「そういうわけで、それ以上ふたりの後を追うことはできなかった」
「そうか…」

マンゴジェリーは、貝を香草で蒸しただけのホイライヌンを山盛りにした米の上へ振りかけた。貝の味のしみた汁が、固く炊かれた米にたっぷりしみこんでいく。一滴残らず注いでしまうと、彼は満足して鍋を置いた。

どこから調達したのだろうか。調理台と卓、それに屋根と車輪のついた申し分のない屋台である。マンゴジェリーに呼び出されたマキャヴィティは、頷いたきりしばらくぼうっと空を見つめていた。マンゴジェリーに促されて、ようやく箸を手に取る。

「怒ってる?」

マンゴジェリーは、卓を挟んで向かい合ったマキャヴィティの顔を覗き込む。
「いや、」マキャヴィティは、せっかくとった箸を卓の上に置いてしまう。小さな屋根があるせいで、彼らの密談はあまりめだたなかっただろう。マキャヴィティはくぐもった声で続けた。

「そこまでやってくれれば、充分だ。そのあたりで、あやしい外国人を探せばいい。海辺まで追い詰めてくれたから、捜索する範囲も広くはない。
お前が言ってたように、もっと大きな港町ならともかく、ここに居座る外国人ならば目立つだろう。思った以上によくやってくれた」

マンゴジェリーは目をほそめて、口許だけで微笑んでみせる。

「思った以上に、か。元海賊をみくびっちゃ困る」
「そうじゃない……お前をみくびっていたわけじゃないんだ」
「じゃあ、俺が死ぬことを期待してた?」

マキャヴィティは箸を指先ではじいて、地面に落としてしまう。マンゴジェリーに代わりの箸を手渡されながら、力なくかぶりを振った。

「それも違う。たぶん、異国の男を追っていったのはタンブルブルータスだと思う。それくらいの背格好の隊員というと、彼しかいない。
若いが、腕はたつほうだ。お前が無事に帰ってきてくれて、本当によかった……お前を助けたランペルティーザのためにも。
でもこれ以上は、関わらないほうがいいだろう」
「どうして。旦那が行ったら、目立つだろう」
「お前も似たようなものだ、賞金首」
「確かに。だけど、俺は手を引かない」
「どうして」
「あやしい外国人に、訓練されすぎた追走者…いい匂いがする」
「何か匂うか?」
「ああ、金の匂いだね。俺たち賊は、そういうことには鼻が利くんだ。
いつまでも旦那の世話になるわけにはいかない。ここから出て行くにも、元手がかかる……旦那は俺に、いい仕事をまわしてくれた。
いらっしゃい!!」

マキャヴィティが座る椅子の隣、肘の触れそうな近くに男が座った。港で働く男だろう。彼の服にしみ込んでいるのは魚の油の、あの特有の匂いだった。

「何にしますか? 貝がお好きなら、ホイライヌンがオススメですよ」

マンゴジェリーは、すっかり商人の顔をして愛想をふりまいている。
マンゴジェリーの目の下の瞼がせり上がり、三日月のように細められていた。先ほど彼の顔の上に現れた残酷な海賊の貌は消えうせて、仕事にやつれた貧しい青年の顔がそこにある。
マキャヴィティはいまさら背筋をぞくりとさせる。

マンゴジェリーは鼻歌を歌いながら、手際よく料理している。
ここは彼には敵地であって、彼はマキャヴィティに脅されているも同然なのに、楽しそうだった。鍋を揺する背中を、マキャヴィティは黙って見守った。

――どうして海賊なんかと手を組んでしまったのだろう。

仲間に、……ランペルティーザに嘘をついてまで。そう思って、マキャヴィティは頭を抱えたい気持になる。
ランペルティーザは、マキャヴィティになにげないふりで一度だけ聞いた。マンゴジェリーを知らないかと。

とうていうまく誤魔化せたとは思えないが、「知らない」というしかなかった。それ以降は二度と、ランパルティーザは同じことを聞かなかった。 ただ、マキャヴィティに笑顔を見せることも二度となかった。

マキャヴィティが利用しようとしているマンゴジェリーは、ランペルティーザの育ての親にも等しい。それを、もうマキャヴィティも知っている。 しかし、彼は海賊だ。
思い出してもみるがいい。彼に、どれほど自分たちの同胞が傷つけられたことか。そのことを、彼は少しでも悩んだそぶりがあったろうか。
彼が気にかけるのは、ランペルティーザのことだけだ。かつての敵と通じ、海軍の裏をさぐることを、楽しんでいるそぶりさえある。

いつか、彼はあっさりマキャヴィティをも裏切るだろう。
いや、裏切るのはマキャヴィティが先かもしれない。

その時になれば、ごみくずのようにマキャヴィティはマンゴジェリーを切り捨てなければならない。
たとえ彼が、仲間の恩人であろうと。

そうまで手を汚して、今のギルバートを頂点とした『海軍』の秩序を解体することに意味があるのだろうか。本当に?

しかしもうやめたいと思うたび、かつてギルバートに噛み砕かれた右肩が、血を流しているように疼いた。今もだ。
後戻りすることだけはできなかった。その痛みは男のプライドを噛み砕かれた痛みである。これを無視して、なかったことにするのならば、それは死んだのと同じだ。
こうするしかない。マキャヴィティは奥歯ですりつぶすようにして思う。こうする以外にない。他の道は行き止まりだ。教え込まれた軍人の誇りよりも、なおマキャヴィティを駆り立てるものがある。それは生存本能とでもいうものかもしれない。

「今日の漁はどうでした?珍しい魚はつれた?」

マンゴジェリーは新しい皿を差出しながら、マキャヴィティの隣の男へさかんに話しかける。満足そうな彼の顔を、料理からたちのぼる湯気が淡く縁取っていた。男がいなくなるまで、しばらく時間がかかりそうだ。酒を注文して、マキャヴィティは杯を胸に引き寄せた。



土砂降りの雨の中、逃げ込むように船は港へと入った。船員たちは、むき出しの顔や腕を雨に打たれながら錨を降ろし、最後の帆を巻いていく。怒号が響き渡る。
積み荷を降ろすために集められた男たちは、低い陸地から船の舳先に彫られた女神の彫像を見上げていた。船を取り囲む彼らもまた、庇おうともせず雨に打たれている。
船が、港へ脇腹をつけた。白帆は畳まれているので、三本の帆柱が巨大な塔のように見える。舷側は雨にぬれて黒ずんでいる。組み合ったオーク材の間には隙間もない。
滑車に繋がった鎖がきりきりと音を立てながら、積み荷を降ろしていく。港で待ち受けていた男たちは、嫌々ながら動き出した。一人が抱える積み荷は、だいたい声変わり前の子どもがなんとか隠れられるくらいの大きさだ。しかし驚くほど重い。港の人足は、自分たちより大きな荷ですら担ぐことがあるというのに、この小さな箱に彼らは顔をしかめた。中身は鉄の塊である。これ以上の大きさならば、人間が運べないだろう。
積み荷は、マンゴジェリーの思ったとおりの場所へ運ばれていった。港に並んだ倉庫ではなく、巨大な商船よりさらに巨大な、黒い軍艦まで、人足たちの列が途切れることなく続いた。

泥で汚した顔を、金色の兜が隠す。
人足にまぎれて海軍の船に潜り込んだマンゴジェリーは、ほんの数十秒で汚れた労働者から軍人へと姿を変えた。金の胸あてと、海軍のシンボルである青い精霊の目。いずれも正規のものだ。偽物は中身だけである。
かつて自分の船を沈めたものかもしれない、この黒い軍船の中を、マンゴジェリーは何食わぬ顔をして嗅ぎ回った。
船倉へ向かう一足ごとに、警備が厳しくなる。ギルバートの印章を偽造した命令書を携えているので、呼び止められても押し通すつもりではいるが、マンゴジェリーは変装したことを後悔しはじめていた。

認めたくないが、怪我のせいで弱気になっていたのだろうか。
たとえどんなに無謀に見えようとも、誰にも姿を見られずここまで来るべきだった。これ以上深く潜れば、どんな格好をしていても怪しまれる。
しかし、引き返すことは出来ない。鎧が音を立てないよう指先まで神経を張り詰めながら、マンゴジェリーは船底まで下りて行った。



…なんだこれは。
心の中でだけ呟いて、マンゴジェリーはその異様な様を見まわした。

鉄の部屋とでもいうべきか。壁から天井まで、鉄で覆い尽くされている。太い管やパルプが理路整然と壁を這いまわっている中で、中心には複雑に入り組んだ形をした鉄の塊が据え付けられていた。炉、だろうか。猛烈な勢いで炎がとぐろを巻いている。その横に、巨大な鉄の歯車が静かに立ち上がっている。回ってはいないし、これほど大きな鉄の輪を回すなら人ひとりでは足りなかっただろう。
鉄は床にまで浸食している。船底のはずなのに、そこはいやに平らだった。鉄の柱が四方にそびえ立ち部屋を支えている。これだけの鉄を船腹に抱えていて、船が沈まないのがいっそ不思議だった。
マンゴジェリーは炎に引き寄せられるようにして鉄の部屋へ足を踏み入れた。

小さな風の音が聞こえて、マンゴジェリーは床に身を投げ出す。マンゴの首があったあたりを、ぎらぎら光る半月刀が薙いでいった。

「何をするんだ!」
「黙れ、侵入者」

鼻先に光るものを突き付けられる。長身から冷たい目つきで見下されて、マンゴジェリーは即座に悟った。

――ランパス、分隊長か。

「待って下さい自分はギルバート隊長の命を受けてここに来ました!
指令書もここに」

ふところから偽の指令所を取り出しざま、刀を抜き放ち顔前にあった切っ先をはじく。火花が飛び散ったが、マンゴジェリーのその動きもランパスには読まれていた。
マンゴが力いっぱい刀を振りぬく間に、弾かれたはずのランパスの半月刀は軌道を変えている。無防備にさらされた胴体、マンゴジェリーの急所へと、吸いつくように向かっていった。

――おれは剣は苦手なんだよ。
マンゴジェリーの虚ろな目に、はじけるような笑顔を持った小柄な少女の面影がよぎる。