秋が深まると、深緑だった草の色が褪せて、灰色っぽい黄色が土を覆った。空が赤や黄色に染まるには、まだまだ時間がかかる。

闇に影が黒い。枝ぶりを見上げて、マンゴジェリーは目を細めた。夜の湿った風が、マンゴジェリーの赤毛に忍び入り、彼は少し寒さを感じた。

骨ばった器用そうな手には、ねこじゃらしを握っている。ふかふかした花穂が、猫のしっぽのように頭を擡げる。
柔らかい、ちくちくする穂に、すっかり夏の蒼は失せている。熟した実りの色が深い。

くふふ、とマンゴジェリーは笑う。

―――あいつ、喜ぶかな。

ぐふふふふ。
長い首をすくめて笑うマンゴジェリーを、明るい月が照らしていた。




猫の目がギラリと光った。
瞳孔が開いて、相棒の、普段は明るいオレンジ色が、黒っぽく塗りつぶされる。丸い面に反射して、光を弾いた。隣のギルバートの黒瞳など、光そのもののようにギラギラ、ギラギラ閃いている。

「お、おちつけ…」

歩く肉弾戦、白昼のトレー魔ー、ナルシスティック筋肉馬鹿のギルバートまで釣れるなんて、予想外だった。
相棒はいい。

なんでやつがここに居るんだ!!

「ギル、落ち着いて!
ギルらしくないよ…っ」

ギルバートの肩に、触れそうで触らない黄色い猫は、おろおろするだけでものの役に立たなかった。
彼が傍にいて、大きな体の影が重なる位置に立つと、マンゴジェリーの腹の底は冷えて、ざわめく。自分の勘には従うほうだ。
「彼」にはなるべく近づきたくない。

けれど、今は否応ない。

黄色い猫が、必死で宥めようとするギルバートが、じりじりマンゴジェリーと距離を詰めてくる。ふぅーっ、ふぅーっと、繰り返し喉から威嚇を搾り出す。当面の問題は「彼」よりこいつだ。ギルバートだ。
彼の肩に盛り上がって、太い腕に続く筋肉と見比べたら、その隣でねこじゃらしめがけてにじり寄る相棒など、ちっちゃい可愛い子猫ちゃんと呼んで差し支えない。

二匹の視線は、マンゴジェリーの握る秋色の草に突き刺さっている。指先がむずむずした。
マンゴが秋草を右に突き出すと、彼女たちの頭もそれに続き、草を振り下ろすと二匹の首ががくりと落ちる。

あはははは、と乾いた笑いがマンゴジェリーの口から漏れた。

相棒の細い爪が、隠れもせずに指から突き出す。ギルバートの牙はむき出しで、犬のようによだれが滴りそうだった。

マンゴジェリーは覚悟を決めた。

すばやい動きで振りかぶり、二匹に襲い掛かられる前にそれを投げ捨てる。黄色い猫に向かって…

「え?え?え?」

黄色い猫の、小さな耳の間、彼の頭の中心に、羽根が降るように花穂が納まった。二匹の動きはすばやかった。

「フギャーッ!!!ミ゛、ギャァ――――――ッ!!!!」

黄色い猫の、あられもない悲鳴がマンゴジェリーの耳をつんざいた。

―――危なかった……
一歩遅れれば、自分がああなっていたかもしれない。
マンゴジェリーは額の汗を拭い、腕を振り払って雫を地面に叩き落とした。

ニ匹は、天空から舞い降りて死体に群がる禿鷹のようだった。
恐ろしい……

「ばかーっ!!ギルのばかーっ!」

マンゴジェリーは、狂乱が収まるのをおとなしく待った。しゃがみこんで、後ろ足の前に両手を置いて、ちょこんと座る。そわそわ身体を前後に揺らした。いつでも逃げ出せる体勢で待つ。

オレンジのはずの瞳は、相変わらず黒っぽい。
あれがいつもの透明を取り戻すまで、息を殺してじっとしていようとマンゴジェリーは自分を戒めた。恐ろしい…なんと恐ろしい。目の前の光景に戦慄しながら、マンゴジェリーは彼女たちを見守った。

「もうやだ!こんなのやだよ!!」

黄色い猫は、二匹を振り払って立ち上がる。おお、とマンゴジェリーは歓声を上げた。さすが、大きいだけあって、力が…

黄色い猫の毛並みは、逆立ってぼさぼさだった。
彼はキッとマンゴジェリーを睨むと、ぼろぼろにかじり取られた花穂を投げつける。その手がじゃれようと近づいた、ギルバートの顎にクリティカルヒットした。

ギルバートの上体はぐらりと傾いだ。
のけぞるギルバートは、そのまま地面に倒れこむと思われた。遠い寄り目が、瞼に隠れそうになったとき真円に近く見開かれる。

「きゃァァァァァぁーーー!!!」

何かのスイッチが入ったようだ。
悲鳴を上げる黄色と、無言の三毛の、色を混じらせあいながら、彼らは激しく回転して嵐のように消えて行く。彼らの行く末は誰も知らない……

そして、マンゴジェリーは錆びたブリキ人形のようにぎこちなく振り返った。暗い瞳を見開いた、可愛らしい少女がマンゴジェリーの頭の上の、ぼろぼろの猫じゃらしに釘付けになっている。

マンゴジェリーは口を開けなかった。

声がなにかの合図になりそうだった。二匹きりの空間に、さわやかな秋風が吹きぬけていった。

相棒が宙に舞い、その身体が忍(SHINOBI)のようにマンゴジェリーに襲い掛かった。

マンゴジェリーはぎゅっと目を瞑って痛みを待ち受けた。




「あれ、マンゴ……?」
「ら、ランプ…」
「あれ、あれ?
なんであんた、あたしの下にいるの?」

マンゴジェリーに跨って、ランペルティーザは困惑した声を上げた。

「助かった…よかったぁ」
「あたし、マンゴが持ってるものが欲しくてたまらなくなって…
え? それでどうしたんだっけ?」
「俺、もう死ぬほど怖かった〜」
「ええ、と。ギルバートが居たと思ったんだけど、あれ?彼はどうしたの?」
「いや、あいつはお友達と一緒だから、心配ない、と思、う…」
「あたし…ああ、あの黄色い猫に悪いことしちゃったなぁ」

思い出してきたのだろう。
ランペルティーザは顔をゆがめている。いたたまれないというように、耳の後ろを掻いた。

「ああ、お前が正気に帰ってくれてよかったよ。俺もあいつと同じ運命かと思った」
「うん。なんか、マンゴの目をみたらさ、急にすっと興奮が冷めちゃって。
ああ〜。あの黄色いの、許してくれるかなぁ。
悪いことしたな。ほんと悪かったかも。痛かったかなぁ」

マンゴジェリーは、地面に押し倒されたときに作った、たんこぶの痛みも忘れるほどあっけにとられた。ランペルティーザを見上げる。

「お前、あんなに興奮してたのに、俺のことだけは分かったのか?」
「うん?
ああ、マンゴのことならいつだって分かるよ、あたしは。
うーん、あたしすっごく興奮してたから、あの猫に怪我させちゃったかも。どうしよう。悪かったなぁ」

ランペルティーザは、さっき散々黄色猫に噛み付き、ワニのように食いつきながら回転するという、猫の必殺技を繰り出していた。容赦なかった。
怪我もそりゃ、させてるだろうと思う。

それなのに、狂乱のなかでマンゴジェリーの瞳だけは見分けられたという。

マンゴジェリーは、ぽかんと口をひらいたまま、何も言えなかった。

「ね、どうしたらいいと思う? マンゴ!!」

星を背負って、無邪気にランペルティーザは聞いた。
答えられるわけがない。

マンゴジェリーは、丸い顔をした彼の月の、頭を撫でてやった。
何も言えなかった。






『自分だけの空』
2006.11.14