![]() 「ではまず、見えるものを分析してみよう。何らかの法則があるはずだ」 ワイズが授業を始める時のように宣言した。 「見えるものは数字が二組。どれも二桁で、今まで街中で見てきたものは 下限は15、上限は39です」 対して、団長は模範生徒のように答えた。 「人間のみに見えて、他の生き物には見えない……まるでナゾナゾだな」 「正確には、数字ではありません。見たことも無い記号のような、文様のような ものです。けれど、なぜか私にはそれが数字として読めます」 団長はグラスに人差し指をつけてから、机の上に描いて見せた。 「これが、先生の周りに見えているものです」 「ふん……見たことの無い文字だ。ちなみに、数値に直すとどうなるんだ?」 「23と30です」 「差は7か。君自身に対して見えるのかい?」 「鏡に映った姿に見えました。15と34でした」 団長は再び水で描きながら答えた。 それから、グラスを個人に見立てて、それがどのように見えるかを手を動かしながら 説明した。 「このように、それぞれを中心に周りを漂うように見えます。先生のものは今、この辺に」 その手でワイズに向かって右側から左側へ、空気をなぞった。 ワイズの瞳もそれを追う。目を細めたり、見開いたりと、傍から見るとこっけいたっだ。 「ダメだな。僕にはまったく見えない。気配すら感じない」 「私自身のものは、こうしていると見えません。鏡に映した時のみです」 ワイズはじっと団長の目を見た。団長もワイズの瞳孔を見た。 「僕は以前の君のことをあまり覚えてないからな。君の瞳が前と違うかどうかは 分からない。だが、特に変わったようには見えない。常人の眼球に見える」 「うわ!何を見つめあってるんだわ?!」 上からフェルフェッタの声が降ってきた。 見上げると、魔女は額を汗でてからせながら、眉根を寄せてこちらを見下ろしていた。 「奥さんが帰ってきたら告げ口してやろ。夜中に酒場でピチピチの若い女の子と 真剣に見つめ合っていましたって!」 「……やめてくれ……」 「ね、先生ってば恐妻家なわけよ。だから不倫相手にはお勧めしないわよ?エル」 フェルフェッタは椅子に腰を降ろしてから、ニカッと笑って見せた。 「先生は素敵な男性で、私にはもったいないと思います」 「逆よ、逆逆!エルってばアカデミーで結構モテてたんだから、こんなシケたフケた 魔術師なんかと釣り合わないわさ!」 「……言いたい放題だな……。君こそ、お目当てのおっかけはもういいのかい?」 ワイズは未だにメロウな曲を演奏する壇を目で指した。 フェルフェッタは得意げに鼻を膨らませた。 「いいの!ヴァンタに頼んで、この後の打ち上げに混ざれる手はずになってるんでーす! そこでゆっくりとお話させてもらうの!」 そう言ってうっとりと壇上へ視線を投げた。 もさもさと動く鉢巻の集団の向こうに、異国風の青年が弦楽器を弾く姿が見えた。 「彼が一番、演奏が上手いですね」 集中して聴いてはいなかったが、耳に残る印象を団長は素直に述べた。 「でっしょ?!キャナルのピアノはちょっと固いし、ヴァンタは論外。顔だけ要員ね。 イガーナは上手いんだけど負担が多すぎて追いついてないのね。カワイソ。 ホノカは……上手いし声にも華があるんだけど、ああやってヴィヴィちゃんのマネっこ してる内は、まだまだだわさ」 「ふむ。音楽の良し悪しは僕にはよく分からないが、あの騒々しい鍵盤の子が段違いに下手だな。 あっちの東の出の子たちは場慣れしてるみたいだな。本職じゃないのかい?」 ワイズが指摘して、初めて団長はアディとイガーナが同民族であることに気付いた。 よく見ると、身につけている織りがその二人だけ統一されている。 「東からヴァレイに来るまでは、二人で演奏や踊りで稼ぎながら旅してきたって 聞いてます。だから、都会の軟弱な男どもには無い臭いがするんだわさ。ああ、アディ……」 フェルフェッタは聴き入りながらトリップに入ってしまった。 「私も、旅をしなくてはいけないんですね。何の準備から手をつけたらいいのか たくさんありすぎて分かりません」 団長は小声でワイズに尋ねた。 「まずは、王に状況を説明した方がいいだろう。君は公的な地位を持っているから 勝手には動けまい。次に、資金と仲間だ。これに関しても、王に助力を願うのが 上策だろう。早めにそこまで進めて、その後は臨機応変に対応するべきだと思う」 ワイズが同じく小声で助言を返した。 「……王は私の言うことを信じてくださるでしょうか?」 「僕もいっしょに行こう。アクラル・アイを訪れたいとも思っていたし、 今後のことや君の目のことについてフッケル殿にも助言をいただきたい」 「ありがとうございます。とても心強いです。では、そのように書簡を送って おきましょう。いつならご同行願えるでしょうか?」 「急で悪いが、明日の午後なら空いている。その後3日ほどは、色々と懇談があって 抜けるのは難しいな」 「了解しました。私のほうはのん気な仕事ですので構いません。では、明日の午後に お迎えに上がります」 「自宅の方に頼むよ」 「はい。では、失礼いたします」 団長は立ち上がり、礼をした。 「ふぁ、は?何?エル帰っちゃうの?いっしょに打ち上げに混ざらない?」 フェルフェッタは虚をつかれて、おかしな訛り方で声を上げた。 「すみません。今晩は馬で来てますし、用事ができましたので、またの機会に ぜひごいっしょしたいです。先輩は楽しんでください」 名残惜しそうなフェルフェッタを残し、大分落ち着きを見せ始めたホールをすり抜け 団長は入り口へと向かった。カウンターを見ると、料理のラストオーダーを 作り終えたエルヴァールがエクレスと何やら話しながら、ライブを楽しんでいた。 目が合ったので、団長は指を動かして挨拶をした。 エルヴァールも同様に返してきた。扉を開けて階段を登る。 人通りがまばらになった石畳を足早に歩き、馬番に賃金を渡してから、 トルパドールに乗り、自宅へと向かった。 片手にランタンを持ち、慎重に馬を進めたが、暗がりで人の姿はおぼろでも、 例のアレだけははっきりと見ることができたので、思いのほか早く家に帰り着くことができた。 少しだけ、便利だな、という気持ちになった。 これが今後の暗闇をも照らすことになるといいのだけれど。 -----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*----- 翌朝、いつもどおりに彼女は日の出と共に起床し、馬房で餌をやってから、 己の鍛錬を必要な分だけこなし、簡単な朝食を取ったあと、身づくろいをし 馬具を装填した愛馬に乗って職場へと向かった。 いつもどおりに鍵を開け、執務室の窓を開けてから空気の入替をし、椅子に腰掛けた。 決められている便箋を引出しから取り出し、ペンを滑らせたところで鐘がひとつ大きくなった。 いつもどおり、文士が本日分の書類を届けに来た。受け取る代わりに先ほど書いた書簡を手渡す。 予言のこともあり、いつもより緊張しながら目を通したが、別段変わった報告も無く、 いつもどおりだった。鐘がふたつ鳴るころには、いつもどおりに全ての事務が終了していた。 しかし、今日はこの後にいつもと違う行事が控えていたので、団長は急いで階下の小室に 向かい、木箱の中の帷子の装備に取り掛かった。なかなか一人で着こなすのは時間がかかる。 なんとか止め具を全て止めた後、上からチュニックを被った。鏡で確認すると、 いつの間にか髪の毛がボサボサになっていたので、編みこんでまとめた。 予想よりも時間がかかったので、団長は急いで朝と逆回転の作業を行い、 愛馬に乗って本部を後にした。 鐘がみっつなった時には、ワイズの家が見える通りまでたどり着いていた。 師の家の前には、本人が驢馬とその装具を相手に奮闘している姿があった。 「こんにちは。お迎えに上がりました、シーテ先生」 「こんにちは、エヴァンス君。う〜むむ、ム、む!こうか!……違う、こうだな」 昨日よりも少し高級な生地のローブを羽織った彼は、驢馬の腹帯を締めるからくりに 夢中のようであった。 「すまないね。隣のあきない家にこいつを借りてきておいたんだが、どうにも鞍を つけるのに手間取っててね。ああ、でもだいぶ分かってきたぞ。こうだな? そうだ、こうだ」 驢馬が歯をむき出してわざとお腹を膨らませてワイズを馬鹿にしていた。 団長は助言をしようかと思ったが、返って失礼かと思い留まり、下馬して見守っていた。 しばらくの後になんとか乗れる形になったので、ワイズは掛け声と共に飛び乗った。 「やぁやぁ、お待たせ。では、城へ行こうか」 ふたりは王都の北東にある王城へと歩き始めた。 一晩が経ち、目の調子はどうかと尋ねられたので、団長は相変わらずです、と答えた。 「あれから考えたんだけれどね。君の目に映るものに心当たりがある」 「本当ですか?」 「でも、確証が無いことを言うのはいやなんでね。もうちょっと調べてから言うよ」 「分かりました、お願いします」 並木道が続き、内堀の上に浮かぶようにそびえるヴァレイ王城が姿を現した。 白い石造りの塀がぐるっとパレスを取り囲み、その要所にはアルセナ王家の紋章が彫り込まれている。 街と城を繋ぐ掛け橋まで来たところで、ワイズは驢馬を止めた。 団長は彼より数歩前に進み、塀の上に向かって声を上げた。 「王に火急の言あって奏上に参りました!王立騎士団長、エレオノーレ・エヴァンスの 名において、開門を命じます!」 すぐさま、若い男の声が降ってきた。 「エヴァンス卿、確認!開門せよ!」 「開門!」「開門!」 鎖が擦れる音を誇らしげに発しながら、城門がゆっくりと開きはじめた。 その音に混じって、騎士団長が来たという合図のラッパが城内に向けて 奏でられた。開ききった後、団長が馬を進めると、続いてワイズも進めた。 「君って、本当に騎士団長なんだねぇ……」 感慨深いワイズのつぶやきが風に乗って彼女の耳に届いた。 前の話 次の話 |