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 田宮刑事と龍介、それにさゆりの三人が、練馬区にある殺人現場に到着したのは午後六時過ぎだった。
辺りはすでに暗くなっている。
殺人が行われたマンションは、それほど新しい作りではなく、オートロックもない。
ドラマで見るような立ち入り禁止のテープもなく、昨日のうちに現場検証は終わったという。
本来ならもう少し日数がかかるらしいが、ほとんど何も発見できなかったので、現在は現場の封鎖も終わったのだそうだ。
「できるだけ手短に頼むよ」
 田宮刑事が龍介達にそう告げたのは、もう四回目だ。
正式な許可を得ていない民間人を現場に立ち入らせるなど、重要な証拠が発見できたとしても言語道断なのだという
彼の言い分は理解できるものの、二人とも調査を始める前からすっかりうんざりしていた。
さゆりなどは彼に何か言い返してやりたそうなのが龍介には丸わかりで、
彼女が実行したときのリスクを考えると、別の意味で緊張が止まらない。
 だが、幸いにもさゆりはその破壊力充分な舌鋒を田宮に向けることはなく、
現場に到着すると彼女らしからぬ、やや硬さを帯びた声で言った。
「どこから始めましょうか」
「お前はEMF探知機で調べてくれよ。俺はコンセントを調べる」
「わかったわ」
 今は片づけられているとはいえ、遺体があった場所を調べるのは荷が重いだろうという龍介の配慮に
気づいたか否か、さゆりは素直に従った。
「コンセント? 霊とコンセントとどんな関係があるんだ?」
「霊はコンセントや蛇口を通って移動するんです。その時、残滓カスを残していくので霊が出現したかどうか判ります」
 瞠目する刑事に少しだけ鼻を高くしながら、龍介は家中のコンセントを調べていく。
肉眼で見ていくだけだから家中を調べても五分はかからず、そして、龍介達が来た目的は見事に達せられた。
キッチンの冷蔵庫用コンセントに、霊の残滓が見つかったのだ。
「これを見てください」
 龍介は田宮を招き、発見した残滓を見せる。
緑色をした微量の粘液が、霊視能力を持たない刑事の眼にもはっきり見えた。
「これが……霊の証拠だと言うのか?」
 確かにコンセントに付着しているのはおかしな物体だ。
鑑識も、まさかキッチンのコンセントが証拠に結びつくとは考えもせず、見落としたのだろう。
だが、事前に説明を受けた通りのものが発見され、じかにこの眼で見ても、なお田宮は信じられなかった。
「はい。どこか……もしかしたら、そのホテルを調べたら、同じ残滓が発見できるかもしれません。
ただ、この残滓は指紋みたいに霊ごとに違うかどうかまでは判らないので、犯人だと断言はできないと思います」
「ふむ……」
 二人が玄関に戻ると、さゆりの方でも霊の痕跡を捉えていた。
「ごく微量だけど硫黄の残留反応があったわ。霊が現れたのは間違いなさそうね」
「そうか。こっちでもコンセントに残滓を見つけたよ。あとはホテルでも見つかれば、ほとんど決まりだな。ね、田宮さん」
 実は田宮はホテルを調べるつもりはなかった。
現在田宮達が追っている人物は未だ重要参考人に過ぎず、捜査令状も取れていないため、
田宮達ですらホテルで彼が宿泊している部屋には踏みこめていない。
今この少年が発見した物質が仮に本当に霊の残滓だとして、
彼の言う通り、ホテルの部屋で同じものを発見できれば、捜査は大きく進展する。
『幽体離脱をして殺害』など現在の司法では立件できないかもしれないが、自白に追いこむ有力な証拠となり得るのだ。
これは大きな賭けだった。
一歩間違えれば捜査本部は解散の憂き目に遭いかねない。
しかし、現時点ですでに十人の犠牲者が出ており、ここで捕まえなければさらに増える。
 遂に田宮は決断した。
「よし、奴が泊まっていたホテルに行こう」
 三人は急ぎ足でホテルへと向かった。
 部屋を調べたいという田宮の申し出に、ホテル側は当然難色を示した。
田宮もここが勝負所と粘り強く交渉し、フロントで刑事が交渉するのを嫌ったホテル側が遂に折れるまで五分を要した。
もっとも、田宮が調べたい部屋の主が現在チェックアウトしていること、
その部屋が現在空室であるということ、そして、これからホテルに団体客が到着する予定だという条件が重ならなければ、
いくら警察手帳をちらつかせたところで無駄だっただろう。
 マネージャー立ち会いの下、田宮達は部屋に入った。
彼は田宮はともかく、学生である龍介とさゆりに明らかな不審を抱いていたが、
田宮の顔を覚えていたので、触らぬ神に祟りなしを決めこむことにしたようだった。
 龍介達の方でも状況は心得ている。
さゆりがEMF探知機を使って霊の痕跡を調べ、龍介と田宮で手早くコンセントをチェックする。
「ありました」
 宿泊客用のコンセントではなく、据付のテレビ用のコンセントに緑色のゲル状物質を、龍介が程なく見つけた。
田宮も確認し、サンプルを採取したところで、EMF探知機の測定も終了し、こちらも、やはり反応が認められた。
「協力ありがとう。俺はこれから一旦署に戻って、これまでの事件を洗い直してみるよ。
例の機械が完成したらまた連絡をくれ」
 興奮を隠しきれない様子で、田宮は龍介達に礼を言って去っていった。
彼の姿が見えなくなるまで見送っていたさゆりが肩をすくめる。
「警察に協力できたのは嬉しいけど、なんだか素っ気ないわね。利用するだけされたって感じ」
 返事がないので不審を抱いたさゆりが龍介を見ると、彼は厳しい顔をしていた。
「どうしたのよ。ただ働きがそんなに嫌だったの?」
「臭わないか?」
「え?」
 ハラスメントかと憤りかけたさゆりは、警察犬のように鼻をひくつかせている龍介に息を呑み、
彼女達の間で『臭い』が意味するものに気づいた。
「まさか……霊が居るの?」
「いや、そんなに強い臭いじゃないけど……どこかに続いてるみたいだ」
「追えそう?」
「ああ」
 龍介は頷き、臭いの追跡を開始した。
 臭いはホテルの地下駐車場へと続いていた。
「部屋から直接外に出たんじゃなくて、一旦ここに来てから現場に向かったのかしら。でもどうして」
「宿泊客の中には霊感がある奴だっているかもしれない。ホテル内を移動して見つかったら、騒ぎになるだろう」
「そういうことね」
 感心したさゆりは、不意に龍介の袖を引っ張り、停まっている車の影に引っ張りこんだ。
「うわっ、何だよ」
「しッ……あれ視て」
 さゆりの視線を龍介は目で追う。
そこにはこの二ヶ月ほどでずいぶん見慣れた、輪郭のぼやけた人の影があった。
薄い紫色をした影は、人型をしていながら明らかに人間ではない。
「どうするの?」
「どうするったって、あれが犯人が幽体離脱したやつかどうか、まだ判らないだろ」
「まどろっこしいわね」
 囁き交す二人の会話に混じるように、突然鈴の音が鳴った。
音は小さかったが、思わず二人は顔を見合わせる。
「……聞こえてないわよね」
 しかし、龍介には思い当たることがあった。
さゆりの背後を指し示し、移動するよう促す。
しゃがんだままさゆりが向きを変えた直後、隠れている車の下側が薄く光った。
「危ねえッ!!」
 龍介はさゆりの背中から突き飛ばすように跳んだ。
「きゃあッ!」
 いきなり押されたさゆりは顔から地面に突っこむ。
龍介がジェットコースターのように身体をひねりながら跳び、半身を彼女と地面の間に割りこませていなかったら、
大怪我をしていただろう。
 腕の中にいるさゆりが無事なのを半瞬で確かめた龍介は、急いで立ちあがる。
すぐに腰間の剣を引き抜いて構え、霊に相対した。
対霊用のマイナス電荷を帯びた粒子を噴出させた剣で威嚇しながら、霊の側面に回りこもうと試みる。
「ほう、お前達には俺が視えるのか……視てはいけないものを視てしまった不幸を呪うがいい」
 青白い光に照らし出されても、霊は龍介を逆に煽るように微動だにしない。
自分から斬りこもうかと龍介が重心を前に移した瞬間、霊は揺らめいたかと思うと、予想外の動きをした。
「ッの野郎ッ!!」
 霊は龍介ではなく、さゆりを一直線に狙っていた。
さゆりはまだ立ちあがっておらず無防備だ。
虚を突かれた龍介は、違反車両を止める警察のようになりふり構わず剣を突きだし、強引に霊とさゆりの間に身体を入れた。
霊と接触する衝撃に備えて気合いを入れる。
しかし、予測した衝突は発生せず、龍介は勢い余って倒れた。
小さくない痛みが身体の広い範囲を襲う。
痛みで意識の遮断器が落ちそうになる身体を強引にねじふせ、蛙のように両手足を踏ん張って立ちあがる。
ひどく不格好であるが、見栄えなど気にしている場合ではなかった。
剣を構えて油断なく四方を見渡す。
「女……覚えていろ。必ず見つけだして殺してやる」
 どこからか声が聞こえる。
反響しやすい地下駐車場では、どこが音源なのか容易には判別できなかった。
「どこに居やがる、出てこいッ!!」
「必ずだ……必ず、殺してやる……!」
 龍介はさゆりを庇いながら霊を探すが、霊はすでに逃走したようだった。
「大丈夫か」
 龍介は手を貸してさゆりを立たせる。
彼女にも霊の脅迫は聞こえていたはずで、怯えていなければ良いが、と柄にもなく心配した。
 案の定、さゆりはうつむいている。
言い争いでは常に彼女をやり込めたいと願っている龍介だが、このように落ちこんでいるところを目の当たりにすると、
どうして良いか分からなくなる。
そこにいるのかどうかさえ不安定な儚さは、触れてみたいという衝動に駆られてしまうほどだった。
幾らかでも元気づけようと龍介は言葉を選んだが、ふがいなくも陳腐な慰めしか出てこなかった。
「あんまり気にすんなよ」
「何のこと?」
「霊の捨て台詞だよ」
「ああ」
 さゆりの反応は龍介の予想とは全く異なるものだった。
大きな眼で龍介をきっと見据え、彼女は唇を尖らせたのだ。
「そんなもの、どうして私が気にしなきゃいけないの?」
「そんなこと言ったってお前」
「私は誰かに恨まれるような生き方をしていないし、逆恨みなんてどれだけ気にしたって無駄でしょ」
 傲慢にさえ聞こえる主張をし、黒い瞳を勝ち気に輝かせるさゆりに、龍介はなぜか嬉しくなった。
ただ、それを彼女に伝えるのは憚られたので、別の疑問を口にした。
「じゃあ、なんで落ちこんでたんだよ」
 するとさゆりはわずかに悔いる表情を見せた。
目を伏せ、何事か考える様子だったが、やがて小声で、しかしはっきりと言った。
「ごめんなさい」
「何が」
 今度は龍介が面食らう番だった。
彼女に謝られるようなことをしただろうかと真剣に考える。
もしかして突き飛ばしたことを最高に遠回りな言い方で責めているのだろうかという、
いくら好いていない相手に対してだとしても品のない考えは、口にしなくて正解だった。
さゆりは龍介の全身を見渡し、気遣わしげに言ったのだ。
「鈴が鳴ったせいで、霊に気づかれたでしょ。怪我してない?」
「ああ、それか」
 答えながら龍介は出口に向かった。
後ろを消沈した足どりでさゆりがついてくる。
彼女の機嫌を変に損ねないよう、気をつけて喋ろうとしたのは、我ながら不思議な気持ちだった。
「それたぶん、違うわ」
「どういうこと?」
「鈴が鳴ったから霊に気づかれたんじゃなくて、霊が襲ってきそうだから鈴が危険を知らせたんだと思う」
 さゆりが所持する、祖母からもらったという鈴が不思議な道具であると龍介は気づいていた。
彼女に危険が迫ると鳴って警告し、また、我を忘れている霊を沈静させる効果もある。
今回の場合はむしろ、鈴が鳴ったおかげで霊の奇襲を回避できたと言って良いだろう。
「そう……かしら」
「多分な。今日みたいなやつには、沈静させるのは難しいだろうけどな」
 ちらりとさゆりを見ると、もう落ちこんではいないようで、龍介は安堵した。
「それよか、お前こそ怪我してないのか? 打ち身とか、後から痛くなってくるから気をつけろよ」
 この時、龍介はもう前を向いていたので、さゆりの表情には気づかなかった。
 龍介の背後でわずかに目を見開いたさゆりは、視線を落とすと、スカートの裾で受けとめるように呟いたのだった。
「だ、大丈夫よ……東摩君が庇ってくれたから」
「ん?」
「な、なんでもないわよ。それより早く編集部に戻りましょ」
「復旧、終わってるかなあ。今から編集作業はちょっと嫌だなあ」
「……」
 今度はさゆりは何も答えず、いつのまにか肩を並べた龍介と駅に向かうのだった。
 残念なことに、龍介達が戻っても復旧作業は完了していなかった。
校了日が目前なのに編集作業が行えないのは大問題だが、半日動き回った龍介は、休めるのでその点はありがたい。
「お疲れ。田宮刑事は?」
「他の変死事件との関連性を調べる必要があるって署に戻った」
 復旧作業の合間で手が空いた支我が、話を聞きに来る。
冷蔵庫のスポーツドリンクを取りだして三分の一ほど一気に飲んでから、龍介は状況を報告した。
ただし、さゆりが霊に脅迫を受けたことは報告しない。
知らせたところで気遣われるだけだし、それよりはこちらから攻勢に出て片をつけたいというさゆりの希望を呑んだのだ。
「なるほど、被害者宅とホテルに霊の気配か……やはり、犯人は何らかの霊的な手段を用いた可能性が高いな」
「それから、駐車場で霊に襲われた」
「何だって!?」
「こっちが視えるって知ってずいぶん驚いてたな。すぐ逃げたし、ただの霊じゃない感じだった」
 龍介の言わんとするところを、支我は正しく諒解した。
「そいつが犯人の霊……か。問題は、犯人がどうやって幽体離脱を行ったか、ということだな」
「そこなんだよな。萌市は?」
「ずっと下に篭もってる」
 さすがに今日中に幽体離脱装置を完成させるのは無理ということだろう。
「どうする? 復旧はもうしばらくかかるし、疲れているようだから今日は帰っても構わないと思うが」
「うーん、そうだな」
 疲労はあるので帰りたいと思いながらも、迷う龍介のところに、さゆりがやってきた。
「ねえ、支我君」
「どうした、深舟」
「昨日、秋葉原で変死事件のことをパソコンで調べたわよね」
「ああ、簡単にだが」
「あれ、詳しく調べられない?」
「どういうことだ?」
「幽体離脱をした人間が、何件も殺人を犯しているのよね。被害者はどうやって選ばれたのかしら」
「何か共通点がある、ってことか……?」
「たぶん警察は何か掴んでるんでしょうけど、訊いても教えてはくれないでしょうしね」
「なるほど……」
 頷いた支我は自分の机に行き、、ノートパソコンを携えて戻ってきた。
「これを使うといい。どうやって調べるか、だが……あそこに行ってみるか」
 手慣れた、というより歯を磨いたり靴を履くように淀みなくキーボードを叩いた支我は、
程なく目的の場所に辿りついたらしく、パソコンの画面をさゆりに向けた。
「ここは裏情報というか、未解決事件や怪事件について情報交換をするマニアが集まる掲示板だ。
ここのログを辿っていけば、何か手がかりが掴めるかもしれない」
「ありがとう、支我君」
 どうしてそんな掲示板を知っているのかは訊ねずに礼だけを言ったさゆりは、
支我が復旧作業の再開のため離れると、龍介にパソコンを突きだした。
「はい」
「……俺が調べるのか?」
「私はパソコンの操作なんてできないんだから、東摩君がしてよ。調べるのは私もするから」
 そんなのほとんど意味がない、と龍介は言わなかった。
支我とさゆりの会話途中から、こうなる予感はしていたのだ。
腹をくくった龍介は、さゆりと並んでパソコンの画面を凝視した。



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