Chaparral

 第1話




――油断した。

 考えが甘かったと遠坂凛は己を罵倒し続けていた。すでに戦争は始まっていたのに、サーヴァントを連れずに敵の様子を伺いに行くなんて。そう敵だ。たとえ血をわけた妹だとしても、彼女はまぎれもなく魔術師だというのに。あの場において、魔術師でなかったのは自分の方だった。だから、この左腕は愚かな自分が支払うべき正当な代償だ。

「とりあえず、止血は済んだわ。自宅は・・・・・・危険ね。街まで行って体制を立て直すわ」

 凛は左腕から右手を離し、霊体化している己のサーヴァントに現状を告げた。凛の左腕は肩から少し下を残し、消えていた。
 と、急に苦い顔をした凛は左腕の付け根を握り、空中を睨み付けた。

「大丈夫。わたしは冷静よ。高い代価だったけど逆にすっきりしたわ」

 その言葉は強がりではなく、遠坂凛という魔術師の本音。この時、彼女の甘さは消えた。
 今後、彼女は敵を完膚無きまで倒すだろう。なにしろ、敵は彼女の左腕を奪った上に、無様な逃亡を強いたのだから。彼女は敵対したものを誰であろうと許しはしない。その顛末は数刻前に戻る。その時点で敵の覚悟が凛を上回っていた。ただそれだけのことだった。




 今思えば、目の前にいる姉は昔から自分を気にかけてくれていたのだとわかる。サーヴァントも連れず、参加者どうか確かめに来るなんて。呆れるくらいの甘さだ。わたしに令呪の徴がないことを確認した時、顔に浮かんだ安堵の色。その顔に何も感じなかったと言えば嘘になるが、躊躇いはなかった。そんな感傷的なモノは、あの時一緒に流れてしまったのだから。魔術師たるわたしはただ一つの望みを叶えるだけ。その為には、

――姉さん、貴女は邪魔なんです。

「それじゃあね桜。わかっているでしょうけど、しばらくは気をつけなさい」

 用事が済み帰ろうと背を向けた凛に、決定的な別れの言葉がかけられた。

「あ、兄さんお願いします」

「遅いんだよお前はさあ――ライダー!!」

 影で見守っていた間桐慎二は己のサーヴァントを仕掛けた。慎二の合図にライダーは最速の動きで凛に襲い掛かった。

「なっ!? ――アーチャー!!」

 凛は異変に気づき、令呪を使用し己のサーヴァントを呼ぶも……。

「遅いです」

――――!!!

 そう明らかに遅かった。彼女のサーヴァントが現れた時には、凛の左腕はその肉体から永遠に消えていた。彼女の回避が鈍重だったのか。いや、彼女の優れた反射神経が、左腕だけ済ませたといえよう。この完璧な不意打ちは通常なら、即死の一撃だったのだ。

「さすが、姉さんですね。今のをかわしちゃうんですか」

 半ば呆れるような、感心するような声で呟く桜は、アーチャーに抱かれて撤退する姉を見送る。

「おい桜、何で追わないんだよ」

 どこか怯えながらも意見する慎二に桜は一瞥を与えただけだった。

「これ以上は深追いになります。腕一本取れただけでも良しとしましょう」

 有無を言わせぬ桜の言葉に慎二は不満ながらも黙って従った。

「まあいいさ。で、次はどうするんだよ。もう同じ手は通用しないだろ」

「ええ、ですから今後は、兄さんの判断で動いてください」

 そう微笑み命じる桜に、慎二はおずおずと頷いた。それから、妹が変わってしまった原因を思い出し、音が出ぬように毒吐いた。

「……くそっ、勝手に死ぬなよな衛宮。お前のせいで僕が……」

――思い浮かべたのは彼の数少ない友人だった青年。その青年の死は彼にとっても衝撃的な事だった。その事件は二ヶ月前に遡る。




――今でも士郎の死は嘘なんじゃないかって思う時がある。

 ある朝、土蔵に様子を見に行ったら、寝ているように倒れている士郎を見つけた。あまりにも穏やかな顔をしていたから、最初は本当に寝ているのかと思った。けど、揺すっても声をかけても反応のない士郎。その状況に取り乱しつつも、電話でなく脈をとったのは、どこかこんな結末を予想していたからだろう。確認を終えたわたしは、正式な手続きをするために居間へと向かった。永遠に呼吸を止めた士郎を残して。
 ただ、その顔を見て思ったことは、

「なんでこんなところまで真似するかな……」


 病院で検査された士郎は正式な診断書をつけて家に戻ってきた。死因は急性心不全。必要な手配を終えたあと、初めにお別れをしてもらうために桜ちゃんを呼んだ。

「嘘ですよね。先輩が死んじゃうなんて。ねえ先輩。嘘だといってくださいよ。ねえ、ねえ、ねえ――。起きてくださいよ。嘘です。先輩がいないとわたし、わたし、わたし……」

 しばらく、士郎にすがっていた桜ちゃんは、ぴたっと泣き止んだと思ったら今度は黙り込んでしまった。そのあとはわたしが何を言っても返事をしてくれなかった。経験上、時間をかけるしかないと思ったわたしは、そっと見守ることにした。それから、慌ただしくも葬式を終え、荼毘にふした後、お骨をお墓に納める時が来た。その日、あれ以来、黙ったままの桜ちゃんが口を開いた。

――藤村先生。先輩のお骨をわたしに分けてください」

 あの時は何かの支えになればと渡したが、今思えば良かったのだろうか。その後も長い間、桜ちゃんは塞ぎ込んだままだったが、ある日を境にまた笑ってくれるようになった。だから、わたしのしたことは結果的に良かったのだと信じたい。天国の士郎も桜ちゃんのためなら許してくれるだろう。

――ああ、わたしもまだ立ち直れていないみたいだ。今日も自然と足は柳洞寺へと向かっていた。


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