身体に沿って流れるしなやかな純白の毛並みを、グリザベラはよく夢想する。ヴィクトリアよりも白かった。かつての自分が持っていて、今なくしてしまったもの。
いまの彼女は、灰色にくすんで、頑なに縺れていた。
彼は、金色の毛並みを持っていた。
なんの突然変異だろうか。光の加減で、豹紋の浮き出す細身の身体は、金と黒のまだらだった。
首筋に鬣のような金を集めて、右脚の腿にかけても植え込んだように金色を輝かせる。彼のことを、彼の持つ自分と同じに長い毛並みを、グリザベラはずっと見ていた。
「じっとしているだけでは治らないのよ」
タガーは、鷲の様に険しい目で彼女を見つめた。
街の外れにあった美容院は、訪れる客もまばらだった。店内の、埃をかぶった長いすよりも、ひびのはいった窓ガラスが全てを語っている。
グリザベラは、ようやく彼とふたりきりで出会えたことを、嬉しく思っていた。
いつもは、彼は決して彼女をまともに見ない。
彼女も、彼に話しかけたことはなかった。
「水を飲まないと、ぜったいに良くならないのよ」
グリザベラは、泥水を掬って掌のなかに溜めていた。それを、蹲る彼に差し出す。
「さあ、飲んで」
にっこり微笑む。
かつての自分がした微笑を思い出して、それとなるべく近いカーブで微笑むよう努めた。
彼女の手は払われて、泥水は茶色くきらきら光りながら、美容院の壁を汚した。グリザベラは凍りつく。
「俺に触るな」
「あなたが私を叩いたのに」
「寄るな」
「お腹が空きすぎて、身体がしびれて、一歩も動けないのでしょう。そうなったらもうだめよ。
誰かに恵んでもらわなければ立てないわ」
タガーは最後まで聞かずに、爪を壁にかけて立ち上がった。ついた手が泥水にすべり、タガーは倒れこんで、固い壁にしたたかぶつかる。
「何をするの」
グリザベラは振り払われたときより悲しかった。
「どこへいくの」
「行きたいところだ。決めてねえ」
「あなたは…」
同じ宿命を持った同志を、まぶしくグリザベラは見上げた。
長い毛並みと引き換えに、ほんの少しの故障でうごかなくなるこの身体。
美しいだけで、何の役にもたたない長い手足。
柔い爪。
「俺がそう決めたら、……他の決まりごとなんていらねえんだよ」
「どうして自分ひとりで生きていけるの。わたしと同じはずなのに。わかるわ。身体がいう事を聞かないでしょう。
いつだって、力いっぱい飛び上がっても他のひとの半分も高くは飛べない」
「知るか!!」
タガーは壁から手を離して長い毛並みをかきあげた。とたんに地面に転ぶ。
「ちくしょう」
「お願い…せめて水を飲んで」
彼女が精一杯の善意と、素直な同情心で差し出す手を、しかしタガーはにべもなく拒む。
「悪いな。腹が裂けるくらい満腹のときでないと、雌にたかる気がしねえよ」
「貴方は……」
タガーは、はいつくばってでもグリザベラから離れようとする。
彼にしてあげられることはない。グリザベラはようやく思い知る。
自分が傍に来ないことが、彼には一番よかったのだ。
「貴方は、私が嫌いなのね」
タガーは道端に埋めていた顔を上げると、グリザベラを振り返りあでやかに微笑んだ。
「愛してる」
熱をこめて囁く。
「憎んでいるのね」
天邪鬼の言葉を聞きながら、グリザベラは倒れるタガーの足元に涙をこぼした。
『罵り』