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 新宿の病院から渋谷に移動する間に、天気は曇り空から雨へと変わっていた。
 霊の退治に天候は関係ない。
とはいっても、やはり雨は気分を浮かなくさせるものであり、
移動の車内でも若者たちは誰も口をきかなかった。
例外なのは左戸井で、ずっと鼻歌を歌いながら運転していた彼は、
現場に到着してようやく龍介たちの様子がいつもと違うことに気づき、鼻を鳴らした。
「おいおい、今日は確実に除霊してくれよ。
また失敗なんてしたら、千鶴の機嫌が底なしに悪くなっちまう」
 煽りと激励のない混ざった言葉にも、龍介の応答もさゆりの反発もない。
 自分が原因ではないのに無視された形の左戸井だが、
彼は怒るでもなく、車のシートに背を預けてあくびをした。
「そいじゃ、終わったら起こしてくれよ」
 四人の中で少なくとも龍介は、左戸井に申し訳ないという気持ちがあるにはあった。
だがそれよりも今は、小夜子の霊をなんとかするほうに意識を集中していたかったのだ。
 二度目の来訪となる、店の入り口まで来たところで、龍介は白峰の肩を叩いた。
「白峰は少し待っててくれ。上手くいくか判らないが、小夜子さんが成仏できないか説得してみる」
 龍介の提案に、白峰は沈思で答えた。
龍介が彼との最初の出会いの時、少女の霊を、
彼女の未練を晴らすことで成仏させたことを思いだしても、彼の表情は明るくはならなかった。
「……そんなことが、可能だろうか」
「期待させるようなことは言えないけど、一応、そこそこ実績はあるんだぜ」
 あえて自信過剰気味に明るく龍介が言うと、白峰は明らかに無理にではあっても微笑してみせた。
「わかった。それでは頼むよ、ラミ
 彼女が出現したレストランの入り口で、白峰とさゆりを待機させ、龍介は一人で店に入った。
 扉の軋む音が止んだタイミングで、インカムを通じて支我が話しかける。
「東摩。小夜子さんの霊が説得に応じなかったら、速やかに除霊に切り替えるんだ。いいな」
「ああ、わかってる」
 支我が成仏を試みるという作戦を快く思っていないのは龍介にも判っている。
夕隙社にとっては確実に霊という障害を取り除くのが第一義であり、白峰の事情を汲む必要はないのだ。
 それでも、龍介はできることなら小夜子の霊を倒すことなく決着をつけたかったし、
支我も渋々ながら了承してくれたことを感謝もしていた。
 照明を落とした薄暗い店内の中央にあるテーブルに、龍介は座る。
はじめ、武器を手にしていたが、小夜子の霊を興奮させるかもしれないと腰に戻した。
「小夜子さん……?」
 小さく呼びかけてみる。
こちらから霊を呼びだすというのは初めての経験で、オカルト雑誌の編集で多少の知識も得ている龍介は、
正式な儀式に則るべきだろうかと考えながら、呼びかけを繰り返した。
 紀元前から行われていたという降霊術は、様々なやり方があるものの、
多く知られているのは部屋を暗くしてテーブルを囲んだ術者たちが手を繋ぎ、
霊に呼びかけるというものだ。
そのやり方にどれくらい真実味があるのかは不明としても、
霊は暗い場所と静寂を好むのは龍介の経験からしても当たっている。
店内は真っ暗とは言えないまでもまずまず暗く、静かでもあるので、
足りないとすれば人数ということになるが、その点は霊能力で補えるのではないかと龍介は考えていた。
 白峰とさゆりも店の入口で静かにしている。
彼らの方を見ないようにしながら、龍介は意識を集中させた。
 一分ほどが過ぎた頃、置いてある観葉植物の葉が揺れ始めた。
次いで椅子のいくつかが軋んだ音を立て、徐々に大きく、すぐに人の手では不可能なほどに跳ねる。
典型的な霊の出現時に発生する現象だが、どちらかといえば人に害をなす悪霊が好む威嚇であり、
龍介としては警戒するしかない。
それでも武器を手にするのはまだ避け、あくまでも敵対はしないという態度で再度呼びかけた。
「小夜子さん、居るのなら姿を見せてくれないか」
 騒音が一斉に止む。
脈ありか、と龍介が思った直後、店中の椅子が一斉に動き始めた。
前後、左右、上下、あらゆる方向に移動し、中には龍介を掠めるように通り過ぎていくものもある。
とても友好的とはいえない小夜子の霊に、龍介は声を張り上げた。
「待ってくれ小夜子さん、こんなことをしなくても、話をしたいだけなんだッ!」
 せめて何が彼女の未練なのか、それだけでも聞きだしたいという龍介の想いは、
足元を掬う椅子によって報われた。
「……ッ!」
 不意を打たれた龍介は床に倒れる。
立ちあがろうとすると椅子に動きを封じられ、磔にされてしまった。
「小夜子さんッ……!」
 天井に黒いもやが集まる。
それはもはや人型をしておらず、霊、それも怨念の塊と化した怨霊でしかなかったが、
同時に、小夜子であるのも間違いがなかった。
もし龍介が最初にこの霊を視ていたら、どれほど小夜子に同情していたとしても、
成仏させるのは早々に諦めていただろう。
近くにいるだけで人の心に悪影響を与える、邪霊とさえ呼べる存在だった。
 小夜子、あるいは悪霊である黒いもやが、滴る粘液のように細く、長い形を取る。
その危険性に気づいた龍介は逃れようとするが、それよりも早く黒いもやが龍介の口から侵入してきた。
「がはァッ……!」
 小夜子の霊が重なった瞬間、龍介は身体の内側が真っ黒になる感覚に襲われた。
わずかに流れこんでくる白峰や彼女の知り合いの記憶はあったが、
それを圧倒する恨みや無念、嫉妬といった負の感情が、
身体を破裂させようとするかのように圧縮と膨張を繰り返す。
龍介は先日霊の集合体レギオンとも接触したことがあったが、
小夜子の霊は一人でレギオンをも上回る怨念だった。
「あッ……がッ……!」
 生身の身体には負荷が高すぎる黒い意識に、たまらず龍介はのたうち回る。
少しでも気を緩めればすぐに蚕食されてしまいそうで、両手を頭で抱えて必死で自我を保った。
身体が一個の石になったように手足の感覚が失せ、重い。
「東摩ッ!」
 耳のすぐそばから聞こえているはずの、インカムから聞こえる支我の声が、
深海からのように頼りなかった。
「が……あッ……」
 顔を上げ、目を見開きたいという小夜子の衝動に龍介は抗う。
もし目を開ければ、視界に入ったもの全てを破壊したいという欲望に屈してしまっただろう。
身をかがめた龍介は、体内で暴れ狂う欲望の嵐を必死でやり過ごそうとした。
「東摩君ッ!」
「来……るな……ッ……!」
 さゆりの悲鳴に龍介は叫ぶ。
 振り絞った声は腹立たしいほどにか細かったが、インカム越しに届いてはいるはずだ。
 被害は自分一人に留めなければならないという龍介の一心は、だが、報われなかった。
「しっかりしなさいッ!」
 あろうことかさゆりは駆け寄ってきて、背中を擦ったのだ。
渦巻いて龍介の感情を支配した、指示に従わない彼女への怒りが、ふっと軽くなる。
それは宙に浮かんだかというようなほど劇的で、思わず龍介はさゆりを見た。
「……!」
 それを油断というには、余りに酷だった。
一瞬の隙を突いて、龍介に取り憑いていた小夜子の霊が離れ、今度はさゆりに取り憑いたのだ。
龍介が声をかける間もなく、さゆりの腕が伸びた。
 指が喉に食いこむ。
女性とは思えないほど強い力に、龍介の顔がたちまち赤黒く変わり始めた。
龍介はさゆりの手首を掴み、引き剥がそうとする。
短いが深刻な力比べの末、なんとか喉からは剥がせたが、
さゆりの手を顔の前まで戻すのが精一杯で、少しでも力を緩めれば、また首を絞められてしまうだろう。
 唇が触れそうなほどの近さにさゆりの顔がある。
表情筋が動いておらず、ただ半月状に開いた口と、瞬きもせず見開かれた目とが形作る顔は、
狂気と呼ぶにふさわしかった。
 喉元を掠める爪に抗いながら、龍介は気づく。
今のさゆりの瞳には、生気がまったくない。
黒く輝く瞳は罵られたり馬鹿にされたりで全く良い印象はないが、
それでも単なるガラス玉と化している今の瞳よりはよほど綺麗だった。
「くッ……このッ……」
 じりじりと圧されていく。
外は雨で涼しいというのに、龍介の額には汗が滲んだ。
このままでは埒が明かない。
「憎い……憎い……ッ……!」
 出会ってから今まで、龍介はさゆりから数えきれないくらいの悪口を浴びせられている。
だが、これほどの憎しみに満ちたものは聞いたことがなく、まさしく呪詛と呼べるものだった。
さゆりの無表情が幸いして、これは小夜子が言わせたものだと割り切ることができたが、
もしさゆりの表情で言われていたら、精神に傷を受けてしまったかもしれない。
「小夜子さん、落ち着くんだッ!」
「死ね……死ねェッ……!!」
 小夜子は龍介の説得に耳を傾けるどころか、自分に向けられたもの全てに憎悪していて、
うかつに話しかけても刺激するだけだ。
とはいえのんびり打開策を考えている余裕などなく、刻一刻と龍介の意識は薄れていった。
視界がかすみ、いよいよ危険が迫る中、不意に龍介は鈴の音を聞いた。
聴覚が弱まっているのか、音自体が小さいのか、あるいは両方なのか、
鈴の音は本当に鳴ったのか判然としないほど弱々しい。
 だが龍介は、その音に聞き覚えがあった。
一秒にも満たない時間で鈴がどこで鳴っているのか把握した龍介は、一呼吸整えると一気に行動に出た。
 力づくで抑えていたさゆりの手を、両方離す。
自由を得た手は龍介を死者の仲間として迎えようとたちまち喉に食いこんだ。
 遠のく意識を引き寄せつつ、無防備なさゆりの身体を抱き寄せた龍介は、スカートのポケットに手を突っこむ。
そこには彼女が祖母からもらったというお守りの鈴があった。
 自分を守るというよりは、さゆりを守ってやって欲しいと彼女の祖母に呼びかけるように念じて、鈴を鳴らす。
すでに酸素供給を断たれつつある脳は、鈴の音もおぼろげにしか聞こえなかったが、できる限り手を振り続けた。
 喉に食いこむ爪の痛さすら遠のきつつあり、龍介は死を予感する。
 自分が死んだらさゆりや支我はどうなる、という思いがよぎったものの、
迫る闇は大きく広がって龍介の最後の思考をも呑みこみつつあった。
 ほとんど意識を失った状態で、龍介の手がわずかに動き、もう一度鈴を鳴らす。
 その直後、小さな悲鳴が聞こえた。
「ぐ……ゥッ……!」
 暗黒の海に没しかけていた龍介の意識は、それが自分の声でないことに気づいた瞬間、
急速に浮上した。
まだ首は絞められていたが、血の通わない指を無理に動かし、鈴を鳴らす。
何気ない鈴の音は、しかし確実に小夜子に効いており、無表情だったさゆりの顔に、苦悶がよぎった。
首を絞める力が弱くなり、龍介は呼吸を回復する。
新鮮な酸素を吸いつつ、さらに鈴を鳴らすと、ついに小夜子はさゆりを龍介から離し、
さらに、さゆりからも離れた。
 小夜子の霊が離れたさゆりからは身体の力が抜けて倒れそうになり、龍介は慌てて支えた。
「どうして……どうして思い通りにならないの!? 私だけが苦しまないといけないの!?」
 怨嗟を撒き散らしながら、小夜子の霊は部屋中を飛翔する。
 さゆりが再び取り憑かれないよう庇う龍介は、
同時に自身の呼吸も回復しなければならず、身動きできない。
箱の中を乱反射する光のように小夜子の霊が飛び回る中、
スローモーションのようにゆっくりと部屋に入ってきた人物がいた。
白い靴と同じ色のズボンの裾が、龍介の目に映る。
「ボクは愚かだった……もっと早く決断しなければならなかったんだ」
 剣を構えた白峰は、上方から襲いかかる小夜子の霊にも構えを崩さず、
彼女が伸ばした腕が触れようとする刹那、鋭く剣を振るった。
「あああアァヒィィィ――!!」
 鋭い一撃が、小夜子の左胸を貫く。
心臓を――心臓の位置を貫かれ、小夜子の霊はあっけなく霧消した。
「霊体反応消滅。依頼完了だ」
 しん・・と静まり返った室内で、ただ支我の沈着な声だけが龍介の鼓膜に響いた。
 小夜子の霊は消滅した。
二度目の死を与えられた霊が、何処に行くのか龍介には判らない。
だが生きている者の為に、彼女が安らかに旅立つことを祈らずにはいられなかった。
 目を閉じて小夜子の冥福を祈った龍介は、さゆりが腕の中にいることを思いだした。
腕にかかる重さは軽くはなく、まだ意識を失ったままだ。
床に寝かせようか、しかし店の床は綺麗ではないかもしれない、
とりあえず呼びかけてみるべきかと迷っているうちに、彼女が目を覚ました。
「あら……東摩君……?」
 いやに近くにある龍介の顔に、さゆりは何度もまばたきする。
照れもせず、純粋に自分を案じているような彼に、頬の火照りを感じた。
その火照りが自己を認識するきっかけとなり、さゆりは、身体が冷えていることに気づく。
軽く身震いすると、肩を抱く龍介の手に力が篭った。
それを不快だとは、なぜか思わなかった。
「大丈夫か?」
「え……ええ」
 何を訊かれているのか把握できないまま返事をすると、龍介は呆れ、苦笑した。
「何があったか覚えてるか?」
「何って……あんたがうずくまって苦しそうにしてるから、駆け寄って……」
 その次の記憶はもう龍介の腕の中だ。
まさかどさくさに紛れてセクハラをしたのではないかと訝るさゆりに、龍介が説明する。
「お前、取り憑かれたんだよ。俺から出てった小夜子さんの霊に」
「うッ……嘘でしょ!?」
「本当だって。絞め殺されそうになったんだぞ。ほら」
 龍介が示した首元は、確かに手の形に赤くなっている。
記憶がなかったとしても、謝るべきなのだろうか。
絞め殺されそうになったというのは少し大げさなのではないか。
事の重大さが、さゆりに素直に謝るのをためらわせる。
「それで、どうして私を抱いてるのよ」
「小夜子さんの霊が出ていった後、お前は気を失ったんだよ。
一分かそこらだけどな。一人で立てるか?」
「え、ええ」
 どうやら龍介は本当に紳士として振る舞ったらしい。
だとしたら何回かは礼を言わなければならないだろうが、
これまでで培われた関係は、いささかさゆりの心根を曲がった方向に伸ばしていて、
素直に口を動かすのを妨げていた。
「小夜子さんの霊はどうしたの?」
 龍介は沈痛な表情でさゆりの背後に視線をやった。
「白峰が倒した」
「そんな……!」
 自分が取り憑かれたことも忘れて、さゆりは非難がましく龍介を見た。
 小夜子を倒したわけではなく、前日に続いてとばっちりを受けた形の龍介は、今度は力なく呟いた。
「どうしようもなかったんだ」
 小夜子の霊に取り憑かれかけたとき、龍介は彼女の心、あるいは心のようなものを知った。
そこには若くして死ななければならない恨み、怒り、悔しさなどしかなく、
およそ人間らしさと呼べるものは全くなかった。
とても説得など聞き入れるはずがない。
いっそ小夜子と無関係の邪霊の方がマシなほどだったが、
流れこんできた彼女の記憶には、確かに白峰の姿があった。
 おそらく、彼女は感情が他の人間よりも少しだけ豊かだったのだろう。
それが白峰の、彼女の死を受け入れられない気持ちと結びついた時、
彼女は、最も強い感情――生きたいという感情に支配されてしまったのだ。
それも共存ではなく、生存。
ただ一人生きたいという、本能に。
 もはやどれだけ手を尽くしても、小夜子は救えなかっただろう。
望まぬ形とはいえ、彼女と精神を共有した龍介には、それが分かる。
だがそこまで暴きたてる必要は、ないはずだった。
「白峰君……」
 恋人を手にかけた剣を手にしたまま、独り立つ白峰にかけられる言葉などない。
彼の名前を口にしたさゆりは、それを悔いるように龍介の服の裾を掴んだ。
その繋がりはか細いものだったが、確かに龍介とさゆりは自分以外の生を感じ、
幾分かは心が安らいだのだった。
 どういう形にせよ、除霊は完了したので、龍介たちは撤収を始める。
龍介とさゆりは白峰に無理強いはせず、無言で車に機材を運んだ。
 龍介が何度目か車に機材を積んだ時、同じタイミングで来たさゆりが、おもむろに呟いた。
「私、あんたが死んだら心の底から成仏を願うことにするわ」
 龍介は思わずさゆりの顔を見直した。
本気なのか冗談なのか、口調からも表情からも、全く判別できない。
ほぼ間違いなく、彼女は深刻ではないにしても、悪意をこめて言ったのだろう。
だが字面だけ見れば成仏を願うというのは、決して無情ではなく、
むしろその反対の気持ちがなければできないことだ。
そもそも龍介はまだ成人とされる年齢にも達しておらず、
日本人男性の平均寿命にはまだ六十年近くある。
龍介とさゆりの人生が今後どのように進んでいくのか、当人たちにもはっきりわかっておらず、
お互いどちらかの死に目に立ち会う可能性ははなはだ低い。
それどころか、死んだことさえ伝わらないことの方が、
高校の同じクラス程度の関係では、同窓会に出席でもしない限り多いのだ。
「何よ」
 凝視してしまっていたのか、さゆりが睨みつける。
真意を問うべきかどうか迷った龍介は、虎の尾を踏むリスクを考えて、
結局何も反応しないことにした。
 そんな龍介をなにか言いたげに見つめたさゆりは、
彼が何も言わないと知ると身を翻して白峰のところに行ってしまった。
なんとなく頭を掻いた龍介は、撤収の続きを行うのだった。
 後片づけを終えた龍介達は、夕隙社に戻るため、左戸井が待つ車の前に集まった。
支我、さゆりと乗りこみ、龍介の番になって、片足をステップに乗せた龍介は、そこで立ち止まった。
「どうしたのよ」
 乗りこもうとしない龍介に、さゆりが車内から呼びかける。
龍介は彼女には答えず、ためらいがちに数歩離れたところにいる白峰の方を向いた。
「どうした? 雨も降ってるし、さっさと帰ろうぜ」
「……」
 夕暮れの街を背に、白いスーツで黄昏れている白峰は、映画のワンシーンさながらだった。
けれども打ちひしがれている彼を、放っておくことは龍介にはできなかった。
「ボクは……キミ達に大変な迷惑をかけてしまった。
ひとつ間違えれば、キミ達を死なせてしまうところだった」
「そうかもしれないけど、結局大した損害も出なかったし、いいんじゃないか」
 首筋に残るさゆりの手形はしばらく消えないだろうし、
隠すのに苦労するかもしれないが、それくらいは許容範囲だろう。
 だが白峰は、龍介が思っている以上に自分の責任を痛感しているようだった。
「ボクに……キミ達と今後を共にする資格はない」
 大げさだ、と龍介は思ったが、白峰は本気のようだった。
雨に打たれたままの彼の金色の髪が、ひどくくすんで龍介には見えた。
「これを受け取ってくれないか。……ボクには、もう必要ないものだ」
 そう言って白峰は剣を差しだし、驚く龍介に強引に持たせる。
「待った、その……辛かったとは思うけどさ、もう少し考えてみてからでも」
 白峰とは出会ってまだ日が浅いし、人となりを詳しく知っているわけでもない。
それでも龍介は彼を引き留めようと、心から言った。
 龍介の説得に、白峰の日本人離れした青い瞳がわずかに曇る。
しかしそれもわずかな間のことで、白峰は静かに頭を振った。
「いや、どれだけ考えたとしても、ボクの考えは変わらない。
短い間だったけれど、キミ達と過ごせて楽しかったよ」
「白峰……」
「白峰君?」
 事態に気づいたさゆりが車から降りようとするのを、片手を上げて白峰は制した。
「ああ、さゆりクン、君と別れてしまうのは残念だけれど、人生は出会いと別れの連続、
これも運命と思って受け入れよう。それでは、adieuさようなら.」
 片手を上げた白峰は、別れの挨拶を置いて去っていく。
その後姿を、龍介は見送るしかできなかった。
 反転して車に乗りこんだ龍介の顔は、三面の阿修羅のように変わっていた。
「出しちまっていいのか」
 左戸井にも答えず、不機嫌そうに腕を組む。
「……はい、お願いします」
 代わりに答える支我にも礼を言わず、目を閉じて背もたれに背中を預けた。



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