一時期は、マキャヴィティはギルバートの信任が厚くて、新入りなのに分不相応に色々連れまわされた。それこそ軍本部にギルバートの手先になったのではないかと疑われたほどだ。ギルバートとは、ふたりきりで王都まで往復したことも数度ある。だから、彼のことなどマキャヴィティは少しも怖くない。

お調子者で、礼儀知らずで、悪気もなく人を傷つける。
彼のおかげで、マキャヴィティの両親はマキャヴィティがどうして軍隊に入ったのかを知ってしまっただろう。それもこれも、ギルバートが他人の家で大声でそんな話をするからだ。

今は、ギルバートはマキャヴィティを視界に納めることさえ嫌がっていた。だから、マキャヴィティもギルバートの顔を間近に見たのは久しぶりだった。

彼が、あれほど荒れている理由はマキャヴィティにはわからない。
ただ、彼のつらそうな顔を見ているとあの日のことを思い出す。彼に喰われるのではないかと、半ば覚悟したあの日を。

あの時、彼を心底怖いと思った。



陽光の下で会うギルバートは、ずっと生気に満ちていた。マキャヴィティは、数日前に向かい合った彼が幽鬼じみて見えたのは、暗かったせいだと自分に言い聞かせた。
あの時、彼はグリドルボーンに裏切られた直後のように荒廃していたように見えたが、それは自分の勘違いだったようだ。そうであってほしかった。

「お前ら本当に下手だな。もっと上手くあつかえないのか」

隊員から棍を奪い取ると、彼はそれをたくみに操って見せた。

棍は棒術に用いる武器で、『海軍』が使うものは見た目も美しく彩色されている。青色だった。地面に立てれば大人の背丈を越えるほどの長い得物だが、ギルバートの手にあるとまるで小枝のように軽々と風を斬る。

あまりの速さに先から形が見えなくなり、ただ青い竜巻がギルバートの周りを旋回しはじめる。

先に刃物もついていない、ただの木材でありながら、ギルバートはそれで複数の隊員と渡り合い、彼らの手からなんなく刀を弾き落した。ギルバートは元の持ち主にどうだ、という顔をしてみせ、彼の鼻先に棍をつきつけた。

「生き残りたければ、もっと強くなれ」

ギルバートは、自分で武具を使ってみせる。
決して言葉で説明しようとはしない。
たとえ彼がどんなに強くて、色々な武器のあつかいに巧みであっても、そういうところが、マキャヴィティは苦手だ。

ギルバートに棍を叩き込まれた右腕をかばいながら、マキャヴィティは自分の刀を拾いに行った。ギルバートの相手をさせられた他の隊員も、同じように痛むところに手を当てたり、叩き落された自分の武器を点検したりしている。

演習用のなまくらではあるのだが、それでもずっしりと重い。

本来ならば、海賊相手の白兵戦では刀こそが活躍する。
海賊とやりあうのは、たいていが船の上だからだ。狭い場所で棍のように長い得物を振り回すのはかえって不利だ。隊長ほどのてだれならば、棍を極力自分の身体にひきつけ、壁や障害物に邪魔されずに攻撃をしかけることも可能だろう。

しかし棍、というか、その先に刃物をとりつけた槍は、本来は戦闘に慣れていないものが群れて戦うときに扱いやすい武器である。『海軍』がそれを演習に加えているのは、いかにも不自然にマキャヴィティには思える。

ランパスキャットが、女性の胴体ほどの太さを持つ剛剣を振り回していることもそうだ。あれは、対軍人用の構えだ。海賊相手の武器じゃない。

ギルバートは、ひょっとして何かを企んでいるのではないか。

自分に秘密があるからこそ、マキャヴィティは初めてその可能性に感づいた。




私服の懐に財布を忍ばせる。こっそり軍舎を抜け出そうと、マキャヴィティは忍び足で歩いた。太陽はすっかり翳っている。星が空一面に広がり始めていた。今頃、他の一般隊員たちは半分が食堂に集まって、食事の最中だろう。

もう半分は事務執務部隊で、中央から回ってくる書類をギルバートに決裁されるばかりになるまでまとめたり、調査したり……もろもろの雑事をこなすのに忙しく、夜もとっぷり暮れるまで自由になる時間はない。

だから、マキャヴィティは誰にも見咎められる事なく宿舎を抜け出せるはずだった。
ランペルティーザが夜中に抜け出そうとして、マキャヴィティの目を引いたのは、あれはマンゴジェリーが枕から頭も上がらない重病人だったからだ。それで、彼女は寝る間も惜しんでできるだけマンゴジェリーの側にいようと、無謀にも脱走を試みた。

今の時間帯ならば、誰もいないはず。
しかし、官舎の出口が見える場所で、マキャヴィティは自分以外の足音が背後から迫ってくるのを聞いた。事務員たちは、ギルバートの執務室を中心にしたそれぞれの部署で、まだ仕事の最中のはずだ。それなのに、確かに誰かが近づいている。それも、一人ではない。最低二人。

予想外の事態に、マキャヴィティは手近な扉に飛びつき、中も見ずにそこに滑り込む。鍵がかかっていなかったのは幸いだった。
部屋はマキャヴィティの私室と同じに、壁際に二階建てのベットが、二つ向かい合っている。四人部屋だ。隊員の誰かの部屋のようだった。

男の住処にしては、こざっぱりとしていたせいで、マキャヴィティは物を踏みつけずに済んだ。

足音はいよいよ近づいている。

「……鋼鉄が…」
「少ない。もっと……港は」
「……技師が足りません。資金を増やしていただいても、人材の確保はここでは難しいのです。むしろ、通訳ごと外国人を雇ったほうが確かかもしれません」
「心当たりがあるか? よし。誰にも知られるな。
特に、マキャヴィティには注意しろ」
「はい」
「行って来る」
「お気をつけて」

マキャヴィティは、扉に頭をおしつけて耳をすましていた。心臓は口から飛び出そうに脈打っており、マキャヴィティが寄りかかる扉をノックしないのが不思議なくらいだった。少しでも動いたら、二人に気付かれる。

しかし、二人は、何事もなかったようにそれぞれ別の方向へ去っていった。ギルバートは外へ、もう一人……おそらくカッサンドラだ。彼女は、彼女の仕事の待つ官舎の中心部へ。

人の気配が消え、足音が完全に遠ざかるまで、マキャヴィティはその場に座り込むこともできなかった。