マキャヴィティが急いでジャンクヤードに駆け込むと、何対もの猫たちの瞳がいっせいに彼を射抜いた。猫たちは、そこに現れたのが自分たちの顔なじみだと気付くと、あるものは目を細め、またあるものはつまらなそうにそっぽを向いた。

マキャヴィティはいつもと同じように、群から少し外れた場所に陣取った。猫たちの輪の、一番外側に心地良さそうなぬいぐるみを見つけて、その上に腰掛ける。ぐらぐらするが、地面に足をつけないようにして、危ういバランスを保ち、無理やり座り込む。だんだん楽しくなってきた。

「じゃ、そういうことで」

マキャヴィティが可愛らしくぬいぐるみと格闘を始めてまだ間もないのに、猫たちの集まりはおしまいらしい。逃げるように彼らは散っていく。吐き出されたばかりの白い息が、猫たちの動いた軌跡のようにふんわりと漂っていたが、それもすぐに冷たい朝の空気にまぎれて薄れていく。

面白くなってきたばかりのマキャヴィティは、白いもやを顔のまわりにまとわりつかせながらいつまでもゆらゆら揺れていた。誰かに声をかけられれば、いつものように愛想よく答えただろうが、そんな物好きはギルバートの他にいなかった。

「何をやってるんだ」
「これ楽しいよ。ギルもする?」

ギルバートは鼻筋に皺をよせて不機嫌な顔をしていた。

「無駄な体力を使うな」
「そっちだって無駄に走ったり鍛えたりしてるくせに」
「無駄じゃない。狩りも喧嘩も上手くなる」
「そうかなー」

マキャヴィティはようやくおもちゃの上から降りた。ギルバートはその隙をついて、さっとぬいぐるみに乗りかかった。

「わっ!」

盛大に頭からひっくり返ったギルバートの腕を、マキャヴィティはにやにやしながらとって助け起こす。ギルバートは赤くなった頬をさすりながら、それを押し返してきた。意地っ張りなのだ、彼は。

「けっこう難しいだろ?」
「いってぇ…ちょっと待ってろ、もう一回する」
「シラバブはギルバートの次でいいよ」

いつまでも子どものような、澄んだ高い声。淡い色の毛並みを持った小さな猫が、大のおとなふたりのうしろに並ぶようにして立っていた。

「ふぎゃっ!」

シラバブは女の子なのに見事に顔から落ちた。
血は出ていないが、地面とこすれた額から鼻にかけて、まっかに染まっている。
マキャヴィティが先に、彼女の額の匂いをかいだ。ぺろりと舌を当てると、少し熱を持っているようだった。ギルバートもあわてて、彼女の傷のない頬を舐めてやる。まるで慰めるように。

もう彼女は、転んでおお泣きしていた頃のあの子ではないのだが…。

シラバブの頬を挟み込むようにして、二匹でちやほや手当てしていると、彼女は涙を浮かべながらありがとうと言った。白く細い手が、ぬいぐるみを指差す。

「これ、見た目より難しいよ」

両頬をかわるがわる舐め上げられて、むしろ彼女はくすぐったさに耐えていたかもしれない。ふたりを振り払って、果敢にも彼女は目の前の獲物に飛び乗った。
シラバブが地面から両足を浮かせ、ぬいぐるみから両手を離してもバランスが取れるまで熟練するころには、霜の降りたジャンクヤードの地面を踏むマキャヴィティの足の膝までが、同じ冷たさに浸されていた。身体が冷えすぎて、息も白く凍らない。

「上手になったね」

頭を撫でると、シラバブは子どものように目をつぶって笑った。彼女は、おもちゃと年上のともだちを残して走り去っていく。あとには、なんだかいい匂いだけが残された。

他の猫たちは、冬の朝の厳しさに追い立てられるようにして、とっくに姿を消していた。
マキャヴィティはあしぶみして、氷のような足裏を陽にあてる。よわよわしい、かすかな陽光だった。

「とても寒いね。ギル? ぼうっとして、どうしたの」
「え、そうか?」

ギルバートの肩に腕を置くと、彼はほうっと息を吐いた。彼がさっきから嫌におとなしいことに、今更マキャヴィティは気付く。

ギルバートは肩に乗ったマキャヴィティの腕を取ると、自分の首にまきつけるようにして肘を曲げさせた。おや、とマキャヴィティが思って、うしろから抱きつくと、彼は糸のように目を細めた。

「……ひょっとして、寒いの?」
「そんなわけないだろう」

ぎろりとマキャヴィティを横目で睨みながら、ギルバートはしっかりと黄色い毛並みを握りしめている。たぶん睨んでいるつもりはないのだ。ただ、彼の大きな目と黒い瞳にはとても強い眼力があって、ふと視線を当てられだけなのに穴があきそうに思う。

そういえば、ギルバートの三毛はこしの強い長い毛並みだが、その間を埋める短く、柔らかい毛を彼はほとんど持っていない。だから、ギルバートは夏には強い。

「ギル、ひょっとして集会と、シラバブにつきあってじっとしている間、死ぬほど寒かった?」
「そんなことない。なんでそんなこと聞くんだ。お前が寒いのか」

マキャヴィティは、ギルバートの背中に自分の腹をつけて暖めたまま、背後から彼の手首をとり挙手させて、毛並みに守られておらず露になった掌を自分の頬の短い毛並みにくっつけてみた。氷を押し当てられたようだ。

「はぁぁぁー…」

聞いた事のない、気のぬけた声が顎の下のあたりから聞こえてきた。ちょうど背の低いギルバートの頭があるところ。マキャヴィティは、あきれてしまった。頬に当てたギルバートの手は、霜の降りた地面より柔らかいが、冷たさではそんなに差がないように感じる。

「やっぱり寒いんじゃないか」
「はぁー……ぬくい。お前、このあとおれんとこ来いよ」
「いいけど」
「決まりな」

うっとりしているギルバートに担がれたまま、マキャヴィティは彼のねぐらに移動した。ギルバートのほうがずっと小柄なので、足をもちあげていないと地面にわだちのような痕を残してしまっただろう。 ギルバートがコートよろしくマキャヴィティを背負ったまま、手放そうとしないので、しかたがなくマキャヴィティはねぐらにつくまで彼に背負われたまま、ずっと膝を曲げていた。
ギルバートはつれて帰ってきた大きな毛玉を寝床に引き込み、すぐさま喉をごろごろ鳴らし始めた。しっぽまで絡んでくる。

「そんなに寒いのかー」
「お前があったかすぎるんだ」
「まあ、いいけどね」

マキャヴィティは寝床で背中を丸めていた。ギルバートにひきずられたせいで砂が残ってやしないかと気にしながら、自分の膝下をギルバートに抱かせてやっていた。常にはないことだが、ギルバートは膝へほおずりしそうにぴったりと身体をよせてくる。
なんだかかわいそうになって、もっと体温の集まる腹に彼を抱き直した。

黒い瞳は、今まで見た事もないほど恍惚としていた。また、気の抜けた声が長く尾を引いて彼の口から、というか身体から押し出される。別に抱きしめる力が、強すぎたとは思わないのだが。

「はぁ………ぁ…」

意地も見栄も何もないような声だった。ゆるんだ視線と、顔つき。ギルバートは普通の猫より体温が高いほうだと思うのだが、今はすっかり冷え切っていた。氷のように冷たい手足を、マキャヴィティは湿った生暖かい口内に含んだり、首筋に当てたりして体温を分け与えた。そうすると黒く鋭い瞳が、とろけそうに潤みを増す。
かわいそうにとマキャヴィティは思った。ギルバートの頭を抱きこみ、ふと見上げると、窓に切り取られた空が小さく二匹の猫を照らしている。雨の気配もないのに、空に満ちている光は薄い。たしかに正午のもっとも光の強い時間にはまだ間があるのだが……この寒さはしばらく続きそうだ。
どちらからともなく、長いため息をつく。

冬の猫は、なつっこくて可愛い。




『冬の朝』
2010.2.24