<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>
(3/5ページ)
二人の男子高生に、一人の女子高生。
男子高生の一人は車椅子に乗っている。
龍介達を鏡写しにした構成の彼らと龍介たちは、つい昨日会ったばかりだった。
龍介とさゆりは顔を見合わせ、お互いの顔に求めている答えを見いだせずに失望する。
それを言葉にしたのはさゆりの方で、彼女はなるべく息をしないようにしていたのも忘れて、
青汁を一気に飲み下したような表情で呟いた。
「……これは一体どういう事?」
「俺が知るかよ」
「世の中には痛い目に遭わなければ判らない、軽率で救いがたい輩がいるってことだろうな」
いつになく辛辣な支我に、龍介とさゆりは毒気を抜かれた態で顔を見合わせた。
「何をコソコソ話してるんだ? さっさと除霊してみせろよ」
車椅子に座った支我の偽者が挑発する。
「この依頼を出したのは僕たちだ。そうとも知らずに依頼を受けるとは、まんまと引っかかったな」
細い目を一層細くして、偽者は得意げに胸を反らせた。
だが、小太りな体格――夕隙社の小菅春吉と比べても、明らかに締まりのない――
のため、歪んでいた樽が多少ましになった程度にしか見えない。
その偽者に対し、さゆりは直接反撃しなかった。
偽者達を見ながら、支我に訊ねる。
「引っかかった……って、夕隙社前金よね?」
「ああ、そうだ」
「つまり、除霊に失敗してもウチに金銭的な損はない」
「そうなるな」
冷静に支我が答えると、さゆりは気の毒そうに偽者達を見た。
「……馬鹿でしょ、あんた達」
「うッ、うるさいッ!! 除霊できもしないのに法外な料金を取りやがって」
「それはこっちの台詞よッ!!」
徐々にオクターブが上がっていく言い争いに、支我の低い声が水を差す。
「白峰という男はどうしたんだ?」
「ああ、あいつは僕たちと考えが合わないんで別れた」
全身白で固めた、初対面のさゆりにプロポーズした変人は、彼らにさえ見捨てられたらしい。
もっとも、偽者にまでなって夕隙社の評判を落とそうとする彼らに比べれば、
白峰は変わっているという以上の存在ではなく、むしろ縁を切られたほうが良かったのかもしれなかった。
「あんなやついなくても何の問題もない。さあ、今日こそ引導を渡してやるッ!」
「まったく懲りないわね」
腕を組むさゆりには、すでに余裕が現れている。
龍介も同様に、彼らを脅威だとみなしてはいなかったが、
彼らの方では、未だ龍介達をライバルだと思っているようだ。
「一回勝ったくらいで僕たちに勝ったとは思わないことだな」
「勝ってるんだから勝ちでしょ」
「ややこしい日本語を使うなッ!」
唾を飛ばして激昂する支我の偽者に、さゆりは鋭く言った。
「ややこしくしてるのはあんた達でしょッ。
そんな日本語、夕隙社の原稿で使ったら永遠に校正させられるわよ」
「勝負の方法はそこの霊だ。ほら、さっさと退治してみせろッ!」
容赦のない指摘に不利だと思ったのか、偽支我は一方的に口論を打ち切った。
ようやく出番が回ってきた龍介は、まず支我に確認する。
「間違いないのか?」
「ああ、間違いなく霊体反応だ。数は一体」
「除霊していいんだよな?」
「彼らの思惑はどうあれ、正規の依頼だからな」
「どこかの偽者と違って、本物は受けた依頼をちゃんと片付けるってことを見せてやるのよッ!」
支我に被せるようにけしかけてきたさゆりに頷くと、
龍介は愛用の対霊用武器を構えて霊に近づいた。
「誰……?」
霊は男の子供のようで、野球帽らしきものを被っている。
昨夜の少女よりは形がはっきりしているのは、年齢が若干高くて死を認識しているからだろうか。
襲いかかってくる気配はないので、龍介は武器をしまって霊に話しかけた。
「君は、どうしてこんなところに居る?」
「俺、野球やってるときに道路に飛んでったボール追いかけて、車に轢かれちゃったんだよ。
それで死んじゃったんだけど、もうちょっと野球やりたいんだよな」
「それじゃ、ピッチャーやってやるから俺と勝負するか」
「いいの!? 皆俺の声聞こえないみたいでさ、困ってたんだ」
野球の勝負、といっても本物のボールを使うわけではない。
龍介がボールを投げるモーションをして、霊が打つモーションをする。
ボールもグローブもないまま、今風に言うならエアプレーをするのだが、
重要なのは霊に「野球をしている気」にさせるという点だった。
龍介は投球を繰り返す。
一人で行うそれは、知らない人間が見れば滑稽を通り越して不気味ですらあったが、
支我とさゆりにはスイングをする少年の霊がはっきりと視えていた。
三十球ほども龍介が投げた頃だろうか。
龍介の投じた一球は、少年が振るバットの芯に捉えられた。
ボールの飛んでいった方を仰ぎ見た龍介は、少年に近づくと手を差しだした。
「ヘヘッ、ホームランだろ」
「ああ、やられたな」
龍介と少年はハイタッチを交わす。
それが合図となり、少年の霊は姿を薄れさせていった。
「霊体反応消滅。除霊完了だ」
支我の方でも除霊を確認できたので、最後に手を合わせて龍介は支我達のところに戻った。
鮮やかに除霊を済ませた龍介に、さゆりは得意げに彼らを睨み、
それ以上に彼らは意気消沈していた。
「どうすんだい、このままじゃあたしたち終わりだよ」
さゆりの偽者がうろたえた声を出す。
やたら化粧が濃く、その化粧も上手くないのでけばけばしさだけが際立っている彼女は、
身長だけはさゆりより高いが、それ以外のあらゆる点で本人より劣っていると龍介は感じた。
その龍介の偽者は、龍介よりも覇気がなく、いかにも頼りなくさゆりには見える。
本物ですら頼りがいがあるとはいえないのに、と思い、そんな比較をした自分に急に赤面した。
偽龍介は龍介の方を見ているが、視線は龍介ではなくどこかあらぬ方に向かっている。
以前取材に行った、UFOを呼び出せるという自称チャネラーが、
第七次元宇宙とやらからスベステル星人を喚びだそうとした時の目に似ている、
と三人が等しく思っていると、偽龍介は言動まで似たことを言った。
「終わり……わかりました。では、そのようにします」
「ちょっとッ、誰と話してるのよ。そんなところだけ本物の真似しなくてもいいのよ」
「どういう意味だよ」
「そのままよ。あんた時々独りでブツブツ言ってるんだから」
「……おい、それいつだよ」
さゆりが挑発しているのではないと知った龍介は、彼女に詰め寄った。
そんな自覚は全くなく、事実だとするなら大問題だ。
真剣な形相の龍介に、さゆりも只事でないと思ったのか、適当にあしらわずに答えようとする。
しかし、さゆりが口を開くよりも先に、龍介の偽者が言った。
「終わるなら、僕たちだけじゃなく、こいつらも……この東京も道連れだ」
「どういう意味だ?」
偽龍介の生気があまり感じられなかった顔が、
悪魔が憑いたと言われても納得しそうなほど、悪意にみなぎっている。
口調も変わり、彼の仲間さえもが驚いた表情で小柄な男を見つめていた。
「この場所は、かつて東京都の汚水を処理していた場所さ。
汚水というのは、家庭や会社、工場などから捨てられたもの――つまり、廃棄物のことだよ。
廃棄物には捨てられ、流された人の情念や欲望、この街に生きるありとあらゆる人々の、
蛇蝎のような淀みが混ざりあい、日の当たらぬ場所へと集められていく。
そして、その負の産物に霊は引き寄せられるんだ……よほど波長が合うんだろうね」
言葉の一つ一つに、彼の言う負が混じっている。
それは龍介とさゆりはもちろん、二人よりもこの業界に長く居る支我でさえ耳にしたことのない、
重油のような粘度の高いものだった。
今やこの場の全員から疎まれている龍介の偽者は、むしろそれらの澱んだ感情を好むかのように、
潜めた声に退廃的な喜びを込めた。
「この場所は長い間にこびりついた、人々の澱で溢れている。
つまり、多くの霊もまた、ここに眠っているんだ。数多の邪悪な魂たちがね……」
「お前……急に何言い出すんだ?」
支我の偽者が困惑しきっている。
偽者を演じて夕隙社の評判を貶めようとした彼らに、龍介達が好意など持てるはずがないが、
あわよくば報酬を横取りしようという彼の悪意のほうがまだ理解できた。
小さな背を屈める、本名は青梅という龍介の偽者は、世界全てを憎んでいるかのようだった。
「ここに眠る霊を掘り起こし、解き放てばどうなるかわかるかい?
ふふふッ……霊は水や電気や炭素を通って移動できる。
霊の通り道となる下水道は、この東京の地下を縦横無尽に走っている。
その道を通って目覚めた霊たちが、いろんな場所に出現すれば、街は大パニックになるだろう。
いくら君たちが頑張ったところで、たった三人で無数の霊を全て斃すことなんてできやしない」
「ここにたくさんの霊がいるとして、除霊もできないあんた達がどうやって喚べるのよ」
正気を失った――というより、狂気に目覚めた偽者の龍介に、
呑まれていたさゆりがようやく反論する。
まっとうな疑問は、だが、本物の支我によって打ち砕かれた。
「大気中の硫黄濃度上昇、さらに気温も低下している。だが、この数値は――馬鹿な……!」
一体や二体どころではない、数十もの霊に匹敵する硫黄濃度を、龍介とさゆりも感じ取っていた。
緊張を走らせる龍介たちに対し、首魁となった偽の龍介は厳かとすらいえる口調で言った。
「解き放たれた霊たちは、程なくして集まり、巨大な一つの悪霊の塊となる。
それはこの一帯に集いしあらゆる霊……地縛霊、浮遊霊、動物霊、物質霊――
それら全てを凌駕した、新たなる存在となるだろう」
それは幽霊が視えるという能力を持つ、現実から半歩踏み出している龍介でさえ、
現実とは思えない迷妄だった。
だいたいそんなことをして何になるというのか。
龍介には全く理解できなかったが、目の前の小柄な男から発する悪意と、
刻一刻と鼻を刺す度合いが強くなっていく硫黄臭は、それが事実だと告げていた。
「おい、東摩。霊を解き放つって、いつの間にそんな芸当ができるようになったんだ?」
「あんた、本当に東摩なのかい? まるで……何かに取り憑かれてるみたいだよ」
「まァ、いっか。夕隙社に一泡吹かせてやれるなら」
偽者たちは呑気な事を言っている。
東京を大混乱に陥れる引き金を引いたというのに、責任など微塵も感じていなようだった。
彼らから距離をおいてノートパソコンを操作していた支我が、顔を上げた。
「東摩、深舟、すぐに夕隙社に戻るぞ」
「どうしたの?」
「東京都内各所で、悪臭を放つ緑色の霊が目撃されているらしい。
除霊依頼掲示板が、その霊についての書き込みで埋め尽くされているそうだ。
事故も多数発生、二十三区内は大混乱に陥っているらしい」
霊はほとんどの人には視えないが、何がしかの気配を感じたりすることはあるし、
水の他にも電気系統を伝って移動するため、停電や故障を引き起こす。
まして偽の龍介が言うような、邪悪な霊たちは生者に悪意を持っているのだから、
直接人を襲うこともありえるだろう。
「言っただろ? 下水道は東京の地下を縦横無尽に走っているって」
「あんた達……何をしたかわかってるの!?」
「くくくッ、この調子だとこの勝負、戦わずして僕たちの勝ちだなッ!!」
愕然とする三人と、勝ち誇る三人。
この光景だけを見れば、本物と偽者を取り違えてしまいそうだ。
しかも、愕然としている側は、さらに悪人と見間違われそうな行動に出た。
「東摩君ッ!!」
さゆりが叫んだのは、龍介が行動を終えたあとだった。
それほど龍介の動きは速く、さゆりと支我の虚を突いたものだった。
「痛えッ!! なッ、何すんだこいつッ!!」
「自分が何をしたか解ってんのかこの野郎ッ!!」
車椅子に座る偽支我を殴り飛ばした龍介は、頬を抑える彼の胸ぐらをつかみ、絞めあげる。
剣幕に圧倒されて仲間を助けることもできないでいる彼らに、
偽支我を離した龍介は、自分の偽者をも殴り飛ばした。
偽のさゆりはさすがに殴らなかったが、汚物を蔑むような顔で睨みつけると、
それだけで彼女は床にへたりこんでしまった。
「気持ちはわかるが東摩、そんな奴らに構っている場合じゃない」
支我の声で我に返った龍介は、まだ鼻息を荒くしたまま彼の方を向いた。
「ああ、行こう。急いで悪霊を片づけないとな」
「でも、東京中に発生してるんでしょ? 悔しいけどあいつらの言うとおり、
私達だけじゃとても退治しきれないわよ」
さゆりの指摘に龍介は答えず、無言でスマホを取りだした。
「鉄栴か? ああ、そうだ。ちょっと問題が起こって、そこら中に悪霊が発生してるんだ。
とても俺達だけじゃさばききれないから、手伝って欲しいんだ。
もちろん礼はする……そう、どこに行ってもらうか、もう一度連絡するから、
準備して待機しててくれ」
「鉄栴って誰よ?」
さゆりの質問をまたも無視し、矢継ぎ早に再び電話をかける。
「あ、虎次郎さん? そう、そうです、そいつら倒すの手伝って欲しくて。
あ、待って、勝手に倒すと報酬が出ないんで、少しだけ待ってください!」
二件目を終えた龍介が支我を見ると、彼は心得顔でノートパソコンを操作していた。
「江戸川区からの依頼は三件来ている。社長に優先的に取ってもらうよう、今頼んだ」
「さすが」
龍介は短く口笛を吹いて称賛する。
そこにさゆりが耐えかねたように割って入った。
「虎次郎ってあのヤクザ? あいつに除霊を頼んだの?」
「ああ。それからバンカラな学生がいただろ? あいつが鉄栴。
二人共霊が視えるからな、頼んだら二つ返事で引き受けてくれた」
さらに龍介は電話を続ける。
「もしもし、曳目さん? ……そう、その件。
……そう、そう、荒川区の依頼は任せちゃっていいかな?
ありがとう、それじゃ依頼が来次第連絡するから」
「久伎か? ああ、詳しくは後で話すけど、緑色の霊が東京中に出現しちまってるんだ。
……そういうこと、助かるよ」
一通り知りあいに助力を頼みおえた龍介は、圧倒されて声も出ない偽物達に薄い笑いを浮かべた。
「確かに三人じゃ無理だな。だけど残念だったな、夕隙社は三人じゃないんだ」
「す、助っ人を呼ぶなんて卑怯だぞ」
ようやく言い返した支我の偽物を、もう龍介は相手にしなかった。
「助っ人も夕隙社のカンバンを背負ってるからなあ、
これ以上俺達の邪魔をするんなら、あいつらが黙っちゃいないかもな」
「お、脅す気か」
「仕事が回ってこなくて怒るのはあいつらの方だからなあ。血の気が多いやつもいるし、
東京中に散らばってるから狙われたら逃げきるのは大変だろうなあ」
それでなくても劣勢なところに、龍介が見せた各所への電話で、
少し大げさな芝居がかった龍介の脅しも充分に効果があったようだ。
三人の偽物達は、目に見えて距離を取り始めた。
「くそッ……負けたわけじゃないからなッ、覚えてろッ!」
「君たちの能力とやら、見せてもらおうか……」
「ブツブツ言ってないでアンタも逃げるんだよッ!!」
三人はついに背中を見せて逃げだした。
とはいっても、支我の偽者が遅いので、その気になれば簡単に追いつける。
さゆりは獲物を射程に収めた豹のように構えたが、すぐに構えを解いて仲間の方を向いた。
「これで目黒区、江戸川区、中央区、荒川区と新宿区は押さえたな」
「俺はここでなるべく数を減らすよ。支我は」
「夕隙社に来る依頼を適時彼らに伝えていく」
「だな」
二人は練達のコンビのように段取りを決めていく。
支我はともかく、龍介までが頼もしく見えるのは、さゆりにとって思ってもいなかったことだった。
本を作るのに必要な文章力は足りないし、段取りもお世辞にも良いとは言えない。
除霊に関しては確かに無能ではないとしても、支我のサポートがなければ、
ただ闇雲に霊に突っ込んでいくだけの、いわゆる脳筋でしかないと思っていたのだ。
それが必要に応じて人材を手配し、困難な状況を打開しようと効率的に動くとは、
何かに取り憑かれたというほうがまだ納得できる変貌ぶりだった。
「……」
さゆりは唇を尖らせる。
それが自分の心の動きに苛立った、無意識のしるしであることを、彼女は自覚していなかった。
「よし、さっそくかかろうぜ……何怒ってるんだよ」
「別に、怒ってなんかないわよ」
半ば意図的に、さゆりは怒った口調で言う。
しかし期待した反応は返ってこなかった。
「そうか。それじゃ早速霊を探そうぜ。支我は依頼の振り分けに集中してもらうから、
霊を見つけるのはお前にやってもらわないとな」
それはさゆりがこれまで聞いたことのない、大人びた返事だった。
「……わかったわよ」
敗北感めいたものを抱きながら、さゆりは答えた。
偽の龍介達が悪霊を喚びだしてから、およそ二時間が過ぎていた。
偽の龍介が言ったとおり、悪意の淀みとでも言うべきこの場所から発生した悪霊は数が多く、
とても龍介一人で倒しきれるものではなかった。
それでも龍介はよく孤軍奮闘し、ここから発生した悪霊の二割ほどは倒し、
さらに彼の仲間達も支我の指示によって効率良く移動することができたため、
一時は東京中が騒然となった悪霊騒ぎも、
終わってみれば十数件の交通事故と怪我人が出た程度で済んでいた。
「もう新しい霊は出てこないみたいだな」
「ああ、外に行った霊もほとんど処理は終わったようだ。依頼も途切れた」
支我の報告を聞いて、龍介は尻から落ちるように座りこんだ。
この二時間動きづめで、さすがに限界だった。
「まったく余計なことしてくれたよな、あいつら」
「どうして夕隙社の評判を落とそうとしたのかは気になるが、
東摩の脅しが効いていたようだからな、もう俺達に関わってくることはないと思うが」
「だといいけどな」
「撤収はもう少し待ってくれ。処理を済ませておきたいんだ」
「了解」
龍介も支我も口調が軽いのは、大仕事を達成したという充実感があるからだ。
バイト代にも相当色がつくだろうから、帰りは何か豪勢なものを食べていくのも悪くない。
近い未来に龍介が思いを馳せたところで、腹が盛大に鳴った。
これは労働の成果とも言えるものだから、全く恥じるところはなかったが、
喉が渇いたのでさてどうしようと考えていると、いきなり栄養ドリンクと菓子が差しだされた。
驚いて手から顔の方に視線を上らせていくと、なんともいえない表情をしたさゆりの顔がそこにあった。
「お腹空いてるんなら、食べなさいよ」
「……ありがとう」
素直に受け取っていいか龍介が迷ったのは、彼女の意図が読み取れなかったからだ。
しかも、さゆりはドリンクと菓子を渡しはしたものの、立ち去るでもなくそこに居続けたので、
龍介はなにか話しかける必要が生じた。
「ああ、ええと……お前も食うか?」
二十点だ、と自己採点したほど、それは気の利かない台詞だった。
しかし驚いたことに、さゆりはオリハルコン製の槍をその口から吐きだそうとはせず、
おとなしく龍介の隣に座った。
「……」
とはいえ、さゆりはまたも喋らない。
さゆりと話していてこのような経験は絶無だった龍介は、
間を持たせるために菓子を食うしかなかった。
これなら詰めが甘いだの動きに無駄が多いだのとなじられた方が、まだマシというものだった。
空腹と場つなぎで、菓子はあっという間に半分ほどなくなっていた。
食べるよう勧めた手前、一人で全部食べてしまうのは良くないのではないかと考えた龍介は、
ドリンクを手にとった。
飲んでしまったらいよいよ間が持たなくなりそうなので、フタは開けずに手の中で意味もなく回す。
炭酸飲料だったら大変なことになっただろうが、この状況に較べたら、
その方がいいかもしれないとさえ考えていると、ようやくさゆりが口を開いた。
「大変だったわね」
「ああ、まあ、そうだな。もうちょっと一人で倒せるかと思ったけど、だいぶ逃しちまったな」
こんなに素直な感想が言えたことに、龍介は驚いていた。
たぶん疲れているせいだろう。
でなければ、さゆりの前では強がったはずだ。
「怪我はなかったの?」
「霊と戦うときは、あんまり怪我はしないな。勢い余って自分で転んだりしたら別だけど、
それよか、霊と接触すると身体の芯から冷えたみたいになるのが嫌だな」
「そんな風になるの? 今まで話したことなかったじゃない」
「一時的なものだし、後も引かないしな。言うほどのことじゃなかっただけだって」
龍介はおどけて肩をすくめてみせたが、さゆりは笑わなかった。
睫毛を伏せ、何事か考えこんでいる。
ドリンクの蓋を開けようとして止めた龍介は、彼女が口を開くのを待った。
「私、あんまり上手くサポートできなかったわね」
「ん? そうか? 別にそんなことはなかったけどな」
そもそも、これまでそんな役割分担をしたことがなかったので、
さゆりのサポートが適切かどうか、判断がつかないのだ。
一応不満はなかったのだから、答えに嘘はないはずだ。
「他の人に手伝ってもらったのだって、私はそんなの全然思いつかなかったし」
「……虎次郎さんとか、連絡しない方が面倒くさいことになるからな。
それに、皆の連絡先聞いてるのって社長と俺だけだろ」
答えつつ龍介は身体を掻きむしりたくなっていた。
あろうことか、さゆりを気遣うとは!
「だから、そういうのが……あんたが聞いてるっていうのは、皆があんたに教えてるからでしょ」
「そりゃ、そうとも言えるけど」
さゆりがなぜ急に自省モードに入ったのか、龍介には解らなかった。
連絡先を聞くのくらい、いまどきそんなに難しいことではないし、
今からだって聞けば皆教えてくれるはずだ。
「私、人見知り……っていうか、そうやってすぐ仲良くなるのができなくて。
それに、仲良くなれたとしても、今回みたいに頼んだり、
手伝ってもらうっていうのはきっと言い出せないと思うの」
俺はずいぶん色々やらされているが、と言いかけて龍介は思った。
確かに、さゆりは支我や萌市にはあまり頼み事をしていない気がする。
それが彼女の性格によるものだったというのは初耳だったが、
だとすると自分はどういう扱いなのだろうかという疑問も生じるのだった。
ただし、それを今口にするべきではなかった。
せっかく惑星直列よりも貴重な、さゆりと普通の会話ができているのだから、
何もこちらから崩す必要はないのだ。
「だから……だから、今日はちょっと見直したわ」
余計なことを言わないで良かった、と心から龍介は思った。
生きている間にさゆりに褒められる日が来るとは、マヤカレンダーにも記されていないだろう。
こちらを見ないで、少し怒ったようなさゆりの一言は、何よりも龍介の疲労を回復させたのだった。
<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>