ヴァレイ城はアルセナ統一戦争後に、ラーズラス六世が己の権力と栄光を大陸全土に
知らしめるために贅を尽くして建設させた、荘厳にして華麗な王宮である。
城門より入場して以来、ひたすらまっすぐ進むだけで謁見の間に辿り付くことができる、
言ってみれば無用心な造りとなっている。
これは、六世がこの後の長き平和を誓うためとも、己のふところの広さを示すためとも、
絶対なる軍事力を誇った自惚れから、などなど、諸説が様々とあるが、
どれが真実かは歴史の渦の彼方だ。
団長とワイズは従騎士に先導され、大陸統一という六世の偉業を称える連作の絵画が
並ぶ長い廊下を歩いていった。
控えの間に通され、そこで一人の騎士に出迎えられた。
王都近衛騎士団副団長のメルヴィン・ローダイネンであった。

「これはこれは。麗しの騎士団長、エヴァンス卿ではありませんか?
 あいにく、本日は舞踏会の開催を予定しておりませんが、
 一体いかなるご用件で、王城にいらしたのですかな?」

メルヴィンが団長に女性へ対する礼をしたのに反して、
団長は騎士としての敬礼を返した。

「本日は王国、ひいては大陸全土の治安に関して、王に奏上するべく
 参りました」

「ほほう。どこかの祭りで暴れ牛でも出ましたかな?それとも、幻の巨大な蛙でも
 現れましたかな?かの蛙はおとぎ話では、このアクラルを一飲みで喰らい尽くす
 と言われてましたな。はっはっは!」

二人の騎士たちの会話を眺めながら、ワイズはふかふかのクッションに腰を降ろした。
帽子を真直ぐに被りなおし、王に話すべきことをもう一度確認をしてみた。
しばらく頭の中に集中していたが、メルヴィンの耳障りな声に引き戻された。
よくもまぁ、これだけ長々と相手をねちねちいたぶれるものだと、ワイズは負の方向で
感心した。それを適度に受け流すエレオノーレに対しても感心した。
女神の人選は絶対で、覆すことなど一介の人間には不可能だろうが、
それが正しかったことを、これまででワイズは確信していた。
扉が開いて、謁見の準備が整ったとの知らせが入った。
ふたりに先立ってメルヴィンが謁見の間への扉に手をかけた。

「貴卿はお若い。私ならいざ知らず、王の前では無礼な言動を控えられよ」

「ご忠告、いたみいります」

団長は一礼をしてから、開けられた扉をくぐった。
ワイズもそれに続く。メルヴィンは廊下側に残り扉を閉めた。
細かな禽獣の文様が織り込まれた毛足の長い紅色のじゅうたんを踏み進む。
頭上に並ぶシャンデリアは、高い飾り窓からの光を受けてきらめいていた。
部屋の半ばまで進んだ後、団長は足を揃えて敬礼をした。

「王立騎士団の長を預かります、エヴァンスにございます。
 天鳥謳う快き日に、お目通り叶ったことを光栄に思います」

ワイズも帽子を取って頭を垂れた。

「王立東図書館にて知の砦の番を負うこのシーテ、
 高き座におわす我が学の友と、再び言の葉を交わす日が来たことを
 嬉しく思います」

奥の高い壇上の重厚な玉座には、そこに座することが唯一許されたこの国の主が
深く座っていた。壇のすぐ下、右手には王都近衛騎士団の団長にして、この国で
最高位の大騎士メイホーク・ケンゲイが、左手にはこの国の国務大臣を務める
フェリオン・マルダンが控えていた。

「堅苦しい挨拶は無しにしよう。ワイズ、我らの仲ではないか。
 エヴァンスも同様だ。本日はわざわざ城まで足を運んでいただき、ご苦労だったな」

「もったいなきお言葉」

ワイズは頭を上げて帽子を被りなおした。団長は姿勢を崩さずそのままだった。

「オホン。本題に入ってもよろしいですかな?エヴァンス卿、書簡にはクロニクルの件に
 ついて話があるとあったが?」

マルダン大臣が団長に問い掛けた。

「貴卿がクロニクルのことを存じていたとは、自分は初耳であった」

静かな目をしたメイホークが次いで問う。
団長は昨日から今まで起きた、ことのはじまりを語り始めた。
時にはワイズが補足をしながら、全てを伝え終えた。
久々に長く、固い言葉で喋ったので、団長は息切れがした。
三人の重鎮はそれぞれが深い深いため息をついた。

「……にわかには信じられぬ……」

王が重く呟いた。他の二人も互いに目を合わせた後、王と団長を交互に見た。

「私は、騎士の名に誓って、偽りを述べることはありません」

団長はそれだけ言ったあと、どうしたらいいのか分からなくなり、唾を飲み込んだ。

「王も我らも、貴卿が嘘を言っているとは思っておらぬ。シーテ先生のご指摘も
 理に叶っている。疑っているわけではないのだ。しかし、まことに世界が崩壊の
 危機に直面しているという事実を……少なくとも自分は、受け止めかねている」

メイホークが瞳を曇らせ言った。

「それは、我らに限らずこの時代に生きる民すべてがそうでしょうな。
 平和が永遠に約束されたかのような安穏とした生活の中に、いきなり滅びの予言
 など聞いたなら。狂言者とも取られかねませんぞ」

大臣は髭をいじりながらまばたきをした。

「国民にはしばらく伏せておくことを勧めます。大臣のおっしゃるとおり、今の状態で
 信じろという方が無理です。信じたとしても、パニックに陥る可能性もあります」

ワイズが口を開いた。王はその言葉を受けて、眉間にしわを刻んだ。

「しかし、それでは民を欺く結果となるのではないか?この後、魔物の侵攻がある
 というのなら、前もって勧告し、各々にその準備をうながした方がよいのではないか?」

「それは理想物語です。確かに安定を手にした者は、それを脅かす者に対して抵抗を
 するでしょう。ですが、今現在、目前に危機が無ければ、安定への侵略者として
 糾弾されるのは、我ら……いえ、エヴァンス卿です。それに、クロニクルのことを
 開示すると、最悪の場合には、滅びを自ら受け入れる風潮が広がる可能性もあります」

ワイズの言葉を聞いて、団長は一気に血の気が引いた。

「……ふむ……。エヴァンス、そなたの意見はどうなのだ?」

王が団長に尋ねた。心臓が早鐘を打っていた。

「私は……」

直々の問いかけに答えようと焦ったが、言葉に詰まってしまった。
女神に予言を告げられた時から、心は決まっていたのだ。
こんな事態に、今までどおりのうのうと机の上で書類にサインをするだけの日々を
過ごすことなど考えられなかった。不可解な数字が見えることや、成すべきことの
多さのことを考えると、憂鬱に陥りもしたが、退屈な日常が終わることへのときめきや、
女神に選ばれたという功名心が多少は生じたことも否めない。

しかし、後になればなるほど、己の背負った重さが追いついてきた。
世界とはなんて大きくて、重くて、そして愛しいのだろう。
洗練されたヴァレイの街並み、アカデミーで仲間と過ごした日々、陽気に酒場で騒ぐ友人たち。
舞台に立つ親友、奏でる楽団、響く喧騒、振舞われる餐、それらを作り出す職人たち。
彼らに物資を提供するキャラバン、荷馬車が踏みしめる街道、その先に広がる村々。
草原には風が吹き渡り、空は昼も夜も高く高く広がる。
どこまでもどこまでも、このアクラルが続いている。

「……私、が。百年の後の災い……それに向けて、回避する方法を全力で探ります。
 魔物とも戦います。国民を守ります。人々に理解してもらえるように動きます。
 私は若輩ゆえ、民に知らせる機に関しては、考えが及びません。
 しかし、御方々がおっしゃることも理解しております。そしりを受けることに
 なろうとも、私の決意に変わりはありません」

握り締めた拳が汗でべとついた。拳どころか、おそらく全身が汗でびっしょりだ。
ワイズは団長の背中を眩しそうに見つめた。

「よく言った。王、エヴァンス卿こそまことの騎士ですぞ。魔物の侵攻があったとしても、
 アルセナの民が今までとなんら変わらぬ生活を送れるように、我ら王都近衛騎士団が
 これからも民の生活を守ることに尽力いたしましょう」

メイホークが胸を張って宣言した。

「ケンゲイ卿もあのように申されております。国の守りは現状どおり近衛騎士団に
 任せ、エヴァンス卿が率いる王立騎士団を、新たに遊撃部隊として編成することを
 私は進言いたします」

ワイズが一歩踏み出して王に向かって言った。

「人数は機動性を考慮し一小隊程度で。重視すべきは能力よりも志の強さ。
 ゆえに、勅令異動での配属ではなく、自ら名乗りをあげる者達を集めなくては
 いけません。まずはヴァレイに触れを出して下さい。
 最低限の人数が揃ってからでないと、事態に対応はできないでしょう。
 しかし、いつ魔物の侵攻が始まるとも限りません。全ては早めに動くことが、
 世界のためとなるでしょう」

「なるほど。しかし、一小隊といえども、新たに設立して維持にかかる費用を考えると
 すぐに動くというわけには参りませんぞ。議会の承認を得てから、来年度に……」

大臣がしどろもどろに弁明するのを、王は片手を上げて制した。

「よい。すぐさま国庫を開けることができぬのならば、我が私財から費用を出そう。
 ワイズ、そなたの言うとおりに触れを出しておこう。我が民に志が強い者が多く
 いることを祈ろう。エヴァンス、そなたには重責を課すことになる。本来ならば
 私こそが先陣を切って国を守らなくてはならぬというのに、不甲斐ないこの男に
 代わって、この国の、いや、大陸の未来を頼んだぞ」

そう言うと、王は玉座から立ち上がって頭を垂れた。
大臣もメイホークも、何より団長も慌ててそれを制した。

「では、新たな任務に携わるエヴァンスに何か授けよう。……うむ。これからの
 長き戦いに備えて、白銀の鎧などはどうだろうか?マルダン」

「は?は……。白銀の鎧は武器庫に確かにございますが、エヴァンス卿は、その、
 騎士の平均よりはだいぶ小柄でいらっしゃるので、あいにくとサイズが
 合わないかと存じますが……」

「ならば、新たに造らせよう。ムジョス博士ならば百年の戦いにも耐え抜く
 立派なものを造ってくださるだろう。となると、今の代わりには……。
 よし、メイホークよ。ソーヤソーシェを持って参れ」

「かしこまりました」

予算のことで頭がいっぱいな大臣を置いて、メイホークは謁見室から出て行った。
団長はなんだか居心地が悪かった。

「お心を砕いてくださったことが、私には何よりの褒美でございます」

「なに、これは一種の儀式だ。遠慮することはない」

後方からも、もらえるものはもらっておきなさい、とワイズの小声が飛んできた。
しばらくの後、メイホークが再び入ってきた。布に包まれた長い棒状のものを
両手で持っていた。それを捧げ出すと、王は布を開き、中から現れた剣を自ら
持った。鞘から抜いて、窓から射す光にかざした。
それは装飾のほどこされたフランベルグだった。
やや紫がかった火炎系の刃を持つ突剣で、柄の部分の細工はレース編みのように
細やかだった。

「そなたの瞳の色にちなんで、この剣を授けよう。銘はソーヤソーシェという」

「ありがたき幸せ。このエヴァンス、忘れません」

団長は跪いて両手で受け取った。肩にずしりと重みが伝わってきた。
この重みが、己の立場を象徴しているのだ。
団長はそのことを噛み締めながら立ち上がり、退室の挨拶をした。
ワイズはもう少し王との話があるというので、団長は一人で廊下に出た。
必要なことを手配するために、廊下を渡り、政務が行われている館へと向かった。
途中でタイミング良くか悪くか、再びメルヴィンと出くわした。
王からの賜物を目ざとく見つけ、すれ違いざまにすて台詞を吐いていった。

「はっ!田舎生まれの小娘がいい気になるなよ」

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謁見の間では、ワイズが腰に手をあてて立っていた。
大臣とメイホークは、二人の仲を気遣い部屋を下がっていた。
もっとも、双方に新たに仕事が増えたせいでもある。

「大した猿芝居だったね」

「相変わらずお前は口が悪い」

「お互い様。まぁ、あの子は大根役者の言葉でも感動してたみたいだから、
 結果オーライなんじゃないかな?まだまだ青いね」

「……本当に、あの娘が選ばれたのか?大丈夫なんだろうな」

「女神の人選は絶対さ。まさかあんな子供がって僕も最初は驚いたけれど」

ワイズは肩を竦めた。

「その若さが可能性なんじゃないかな?僕はそれに賭けようと思う。
 そんなに分の悪い賭けじゃないさ。この僕も彼女の側につくしね」

「お前の説客ぶりにはほとほと恐れ入ったぞ。ふぅ、不安がっても仕方が
 ないな。確かに女神の人選は絶対だ。運悪く、滅びの予言の世に当たった
 王として、できる限りの援助は約束しよう」

「ありがとう、ロイ」

「礼には及ばん。……死ぬなよ、ワイズ」


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