![]() 第三劇場の今晩の演目は、新鋭の竪琴奏者ウィラン・ガッタカムとその楽団による コンサートだった。その容姿が女性の心を掴んでいることもあり、普段よりも 劇場は老若問わず、女性が多く詰め掛けていた。 アリアが権限をめいっぱい使ったニ階のボックス席で、団長は目を閉じて 聞いていた。アリアは舞台の若者に夢中で、その様子に気付いていなかった。 静かに耳に響く調べは、心を落ち着かせた。 (……とにかく、この状況は私ひとりの問題ではない。 そして、私ひとりでの力では解決できない……) ゆっくりと目を開けて、身を乗り出しているアリアの背を見た。 端役とはいえ、すでにこの劇場の舞台に立つ彼女は、均整の取れた肉付きと 形のいい脚をしていた。長く艶やかな髪がさらに彼女を引き立てていた。 しかし、どんな美少女でも、団長の目には容赦なくアレが映っていた。 (慣れてきた……) 彼女と並んで身を乗り出した。眼下に見える観衆たちにも、舞台の上の彼らにも それは同じように見えた。 もう一度、隣の友人を見た。 (慣れる……?これ、一生ずっと見えるものなんだろうか……) 気もそぞろなうちにコンサートは終幕を迎えた。数度のアンコールの後、完全に幕が降り 二人は連れ立って劇場の外へ出た。そこでアリアがふと足を止めた。 「あ、やっぱりぃ。ヴァンタさんだ」 彼女の視線の先に、一組のカップルがいた。巻き毛が似合う小柄な女性と、 前髪をきっちりと流しでセットしている男性だった。 男性のほうは団長も見知っていた。同じアカデミーで一学年先輩だったヴァーグナル・カンタだ。 現在では近衛騎士として王城に勤務している。 「また前と違う女の子連れてる。相変わらずねぇ」 「カンタ先輩が留年したのは、それ絡みだって噂は本当かもね」 「絶対本当だと思うわ」 カップルにもあれは見えていた。団長はかなり感覚が麻痺してきていた。 (ああいう風にカップルなのに、ズレてるのは……そういうものなのかな) 劇場付属の厩舎から愛馬にアリアのみを乗せ、手綱を引いて彼女を劇場近くの家まで送っていった。 手を差し出し、下馬を手伝っていると、家の扉が開いて少年が出てきた。 彼にも同じものが見えたが、もうどうでもよくなってしまった。 「こんばんわ、エルさん!うっわー!トルパドールだ!」 「こんばんわ、ブラッド君。お姉さんを確かに届けたよ」 「ありがと、エル。ただいま、ブラッド」 アリアは団長の頬にわざと音を立ててキスをした。 団長は彼女の背中を軽く叩いてから、騎乗した。 ブラッドは目を輝かせてトルパドールの鼻を触っていた。 「今度俺も乗せてくださいね!」 「いいよ、晴れた日にね」 「やった!」 「別に乗せてやらなくていいわよ。おやすみ、エル。気をつけて帰ってね!」 「ありがとう、おやすみ、二人とも」 弟の頭を撫でてから180度回転し、軽く速足で歩き始めた。 (せっかく南町に来たんだし、寄って行こう) この南の歓楽街には、アカデミーで仲が良かった連中が溜まっている酒場があった。 そこに行けばいつでも、誰かしらに会うことができた。 (今日のことを誰かに相談したいけれど……) 頭が狂ったかと思われるかもしれない。 もしかしたら、本当に狂ってしまったのかもしれない。 そんなことをぼんやり考えているうちに、目的の店へ着いてしまった。 近くの公共の止め場に手綱をくくり、店の入り口へ歩いていった。 店の名前は「勇者たちの酒場」という。地下にあるため、 入り口は狭い急な階段を降りなくてはならない。 その階段の手すりに、一人の女性がもたれかかっていた。 ノリの利いた暗色のワンピースを着ている。 「こんばんわ、ウィンフィール先輩」 「あら、こんばんわ、えっと、エヴァンスさん……だったかしら?騎士団団長の」 「はい。お久しぶりです」 キャナル・ウィンフィールは真直ぐ立ってから、お手本のようなお辞儀をした。 「もしかして、今日のライブを聞きに来てくれたの?」 「ライブ?」 団長は率直に返事をした。 「そう、今日はここでホノカたちとのライブがあるの。よかったら聴いていって」 「それは、ぜひ」 それならば、今日はここで多くの元アカデミー生の仲間と会えるかもしれない。 少し気が軽くなった団長は階段を折り始めた。 「先輩は入らないんですか?」 降りる気配の無いキャナルに団長は問い掛けた。 「人をね、待ってるの。ヴァーグナル・カンタって覚えてるかしら?」 「ええ、剣技の授業で何度か手合わせしていただきました」 「そう。彼は時間に遅れるような人じゃないんだけれどね、私が早く来すぎちゃったの。 だからこうして、待ってるの。気にしないで、先に入ってて、ね?」 「はい……」 先ほどの女性と親しげに歩いていたヴァーグナルの姿を思い出しながら、扉を開けた。 合図のベルがカランカランと鳴ると同時にカウンターから女性の声がした。 「いらっしゃい、おや、エルツーじゃない」 「ツーは止めてください。こんばんわ、エクレス先輩」 アハハと笑いながら、この店の看板娘であるエクレス・カーペンがメニューを片手に 歩み寄ってきた。ヘソの横にある赤い蝶の刺青が暗いでも一際目立つ。 「今日はホノカたちのライブがあるんで、席が予約でいっぱいなんだよ。 どこか相席してくれると助かるんだけどねぇ」 「だったらこっちにおいでおいでー!」 対角線上の奥から大きな声がした。背の低い女性が杯を片手に椅子に脚をかけて 手を振っていた。フェルフェッタ・カルフランだ。団長よりニ学年上だった魔女だ。 その隣にはワイズ・シーテが座っていた。彼はかつてアカデミーで教鞭をとっていたが、今は引退し、 ヴァレイ東図書館の司書として余生を過ごしている。 「では、お言葉に甘えて。お久しぶりです、フェル先輩、シーテ先生」 エクレスに椅子をひかれ、腰を降ろしながら挨拶をする団長に、魔女は 勢いよく指を二本突きつけた。 「何言ってるの、一昨日会ったでしょ。二日ぶりだわさ」 「君は……覚えてるよ。魔法が使えないのに、魔法力学論のゼミに来ていた子だね。 エヴァンス君……だったな。お久しぶり」 「はいはい、ちょっとごめんなさいね。エルツー、先にご注文を伺います」 卓を囲んだ三人の会話にエクレスがメニューを広げながら切り込んだ。 「ちょっとぉ、それがお客に対する態度なの〜?」 フェルフェッタは頬を膨らませながら、団長よりも先に自分と師の酒のおかわりを頼んだ。 団長はハンバーグ・ソイソース風味とビールを注文した。 「で、いつものようにお願いします」 「オッケー。エルワン!ソイバーグ1枚!エルツー仕様でね〜!」 エクレスはカウンターの奥の厨房に向かって料理の声をかけ、自らは酒を造り始めた。 「なに?いつものようにって?」 フェルフェッタが空の杯を置いて団長に尋ねた。 「あ〜……その、私、ちょっと食べられないものがあって。いつもそれを抜いてもらってるんです」 「好き嫌いかい?感心しないね」 ワイズは杯を片手でゆらゆらさせながら言った。 「お恥ずかしい限りです。でも、こればっかりはどうにもダメなんです。 先生も、今日はライブを聴きにいらしたんですか?」 「いや、彼女に強引に連れてこられたんだよ」 そう言って顎で弟子を指した。 「気を遣ってるんですよ、これでも。一人息子がウェローに留学するもんだから、 奥さんもそれに付き添って行っちゃって、一人で寂しい思いをしてらっしゃるだろうからって、 弟子として励まそうと思ったんだわさ」 フェルフェッタはワイズの背をバンバン叩いた。 「息子さん……リム君、でしたっけ?ウェローに行くんですか。優秀ですね」 「どうだか。泣いて帰ってこなければいいんだけれどね」 そう言いながら、ワイズはまんざらでもなさそうな表情で杯を空けた。 それを机に置いたちょうどいいタイミングに、エクレスがおかわりを持ってきた。 彼女の後に続いて背の高い青年が湯気の立つ皿を片手にやってきた。 腰にエプロンを巻いている。 「お待たせしました。ハンバーグ・ソイソース風味、キノコ抜きでございます」 「なぁにぃ、エルってばキノコが嫌いなの?もったいない!美味しいじゃない」 フェルフェッタが呆れたように言い、ワイズは肩を竦めた。 団長は困ったように皿を見た後、青年を見上げた。 彼はニコッと笑ってからパチッとウィンクをした。 「大丈夫、その代わり付け合せの野菜を多めにしておいたから」 「ありがとう、エル兄」 「ははあ……だからエクレスはあんたをエルツーって呼ぶんだわ? こっちのお兄さんがエルワンなわけ」 「エルヴァール・ネルドって言います。ここの厨房で下っ端やってます。 初めまして、小さな魔女さん?」 エルヴァールは首を傾けて営業スマイルと営業ウィンクで自己紹介をした。 「小さいってのは誉めてるのかしら?あたいはフェルフェッタ・カルフラン。 錬金術師をやってるわ。こちらはあたいの先生のワイズ・シーテ」 「知ってますよ。お久しぶりです、ワイズ先生」 「あらま。知り合いなの?」 「こいつも、もう一人のエルと同じで魔法が使えないのにゼミを取った 変わり者だったね……。元気そうだね」 厨房の奥からエルヴァールを呼ぶ男性の声が聞こえた。 「はい。あ、僕はもう行かないとまずいんで……ごゆっくり。あとで時間があれば色々と お話したいです。じゃ!」 エルヴァールはもう一度、女性二人にウィンクをしてから早足で厨房へ消えていった。 全員の杯が満たされたので、三人は乾杯することにした。 「何に乾杯するんだい?」 「何かしらね……エル、何かある?」 「そうだな……『勇者たちの酒場』だから、集いし勇者たちに乾杯、かな」 「あっはっは。勇者ねぇ〜。そういうのもたまにはありだわさ。じゃ、カンパイ!」 「乾杯」「乾杯」 互いに杯をぶつけ合ったあと、音を立てて一口目を飲んでいる間に、 入り口からキャナルとヴァーグナルが連れ立って入ってきた。 前の話 次の話 |