ご注意ください
ゲイフォビア的な表現があります
「何かあったか?」

マキャヴィティは、ぎくりとして料理の手を止めた。
料理といっても、洗って切って煮るか焼くかするだけの簡単なものだ。一人暮らしの経験もあるから、最低限のことは出来る。

「何もないんならいいんだけど、旦那がびくびくしてるとこっちまで不安になっちまう。ひょっとしてやばいのかなって」

マンゴジェリーは、日に日に回復していた。もう、わずかな間ならば寝台から起き上がれるらしい。それで今は、マキャヴィティの隣で火をおこす手伝いをしている。

正直に言って、マキャヴィティは本当に彼の傷が癒えるのか、半信半疑だった。しかし、ランペルティーザにはその確信があったらしい。
マキャヴィティが彼を見つける前は、もっと酷い状態だっという。だからこそ、それを乗り越えた彼が生き残ると、ランペルティーザは信じて賭けたのだろう。

マンゴジェリーは少し歩けるようになったが、それでもまだふらつくと言っていた。日中は虫が落ちそうに熱くなる炎天下を、荷物を持って歩く事は難しかっただろう。なんだかんだ言って、ランペルティーザはマンゴジェリーに甘い。

彼が生活するために、ランペルティーザはそれこそ、同僚の使い古しの上着や便所の紙さえ官舎から盗み出してくる始末だった。その、無くなってもまあいいか、と済ませられる程度のどうでもいいものを選び出す選択眼のすばらしさのおかげで、泥棒が出たと噂になったこともない。マキャヴィティですら、ここで母の手縫いの古い肌着をみつけて、びっくりしたことがある。

マキャヴィティは、彼女より少しだけ給料がいいので正攻法だ。料理の材料も、さっき八百屋で買ってきた。

「違う。……の事は、ちっとも怪しまれてない」

マキャヴィティは、隣でにこにこしながら料理のしたくを手伝っている相手をどう呼んだらいいのか分からなかった。なので、あいまいに誤魔化す。

少し前までは敵だった男は、唇の端を持ち上げる皮肉な笑い方をした。

「そりゃあ、よかった。俺はまあ、一度死んだもどうぜんの命だけど、あいつはそうじゃないから」
「ランペルティーザか?」
「うん、そう。ほんの赤ん坊のときに、海賊に攫われてさあ、身代金が取れないとわかったら軍隊の門の前に捨てられて……たぶん、生まれてから一度も楽しい思いをしないで死んでいくなんて、かわいそうじゃないか。
せめて、もう少し娘らしくなって色男にでもちやほやされて求婚されたら、あいつも生まれてきてよかったと思うと思うんだよね」
「恋人じゃないのか、お前たちは?!」
「うーん」
「それは、鈍感すぎるんじゃないか? 好きでもないのに、命がけで助けようとするはずない」
「じゃあ、旦那は俺のことが好き? 愛してんの?」

マキャヴィティが音を立てて包丁を置いたので、マンゴジェリーは目をしばたいた。

「ごめん。本気で怒らせるつもりじゃなかった。
ただ、旦那はどうして俺を助けてくれる気になったのかと思って」
「そういう冗談は、好きじゃない」

男同士で、男女のように睦み合うものがいることはマキャヴィティも知っている。しかし、学校ではそういった嗜好の持ち主は蛇蝎のごとく憎まれた。
もし軍隊にそんなものが紛れ込んだら、よくて叩き出されるし、悪ければ殺される。敵ではなく、仲間の手によってだ。

本当に男同士で好き合うものをマキャヴィティは生まれてこのかた見たことがない。だが、それはマキャヴィティにとって、もっとも相手を貶める言葉だった。

「悪かった。あんたはランペルティーザと並んで命の恩人だ。
ただ、旦那こそ…その、あいつのことを」
「え?」
「旦那だったら、男前だし、まあ性格的にどうしてあいつを、とは思うけど」
「いや、ちょっとまて。マンゴジェリーは何か勘違いしてる。俺は他に恋人がいる」
「は? 二股?」
「いや!」
「じゃあ、どうして俺を助けてくれようとしたんだ? 俺は、一応あんたたちの敵だろう」

答えに詰まってしまって、マキャヴィティはもう一度包丁を握りなおし、野菜を切り始めた。ざくり、ざくりと、水を含んだ音がマキャヴィティの代わりに答えた。

「旦那?」
「確かに、同僚がお前に傷つけられたことを思えば、俺だって今自分がしていることが信じられない。ただ、あの時、お前を軍につきだしたらランペルティーザも生きていなかったと思う」

それだけだろうか。本当に、それだけのために彼女に力を貸したのだろうか。

「旦那。気を悪くしないで聞いてください。
俺は、あんたはそんなことを気にするやつじゃないと思ってた」
「お前は、俺のことを知らないだろう」
「いや、俺は何度もあんたと実戦で向かい合った。あんたは強いし、俺は弱いしで俺はうまいこと逃げてまわっていたんで、直接戦ったことはない。でも、戦い方を見てればわかる。そいつのことが、だいたいね。
あんたは、心の冷たい人に見える」

ふいに、ギルバートの声が蘇って、マキャヴィティはもう一度包丁をまな板に叩きつけた。そうしないと、怪我をしそうだった。

「マンゴジェリー。あんたに、頼みたいことがある」

マンゴジェリーのにやついた顔から、すっと表情が抜ける。

「俺達の隊長…ギルバートだが、何かを企んでいるらしい。俺は、昼間は軍舎から抜け出せない。その間、隊長はまあだいたい、自分の部屋に篭もってるか、俺達を冷やかしに来るか…。
だけど、もしあいつが一人で出かけることがあるなら」

ごくりと、マキャヴィティは自分の唾を飲み込んだ。それでも声がかすれる。

「どこへ、何をしにいくのか。
探ってほしい」
「なるほど。手駒にするために、俺を助けたのか。
確かに、俺ならなんの気がねもなく隊長さんを見張れる。それに使い捨てにするにも良心が痛まないってものだ。
万が一見つかっても、あんたはどうとでも言い逃れができる。たかが海賊一匹の言うことと、士官様のおっしゃることとでは…」
「そうでもない。ギルバートは、今では俺のことを怪しんでる」

マキャヴィティには注意しろ。
そう言ったあの声は、確かにギルバートのものだった。

「気をつけろ。今すぐでなくていい。
 もっと、身体が戻ってからだ。お前だって、誰かに顔をみられたら命はない」
「了解。俺は、そういう取引はすぐ頭に入るんだ。誰が好きとか、嫌いとかよりはるかに」

鍋の中に、一息に野菜を投げ入れる。油が飛んで、マキャヴィティの頬を焦がした。