<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>
(2/5ページ)
支我が指を鳴らしてから、およそ二時間三十分後。
龍介たちは新宿駅から一駅の、豊島区にある霊園に来ていた。
この季節、夜とは言っても完全な闇ではなく、目を凝らせばぼんやりと建物や人の影が見える。
三人は見つかってしまわぬよう、木陰に隠れて様子をみることにした。
「この辺りなの?」
さゆりの囁きに支我が答える。
「ああ。編集長から話を聞いてすぐに、掲示板に細工をしておいた。
掲示板の依頼を俺達以外の誰かが受けた場合、俺のPCに自動的に通知するようにな。
その結果、十八時五十七分に通知があった。
どうやら侵入者は、この墓地にでた霊についての依頼を受けたようだ」
「つまり、その侵入者がここに現れるってこと?」
「そうなるな。夕隙社の依頼を勝手に取って除霊をするような輩を許す訳にはいかない。
必ず捕まえるんだ」
「そういうことよ。わかった?」
龍介は愛用している対霊用のマイナスイオンを発生させる棒ではなく、
古典的に霊に有効とされ、さらには人間にも効果がある鉄パイプを握りしめた。
冷やりとした硬さは頼もしいが、緊張が全て消え去るわけではない。
支我は車椅子だから相手の逃亡を阻止するのは難しいし、
さゆりは女性だから力仕事には向いておらず、必然的に荒事を担当するのは龍介ということになる。
それは仕方ないとしても、鉄パイプで人間を殴るというのは気が進まず、
できれば使う機会が来ないでほしいと願う龍介だった。
霊園の入り口を監視していたさゆりが、二人に囁きかける。
「あっ、誰か来たわよ」
龍介が一層身を低くすると、さゆりがその背中に乗るように体重をかけてきた。
「痛てて……おい、乗るなって」
「静かにしなさいよ」
理不尽な返答もあったものだが、龍介は静かにした。
不審者たちが近づいてきたからだ。
息を殺し、聞き耳を立てていると、彼らの話し声が聞こえてきた。
「くっくっくッ、この依頼を解決すれば十件目だ。
僕たちもだいぶ除霊に慣れてきた感じだな」
「意外と霊ってのもチョロイもんだね。このままあたしたち三人で、
ゴーストハンターとして稼ぐってのも良いんじゃない?」
「くくくッ。夕隙社とかいう連中が大したことないのか、僕たちが凄いのか――
まッ、当然後者だろうがね」
龍介の背中にさゆりの指が食い込む。
彼女の怒りは龍介にも理解できたが、危うく声を上げてしまうところだった。
先に話していた男女とは、別人の声がする。
「そんな話はどうでもいいから、早く終わらせてお茶にしようじゃないか。
こんな辛気臭い場所は、ボクには似つかわしくないからね。
どこにいるんだい、ボクの可愛い獲物ちゃんは?」
前の二人に比べると、新たな男の声には下品さがない。
むろん悪事を働いていることには変わりなく、龍介たちはさらなる情報収集に努めた。
「わ、わかったよ、ちょっと待てって」
影が近づいてくる。
三人だと思っていたが、どうやら四人組のようだった。
腹立たしいことに、支我をまねて車椅子に乗っている者がいる。
主に喋っているのはこの男のようで、
やたらと大きな音でノートパソコンを操作しながら答えていた。
音の割に操作は遅いらしく、焦れた女が棘だらけの声で訊ねた。
「まだなの、立川。霊が出現するのはこの辺りなんでしょ?」
「うむ、この辺りで問題ない――っていうか、外では本名で呼ぶなって言っただろ!
支我と呼べ、支我と」
「あッ、そうだったね、ごめんごめん。あんたが支我で、あたしが深舟。青梅が東摩だったっけ」
「そうそう、頼むぜ、深舟」
能天気に話しているが、もちろん龍介たちは聞き逃していない。
支我が偽者の男の五十倍は静かな音でキーボードを叩き、しっかり彼らの名前を記録した。
彼らの中では比較的品がある男が、再び発言する。
「前から気になっていたんだが、偽名を使うことに何の意味があるのかな」
「決まってるだろ、除霊に失敗してもそいつらのせいにでき――って、
こまけえこたあいいんだよ! 僕たちはお前の腕を買って手を組んでんだ。
霊が現れたらよろしく頼むぜッ」
「あまり気が乗らないなァ」
「お前そんなこと言って、前回も僕たちを危ない目に合わせただろッ!
もうちょっとで死にそうだったんだからな!」
「あれはキミ達がボクの制止も聞かずに、効果があるのかもわからない塩だの札だのを使ったからじゃないか」
「うッ、うるさいッ」
どうやら彼らは強い仲間意識で結ばれているというわけではなさそうだと龍介は思った。
とはいっても、独断専行して支我に苦言を呈されたことも一度や二度ではないし、
さゆりとは彼らより酷い関係な気もする。
事実、現在彼女は龍介の上に居るのだ。
女の子と接触しているのだから、もう少し嬉しくなっても良さそうなのに、心はまるで昂揚しない。
たとえば曳目ていに同じことをされたなら、ずいぶん喜んでしまうだろうな、
と現状と全く無関係なことを龍介が考えていると、背中に痛みが走った。
さゆりが龍介の背中に手をおいたまま、支我の方を向いたのだ。
掌をねじ込むような動きは無意識に行われたのだろうが、龍介には悪意があるようにしか思えない。
「何よあれ、どういうことよ」
土台が痛みを堪えているなど頓着しないまま、さゆりは訊ねる。
もう少し明るければ、支我も龍介の苦境に気がついたかもしれないが、
残念なことに龍介は悲鳴一つ漏らさなかったので、さゆりの横暴を止めることはなかった。
「偽者は依頼の横取りだけじゃなくて、俺達の成りすましまでやっているみたいだな」
「何よそれ、ふざけるにもほどがッ……!」
「しッ」
支我の鋭い静止にさゆりは口をつぐむ。
支我は龍介のように意味なく人の話を遮るようなことはせず、そうするだけの理由が必ずあるからだ。
その理由を、さゆりは程なく知った。
肌に冷気を感じる。
季節外れの、というより場違いな寒さは、この数ヶ月でなじみとなった、霊が出現する前兆だった。
さらに、鼻にもかすかな異臭を感じる。
さゆりは緊張の面持ちで、依頼を横取りした不届き者たちを見た。
「むッ!? 急に寒気が……風邪の引きはじめかもしれないな、気をつけないと」
「で、出たよッ!! 立川――じゃなくて支我ッ!!」
「ええっと、確か食卓塩をポケットに入れておいたはずなんだが、どこにしまったかな?」
素人のくせに聞きかじった知識だけで得意がり、
あまつさえプロの仕事に口を出してくる――プロからすると最も腹立たしい人種が、そこにいた。
さゆりは苛立ち、龍介は憮然とし、支我でさえ、面白くなさそうな顔で彼らを見ている。
見られている方である支我の偽者は、龍介たちの白けた視線にも気づかず、必死で塩を探していたが、
見るからに胡散臭いお守りだの十字架だの数珠だのを闇雲に取りだした挙げ句、
見つからない塩を諦めて、偽者ではない――少なくとも、龍介たちの誰かを模しているのではなさそうな――
上から下まで髪以外は白一色の男に、太くて短い指を突きつけた。
「まあいいッ、白峰ッ、お前の剣で倒せッ!!」
「少女に剣を向けるのは気が乗らないなァ」
「くッ…何て我儘なやつなんだ……!」
さらに白けていく龍介たちと対象的に、偽者たちはオチを忘れた漫才師のように慌てふためいた。
「ほッ、他に武器はないのかいッ!? さっさとなんとかしなよッ!!」
「うるさいな、そんな事言うなら自分で何か持ってくれば良かっただろッ」
支我の偽者とさゆりの偽者がついに喧嘩を始める。
本物の支我とさゆりは、少なくとも口論までしたことはなく、ある意味で新鮮な光景ともいえた。
特に龍介は感銘すら受けた面持ちで、言い争いを続ける偽者たちを見ていた。
すると、掌が背中にねじこまれる。
「痛えなッ、何すんだ」
「何感心してんのよ」
「別に感心なんかしてねえよ、お前と支我が言い合ってるのは珍しいって思っただけだって」
「私じゃないわよッ!」
「事実は正確に報告するべきだ。あそこで言い争っているのは知らない誰かで、
決して俺の偽者なんかじゃない」
「わ、悪い」
二人に揃って指摘されては、引き下がるしかなかった。
この時、龍介たちもそれなりに大きな声になっていたのだが、
偽者たちは言い争うのに夢中で全く気づかなかった。
「東摩は何か持ってないのかッ!!」
「ええっと……チョコレートならあるよ」
「チョコレートが何の役に立つってのよッ!! ったく、使えないねッ」
龍介の偽者はいかにも気が弱そうな小柄な男で、
支我とさゆりの偽者に挟まれて全く立場がないように見え、
龍介は支我の分自分よりも辛い境遇にある彼にちょっぴり同情した。
「あーもうッ、見てらんないわッ」
霊が出現しているのに、一向に対応しようとしない偽者たちに、
業を煮やしたさゆりが木陰から飛びだす。
「あんたたちッ、除霊もできないくせに、よくも私達の偽者を名乗るなんて舐めたまねしてくれたわねッ」
「な、なんだお前」
偽支我に向かってさゆりは指を突きつける。
だが、これまで溜まった鬱憤を、一気に晴らしてやろうと口を開いたところで、
思わぬところから先制攻撃を受けた。
「何て美しいんだッ!!」
上から下まで白一色で固めた、偽者ではないが彼らの仲間と思われる男が、
対峙する二人の間に割って入ってきたのだ。
「ボクの名前は白峰勇槻。この花をキミに捧げよう、美しいお嬢さん」
「えッ、わッ、私ッ!?」
「キミの美しさの前には、この墓地でさえベルサイユ宮殿の中庭にいるかのような錯覚に陥る。
こうして耳を澄ませば、風に乗って鳥のさえずりも聴こえてくるようじゃないか」
歯が浮くどころか身体ごと飛んでいきそうなクサい台詞は、
龍介と支我のみならず、当事者のさゆりまで呆然とさせた。
外見だけならさゆりは確かに美しいといえるかもしれない。
だが、さゆりの本性は彼女と会話を交わしたときに発現するもので、
この時龍介は、言葉の槍で串刺しにされるであろう新たな犠牲者を、むしろ邪な気持ちで歓迎した。
夜の墓場に白ずくめの上下スーツというあまりにも場違いな服装をしている、
白峰勇槻と名乗った男は、龍介と支我には目もくれず、さゆりだけをまっすぐに見つめた。
「というわけでボクと婚約しよう。生涯の伴侶として」
「なッ、ちょッ、ちょっと待って――」
「答えは今でなくても良いさ。ボクは、いつまでもキミの答えを待っているよ。
そう――キミの忠実なる従者のように」
「と、東摩君、何か言ってよ」
神の奇跡か悪魔の外法か、はたまた宇宙人の降臨を目の当たりにしたかのような衝撃に龍介は撃たれた。
狼狽したさゆりが、困り果てた顔ですがってきたのだ。
逆八の字に傾くことが常である眉はベンディングされたスプーンのようにたわみ、
鉄球のようにまっすぐ見据える瞳は念動力で動かされた物体のように揺れ、
針というよりも槍を撃ち出す唇は出来の悪いミステリーサークルさながらに歪んでいた。
それらはそれまでの彼女が何であったとしても、龍介の裡に秘められた、
本人も知らなかった騎士道精神を正しく呼び起こすものであり、
龍介は彼女をかばおうと半歩進み出た。
「……キミはこのマドモワゼルの召使いかな?」
白峰の口調に嘲りはなく、本気でそう思っているようだ。
どちらかというと不倶戴天の敵だという返答を呑みこんで、龍介は答えた。
「同僚だ」
「ああ、それは失礼した。だが、すまないがこのマドモワゼルとのめくるめくひとときを
過ごすのを、今しばらく妨げないではもらえないだろうか」
「悪いがそうもいかないんだ。今から仕事なんだよ」
龍介は異性の機微について詳しく知らないが、
片方が怯えている状態で交わす会話をめくるめくひとときとは言わないだろう。
龍介が顔の左半分を白峰に向けたまま、右半分を後ろのさゆりに向けると、
彼女はよほど驚いたのか、人の精神を貫く破壊力を持つ言葉の槍を撃ちだすことも忘れ、
虚しく口を開閉させていた。
白峰という男には敵意どころか喝采を叫びたい龍介だったが、
彼も偽者の一味である以上、仲良くするというわけにはいかない。
いつでも殴りかかれる体勢を整える龍介を、制するように支我が進み出る。
「お喋りはそこまでにしてもらおうか」
「く、車椅子の学生……まさか、あんたたち……!」
「勝手に幽撃隊の依頼を横取りしたり、俺達の名前を騙ったりと色々やってくれたようだな」
墓場に通る支我の低い声は、死者ではなく生者を動揺させた。
だが、さすが偽者として暗躍するだけあって、すぐに開き直る。
偽支我――車椅子に座る、小太りの男は、冷たく見据える本物の支我に、太く短い指を突きつけた。
「ふ、ふんッ、お前たちに何ができるって言うんだッ。
お前たちが違法なことをやっているのは知っているんだ。
僕たちを警察に突き出せば、自分たちの身も危ないんだからな」
「突きださないで始末をつけるって方策もあるよなあ」
鉄パイプで掌を叩きながら龍介は応じた。
人間相手の荒事に自信はないが、目の前の男たちには勝てそうな気がする。
ふてぶてしい態度の支我の偽者は不摂生なのが一目で判る体格だし、
自分の……つまり、人員構成的に龍介の偽者であろう小柄な男も、いかにも陰気で弱そうだ。
さゆりの偽者は女なので手を挙げる気にはなれないが、男二人を倒せば降参するだろう。
自分でも不思議なほど好戦的になっている龍介は、威嚇のつもりで足を一歩踏み出した。
自分の行動を龍介がすぐに後悔したのは、支我の偽者は怯むどころか身を乗り出して、
唾を散らしながらなお強がってきたからだ。
「僕たちを単なる偽者だと思うのは失礼だぞ。
僕たちのほうがお前たちより優秀なんだからな。
そうだ、いい機会だからお前ら引退しちまえよ。
無能なお前たちに代わって、これからは僕たちが除霊してやるよ」
「こッ、このメガネデブ、言わせておけば……!!」
白峰の求婚ですっかり失調していたさゆりが、ようやく調子を取り戻したらしく反撃する。
罵声がど直球なのはまだ完全には回復していないからかもしれないが、
それ以外には形容しようのない悪口に、龍介は戦意も忘れてつい吹きだしてしまった。
実力行使も辞さない龍介とさゆりに対し、司令塔である支我は敵の言い分にも耳を傾け、
それどころか感銘を受けたように頷きさえした。
「なるほど、優秀な方が生き残るというのは正しい理屈だ。
生物においても、企業においてもな」
「しッ、支我君」
「ほう、お前はなかなか身の程をわきまえているじゃないか」
偽の支我――車椅子を使い、眼鏡をかけ、髪型以外に似ている要素はまったくない――は、
大口を開けて哄笑した。
頬に眼鏡が食いこんでいるのが、なんとも見苦しい。
軽く目を細めて、本物の支我は落ち着いて言った。
「だからひとつ、お前達の実力を見せてほしいんだが」
「実力ぅ?」
「ああ。ちょうどここには霊がいる。
この霊をどちらが早く除霊できるかで、どちらが引退するか決めようじゃないか」
偽支我が固まったのは、支我の静かな自信を感じ取ったのかもしれない。
しかし、そこで引き下がれば可愛げもあろうものを、彼は太い指を支我に突きつけた。
「……よ、よし、いいだろう。ただしお前らが先にやってみせろ」
「なんでよッ、自信があるんでしょッ?」
「優秀な僕たちが先に除霊したら、お前たちは霊がいなくなったのを幸いに、
言い訳するつもりだろう? そうに決まってる」
「こっの……!!」
さゆりの頭髪が数本逆だっているのは、龍介の目の錯覚だろうか。
この喜怒哀楽が豊かすぎる少女は、火の粉がこちらに飛んでくると大迷惑だが、見ている分には飽きない。
龍介はむずむずする口元を、気づかれないように押さえた。
肩をいからせて今にも飛びかかりそうなさゆりに、支我が落ち着いて声をかける。
「まあいいさ、深舟。こうなったらぐうの音も出ない、完璧な除霊を見せてやろう」
「……そうね。いい、東摩君。失敗したらただじゃおかないわよ」
「任せとけ」
短く、力強い返事に、さゆりは虚を突かれたように頷いた。
風船がしぼむように興奮が醒めていく彼女に、再度吹きだしかけた龍介は頬を一つ叩いてごまかし、
霊のところへと向かった。
「おにいちゃん、だれ……?」
「俺の名前は龍介。名前を教えてくれるかな?」
「……あたしね、りこ」
「りこちゃんは、どうしてここにいるのかな?」
「りこちゃんね、びょうきで死んじゃったんだって……でも、りこちゃんもっとあそびたいの」
「それじゃ、俺と遊ぼうか」
「あそんでくれるの!?」
「ああ、何をして遊びたい?」
「えっとね、かけっこ」
諒解した龍介は、少女の霊と遊び始めた。
幼くて自己を認識していないのか、少女の霊は明確な形をしておらず、人のようなもやにすぎなかった。
そもそも霊が視えない人間には、墓場で走り回る奇妙な人間としか龍介は映らない。
それでも当事者は真剣であり、支我とさゆりも龍介を笑わず、無言で彼らを見守っていた。
夕隙社の方針として、霊は退治するものである。
それも札や呪法によって封じるのではなく、直接攻撃で消滅させるというのが基本戦術だった。
それが龍介がバイトとして入ってからは、霊の未練を晴らし、成仏させるという方向に変わっている。
このやり方は未練を晴らせなかった場合に霊が凶暴化するというリスクを孕んでいるが、
成功すれば周囲にほとんど損害を出すことなく依頼を解決することができるというメリットがある。
霊と対話までできる能力を持つ龍介が、今の所失敗したことはなく、
現場の指揮官である支我も、苦情を言いつつも認めざるをえない。
今回も龍介はまず会話から始めて、霊の未練を晴らさせてやろうとしていた。
十数分も経った頃だろうか、少女の霊は満足したように龍介の顔の前に浮かぶ。
「ありがとね、おにいちゃん。りこちゃんね、とってもたのしかったよ。
でもちょっとつかれちゃった」
「俺も楽しかったよ」
「またあそんでくれる?」
「ああ」
「やったあ! じゃあね、こんどはかくれんぼしようね!
……おやすみするね、バイバイ」
白いもやは薄れ、消えていった。
目を閉じて成仏を祈る龍介に、支我が静かに告げる。
「霊体反応消滅。除霊完了だ」
未練を晴らした霊が、再び現れる可能性は低いだろう。
もし、「また遊びたくなった」ら、その時は遊んでやればいい。
力づくで除霊する必要がないのなら、その方がいいというのが龍介の方針だった。
自分たちが勝ったと確信したさゆりが、鼻息も荒く偽者達に向き直る。
「どうッ、これが私達の実力よッ!! ……って、居ないじゃないッ!!」
万事に抜かりがない支我でさえ、霊に集中していて気がついていなかったのだが、
偽者達はいつのまにか、龍介達から二百メートルほども離れたところにいた。
偽支我が持っている、赤く点滅するドクロの目が遥かに遠い。
「つッ、次は俺たちが勝つッ!! バ〜カバ〜カッ!!」
「小学生の負け惜しみかッ!!」
陸上部に在籍して俊足を誇るさゆりも、彼らを追いかけるつもりはないらしい。
あるいは、彼らごときに無駄な労力を使いたくないのかもしれなかった。
そのさゆりがぎょっとしたのは、横合いからいきなり拍手が聞こえてきたからだ。
そこには先程の少女の霊よりははっきりと浮かぶ、全身白いスーツを着た白峰勇槻が立っていた。
「お前は逃げなくていいのか?」
白峰は三人の冷たい視線にも動じることなく、支我の質問に悠然と答えた。
「ボクは自分に恥じることはしていないからね。それにしても、まったくもって美しくない連中だ。
敗者も美しくあれ、ボクはキミの勝利を称えるよ」
舞踏会で挨拶を交わすような、優雅とも言える口調で白峰は言い、龍介に右手を差し出す。
握手を求められているのだと気づいた龍介は、状況が把握できずについ応じてしまった。
「いずれまた会うこともあるだろう。その時までキミの無事を祈っているよ。
それじゃ、マドモワゼルも車椅子のキミも――さようなら」
満足そうに微笑んだ白峰は、一礼すると帰りの馬車のところに向かうような足取りで帰っていった。
オカルト絡みで奇人変人にはかなり免疫ができている三人も、
彼の姿が見えなくなるまで誰も口を開こうとはしない。
夜と静寂が三人を包みなおしてから、ようやく支我がしみじみと感想を口にした。
「変わった奴だったな。あの三人と仲間というわけでもないようだったが、一体何者なんだ?」
「さあなあ。マドモワゼルはどう思う?」
「し、知らないわよ」
軽い気持ちでからかった龍介が驚くほどさゆりは赤面した。
暗闇で赤面したのがわかったのは、彼女が三段突きのような反撃どころか、
反撃自体に失敗して口ごもったからだ。
龍介にしてみれば、白峰というのは変人としか思えないのだが、
女というのは変人でも、初対面でも顔がちょっと良ければ簡単に舞いあがってしまうらしい。
なんとなく白けて龍介は、二人に撤収を促した。
「帰ろうぜ。これであの偽者もおとなしくなるだろ」
「俺の作ったセキュリティプログラムをマグレで突破したのはともかく、
素人が除霊の真似事をしていれば、いつかとんでもない目に遭う。
今のうちに手を引けば、彼らのためにも良いんだがな」
支我はマグレの部分だけ強調しており、龍介は可笑しくなった。
「ん? どうした、東摩」
「いや、別に。それにしても、なんで俺たちの偽者なんてやろうと思ったんだろうな」
「おそらく、三人のうち少なくとも一人は霊が視えるんだろうな。
それで金を稼ぐために、夕隙社の依頼の横取りを目論んだんだろう」
「とんでもないわね。いっそ一度とんでもない目に遭ったほうがいいと思うけど」
彼らを誘い出すために、あえて報酬を彼らが受け取れるようにしたので、今回は完全なただ働きだ。
時間を浪費してしまったことをそれぞれの表現で嘆きながら、
三人は夕隙社へと帰っていくのだった。
翌日、偽者騒動が解決したと報告を受けた千鶴は、大喜びで早速依頼を受けた。
営業できなかった三日分の損失は少なくないし、早急に信頼を回復する必要もあったのだ。
幸いなことに、現代の東京には霊現象が満ち溢れている。
偽者達による悪評は広がりきる前だったので、依頼もまだまだあった。
さっそく新しい依頼を受けた千鶴に出動命令を受けた龍介と支我、それにさゆりは、
依頼人と会うため、指定された現場に到着していた。
荒川区にある、旧三河島汚水処分場という施設だ。
日本で最初の近代下水道処理施設として建設されたこの施設は、現在は使われていない。
だから臭いもしないのだが、七十年以上に渡って東京の汚水を処理してきた空間に
気持ちよさを抱けないのは、若者、特に女性であるさゆりには仕方のないことかもしれなかった。
「今日はどんな依頼内容なの?」
「足音が聞こえるらしいんだ。複数の証言があって、特に害があるというわけではないらしいが、
気味が悪いので解決して欲しいそうだ」
「こんな所に?」
周りを見渡すさゆりの声が濁っているのは、呼吸を抑えているからだ。
彼女ほどではないが龍介も呼吸を控えめにしており、
支我が平然としているのが二人には信じられなかった。
普通、幽霊というのは人の生活圏に出現することが多いので、
下水処理場というのは珍しい現場ではある。
「ああ」
「依頼人はどうしてこんな場所に霊がいるなんて知ったのかしら」
「さあな……社長の話では、ずいぶん金払いが良かったそうだ。
大至急除霊して欲しいとのことで」
「どういうことかしら」
さゆりに訊かれて、龍介は自説を披露した。
「見学に来た人が怯えるんだろうよ。お役所だから、そういうのは困るんだろ」
知ったふうなことを、知ったふうな口調で言った龍介を見るさゆりの顔は、
唇がひん曲がり、眉は寄って、額と顎に小さな皺ができていて、
いかにも機嫌が悪そうに見えたので、龍介は首をすくめてそれ以上自説を押し通すのを諦めた。
代わりにノートパソコンを広げている支我に話しかける。
「霊体反応はあるのか? 俺には何も視えないが」
「わずかに気温の低下が見られるが、まだ霊出現とまでは言えないな」
「待つしかない、か」
龍介には霊が視えるが、それ以上の超能力者というわけではないので、
暗いところでも物が見えたり、建物を透過して見ることはできない。
あくまでも通常見える範囲に霊がいれば視えるというわけだから、
支我や萌市が使うセンサーの類も補助として必要なのだった。
龍介の呟きに、さゆりの顔の上下に皺が増える。
普段滑らかな肌でよくもあれほど皺を作れるものだと、
奇妙な感心をした龍介は、不意に顔をそむけた。
龍介の態度を挑発的なものであると捉えたさゆりが、
彼を睨もうとして、彼が見ているものに気づく。
支我も含めて今や六本の視線が集中した先には、彼らにとって幽霊よりも信じがたい者たちがいた。
<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>