水平線に浮かぶ点のように見えた船が、近付くにつれその威容を露にする。一艘ではない。並んだ戦艦は、昇ったばかりの朝日を浴びてきらきらと帆を光らせていた。帆と、その下に並んだ鉄の塊とを光らせていた。全ての砲台は開いてる。そこから突き出す砲身が、同胞が住む港町に向けて照準を合わせていた。
船長が号令を発するとともに、船からいくつもの爆音が上がる。
射程距離の長い最新の大砲は、あやまたず獲物を捉えたようだった。港町のあちらこちらと、港に停留した『海軍』の軍艦とが炎を植え付けられ、黒煙がもうもうと町の上空へ昇って行く。朝日が昇ったばかりだというのに、町に闇がさす。
オールデュトロノミーは『海軍』の船や兵舎だけではなく、見張りの灯台や物資を備蓄する倉庫まですべてを最初の砲撃で仕留めた。
「意外ですな」
紅茶のカップを傾けながら、ガスはオールデュトロノミーを苛んだ。
「あなたは町の人々には慈悲深いと思っていたが」
貧しい港町を砲撃する作戦を、提案したのはオールデュトロノミーだった。
船尾にある提督の部屋には、大きく取られた硝子の窓から明るい光が降り注いでいる。よく磨かれた床には緻密におられた絨毯が敷かれ、赤い布のソファーには毛皮が無造作に投げかけられている。豪華な調度品の数々は、そこが船の中であることを忘れてしまいそうだ。屋根が低く、頭から押しつぶされそうな圧迫感があることを除けば。
「無駄な抵抗は無駄な流血のもとです。最初から徹底的に叩いてしまえば、あきらめも早くつくでしょう」
オールデュトロノミーは、窓を背にして座るガスに向き合い、眩しさに目を細めている。そこからは町の様子は見えない。ただ、とどろく砲鳴が足元から身体を震わせるだけだ。
「ギルバートと、あなたの育てたあのマキャヴィティ参謀は、どんな手を打ってくるでしょうね」
「間違いなく、町の火消しに追われるでしょう」
「そんなことをして、彼らに何の得があります?」
「彼らとて、町の人々の支持なくしては籠城もできません。もし仮に、ここで戦いを優先するようなら、彼らはそれまでのモノだったということです」
「そうですかね。そうあってほしいですが」
「マキャヴィティのことは、私が一番よくわかっています。彼は、自分たちが逃げるために撃って出て、町を混乱に陥れるようなことは…」
今までの砲鳴とは明らかに質の違う轟音が響く。
ガスのカップから紅茶が飛び散り、ガスは熱さに悲鳴を上げた。船が上下に揺れる。船のどこかに着弾したのは間違いない。甲板のすぐ下、第一層にある提督の部屋の窓からでも波がせりあがっているのが見える。伝令兵が飛び込んできたのはそれからすぐ後だった。
「報告します! 港の船から次々と攻撃されています! 軍艦ではなく、港じゅうの漁船に大砲が搭載されている模様です」
「ちくしょう、何が抵抗しないだ!」
ガスは叫んだが、オールデュトロノミーは、計算外に気まずく笑いながら頭をかいただけだった。また船が揺れる。きな臭いにおいがそこまで来ているようだ。ガスはたまらず罵った。
「何がおかしい、このボンクラ!何が、マキャヴィティのことは…っ」
また船が揺れる。ガスの言葉は一時だけ途切れた。
「何が、何が一番よく知っている、だ!!」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ」
「これだから、田舎の学校に左遷されるんだ!」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ」
「次々砲撃されています!」
オールデュトロノミーは、ふらりと部屋を出て行ってしまった。止めようにも船が揺れて、なれない兵士たちは身動きがままならない。
「ちくしょう、あんなやつを信用した俺がばかだった。
私の船に傷をつけて、あの反逆者、マキャヴィティめ。名前は魂を現すというのは本当だな、呪われた子にそんな悪魔の名前をつけた親ともども、どうなることか見ているがいい!」
ガスはカップを握りつぶし、もう一度熱さに声をあげた。
――お前、「マキャヴィティ」という名を知っているか――
漁船に積んだ大砲は使い捨てだ。新しい玉を装填するものもいない。
ランパスを初め、隊員たちは、漁船から漁船へと飛び移りながら全ての火門を開いていく。
他の隊員たちも、今まででもっとも手早く作業を済ませた。大砲の数、すべて打ち終わったとき、ランパスは指笛で撤退を知らせる。
装備もつけない、漁師そのままの身なりをした隊員たちが、ばらばらとそれぞれの方向へ散って行った。彼らがこれからどこへ行くのか、ランパスは知らない。彼はただ、コリコの後を追った。
「そっちじゃないって言ってるだろ!」
砲弾を受け黒煙を上げる自分たちの船。それを背にして、町の中へ走っていくコリコパットの腕を掴んで、ランパスは怒鳴る。「逃げるんだ、馬鹿っ!」
コリコは掴まれた右腕を高く上げ、身体を反転する。ランパスの腹めがけて左手のこぶしを叩きこんだ。ランパスは身体を折って低くうめいたが、コリコの手首を捕まえた。両腕を掴まれたコリコが蹴りかかる前に、そのまま背中にねじあげてしまう。小柄なコリコと彼では、圧倒的な体格の差がある。前かがみになっていたランパスが深く息を吸いながら姿勢を正すと、腕を掴まれたままのコリコのつま先はともすれば宙に浮いた。
「ランパス、離せよ!」
「お前、昨日の俺の話をちゃんと聞いていただろう」
――お前、「マキャヴィティ」という名を知っているか――
昨日の夜、ランパスはそうコリコにたずねた。砲台から星の光がほそく投げかけられていた。コリコとランパスが立つ砲甲板の床は、さきほどずぶぬれのギルバートとマキャヴィティが通ったばかりなので、転々と水跡が続いていた。
『うちの金髪がどうした?』コリコはすぐにそう聞きかえした。
『そうじゃない。もっと昔の話だ。かつては悪魔に名前を貶められ、今はそんなことがあったことすら忘れられてる、お前の曽祖父の名前だ。本当に聞いたことはないのか』
コリコの顔がひきつる。まさか、冗談だろう。優しいおじいちゃんならいたが、そのおじいちゃんの親が悪魔だとかまさかそんな、おおげさな…
――俺は根っからの平民で、ただ、強くなりたかっただけで。
強くなって、悪いやつをぶっとばしたかっただけだったのだが。
『そうか。母親は、お前に何も話さなかったんだな。俺は、お前が知っていると思い込んでいた。説明しなくて、悪かった。
若くしてこの名前を知ってるやつはもう、そうはいない。聞かされていたとしても、おとぎ話だろう。』
それはこんな昔話だった。
ある時、『マキャヴィティ』という悪魔が貧しい村に生まれた。彼は愚かな村の人々をたぶらかし、彼のせいで大勢の人々が争い合い、血を流した。慈悲深い王はそれを嘆き、将軍を悪魔の討伐に遣わした。
将軍の知恵によって、悪魔はようやく成敗された。そして都に持ちかえられた『マキャヴィティ』は、王国に古くから伝わる神剣によって百の肉塊へと切り刻まれ燃やされた。しかし『マキャヴィティ』は灰となってさまよい、今も人々の心にとりつき、禍をなすのだという。
その話ですら、今は風化しかけている。本当の伝説ではなく、故意に作られ、流されたものだからだ。
ランパスは言った。
『本当の話は違う。マキャヴィティの名は、たしかに王宮を震撼させただろう。しかし、貧しきものにはそれは希望の光だった』
マキャヴィティは、……コリコの曽祖父は、この国の不正と貧困を正そうと立ちあがった、革命家だったという。
「ああ!昨日の話だろう!聞いてたって!」
その話を聞かされてから、コリコはずっと考えてきた。
自分がまったく知らなかったことを、一晩中ずっとだ。
「だったら、自分が何をすべきかはわかってんだろうな」
「逃げろっていうんだろう、わかんねえよ」
「こいつ…」
ランパスのこめかみに本気の苛立ちが走る。
コリコは痛みに涙目になりながらランパスに噛みつこうとしたが、音をたてて歯がかみ合うだけだった。がっちり腕を取られているので、身体が動かせない。
「わかんねぇよ……ランパスは、昔のマキャヴィティっていう偉い奴の跡を継ぎたいんだろう」
「俺じゃだめだ。俺は、人に見せられる正義感も清潔さもない」
「んなもん、俺だって」
「お前は、俺達の間にこっそり出回ってるあの人の写真にそっくりなんだよ。だからお前なんだ。お前じゃなければだめだ」
ランパスは、油断なく視線を水平線に走らせた。
「とにかく、ここはあぶない。あっちももうそろそろ火薬を充填し終わる。俺の行く方向へ逃げろ。でないと、荷物みたいに背負われて逃げることになるからな」
「ランパス、お前、自分でマキャヴィティの名前を泥にまみれさせたいのか」
「なんだと」
「だってそうだろう!ここで俺達が逃げてみろ。そのあと、俺がどんなツラして『マキャヴィティ』って名乗れるんだ。俺達が町の人を見捨てて自分たちの保身に走ったことは絶対に知られる。そしたら、俺がここで死ぬよりずっと悪い!俺達こそ一番マキャヴィティの名前を汚くすることになるんだぞ!!マキャヴィティの名前が、本当の悪魔になるんだぞ!!」
「やばい。走れ」
小さく見える軍艦から、小さな鋭い光が放たれた。ランパスは今度こそ全速力で駆けだす。
倉庫の影に飛び込むと、地響きとともに砲撃でえぐられた土くれがぱらぱらと頭の上に落ちてきた。コリコは足が速いので、ランパスより前に庇の下に入っていたから、泥をかぶらず涼しい顔をしていた。
「ランパス、俺、革命軍のリーダーってやつに自分がなれるとは思えない。そういう柄じゃないし。でも、もし『マキャヴィティ』が本当は悪魔の名前じゃなかったとして、そして俺が本当にその偉い人だったっていうマキャヴィティの子孫だったとしたら、俺がやるべきことは人を助けることだと思う。
ランパスが俺にしてほしいのも、つきつめればそういう事だろう」
「で、このどうにもならない状況で、お前は何をするつもりなんだ」
「町の人を逃がして俺達も逃げる。山の抜け道を、俺らは知ってる。他の隊員たちも、いまごろ誘導の位置についてる」
「なんだよ……知らなかったのは俺だけか」
ランパスが言い終わる前に、コリコはもう走り出していた。