悲痛な表情をしたマンカストラップが、重い口を開いた。
「実は、俺、犬なんだ」




タイヤの一つもない車や、温かくならない電子レンジ、汚れてひびわれたコップが、月日と共に刻々と朽ちて行く。ゴミ捨て場には、誰の役にもたたないものが折り重なって雑多な壁を作っていた。マンカストラップのよく響く声が、猫たちのいつもの集会場を、沈黙一色へと塗り替える。

「何言ってんだあいつ?」
マキャヴィティは、凡庸な顔から表情を消した。あまりにばかばかしかった。

「マンク。お前、いや……お前、」

リーダー猫に向かって、年長者のランパスキャットが渋面を向ける。片手を伸ばしかけてやめるしぐさと、妙に労わるような口調と、愛称での呼びかけが、マキャヴィティに次の言葉を予想させる。――疲れてるんだろうとか、少し休めとか、そんな感じか。

ランパスは、言葉を捜して短く息を吐いた。

「お前……よく言ってくれた」
「ランパス」
「それを告白するのに、どれだけの勇気がいったか。いや、俺のような卑怯者にはとうていそれを想像することはできない」
「ランパス、なんてことを言うんだ!」
「いや、いいんだ。
おい、ここにいるやつらの中で、マンクを……こんなに正直で、いつでもみんなの為に尽くしてきたリーダーを、犬だという理由だけでもし、排斥するようなやつがいるなら、俺が容赦しない。俺はマンカストラップの味方だ。俺は、とるにたらない、卑怯でずるいやつだが、俺は…」
そこでいったん、ランパスキャットは言葉に詰まった。
いつも冷静な顔に、晩秋の木の葉のようなあからさまな赤みが差す。
「俺は、俺も、っ犬だからだ! だから、マンカストラップを敵にするやつは、このランパスキャットの敵になる」
「ランパス…それ本当?」

最近、ランパスキャットと踊ることの多いジェミマが、蒼白な顔をひきつらせる。彼女はもともと気の強そうな顔をしているけれど、いまにも癇癪を起こしそうだった。

「もし本当なら、わたし…」
「本当だ、お前にまで黙っていて、悪かった…」
「私も犬なのよ!」

ジェミマは叫ぶ。

「生まれたときからの、それが秘密だったの。まさか、私と同じ悩みを持っているひとがいるなんて…」
「ジェミマ、私たちに話してくれればよかったのに」

震える彼女の肩を、包み込んでやさしく叩くのはジェリーロラムだった。

「私たちは友達でしょう。友達なら、そんな心を重くする秘密は、わかちあうものよ。分かち合って、お互いに持ち合って、重さを軽くするの。
私たちは、いつでもそうして秘密に耐えてきた」
「ジェリーロラム、まさか、あなたも?」
「ジェミマ…」
「タントミール、あなたまで!!」
「ごめんなさい。もっと早く、話しておけばよかった」
「みんな…!」

抱き合う雌猫たちをよそに、ふいに誰かが哄笑する。大きな椅子の背もたれがつくる格子状の影に、囚われていたマンゴジェリーが狂ったように声を上げていた。

「こんなことってあるかよ」

笑いを収めると、誰も見たことのない真面目な顔が、ぐるりと首を動かして一匹一匹のいきものを見渡した。マンゴジェリーは、一瞬で鋭い牙を隠し、軽く微笑む。

「秘密を抱えてんのは、俺だけだと思ってたんだぜ。俺と相棒だけが、この世界から切り離された唯一の同胞なんだって。ははっ」
「マンゴジェリー」
「ざまぁねえな」
「君だけでは、なかったということだ。そして、俺だけでもなかった」
「カーバケッティ」
「世界はいつでも開いていて、そして美しい。俺も君も、そのことに気付いていなかった。それだけだ。俺たちは、もっと大きな世界を見なければならないな」

マキャヴィティがカーバケッティに、あのいつくしむような視線をあてられたら、何がなんでもこいつの言うとおりになんてするもんかと思うだろう。

「ちょっと待ったぁ!」
「タンブルブルータス?!」
「お前たちはそれでいいかもしれない。しかし、それでは俺の気がすまないな」
「なんだと?!」
「はっきりさせようじゃないか。猫の群に紛れ込んだ、場違いな犬がだれであるか。そうだろう、みんな」
「何を言うんだタンブル!」
「そうだ、タンブル。お前、まさか群から犬を排除するつもりじゃ…」
「猫の群に犬はそぐわない。俺は誇り高い……犬だ! 俺は、犬である自分に誇りを持って新たな世界を創造する、礎となる!
 誰が俺を敵とみなそうと、君だけはついてきてくれるだろう、カッサンドラ」
「ええ、タンブルブルータス。
だって私も犬だし」

今までのキャッツはなんだったんだ……
この数年間は一体……

マキャヴィティの思惑など関係なく、ゴミ捨て場には一気に感動ムードが盛り上がる。

「俺も!俺も俺も!!」
「お前もだったのか…僕もだ」
「なんだよ、言ってくれりゃーよかったのに」
「それは、お前も、だろう?」
「あはは、そういやそうだな!」
「こいつぅ」コツン。
「あはははは」

その後も告白は止まらない。

「私も」
「俺、も…」
「実は、アタシも犬なんだぁ」

いや、お前に限ってはさっきマンゴにさらっと暴露されてたから、話のついでに。

「ふふ、こうなったら私も黙ってはおけないわね」
「まあ、貴方まで?」
「実は、わしもー」

そこここで、告白の挙手がおきる。
マキャヴィティは、隣にいるギルバートをちらりと振り返った。彼は状況についていけず、ぶるぶる拳を震わせている。

「俺は…」
「ギル、あの、これは悪い冗談」
「俺は、自分がゆるせない!!」

ギルバートが持っていた棒をへし折った。

「俺は、なぜ一番に言うことができなかったんだ!! 俺は、ここで暮らす価値がない!! 俺は、俺は…」
「ギル? まさか」
「俺はポリクルドックとして失格だ――――!!!!!!」
「お前もか――――!」





「何を言うんだギルバート」とか、「そんなことをお前がいうのなら、俺だってここにはいられない」とか、なんかもうその後はぐちゃぐちゃだった。

最悪なことに、ギルバートは嘘のつけるような性格じゃない。
マキャヴィティは覚悟をきめなければならなかった。ギルバートが言うのだから、この絶望的状況は、おそらく目のそらしようのない現実なのだろう……


「怖かったのよ、みんな…」
と囁いたのは、純白のヴィクトリアだった。
「ほんの小さな勇気なのに、それが出せなくて。おびえて縮こまっていた小さな仔猫なの。ふふっ。私たちって、なんて愚かな存在なんでしょうね」

あーあー聞こえませーんっていうか聞きたくねえー……

今まで猫のふりをしてたって、一体何の為にー?
っていうか、犬が猫のふりなんてできるわけないだろ。見た目からして全然違うじゃん! あいつらのどこが犬だっていうんだ?
あんな薄い大きな耳と、短い鼻づらと、細いしっぽを持っていて、それでどこをどうしたら「自分は犬だ」なんて言えるんだ?
お前らが犬なら俺だって犬だよ。犬になれるよ。ははは。

誰か、誰でもいい。この状況に疑問を抱いてるまともなやつはいないのかー。

友情の鋭い輝きが無遠慮にそこかしこで発散されるなかで、一匹だけ困惑にひきつっている猫を見つけたのは、その時だった。しっぽを股の間に挟んで中腰になっているラム・タム・タガーにマキャヴィティは気付いて、そっと近づく。

――よかった。俺、ひとりぼっちじゃない。

「あの、タガー」
「俺に話しかけるな!!」

タガーの毛並みがぞわりとそそけ立つ。
それを見て、マキャヴィティは泣き出したいほど安心した。

「誤解しないで。僕は君の仲間だよ。安心して」
「おもしれえ、おもしれえ。俺を試してんのか?
おもしれえ」
「落ち着いて! いや、そんなことこの状況で言うのは白々しいよね。でも、聞いて。俺は、俺だけはね」

タガーはぎらぎら光る目で群を睨んだ。そして口を開く。

「わん!!」
「……は?」
「ギャワワワ、ワンワン! ワオ―――ン…ワン!」

ありえない。

「タガー、お前もか…っ」

感極まった熱い声で、ことの発端を起こしたリーダー猫が金茶の猫を呼ぶ。
リーダーは、さわやかに片手を差し出した。

「お前にだけは、軽蔑されるのがつらかった。これまで、長いつきあいだが、俺たちはこれからも親友だ! 握手しよう、タガー」
「ワン!」
「あははははははははははははははははは……ははははははははは」

タガーに手を噛み付かれていながら、タガーをぶら下げたままマンカストラップはどことなく引き攣った笑いをたてる。ふたりの間からボスッとくぐもった音がしたのは、「ギャウン!」あの声は、ひょっとしてタガー……

「ははは、こいつぅ」
「ワンワワワンワン!!」

完全に目の据わったタガーは、それからワンとしか喋らなくなった。

「あはははははは」
「わん!わん!」

そんなことを知るよしもないマキャヴィティだが、顔からは自慢の愛想笑いがすっかり消えうせていた。

――これから、どっしよっかなー…

もう、こいつらまとめて地獄送りでよくないか。なあ?
正体がばれるとかもうどうでもいい。あしたぁ? そんなもんどうすっか決めてないしー。もうマキャヴィティとか犯罪王とか関係ねーよそんなもの。そんなの関係ねえ。そんなの関係……

「おっぱ………ぴ…、っ、うふふっ」

腹がぴくぴくして、こらえきれず笑いが漏れる。

「ふふ、ははっ…」

あーもーいいよ。こいつらもう全員いいよ。俺ももう、どうでもいい…どーでもいーやー。何でもいーやー。

空には厚い雲。
一雨きそうな湿った空気と、まわりには見知った顔が並ぶ。

それから、どうやって帰って一人になっただろう。覚えていない。けれど、枕元がいやに冷たかったのはひょっとしてこの目から流れる液体のせいだろうか。

――明日からどうしよう。犬の中でひとりきりで、うまくやっていけるだろうか…

マキャヴィティの鼻筋を、また涙が撫でていった。






「エイプリルフールおめでと――!」
「は?」

ぱんぱんと、手作りのクラッカーが鳴らされる。
作ったのは、ミストフェリーズだろうか。

どの猫も興奮に頬を赤らめ、楽しそうに笑っているけれど、強張った体はともすれば震える。足踏みする猫が多いのは、アスファルトから這い登る冷たさが、骨を伝って全身に広がってしまうのを抑えるためだった。
昨日の雨の影響で、いつになく寒い。

そんな11月のある日に、なぜ4月馬鹿の名前を聞かなくてはならないのだろうか。マキャヴィティは重いまぶたをうごかしてそっと目を眇める。そうすると、ますますそこがはれぼったいのを意識させられて、惨めな気分だった。

木枯らしが紅葉を吹き消し、街から色が抜け落ちて行くこの季節に、いったい何だろう?

「みんなー終了――しゅーりょー!」
「ええーもう?」
「早くないか」
「こらこら。確か、エイプリルフールは一日だけだろう? それ以上続けたら、単なる嘘になってしまう。嘘はいかん。不誠実だ。
だから、いいかげんワンワンいうのはよせ、タガー! しつこいぞ!!」

ぱしんと軽くはたかれた頭にも、タガーは「キャウン!」と文句を言った。
犯罪王は、暗い顔を伏せた。今の顔を見られてしまったら、正体がばれそうだった。

「冗談、だったのか?」
「昨日から思ってたんだけど、お前、ひょっとして知らなかった? もしかして本気で騙された? ぷぷっ。でも、昨日は特別な日だから、許せよな!」
「エイプリルフールじゃない」
「え?」
「昨日は、エイプリルフールじゃなかった」

マンカストラップが、聞き捨てならないとばかりにマキャヴィティとコリコパットの間に割って入る。

「なんだと? しかし昨日は、特別な日だったんだろう? この国で一番特別な日といえば、エイプリルフールしかないじゃないか」
「エイプリルフールは四月! 春! 今は…」
「秋だな、どう見ても。へたすると冬」

真面目なマンカストラップを初め、気まずさからの沈黙がまたも場を支配する。

「まあ、今日はおめでたい日の次の日らしいし」
「気にするな! ごめんな」
「俺は、……俺は勘違いしてなんということを」
「いや、マンカストラップ、もういいよ(もう…どうでもいい)」
「わん(そうだぜ)」
「は、タガー?」

ぎこちなくマンカストラップが彼を振り返ると、タガーは真面目な顔でこう言った。犬語で。

「わわわわわん、わん(気にすんなよ。そんなの大したことじゃねえよ。俺は死ぬほど驚いたけどな。全然気にしなくていいぜ。
まあ、俺は実は犬だったんだけどな)」
「タガー…いいかげん普通に喋るんだ」
「わん?(なんで? 俺は普通にしてるぜ。いつもどおりだぜ)」

「結局、お前らは、全員猫でいいんだな」

マキャヴィティが確認しても、誰も答えるものはない。なし崩しに集会は終わった。好き勝手な相手と話す彼らは、当たり前のことを答えてやる気にならないらしい。マンカストラップは、まだタガーと睨みあいを続けている。何日でもそうしているがいい。

「そうか……安心したよ」

マキャヴィティは微笑む。
「覚えてろよ」、と心の中で呟く。

――マキャヴィティになったら……どうするか。くくっ。次の満月が楽しみだな。

目に涙をいっぱい溜めて、負け惜しみするマキャヴィティは気付かなかったが、彼のほかにも思わぬ事態に硬直しているものがいた。

――嘘だったのか……

ギルバートは、猫にしてはふさふさしすぎて、くるりんと巻き上がった自分のしっぽを、そっと股の間に挟んで隠す。

そのまま、しずかにあとじさって場を逃れると、いつものように無駄なしっぽの毛並みを安全剃刀で剃ってから、何食わぬ顔をして舞踏会に混じった。彼の心には大きな秘密がある。

 

『Dogs』
2007.11.12
昨日はワンワンワンワンの日、11月11日でした。
記念日おめでとう。