピーカーから野々宮さんじゃない声が聞こえてきたり」
その程度ならばさやかにも経験があるし、この業界にはその手の話は幾つも転がっている。
だが、アイの体験はそれに留まらず、さらに、後日さやかが他のスタッフにもそれとなく訊いてみると、
彼らにも聞こえていたという。
そして何より、霊が他の誰でもない、アイの傍に現れる理由が、さやかにも心当たりがあったのだ。
「そりゃ、さっき言ってたポルトガル現象って奴じゃねェか」
「ポルトガルじゃなくてポルターガイストよ! どこの国の現象だってのよ」
虎次郎とさやかのくだらない会話に、けれどかつて同じようなやり取りを飽きることなくしていた仲間達と、
共に過ごした宝石よりも貴重な日々を思いだし、つい失笑したさやかは、さゆりが赤面するのを見て笑いを収めた。
「それだけじゃないわ。野々宮さんが歌いだすと、マイクを通じて別の人の声まで聞こえたそうよ」
「その声は、そのマイクを使うと必ず聞こえるんですか?」
萌市が控えめに問う。
彼の表情から、さやかは彼も、アイを悩ませる霊の正体を勘づいているのではないかという気がした。
「――いいえ。聞こえるのは、野々宮さんが歌ったとき、それも新曲を歌ったときだけだって。
他の人や他の曲ではその声は聞こえてこない……だから、スタッフは藍坂ナオの祟りだって」
「――ッ!!」
さやかの予想通り、萌市は藍坂ナオの名前に過剰ともいえるくらい反応した。
息を呑み、痛ましい顔をする、見るからに内気そうな少年は、
おそらく純粋にアイドルとしての野々宮アイを愛しているのだろう。
最近はすっかり減ってしまった、欲望の対象としてではない、
アイドルとは、憧れの偶像――決して手に届いてはいけない存在だと承知の上でファンとなってくれる子達。
さやかは萌市をまっすぐ見つめた。
「アイドルに詳しいあなたなら、藍坂さんに何があったのか、知ってるわよね」
「……」
「私はあの子達がとても仲が良かったことを知ってるわ。だから、藍坂さんが野々宮さんを怨んでいるとは思えないの。
仮にこの事件に藍坂さんの霊が関係しているとしても、それは決して祟りじゃない。何か別の理由があるはず」
「別の理由……はい、僕もそう思います」
「それをあなた達に調べて欲しいの。お願い、野々宮さんを助けてあげて」
萌市が頷く。
力強くはなかったが、確かな意志を示した彼を、さやかは信頼する気になった。
何より彼には仲間がいる――友情で結ばれた仲間が。
彼らなら、きっと真実に辿りついてアイの悩みを晴らしてくれるだろう。
「任せときな。俺達ゃァそのために来たんだ。ねえちゃんが頼まなくても、きっちり片ァつけてやるぜ」
豪語する虎次郎に、さやかが微笑で応じたのは、彼がソファからもんどりうって落ちた後だった。
「神罰覿面ンンンッッッ!!!」
二度にわたってヤクザからダウンを奪った萌市は、己の偉業を誇りもせず、肩で息をしながら言った。
「さやか様を軽々しくねえちゃんなどと呼ぶなと言ったはずですッ!!」
そして再び身体を二つ折りにしてさやかに不祥事を詫びる。
今度こそ小さく、声に出して笑ったさやかは、彼女の笑い声を聞いて感激している萌市に、
小さく手を振って立ちあがった。
「それじゃ、私はもう仕事に行かなければならないけど、後はよろしくね」
さやかが出ていった後、部屋には混沌の渦が発生していた。
「ああ……さやか様とお話できてしまいました……浅間萌市、今日という日は絶対に忘れませんッ」
「野々宮さんはどうなったのよ」
さゆりの指摘に萌市は声を詰まらせ、窒息しそうに顔を赤くした。
図々しいオタクなら両方追いかけて何が悪い、と開き直るところだろうが、彼は根が正直なのかもしれない。
萌市に対する追及をやめたさゆりは、隣でアホのように鼻の下を伸ばしている龍介に気がついた。
「あんたは何やってんのよ」
「うん……」
知性のかけらもない返事に、さゆりは失望と激怒をそれぞれの足にこめて立ちあがった。
「スタジオで心霊現象が起こっていて、野々宮アイがそれに関係している。
事件があったスタジオに行ってみましょ、何か分かるかもしれないわ」
高らかに宣告して部屋を出る。
その際に、龍介の足の甲を思い切り踏みつけるのは忘れなかった。
霊が出現するというスタジオに、さゆり達は来た。
ここは音ではなく映像、つまり音楽番組に使われるスタジオで、
龍介達の通う暮綯學園でいうと、体育館ほどの大きさがある。
今は龍介達以外に人はおらず、置いてあるカメラや機材、それに設置したままのセットが、作り物めいた印象を与えた。
「ここがBスタジオね」
まだ足の甲をさすっている馬鹿は無視して、さゆりは萌市に向き直った。
「それじゃ、話を聞かせてもらえる?」
「えッ……?」
「藍坂ナオの名前を聞いたときの驚きよう。それに、喫茶店の時から何か怪しいと思ってたのよ」
萌市は目を瞠ったまま、答えない。
「あれは過去に起こった事件を知っていて、野々宮さんを庇っていたのね。
気持ちは分かるけど、ここで何があったのか知ることこそ、事件解決への道に繋がると思うわ。
話して……野々宮さんを助けるために」
哀しげに歪んだ萌市の顔から、一度表情が消える。
心情を整理するようにうつむいていた彼は、やがて、常よりも小さな声で語り始めた。
「藍坂ナオちゃんは、アイちゃんが以前所属していたグループのメンバーの一人です。
人気はまだまだでしたが、コアなアイドルファンの間ではグループの二枚看板として注目されていました。
歌が抜群に上手かったんですよ。野々宮アイちゃんと藍坂ナオちゃんは。
ナオちゃんはキャラ的に前に出る方じゃなかったですが、歌唱力はアイちゃんより上でした。
あの声を生で聞いたら一発で心を掴まれてしまう。まさに天性のアイドルでした。
そんな中、事務所がまずナオちゃんをソロデビューさせることにしたんです」
我が事のように二人のアイドルを褒めたたえる萌市の顔が、曇った。
「ただ、元々真面目で責任感の強い性格だったので、デビューライブ前の重圧から、
その……声が出なくなってしまったんです。あんなに歌が好きで、声が自慢だったのに。
主治医は精神的なものだからいつ治るか分からないと告げたそうです。
デビューの話はなくなり、テレビでナオちゃんの姿を見ることも、次第になくなっていきました」
アイドルという競争の激しい世界で輝きを得るには、容姿や才能の他にも求められるものがあり、
期待や嫉妬、それに孤独といった重圧に耐えられる精神力も、そのひとつだった。
藍坂ナオも、あとほんの少しの時間があれば、そこに辿りついた者しか知ることのできない重圧を、
克服することができたかもしれない。
だが、残念ながら、時間は彼女に味方しなかった。
彼女の輝きを信じ、期待する者達の想い――それが、幻であったとしても――は、藍坂ナオを追いつめ、
ついに彼女は、自らの輝きを信じられなくなってしまったのだ。
「そして……アイちゃんは遂に……遂に、自ら命を……」
萌市は眼鏡を外し、泣きだしてしまった。
「そういやあ、俺の舎弟がそんな話をしてたことがあるな。
なんでも病院のベッドの上で自ら命を絶ったって大泣きしやがって、
そん時は大の男がメソメソしてんじゃねェって殴ったんだが」
居心地悪そうに首筋を揉んでいた虎次郎が、何かに気づいたように手を止めた。
「けどよ、ゴーストってのは死んだ場所で出るんじゃねェのか? 親父を襲った野郎みてェなのは別としてよ」
虎次郎の疑問に、萌市はひときわ大きく鼻を啜って答えた。
「霊というのは生前繋がりの深い場所に出るんです。それは、死んだ場所とは限りません。
例えば生まれ育った家だったり、その人の人生に大きな影響を及ぼした場所だったり、
生前の思い出や印象の強い場所だったり。霊によって様々なんですよ」
再びナオに思いを馳せた萌市は、穏やかに彼女の想いを察した。
「ナオちゃんは、きっと……最後に歌いたかったに違いありません。最後に……自分の声で」
「藍坂ナオが野々宮アイを妬んで邪魔をしているっていうの?」
「そんな訳ありませんッ!!」
さゆりの不用意な一言は、萌市を激昂させた。
彼の魂を削って吐きだしたような否定に、さゆりは恥じ入った表情で沈黙した。
「確かにナオちゃんが亡くなった後、グループは解散に追いこまれました。
その後アイちゃんは努力の甲斐あって、今のトップアイドルの地位まで上り詰めましたが、
ナオちゃんは、そんな――嫉妬や逆恨みをするような人じゃありません」
再び萌市の目に涙が溜まったが、彼は拭おうとしない。
眼鏡が滲み、視界を塞いでも、彼の信じる藍坂ナオを庇った。
「彼女は何よりも歌が好きだった。だからもし、霊になって現れるとしたら、きっと……
もう一度歌いたいだけなんだと思います」
涙ながらに訴える萌市の真剣さは、疑いようもなかった。
しかし、真剣であることと、それが問題解決に結びつくこととは別問題であると指摘したのは虎次郎だった。
「……おめェの言った通りだとしてよ、現に困ってる人間が居るのは事実だ。
俺達はそいつを倒して出てこねェようにするのが仕事なんだぞ? おめェに出来んのか?」
「……わかりません」
うなだれた萌市は、一転して龍介を見た。
「東摩氏」
萌市の声にはすがるような響きがあった。
「東摩氏には不思議な力があるみたいです。霊の言い分を聞いて除霊……
その中でも、納得させて成仏させることを特に浄霊と言いますが、東摩氏はその力を持っているのだと思います」
「俺が!?」
「はい。真鍋氏の件とライブハウスの件、それに火暮厳次郎氏の件のいずれも、
東摩氏は霊の未練を晴らし、浄霊に成功しました」
「あれは、たまたま……」
龍介は謙遜しているのではない。
確かに結果は萌市の言う通りだが、どうしてそうなったかは全く説明できないのだ。
だから再現しろと言われても困るのだが、萌市は泣きながら龍介の肩を掴んで離そうとしなかった。
「お願いです、東摩氏。ナオちゃんの未練を晴らし、成仏させてあげてください」
「てめェの命を張らねェのに、そりゃ虫の良い頼みじゃねェのか?」
冷たいが正しくもある虎次郎の指摘に、萌市は涙声で応じた。
「僕に霊が視え、声が聞こえるのならやります。でも、残念ながら僕にはできません。
無理なお願いだというのは解っています。でも、でも、
アイちゃんの霊を叩きのめして消滅させるなんて、あまりに酷いです」
「そりゃまあ、そうだがよ……」
自分をヤクザではなく、極道、あるいは任侠と考えている虎次郎にとって、
情に訴えてこられると突っぱねるのは難しくなる。
何人も憑き殺している霊ならともかく、ただ歌いたいという未練があるだけの少女の霊を銃で撃つ、
という想像は、やはりどうにも格好が良くない。
ここで、ついに龍介は決断した。
「やれるだけはやってみるけど、正直言って、俺にそんな特別な力があるとは思えないんだ。
だから、あんまり期待されてもちょっと困る。彼女の……藍坂さんの霊の未練を晴らせなかったら、
倒すしかないだろうし」
「それでも構いません。お願いします、東摩氏」
彼の熱意に押された形だが、実際の所、泣き腫らした萌市に縋られても疎ましさの方が勝る。
それでも一応、やるだけはやってみようと思う龍介だった。
方針が固まったところで、虎次郎が辟易したように首を振った。
「チッ、普段はオタクで冴えねェくせに、アイドルの事となると頑固な野郎だ」
「僕みたいな冴えない人間が今までやってこれたのは、アイちゃんやナオちゃん――それに、他のアイドルたちが
僕に夢や希望を与えてくれたからなんです。だから今度は、僕が彼女たちのために何かをしてあげたいんです」
「それが、何があっても信じることだってのか?」
「はい。そして、何があっても助けることです。アイちゃんも――ナオちゃんも」
「任侠ってのは弱ェ奴のためにてめェの命を張るモンだって親父に教わった。てめェも俺と同じって訳か」
一人納得した虎次郎は、萌市の背中を叩いた。
「よっしゃッ、てめェの根性――見せてもらうぜッ」
しかし、萌市はよたよたとよろめいて龍介にしがみつく。
あまりに軟弱なその姿に、虎次郎は太いため息をついたのだった。
そこに野々宮アイも合流したので、龍介達は再度調査を始めることにした。
「どう……何か感じる?」
さゆりに問われて龍介は首を振った。
「いや……今のところは」
「俺もだな。嫌な気配は相変わらずだが、ここに入ってからも特に変わっちゃいねェ」
「待って」
さゆりが鋭く虎次郎を遮った。
虎次郎を含めた全員が沈黙し、神経を集中させる。
程なく全員が、突然の肌寒さを感じた。
この時期、冷房は効いておらず、現にたった今まで寒さなど感じていなかった。
これは、超自然的な現象の前触れ――霊が出現する兆候だ。
四人はアイを囲むようにして、どこに霊が現れるのか、油断なく見張った。
寒さはなお強まっていて、ウィジャパッドの温度計は先ほどより三度低下している。
温度変化が緩やかなのは、部屋が大きいからだろう。
硫黄濃度は0.05ポイントの増加で、これも数値としては微弱だが、通常、
硫黄濃度は変化しないことを考えると、やはり霊の出現は確実といえた。
「くそッ、どこから来やがる……」
虎次郎が焦れて呟く。
その呟きに呼応するように、スタジオに苦しそうな呻き声が響いた。
「ウタイタイ……」
それが意味のある音だと認識したのは、龍介とさゆり、虎次郎の三人だった。
霊が視えない萌市とアイには、何も聞こえていない。
「藍坂さんの霊……なの!?」
さゆりの囁きに、野々宮アイが弾かれたように顔を上げた。
「やっぱり、ナオだったのね……どうしてなの? 何で今頃……」
さゆりが失策を悔いる間もなく、四人の輪をすり抜けて部屋の中央に走る。
「ねえ教えてっ、ナオは私を怨んで出てきたの? 私がアイドルとして歌っているから、
ナオが叶えられなかった夢を叶えているから、私が憎くて現れるの?」
アイの涙混じりの叫びをかき消したのは、萌市だった。
「そんな訳ないじゃないですかッ!!」
彼は龍介やさゆりが聞いたことのない程の大声で、アイの疑念を打ち消した。
「藍坂ナオが野々宮アイを怨むなんてありえない。二人は今も親友でライバルなんです。
ファンは皆そう信じています。デビューの時に初めて出たテレビ番組、並んで映った雑誌の表紙、
二人で受賞した新人賞、そして、二人で歌ったライブ。全てが美しく、輝いている思い出です……永遠に」
アイは虚を突かれたように萌市を見ている。
萌市は声に力を込め、彼が信じる野々宮アイと藍坂ナオを熱く語った。
「僕が証明します。ナオちゃんはアイちゃんを怨んでなんかいないんだと、今でも二人は親友なんだと証明して見せます。
だから……アイちゃんも力を貸してください。アイちゃんの歌声だけがナオちゃんを喚べるんです」
アイは目の端に浮かんだ一粒の結晶を指で拭い、笑いかけた。
そこにある想いは、決して失くしてはいけないものだと気づいたようだった。
「……うん、わかった。ナオを信じてあげなきゃね。私はナオの親友なんだもん」
霊の気配は消え去っていた。
霊は静かな環境を好むというので、退散してしまったのかもしれない。
龍介達も何も装備を持たずに来ているので、その方が都合が良かった。
「それでは一度編集部に戻って装備を整えましょう。……そうですね、今から二時間後に始めます。いいですか?」
「はいっ」
元気よく頷くアイから、萌市は目を逸らした。
自分が誰と話しているか、急に自覚したらしい。
それでも、彼は果たすべき役割はきちんと果たした。
「それと、霊であるナオちゃんと話すためには、彼女をどこかに閉じこめる必要があります。
どこか鉄筋コンクリートで囲まれていて、広くない場所があれば……」
「それなら控室なんてどうですか? 今日は収録がないから、人も来ないですし」
「いいですね、そこならナオちゃんとゆっくり話せそうです」
二時間後にここで落ち合うことを決め、龍介達はアイと一旦別れ、夕隙社に戻ったのだった。
夕隙社に戻った龍介達が、支我も加えてスタジオに戻ってきたのは、予定時刻の三十分前だった。
霊を斃すのではなく、なだめるという提案に、支我は当然難色を示した。
だが、アイと萌市だけでなく、龍介や虎次郎までやらせてくれと言いだして、渋々承諾したのだった。
実際に霊と戦う龍介と虎次郎の考えを頭ごなしに否定すれば、戦闘中に混乱を来す可能性があると考えたのだ。
今回の霊と、野々宮アイとの関係や経緯については報告を受けていたが、それでも支我には不安が拭えない。
生前、どれほど仲が良かったとしても、霊となる――つまり、何か成仏できない要因があって現世に留まった場合、
思考や性格に変化が生じる場合があるのだ。
それがたとえ逆恨みや事実無根だったとしても、誤りを受け入れ、納得するケースはほとんどない。
より凶暴化することすらあり、そうなった場合、無防備に霊に近づいていたら、損害は甚大なものとなるのだ。
まして今回、野々宮アイは霊と接触する能力を持たない。
彼女の意向を龍介なりさゆりなりが代理で伝えるしかなく、上手く事が運ぶ可能性は低いと言わざるを得なかった。
せめて自分が動けたら、もう少し状況を有利に展開できたかもしれないのに。
動かなくなった両足を、支我は呪わしげに見つめた。
皆に同調しなかったさゆりは、配置につく前、龍介に問いただした。
「ねえ……本当に浅間君の頼みどおり、藍坂ナオの霊に歌わせるつもりなの?
霊と意思の疎通なんてできると思っているの?」
今回は出番がなさそうながら、一応護身用に持っている鉄パイプを杖代わりに立てて、龍介は応じた。
「そうだな……そんなことができるのか全然自信はないけど、約束しちまったからな」
「安請け合いして失敗したら、かえって皆不幸になるのよ。解ってる?」
容赦ないが的確な指摘に、龍介は真面目くさって頷いた。
ふざけたつもりはなく、真剣さをアピールしたつもりだったが、さゆりの眼は明らかに怒っていた。
語を補うかどうか、迷う龍介の耳に、インカム越しの支我の声が入ってきた。
「全員配置についたか?」
会話を打ち切られた格好のさゆりは、まだ文句を言い足りないといった顔ながら、自分の配置場所に戻っていった。
「それじゃ……一応、頑張りなさいよ」
「ああ」
再び真面目に、龍介は頷いた。
「オッケーです」
「こっちもいいぜ」
「俺もだ」
全員の準備が整った旨を受けて、支我は除霊の開始を告げた。
「野々宮さん、準備はいいですか?」
「はい、いつでも歌えます」
「わかりました。皆、始めるぞ。ミュージック・スタンバイ。五、四、三……スタート」
スイッチを操作し、アイの曲を流す。
軽妙な、アイドルらしい伴奏がスタジオに満ち、アイが歌い始めた。
ステージに立つアイを、龍介、虎次郎、さゆりの三人が少し離れて囲む。
萌市のプロトンパックは、今回は屋内でもあり、強力すぎるということもあって使用しない。
虎次郎も霊が視えるので前衛に居てもらうが、藍坂ナオの霊を斃すわけではないので、
やはり待機役として納得してもらった。
つまり、任務の成否は龍介一人にかかっているわけで、緊張するなというほうが無理だった。
アイドルの発売前の新曲を、生歌で聴けるというのはファンにとって垂涎なのだろうが、
その僥倖を堪能する余裕もなく、アイドルの歌を聴くにはやや不釣り合いな表情で、龍介はアイを見守る。
アイの歌がサビに入ったところで、異変は生じた。
彼女のマイクにノイズが乗り、歌声が聞こえなくなる。
同時に肌寒さを龍介達が感じたところで、支我が告げた。
「霊体反応出現。Cー3だ」
支我の報告にアイの叫び声が重なった。
「ナオが……いるんですか? ナオ、ナオ!?」
「野々宮さん、歌を続けて」
支我に言われ、慌ててアイは歌に戻った。
友人の霊が出現して動揺したのだろうか、リズムも音階も定まらないが、
この状況で歌っているだけでも立派なプロ根性といえる。
一方の龍介達は霊の出現地点を凝視し、藍坂ナオの霊がいきなりアイに襲いかかっても防げるよう待ち構えていた。
だが、龍介達の緊張を、支我の警告が破る。
「さらにB−1とD−1に二体の霊の出現を観測。おそらく藍坂ナオの霊に影響を受けた浮遊霊だ。速やかに排除しろ」
「よッしゃッ、そっちは任せろッ!!」
虎次郎の雄叫びがインカムを震わせる。
ピストルを最初から抜いていた虎次郎は、支我の許可を受けると、浮遊霊を視るなり撃ち放した。
本物の銃なら音がするし、壁に当たれば弾痕が残るだろうから大変なことになる。
しかし、虎次郎が手にする銃は、子供の頃、幽霊に怯える彼に、育ての親である火暮厳次郎が与えた玩具の銃だった。
先日の厳次郎を襲った霊との戦いで、この、ライフリングすら切っていない、
五メートルも飛ばないような銃が、幽霊に対して効果があると判明したのだ。
実銃の重さや撃ったときの反動、それに硝煙の匂いには遠く及ばないが、
長年苦しめられてきた霊を斃せるとあっては、どんな拳銃にも勝る銃だった。
一体を手早く始末し、残る一体にもトリガーを弾く。
しかし、浮遊霊は巧みに身を躱し、挑発するように虎次郎の眼前を掠め飛んだ。
「上等じゃねェかこの野郎ッ!!」
怒りを沸騰させた虎次郎が銃を連射する。
もともと明確な意志をもって現れたわけではない霊は、虎次郎の射撃をすぐに躱しきれなくなり、二発が命中した。
「往生しやがれッ!!」
さらに五発の銃弾を撃ち込まれ、浮遊霊はあっけなく消滅した。
「どうだこの野郎ッ!!」
煙を吹き消す仕種をしてから、ガンスピンをして銃をホルスターに収める。
決まった、と虎次郎は思ったが、あいにく見ている者は誰もいなかった。
「……」
憮然とした表情で、虎次郎は仲間達の奮闘に目を移した。
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