ご注意ください:
ランパスキャットが酷い人です
女性が怪我をさせられます
女はとても綺麗だった。
「私では嫌?」
彼女は、ランパスキャットを見下ろしながら微笑んだ。細い腰を屈み、ランパスに顔を近づけると、花びらのように膨らんだ唇が彼の間近でひらめいた。
「私も初めてなのよ」
そっと囁いた彼女の言葉に、真実があるかは、わからない。
けれど、ランパスキャットは彼女を一目見て気付いた。
同類だ。
ボンバルリーナは、未成熟で幼く硬い身体を、座り込んだままのランパスキャットに押し付けた。芙蓉の香りをまとう女と横たわり、灰色の空を見上げると、ランパスキャットは彼女より、足の甲ひとつぶん背が低かった。
まっすぐな手足を投げ出して、少年と少女は呆然と身体を重ねた。
目線ひとつで通じ合う。
ランパスキャットがボンバルリーナを見つめると、すぐに彼女は反応する。
凝視には冷たい一瞥が。乱暴に腕を捕らえれば、冷笑が彼を迎える。
それに煽られて一歩踏み出すと、彼女もわずかに身を寄せる。彼女はけして逃げない。笑みを潜ませた大きな瞳が、映る雄の姿を吸い込みそうに開いて、視線を絡めあう。
見詰め合うのに躊躇ない美貌だった。自信にあふれていて、それがランパスキャットを爽快にさせた。
無理やり抱き込まなくても、誘惑しながら近づけば、彼女は応えて胸のうちに収まる。口許にうかぶ余裕の微笑みが、乱れることもない。
彼女の、よく撓る身体と手ごたえの確かさに、彼は狩猟本能を掻き立てられた。
「この頃、お前はおかしいな」
「そうかしら」
いつもの緊張感を楽しみながら、ランパスキャットは長年の朋に尋ねた。彼女は白々と微笑んでいる。ランパスに抱かれる彼女の手足は、ふっくらと脂の乗って柔らかく、付け根や関節が細く引き締まって、魅惑的な曲線を描いていた。ランパスキャットは彼女の背丈を追い越した。視線を合わせるためには、彼女は首が痛くなるほど彼を見上げなければならない。
顎を逸らす彼女の、すべらかな頬から口元にかけて、醜く変色した痣があった。
「身体中に生傷が絶えない。どういうことだ?」
「私だって、身ひとつで生き抜いているのよ。雄猫とかわりないのだから、少しくらい怪我をしても当然じゃない?」
「誤魔化すなよ」
ランパスキャットは密かな笑いを彼女の長い睫に吹き付けた。びくりと身を震わせて、彼女は目を閉じた。生理的な涙が目じりを湿らせる。彼女の切れた唇に触りながら、ランパスキャットは静かに問いかける。
「ボンバルリーナ。このごろ、お前は乱暴すぎるな」
「あなたに言われたくはないわ!」
目を瞑ったボンバルリーナが、身を折って爆笑したので、彼女は自然と彼の手から離れた。
「聞いたわよ。ここに帰ってきてからはおとなしくしているようだけれど、それ以前にあなたは、行くさきざきで騒ぎを起こしたそうね。なんて迷惑な…」
ランパスキャットは片方の眉を跳ね上げて、手持ちぶさたに首筋の毛足を払った。指先に、塞がりかけた傷口の、かさぶたの感触が残っている。
雌猫のテリトリーに許されて入る特権を、行使しながら彼は彼女のねぐらを歩き回った。人通りの多いあわただしい場所に、間違いのようにぽっかり開いた隠れ家は、ランパスキャットのそれととてもよく似ている。
寝床の主はしんなりその場に座り込んだ。長い脚をこすりあわせながら、ゆるやかに曲げる。
「本当に、雄ってやっかい。怒鳴ったり威嚇したり、喧嘩したり、火をつけたり。そんな馬鹿げたお祭りを開かなくても、命を実感する方法は他にいくらでもあるの。
あなた、ここへ来て」
漂うように腕が伸ばされた。ランパスキャットはそれに掴まると、細い指先にそっと顔を伏せた。彼の肉厚な唇に、五指の一本が入り込んで、やわらかい歯茎から生えたすべらかな牙を撫で下ろす。
「昔、この牙は、もっと白くて私の爪ほどもなかったのに。…大きくなったわ。私も、あなたが成長したそのぶん、大きくなれたらよかった」
「やめろよ」
「でも、顔はあまり変わらないのね。あなたは、子供のころからこういう逞しい顔をしていた気がする。私の気のせいかしら」
ランパスは音を立てて跪いた。昔を回想する彼女の、夢見るように遠い視線を引き寄せる。見詰め合う顔は、彼女を振り向かせた自分の成功に、微笑んでいた。
「あなたなんて怖くない」
「へえ、そうか」
黄の混じった明るい褐色の、彼女の毛並みは、オレンジ色にも見えた。
白が勝った身体に、黒とオレンジがくっきり分かれて目にも鮮やかだった。
ランパスキャットは空を仰ぐ。相変わらず、低く垂れ込めて近かった。狭い道が入り組んで曲がっている。ネズミや虫以外の、生き物の気配が消えていた。夜になれば、大きな体を持て余したニンゲンたちがここにも戻ってくるだろう。
今は、真昼の道に、猫だけが目を光らせている。
ジェミマのテリトリーに足を踏み入れたランパスキャットは、彼女と対峙して悪びれずに立っていた。
彼女は、まだ大人になりきらない、真っ直ぐな手足を持っていた。気性の激しさを、くるくる動く表情に滲ませて、唇は紅く艶めいている。健康そうなピンクの唇が、忙しなく早く動くのをランパスはにやにやしながら観察する。意地悪く諭した。
「だったら、そんなに焦らなくてもいいだろ。……落ち着けよ」
「焦ってるって何が。馬鹿みたい」
彼女はそう叩きつけて、じっと彼を睨んだ。
「お前、ずいぶん早口だな。いつもそうなのか?」
「関係ないでしょ。あなたとわたしは友達でもなんでもないんだから、干渉してこないでよ」
一気にそれだけ言い切ると、彼女は呼吸を乱した。薄い肩が上下している。頬が紅潮して、唇にますます朱が勝る。
「お前、なんて名前だ?」
「あなたに教えるつもりがないわ」
「そうか。じゃあ、勝手に呼ぶが、ジェミマ」
簡潔で個性的な名前を、男はあっさり口にした。ジェミマは驚きに目を見開いて、思わず後じさった。彼が自分の名前を覚えているなんて、想像したこともなかった。ジェミマのほうは、彼の噂を聞きたくなくても聞かされている。彼が、他の町で犯した悪行を。
「ジェミマ。俺が怖くないんだったら、ちょっとこっちへ来いよ」
「…誰が」
「ああ、悪い悪い。そうだよな。用事があるんなら、俺のほうから行くべきだよな」
ゆらりと幽鬼じみてランパスキャットが立つ。だらりと両腕を伸ばしているのに、骨ばった指先から太い爪が、おそろしいほど露出していた。
ジェミマは後ろも見ずに駆けだした。男は追ってはこなかった。
「いいかげんおいたはやめるんだな」
女の身体に刻まれた、深い爪あとを見つめながらランパスは微笑む。殺気が痛いほど突き刺さって、自分へ宛てたものでないと知っていても、ボンバルリーナは肩をすくめた。
「仕方がないの。かれが、こういうのが好きだから」
甘くくちずさんで、幸せそうに彼女は目を細めた。
「やすやす許すなんて、お前、そんなにあいつに惚れてるのか」
「惚れ、てる?!」
高く澄んだ声が、はじけるように笑った。ランパスキャットは相変わらず暴力的に目を光らせ、彼女に続いて強く平坦に笑った。
「ずいぶん古い言葉を使うのね。そんな知識があなたにあったなんて驚いた。
ねえ、私のことは気にしないで。楽しんでいるだけだから」
「これがか? どう見てもいいように使われてるってかんじじゃねえか」
爪あとはひとつではなかった。戯れに増やしたとしか思えない。全身を走る傷跡は、ふっくり腫れた軽いものから、抉れて深い谷間を見せるものまで、さまざまだった。美しい女に、誰がこんなことをと憤り、邪推するまでもない。
「マキャヴィティに近づくのは、いいかげんにもうやめろ。これまでで充分、気が済んだだろうが」
「指図しないで」
きっぱり断り、彼女は細い背中を向けた。逡巡は見受けられなかった。彼女は、本気で腹をたてている。馴染みのランパスにはわかる。怒りたいのはこっちだと、ランパスキャットは嘆息した。
「どうして、こんなことを許す。お前らしくねえだろう」
「楽しんでいるだけ……ちょっとした危機感も血も、とてもいい興奮剤になるのよ」
ボンバルリーナは視線を逸らして背中をむけたまま喋る。彼女らしくなかった。ランパスキャットは、うつむいた首筋に噛み付きながら唸る。
「やめろよ。あんな変態につきあわされてると、お前までお仲間だと思われるぞ」
ボンバルリーナは静かに目を閉じる。彼の牙は彼女の肌に痕を残さなかったけれど、吐息が敏感な首裏をなで上げて、言葉が肌にしみこむようだった。首筋に巻きつく、指の形をした痣を生き物の呼気が、湿らせる。まるで宥められているようだった。
赤毛の混じった薄い耳の、ぴんと立った頭をかたむけて、彼女は長い首筋から胸元を男に晒してみせる。うっとりこたえる。
「あぁ。かれってあなたにどこか似ているのよ。顔じゃなくて、すべてが。
ねえ、心配しないで。仲間だと思われる? そんなことあるわけないじゃない? …雌猫に、何ができるというの」
「だからこそ心配なんだ。お前じゃ、マキャヴィティから逃げることだってできないだろうが」
ボンバルリーナはふいに一歩踏み出すと、きらきら光る目を上げて、ランパスキャットを振り返った。
「あなたとかれと、どこが違う? 生まれ持った力を、揮わずにいられないんでしょう。雄猫はみんなそう。
私に、一生、男へ近づくなというの」
「いくらシーズンを重ねようと、おまえが孕まないのは道理だな。そんなに死と破壊ばかりが目につくんじゃ、世界も歪んで見えるだろう」
彼女は、ほんの小さな仔猫いっぴき、育てたことがない。それは、彼女とランパスの生きてきた月齢からすれば、異様なことだった。ランパスキャットは、きょうだいのように自分とよく似た雌猫を見つめた。外見でなく、すべてが彼らは似かよっていた。
「私はただ、私の命を確かに握っていたいだけ」
「怖くねえんだろ。こっちへ来い」
ランパスキャットは動かない。彼女が自ら歩き出すのを、見守った。
子供は、おそるおそる雄猫に近づく。
舌打ちしたい内心を隠して、ランパスは馬鹿にした微笑ばかりを口許に浮かべていた。それにますます挑発されて、彼女は憤然と胸を張った。
足元から近づく彼女の影が、ランパスの鋭い目に掛かる。
「いや!やめて!」
ジェミマの悲鳴が、彼女の守る土地に、空しく響いた。
「命をコントロールしているという実感が欲しいの」
燃える様な赤毛を暗闇に潜めて、ボンバルリーナは呟いた。
「お前がしてることは、お前が馬鹿にしてた雄のすることと、何にもかわらねえ」
「そうね。私は廃倉庫に火をかけたいとは思わない。でも、火をつけて喜んでる雄のそばで、その馬鹿みたいな顔を見てるのが好きだわ」
そして、いつ自分の体をも炎が包み込むか。不安を実感していたいという、彼女の内心を、ランパスキャットだけは見透かした。
「そういうのを、なんて言うか知ってるか?」
彼女は、わずらわしそうに眉をしかめる。
「どうしたの? このごろ嫌に干渉してくるのね。あなた、この街に帰ってきて変わったわよ、…悪いほうに。ねえ、いいじゃない。
馬鹿なことしてる、って、笑ってくれていればいいのよ」
今すぐにでも、炎に飲み込まれるかもしれない。
けれど、今はここにこうして生きている。それが、せつないほど生を実感させてくれる。自分で自分の命を、確かに握りこんでいると、ボンバルリーナが思う瞬間だった。
運命には逆らえない。病、とつぜんの悲劇。疾走する車。鉄の固まり。嵐。死。けれど、マキャヴィティは違う。機嫌屋で二重人格で、行動に脈絡がないけれど、実態のあるただの男だった。彼の機嫌をとって、彼の殺戮からまぬがれるのは、ボンバルリーナの力量だった。
わざわざ危険に近づいて、それを回避するのが彼女が言う「命をコントロールする」ことの実態だった。
ごみための影で、ランパスキャットはボンバルリーナの頑なな笑顔を睨み続けた。
通りの隅々まで清掃の手が行き届いた、住宅街のなかに、少女は住んでいた。彼女の毛並みは、新しくてさらりと清潔だった。
ランパスキャットの腕の中で生きよく暴れる少女の毛並みは、心地良い感触を彼の掌に残した。
「嫌、いや!」
少女の身体は、やわらかい。しっかりした膝から続く、まっすぐな腿に指をくいこませて、ランパスキャットは笑った。蹴り上げた足を捕らえられ、ランパスの口元に浮かぶ憫笑にも気付かず、少女はもがき続ける。
「放し…」
言われる前に手を放すと、土のなかにがくりとのけぞって彼女は倒れた。手を砂利に削られて、背中にもたぶん擦り傷を作っただろう。打った頭を庇うように、身を丸める。頭を抑える細い指を見下ろしながら、ランパスは冷たい声で告げる。
「これでも、俺が怖くはないか」
ランパスは身動きせず彼女を見下ろす。
その影にさえ、ジェミマは震えた。
「雄を怖がらないふりをするのはいい。だけどな、本当に雄を恐れないメスは、長生きしない。わざわざ教えてやったんだ。覚えておけよ」
ランパスキャットは軽々と身を翻した。一歩も進まぬうちに、長いしなやかな尾を、誰かの手に掴まれる。
「なによこれ」
ジェミマは、泣いていなかった。ランパスの身体を握り締めて、ぎりぎり睨みあげている彼女の目は、恐ろしいほど闘志に満ちていた。
「お前、俺の言ったことがわからなかったか? そこまで、馬鹿か」
ランパスキャットは低い声をだした。これ以上ないほど、威圧感を露にする。一歩踏み出せば、どれほど屈強な猫も、恐れて身をすくませるはずだった。
「それで、怖がらせてるつもり? アンタ、なに? なんなのよ」
「お前、馬鹿だな」
「わざわざひとのなわばりにやってきて、したかったのがお説教?
ずいぶんな自己満足ね。そんなのに付き合わされて、おとなしくしてろっていうの」
「そうしてろよ。お前、弱いんだろ」
「馬鹿にすんな!」
ジェミマはぐらぐら揺れる身体を、精一杯地面に立たせた。
「あたしはここの主だ! ここを守れなくて、どうしておめおめ自分のねぐらに帰れるっていうの。あんたこそ、ここへ迷い込んだことを覚悟しなさいよ」
「…頭打って、どっかおかしくなったか?」
「もとから、ここにわたしより強い個体がくれば、わたしはここを追われる。そんなのはわかっていたことよ。それで? 逃げていれば、とぼけてずっとここにいられる?」
ランパスは目をすがめた。威嚇し、自分の優位を誇示しているように見えただろう。実際は、彼女の言葉に真理をみて顔をゆがめたのだった。
「自分より力の強いものを恐れて、一生ねぐらへ閉じこもっていろと?
閉じこもって餓死するのが、だれかに殺されるよりマシなことだとでも?
わたしはここにいたい。誰かを恐れて、好きなように生きようとしない、プライドのない猫は大嫌い。
あんたのような、自尊心のかけらもない猫に、道を譲るなんてありえない!」
ジェミマは走った。
ランパスに向かって爪を突き出す。避けられるまでもなく、彼女は頭痛と吐き気に負けて地面にくず折れた。
「いや、放して」
「そんな身体じゃ、お前、カラスに踏まれるぞ」
「放せ、放せ」
「教会に連れてってやるよ。俺がこんな親切心を起こすなんて、年にいっぺんもねぇんだから、ありがたく受けとっておけ」
いや、と呟いたきり、ジェミマは意識を失った。
「やばいな。本当に打ち所が悪かったか」
身体が汚れる事も厭わず、ランパスはジェミマを胸に抱きかかえた。少女の白いこめかみに、一筋の血が流れていたのに初めて気付く。
「ちくしょう…俺のやつあたりなんかで死んだら、お前、ほんとうに馬鹿だぞ」
『なぜ、誇りをもって生きようとしないの』
そう言われた気がした。
ぽっかり目を空けると、ジェミマを包んでいたのは白い布だった。見慣れた天井に、思わず声を上げる。
「教会…オールデュトロノミーの? どうして」
「気付いたか」
ジェミマは身を起こそうとして、布団の上から長い腕に制される。
「あなた…」
「よ。何事もないってよ」
白い身体にくっきり浮き出す黒い斑紋。ランパスキャットだった。
「よかったな」
くしゃりとジェミマの頭を撫でる手は、暖かく、眼差しにも狂気とは程遠い穏やかさがある。
涼やかで気持の良い、安全なねぐらのなかに居るせいだろうか。
二重猫格者?
ジェミマがまっさきに疑ったのは、それだった。
「吐いたし、大仰なことになってんじゃねえかと心配したが、お前、頑丈だな」
ランパスは笑う。大抵のことは許してしまえそうなほど、魅力的で明るい、あけっぴろげな笑顔だった。
「あんた、どうしてここに居るのよ」
「ああ、俺は追い出されたんだが、お前が心配のあまり、な…」
ランパスの示した指の先には、無理やり外側からこじ開けられた窓があった。
「なんでよ」
「心配して、って言ってるだろうが」
「ふざけんな!…っつ、」
「俺のせいだからな。ザイアクカンが疼いてる」
ランパスがにいっと口角を吊り上げると、彼の牙がむき出された。ジェミマはぞっとしたけれど、彼はいたずらを打ち明ける調子で言った。
「お前、俺のことを、覚えておけよ…」
ランパスキャットの、低めた声が横たわるジェミマの耳を撫でる。
「今、俺が言うことを、忘れるな。いいか。今後、お前のなわばりを荒らすやつが居れば、このランパスキャットが許さない」
さあ、と開いたままの窓から風が入った。
カーテンを揺らし、ジェミマの毛並みを吹き付けていく。
「はぁ? ちょっと、何いっちゃってんのあんた」
「お前がどう思おうと勝手だけどな、お前の背後には、今後ランパスキャットがついてる、ってことになった」
楽しそうに目を細めている彼は、やはり穏やかな青い瞳を持っていたけれど、その手に隠された爪は太く鋭かった。
「俺は、お前が気に入ったんだよ。珍しいことにな。
お前のことは、今後俺が守ってやる」
「はあ? わけわかんないんですけど?!やめてほしいんですけど!!」
「お前は嫌がるだろうと、俺は思ってたよ。まあ、……諦めろ?」
「はあああああ? ちょっとこのおやじ何いっちゃってるわけ?!」
さわやかで一方的な笑いが教会に響き渡った。
ジェミマを安静に置くため、隔離していたジェニエニドッツが怒涛の勢いで部屋に駆け込むと、ランパスキャットの姿はもうなかった。
カーテンだけが、揺れていた。
「お前はマキャヴィティなんかと似ていない」
「あなたは似てるわ」
「俺は、あんな狂った殺戮者じゃねえよ」
「そうかしら。あなたが前の町でしたことは何?」
雌猫は暗闇から誘惑する。
手招きする腕を捕まえて、ひっぱって立たせた。
「きゃっ…やだ、痛いわよ!」
「お前、またマキャヴィティに会うんだな。好きにしろよ」
「もとから、誰に指図されるつもりもない」
ランパスキャットは、友の顔をしっかり見つめて、宣言する。
「俺がマキャヴィティを狩る。お前が全部、喰われるまえに」
「…そんなこと、できるわけない」
「お前に恨まれようが、泣かれようが容赦しねえ。いいだろうな。お前が好きに振舞うように、俺も、俺の都合であいつを狩る」
「そんなことできるわけない!!」
ボンバルリーナはランパスキャットに挑みかかった。女の華奢な腕だが、その爪はよく研がれてナイフのように薄い。
「お前を守る。俺は、意外といいやつなんだぜ。知ってたか」
「やめて! お願い、私からあのひとを奪わないで」
「お前も、お前自身で生きる意味を見つけろ。くだらない遊びは卒業するんだな」
「いや、お願い…なぜ奪うの。あなたはそんなに、何もかも持っているじゃない」
「違う。お前が持っていないように、俺も持たない」
ボンバルリーナは、不穏に喉を震わせた。彼女につけられた、傷口を舐めながらランパスをそれを聞き流す。
「そう。いいわよ。私が何を言おうとあなたは好きにするでしょう。
私もそうだから、わかるわ。
あのひとの顔を、間近で見るのも今日が最後というわけね」
「惚れてたわけでもあるまいし、何を悲愴ぶる」
「そうよ。誰かを愛するには、私たちはあまりにエゴイストだから。
ああ、でも、もう少しだけ、あの力の香気を間近で吸っていたかった」
夢見るようなおぼつかない足取りで、ボンバルリーナは男との約束の場所へ去った。それがどこだか、彼女の朱唇を割ることができないことだけは、ランパスキャットも知っていた。
「また来たの?!」
ジェミマの悲鳴が空へ吸い込まれる。
ランパスキャットは、手土産を少女に握らせながら、彼女の顔を覗き込んだ。
「あいかわらずだな」
「なんで来るの」
よしよしと頭を撫でられて、自分のテリトリーにもかかわらず、ジェミマは身の置き所がなかった。
つい先週は、抜き身の刃より殺気立っていた男が、今は彼女の保護者のように振舞う。温かい大きな手に、つい、ジェミマは彼を許してしまいそうになる。
「やめてよ。わたしは、ひとりで生きていけるんだから」
「そうだな。そうだろうと思う」
「だったら、これをもって帰って」
ランパスキャットは、野性猫で若いジェミマが、見たことも聞いた事もないような、奇妙な魚を彼女に差し出していた。それを押し返し、ジェミマは微笑む。
「もう、悪いと思わなくていいよ。あなたが本気でなかったことが、あの時わたしにもわかればよかったんだけど。酷い悪趣味だけど、わたしは一生あなたを好きにはなれないと思うけど、償おうとしてあなたの時間をこれ以上潰さないでいいから」
「お前、ちくりちくりと来るな」
ランパスは目を丸くして、しっかりした少女を見つめる。
「あなたに施されたり、守られたりしていたら、もしあなたがいなくなった後、わたしはどうやって暮らそうか?
わたしはひとりでやってきたんだし、これからもそうするつもり。
酷い言い方だけど、邪魔をしないで」
「お前、本当に…」
頭を上げてランパスキャットを見上げる少女を、西に傾きかけた日輪が照らし、毛並みを赤々と縁取っていた。逆光のなかでも、彼女の緑の瞳はそれ自体が強く輝く。
彼女の背後に、長く道が伸びていた。
もし彼女があの時、ランパスの挑発から逃げていたら、彼女とこうしてまっすぐ見詰め合うことがあったろうか。
ランパスキャットは小気味よさにますます痺れた。
こういう生き方もある。
彼女はボンバルリーナより、よほど短命かもしれない。
けれど、彼女を害するものがあれば、ランパスキャットの制裁の牙を免れ得ない。それは、彼女自身がなんと言おうと変わらぬ、彼の誓いだった。
『守護の牙』