大きな船であればあるほど、船底は何層にも区切られている。最深部はかつて漕ぎ手の男たちが鎖につながれた場所だが、今は帆を操る技術が発達したので、牛馬のように朝晩働く奴隷たちは必要なくなっていた。
船倉の上から数えて一層めは、砲甲板である。砲台が海に向かって口をあける数だけ、大砲が並べられている。大砲は舷側に沿って並んでいるので、砲甲板の中心は床が広く見える。そこが、ロープが幾重にとぐろを巻いて折り重なる甲板とは違う所だ。先ほどコリコとランパスが剣の模擬戦をしていた空間を、ギルバートは何も言わず横切った。さらに下層へと降りていく階段の前に、タンブルブルータスが立ちふさがる。いつもからは想像もつかない厳しい顔をしていた。

「ごくろう」

ギルバートが彼を肩で押しのけるようにして通る。マキャヴィティは付いていかなくてはと思いながら、今度こそ明確な胸の痛みを覚えた。この『海軍』でマキャヴィティが心を許せる友は、ヴィクトリア以外には彼しかいなかった。その彼ですら、マキャヴィティから重要な機密を隠していたわけである。しかし、そんなことにかまけている暇はない。今は、ギルバートが何をしでかしたのかが一番知りたい。

「ランパス、どういうことだよ」

金髪が階段の底の暗闇に消えたころ、上からランパスも戻ってきた。タンブルブルータスは、拗ねた少年のような声を上げる。

「なんでマキャヴィティがここに連れてこられたのか、お前なら知ってるのか?」
「俺が予測できたはずないだろう」
「ってことは、ギルバートの独断か。もうすぐ出来あがるのに、何で我慢できないのかなぁ。もうちょっと待ってればもっと驚かせられるのに」
「たぶん、もうすぐ一発始まるから、かな」

タンブルブルータスはわけがわからないという顔をした。その無邪気な表情が、見る間に凍りつく。

「そうか……マキャヴィティにばらしてももう問題ないのか。もっとでかい所にばれたんだな」
「まあな。こんなに派手な仕事だ。ここまで来れたのが奇跡」
「強がるなよー。がっかりしてるくせに」

笑い声を立てたタンブルブルータスが、ふいに真顔になる。
「こんなこと言って時間を無駄にできないな。俺は行く」

「気をつけろよ」
「ちょっと、待てよ!」

引きとめるコリコの声にも気付かないように、彼は甲板へ駆け上がっていった。

「あいつ、どこへ行ったんだ」
「逃げる支度だろう」

コリコはぐっとのど元で息を詰まらせたが、それを腹に飲み下した。
「そうか。なら、しかたないな」

「お前もさっさと荷物をまとめろ。大サービスで俺がついていってやるから」
「俺は逃げない。俺は、ここに残ってギルバートと一緒に戦う」
「あのなぁ。いつもの海賊なら、どんなに強い相手だって俺は止めない。海賊はしょせん海賊で、船が沈んだらそれきりだからな。
 だけど、国が相手となったら話は別だ。お前が軍人を10人倒しても、その100倍の兵力が投入される。きりがない。国相手なら、俺達は逃げるしかない」

もしくは、自分たちも国を背負って戦うか、だ。コリコはランパスの複雑な心中など知らないので、さっさと大砲の点検を始める。

「おい、無駄だ。これは一番に砲撃される。あきらめろ」
「こっちにだって大砲はある。俺みたいに、ギルバートに最後まで付いていってやろうっていうモノ好きも絶対にいるはずだ。そいつらがここに来るのを待つ。ランパスはそうじゃないんなら、いいから逃げろよ」
「お前を置いて、逃げられねえよ」
「俺はギルバートを置いて逃げらんねえよ。町の人には、恩もある」

ランパスは鋭く笑った。
「下手な正義感に溺れて、命まで捨てるつもりなのか?」

「ランパスこそ、どういうつもりか知らないけど、恩もない俺のことなんか置いてっていいだろう」
「俺は別に感情で動いてるわけじゃない」
「ランパスが何を考えてるのか、俺にはわかんないな。でも、俺もギルバートも逃げるやつを追うような無様な真似はしないぜ」
「お前だけは逃げてくれなきゃ困るんだ!」

大きな音がしたので思わずコリコパットが手を止めた。ランパスは剣を置き、ひざまずいて彼を見上げていた。ランパスが剣を床に叩きつけた音が、コリコを振り返らせたらしい。何をおおげさな格好を、とは思ったが、コリコは笑いだせなかった。ランパスが、見たこともないほど真剣な顔をしていたからだ。

「本当のことを言う。俺はお前を守ってたわけじゃない。お前の血統を守りたい」
「…俺んちは筋金入りの平民で、別にお貴族さまとかじゃないぞ」
「知ってる。だからこそだ」

コリコにはさっぱり何のことだかわからない。ただ、ランパスの話を聞くために彼に向きあった。
砲門の向こうに見える空に、雨雲はまだ漂っているのだろうか。月は隠れて見えない。空には星がまばらに光っていた。夜明けにはまだ時間がかかるだろう。

「お前、『マキャヴィティ』という名を知っているか」

静かな声が、コリコの耳を打つ。





ギルバートはずんずん先に行ってしまう。
彼の後を追いかけ、彼の吸った同じ空気を呼吸するだけで、マキャヴィティの傷ついた左肩は痛んだ。先に階段を下りるギルバートの背中をけりとばしてしまえばどんなにすっきりすることか。
しかし、それはできない。それほどまでにギルバートを憎んでいることを自分の中で認めることも、彼に示すこともマキャヴィティのプライドが許さなかった。
それで、マキャヴィティはギルバートについていきながらいつものように、彼などいないように彼を無視していた。

『海軍』でありながら船に詳しくないマキャヴィティには、船の最下層に降りてもこの戦艦のどこに秘密が隠されているのかわからなかった。ふいにギルバートが立ち止り、振り返ってここだと一つの扉を示す。

そこは、船尾に位置する部屋だった。ギルバートがいつまでも動かないので、マキャヴィティはやっと察して自分で扉をあけた。
顔を出したとたん槍でも降ってくるかと思ったが、そこにあったのは、部屋を埋め尽くす鉄と積み上げられた木箱だった。一つの箱は開いていて、中の石炭が見える。

大砲、のようなものだろうか。そうマキャヴィティが思ったのは、ギルバートが隠すものが軍隊や兵備だろうと予測していたからだった。しかし、今までマキャヴィティが軍部で目にしてきたどんなものにもそれは似ていなかった。

「これは、一体」
「蒸気機関。火によって船を走らせるキカイだ」
「これが?」

蒸気船。風を待つ必要もなく、風よりも早く進む船。噂は聞いていたが、マキャヴィティは実物を生まれて初めて目にした。都にだって、こんな鉄の船を持っているものはいない。

しかし鉄が水に浮くはずがないと、技術の発達した欧米諸国の王たちでさえ、蒸気船の建築には手をつけていない。
蒸気船は一部の裕福な商人が実験と面白半分に走らせる、おもちゃのようなものだ。火を燃やし続けるために必要なコストも莫大だと聞いている。実用品ではない。そんなものを、一体どうするつもりなのか。

「最強の船を持ってれば、上からもらうだけの称号なんかよりよほどいいじゃないか」
「何のために…海賊退治には過ぎたシロモノだ。経費が釣り合わないから、諸外国の王だってこんなものは」

マキャヴィティはその時やっと気付いた。

「あんた、この船を造る金はどっから…」
「ああ、海賊どもの上前をちょっとな」

マキャヴィティは目をむいて非の打ちどころのない反逆者の顔を見た。
軍部に専行して危険な船を造っただけではない。先進諸国の王ですら戸惑うほどの、それほどの金をギルバートはこの国からかすめとったということか。

「言っとくが、難しいのは海軍の全ての船を蒸気船に入れ替える量産であって、船一艘くらいならただの商人が作れるくらいのものだ。仮にも軍隊である、俺達がこれをひとつふたつ所有していたっておかしくないだろう」
「よくもぬけぬけと」
「お前、いつも変な顔してるけど、歯でも痛むのか」
「よくもこんな重大な反逆行為を、ここまで隠してこられたな!」

マキャヴィティは叫んだ。心ならずも反逆者にみなされてしまったことと、本当に自分が反逆者の率いる部隊の一員であったことと、結果が同じでも全く違う。村に残してきた家族の顔がちらちら頭をかすめた。

「こんなことを、隠し通せると思うほうが間違いだ。よくもこんな巨大なものを…作るのにかかった人出はどれくらいだ?そいつらが全部口をつぐんでいるわけないだろう!」
「お前は、この国にいて何も感じないのか?」
「なん、だって」
「確かに、外国人を信じたのはあさはかだった。でも、この鉄の塊を作ったやつらが、ただ金ほしさに俺に協力したとでも思うのか。
 もしそうだったら、こんなに形が出来あがるより前に、俺は終わってたよ」

ギルバートは嫌にまっすぐな目でマキャヴィティを見詰める。平和な山間部に育ったマキャヴィティは、何も言い返せなかった。
確かに、ギルバートがここに来るまで、この港町は王都から見放され、たび重なる海賊の蹂躙をうけ、スラム同然だったという。

「だけど、あんたのしたことが今度はこの町を巻き込む」
「そうだ」
「あんたの野心が、この町を焼くんじゃないか」
「ああ、そうだ。俺は自分のためにこの町を作って、そして滅ぼしもする」
「何さまのつもりだ。あんた、安全なところでふんぞり返ってる貴族とまるで同じじゃないか」
「俺はもともとあいつらと同じケダモノだ」

ギルバートの視線はゆるぎない。開き直っているのでもなく、ただ事実を口にしただけだという、その真っすぐな目。何も驚く事はない。彼は奪うものだ。
マキャヴィティはそれを知っていた。だから最初から彼を嫌いだった。彼は、もともと自分たちとは違う。どれほど彼が強く、その生きざまが鮮やかだったとしても、彼はもともと他の存在など目にもはいらない。小さい物を踏みつぶして自分の王道を歩いていく、奪う側の人間だ。都の貴族たちとまったく変わらない。
彼らがケダモノだというなら、さしずめ自分たちは虫けらというところか……

「お前だって、どうせ知ってるんだろう」

ギルバートは向かいあうものが戸惑うほど相手に近づき、目の中を見つめる。
このぶしつけな男が反逆の罪に連座し、没落した貴族の直系であったことを、彼と都に出向いたときにマキャヴィティは知らされていた。王宮のそこかしこで、ギルバートをあざける囁きがあったからだ。16年前。そこに本当の罪があったのか、それとも醜い策略が裏から働いたものか。それは彼の父を陥れた者以外には、永遠にわからないことだろう。
だからギルバートは、こんなに権力を欲するのだろう。貴族の冷たい血が、力を呼ぶのだろう。マキャヴィティは平民の自分が貴族の妄執を見せつけられることになるとは、想像したこともなかった。

「それでも、あんたを尊敬してついていってる隊員たちは…」
ギルバートは彼らを愛しているのだと思っていた。少なくとも、ギルバートの欠落を埋める大切な存在であるのだと思っていたのだ、ついさっきまで。

「さあな、あいつらは強い。勝手にするだろう。
 お前はどうする」
「あんたなんかに、あんたにだけは」

先ほどまで覚悟を固めてマキャヴィテ ィの心に、逆風が荒れる。
死にたくない。
こいつの罪をかぶり、こいつの側で死ぬことだけはしたくない。「逃げ、る」

「よく言った。」
マキャヴィティの濡れた服を、同じくらい濡れた指が無造作にひきはがす。



「お前が、俺のためにここを守る必要はないんだ」