「こんちはーっす。ジンギ屋でーっす」

歓楽街の裏通りに、若い男の声が響いた。
石造りの壁と壁の間は、日が届かないため涼しい。
そこで一人の男が座り込んでジャガイモの皮を剥いていた。

「やぁ、シュウガ。ご苦労さん」

「よう、エル。いつもどおりソイソース一甕と死者の森ソルト一袋と
 ライスビネガー3瓶だ。降ろすのここでいいか?」

「あ、そこはダメだ。こっちにしてくれ」

「はいよ。受け取りにサインをおくれ」

「ちょっと待って……」

エルヴァールは一旦建物の中に入り、ペンと冷えた水を一杯持ってきた。
シュウガの差し出した伝票の内容を確認してから、サインをした。
それから、持ってきた水を配達人に差し出した。

「おおっ感謝!まったく、まだ夏は遠いというのに暑くて適わんよ」

シュウガはグビッと水を口に含んでから、首から下げた手ぬぐいで額を拭いた。
彼の家は東との交易で手に入る調味料を扱う問屋だ。月に一度、エルヴァールが
勤めるこの酒場に配達に来る。冷たい水でねぎらうのが、彼らの習慣となっていた。

「なんだ?また何かやったのか?その顔、おやっさんに殴られたんだろう」

暗がりに目がなれると、エルヴァールの左頬に殴られた痣があることに気付いた。
エルヴァールは右手で顔を仰ぎながら照れ笑いを浮かべた。

「何もやらかしてはいない。……店を辞めさせて下さいって言ったら、こう、ガツン!と」

エルヴァールはシュウガの顔を殴る真似をした。
シュウガは目を丸くした。

「辞める?!なんでだ?お前がおやっさんに弟子入りした時の条件が、おやっさんを
 納得させる腕になるまでは、絶対に下で修行するってやつだろう?まさか
 他所の厨房に移るのか?」

エルヴァールは首を傾けてから、籠の中のジャガイモをひとつ手に取った。
鮮やかな速度で皮を剥く。

「おやっさんの下以外で修行する気は無いよ。他の所に行く気も無い。料理人を
 諦めるわけでもないんだけど……今、他にやりたいことができたんだ」

エルヴァールは後ろのポケットから折りたたんだ紙を取り出し、差し出した。

「これを知ってる?王立騎士団で従士……つまり、傭兵を募集してるんだ。
 これに応募しようと思ってね」

シュウガはまじまじとその紙切れを読んだ。
曰く、今後に予想される魔物の出現増加に備えて、王の名の下に新たに一小隊を
設立するので有志を求む、とのこと。

「はぁ〜……。マモノなぁ……。これ、なんかの詐欺広告じゃないのか?
 そんないるかいないか分からんものに、部隊を創るなんて正気じゃないぞ」

「それが、大マジなんだよ」

「おいおい、国王様ご乱心ってか……。ついでにお前もご乱心なのか?
 そりゃ、公務員になれば色々便利だろうが、お前は料理人になるって宣言してた
 じゃないか」

エルヴァールは次々と皮を剥いていく。

「だから、料理人にはなるって。でも、その前に、今だけしかできないことを
 やっておきたいんだ。この騎士団の団長がね、女の子なんだけど……割と親しく
 しててね。彼女を手伝ってあげたいんだよ」

シュウガは口笛を吹いた。

「フ〜ム!女の子が団長とはな!……美人か?惚れてるのか?」

「妹みたいなもんだよ。アカデミー入学のころからずっと面倒を見てたんだ。
 ブロンドの可愛い子だよ。目が印象的な子だ」

「妹ねぇ……クックック。まぁ、お前は今はエクレスと付き合ってるんだしな。
 ん?そうするとエクレスはどうするんだ?」

エルヴァールは手を止めて、シュウガを睨んだ。

「僕とエクレスは付き合ってない!まったく……なんで皆、僕と彼女をくっつけ
 たがるんだか。マスターもおやっさんも、お前もな!エクレスには話してない。
 関係ないからね」

シュウガはいまだに咽の奥で笑いながら、ニヤニヤしていた。
エルヴァールはそんな彼をうんざりした目で見下ろしてから、再び手を動かし始めた。

「実はこの紙を持ってきたのはアディ達なんだ。ほら、彼らってアルセナの文字が
 読めないだろ?だから内容を教えたら、二人とも志願するって言うんだ。
 もうそろそろ次の旅に出るつもりだったからって。で、この騎士団本部の場所も
 知らないっていうから、この後いっしょに行くことになってるんだよ」

「アディもイガーナも行っちまうのか。ホノカが怒るんじゃないのか?」

「ヴィーナス・アンド・ブレイブスを結成する時に、二人がヴァレイにいる間だけは
 参加する、って条件だったからね。……でも、ホノカは怒るだろうなぁ。
 あいつはワガママだから」

「血の雨が降るぞ……」

シュウガはわざとブルブル震たてみせた後に、グラスをエルヴァールの隣に置いて
立ち上がった。

「どれくらい、その騎士団とかいうのをやるつもりなんだ?」

「それは、分からないな。全く未知の進路だからね。……だからこそ、
 彼女を助けてあげたいんだ」

「おやっさんは許してくれたのか?」

「黙って一発だったから……どうかなぁ?でも、いつかはこの店に帰って来るよ」

「そうか」

全てのジャガイモの皮を剥き終えたエルヴァールは、扱っていたナイフを折りたたんだ。
シュウガは首を鳴らしてから、荷車まで歩いていき柄をまたいだ。

「ま、がんばれよ。毎度ありぃ〜!」

眩しい昼の日差しの中、シュウガ・ジンは次の配達先へと去っていった。
エルヴァールは籠と配達されたものを屋内に運び始めた。

(あ、シュウガのやつ……募集の紙、持って行っちゃったな……)

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エレオノーレは我慢強く、目の前の老婆の話を聞いていた。
彼女は、いかに武器とは危険なものか、世界は友愛と慈悲に満ちているか、
戦いに赴くなど狂気の沙汰だ、昨日の晩御飯はなんだった、嫁との仲が上手くいかない、
悪いのは全部あっちだ、などなどの話を、あっちこっちに飛躍しながら、
せつせつと若い団長のために教訓として話してくれていた。
目上に対する、そして女性に対する礼を欠かないために、最初は背筋をまっすぐに
伸ばして聞いていた団長だったが、さすがに陽が30度傾く間中、
同じ話のローテーション攻撃を喰らっていては、ちょっとくらいは伸びをしても
許されるだろう。

謁見の翌日に、王は早速ヴァレイ中に団員募集の触れを出してくださった。
それ以来、本部には来客が絶えなかった。
主に、宗教の勧誘と税金の無駄遣いに反対する団体とセールスと子供のイタズラだ。
中にはたまに、志願者もいたのだが、こちらの条件を提示すると辞退する者
ばかりだった。

(……やっぱり、いきなり、いつ帰ることも分からない旅に出ることになりますって
 言うのはな……でも、そこを隠しても何にもならないし……)

団長は少しばかりため息をついた。それが運悪く、老婆の愚痴話にあいづちを打つ形と
なったので、彼女の家内戦争の話をヒートアップさせてしまった。
それから影がもう少し長くなったころに、新たな来客を告げる呼び鈴が鳴った。
老婆に断ってから玄関へと降りていった。ようやく体を動かすことができてほっとした。
扉を開くと、そこには見知った顔が三人立っていた。

「こんにちは、団長さま」

エルヴァールがウィンクをしてお辞儀をした。

「エル兄。どうしたの?お店はいいの?」

「どうしたの?は冷たいな。入団志望者を連れてきたっていうのに」

エルヴァールは団長に連れの二人が見えるように半身を引いた。

「アナタが団長さんですか?初めまして、ワタシ、イガーナと言います。
 イガーナ・シャロワです」

背の高い、褐色の肌の女性が深々と頭を下げた。

「ボクはアディ・ナット言います。ボクとイガーナ、ふたり、
 キシ団に入りたい思います」

髪を細かく編みこんだ青年が、同様に深々と頭を下げた。

「騎士団の団長を務めております、エレオノーレ・エヴァンスです。
 おふたりは以前、酒場で見かけましたよ。ホノカ先輩たちと楽団を
 やってらしたでしょう?」

「ああ、ハイ。ホノカにはとてもよくしてもらいました。
 おかげでヴァレイに住むの、楽しかったです。でもワタシたちは
 旅する民です。そろそろ、次の旅に出るころでした」

「おふれ、エルに読んでもらいました。ボクたち、旅をたくさんしてきました。
 きっと役に立てる思います」

アディはイガーナよりも発音が拙い。
立ち話もなんなので、先客には丁重にお引取りを願い、三人を執務室へ案内した。

「騎士団の旅は、魔物との戦いが目的です。それでもいいんですね?」

団長は旅をしたいという二人に念を押した。
これから始まる旅は、観光や巡礼ではないのだ。

「ハイ大丈夫です。それに、今までの旅に危険が何も無かったワケではありません」

「ボクたちは旅の中で自分たちの音楽や踊りを作る民です。魔物との戦いでも
 何かを作れる思います」

二人は交互に歌を歌うように答えた。

「ありがとうございます。私も団長として力を尽くしますので、これから
 どうぞ力を貸してください」

団長は二人の手を順に固く握った。
東のふたりも、嬉しそうに口の端を上げて応えた。
団長は引出しから書類を出した。騎士団の団員名簿だ。
これに本人がサインをすることによって、契約が成立する。
一番上に彼女自身の名前が、その下にワイズの名がフルネームでつづられていた。
ペンを差し出し、ふたりに促した。

「アルセナの文字では書けないけれど、いいですか?」

イガーナが少し困ったように尋ねてきたが、団長は構わないと返事をした。
それを聞いて、二人は順番に己の名をつづった。
角張った記号のような文字で、団長には読めなかった。
名前が四つ並ぶ書面を満足げに眺めた後、団長はそれを引き出しに戻そうとした。

「待ってよ。僕がまだ書いてない」

エルヴァールが歩み寄って、彼女の手から書類を奪った。
ペンを取り、クルリと一回転させてからアルセナ文字で素早く書き込んだ。
それを再び団長の手に押し付ける。

「で、でも……。エル兄は料理人になるって……」

「世界中の料理を研究してからなればいい」

「戦いの旅になるんだよ?」

「君の弓術の面倒を見てたのは誰だっけ?」

不意の申し出に、団長は呆然としていた。

「……ありがとう……」

それだけ言うのがやっとだった。
その時、再び呼び鈴が鳴った。
雲を踏む思いで、団長は玄関まで降りていき、扉を開けた。
途端に右手を掴まれ、生温かいものが触れた。

「ああ、エヴァンス卿、お会いしたかったです!あなたこそ騎士の中に
 咲ける一輪の勿忘草。私の心の砂漠を潤す虹。お姿を拝見できない間、
 私がどれほど眠れぬ夜を過ごしたことか……!」

ヴァーグナルが髪を掻き揚げ、白い歯をちらつかせながら言い放った。

「ようこそおいでくださいました、カンタ卿。私は先日、貴卿を酒場で拝見しました。
 貴卿がピアノをたしなまれているとは存じませんでしたので、驚きました」

「おお!もしや『勇者たちの酒場』での演奏でしたか?あの時の私は
 今までに無く魂と情熱を込めて!演奏いたしました。それを聴いて
 下さっていたとは……!これは運命的だとは思いませんか?!」

団長はおそるおそる掴まれた手を引っ込めようとしたが、
ヴァーグナルはさりげない力の入れ具合で、それをなかなか許してはくれなかった。

「……ところで、カンタ卿?お連れの御仁を紹介していただけぬでしょうか?」

団長はヴァーグナルの後ろに突っ立ったままの男を見た。

「これは失礼した。こちらは私と同じく王都近衛騎士団に所属する騎士の
 ジェイナード卿でいらっしゃる」

「お初にお目にかかります。エレオノーレ・エヴァンスと申します」

「ティモア・ジェイナードと申す……」

男は低い声で名乗った。女性としては背の高い部類の団長だったが、
この男はそんな彼女より頭ひとつ半ほど高かった。
団長はふたりも執務室へと案内した。
ヴァーグナルは先客の三人を見て驚いた。

「イガーナ嬢!それにエルとアディではないか。お前たち、こんなところで
 何をしているのだ?」

イガーナの手の甲にキスをするのを忘れずに、ヴァーグナルは尋ねた。

「見ればわかるだろ?団員になったんだ」

エルヴァールが長い脚をぶらぶらさせながら答えた。

「なんと、……酔狂な。イガーナ嬢もですか?ああ、貴女のこのしなやかな手が戦いで
 傷つくことを考えるだけで、このヴァーグナル、胸が張り裂けそうです!」

やはりしっかりとイガーナの手を離さない。
そんなヴァーグナルを無視して、ティモアは団長に向き合った。

「……メイホーク団長より、貴卿の話を伺った。そして自分は……いたく感銘を受けた。
 すでに団長にも異動の願いを届けてある。……自分を団員にしてはいただけぬか」

ボソボソと喋る彼の言葉を聞き取るには、なかなか集中力が必要だった。

「それはありがたい申し出です。拒む理由などどこにもありません。
 歓迎します、ジェイナード卿」

団長は彼を見上げながら、笑顔で手を差し出した。
しかし、ティモアは固まったように動かず、再び低い声で言った。

「……しかし、自分は騎士の盾に、メイホーク団長の下で守兵になると誓った。
 己の意志とは言え、指揮官を違えることになった今、今までどおり、我が盾を
 かざすことはできない……。一介の戦士として、力を振るうことになるが、
 よろしいか」

「いかなる形でも、歓迎いたします。指揮官としては、私は若輩者です。
 卿のご助言やお力添えがあれば、心強く思います」

団長の言葉を聞いて、ティモアはようやく彼女の手に一瞬だけ触れた。
握手を交わしたのかどうか、今ひとつ実感が湧かなかったが、
まだ机の上に出してあった名簿を差し出し、サインをうながした。
ごつい指からは想像つかないほど、繊細な文字だった。
書き文字はその人の育ちを映す鏡だ。ジェイナード卿は立派な騎士なのだろう。
ティモアはそのままヴァーグナルの隣まで歩いていった。

「……カンタ卿。本日は案内していただき、感謝する。こちらに貴卿の名を
 つづっていただければ、メイホーク団長からの任務は終了である」

ティモアは団員名簿とペンを差し出した。

「了解了解。ヴァ〜グナル、カンタっと。ふぅ、任務完了!
 では私は王城に戻ります。エヴァンス卿、イガーナ嬢、いずれまたゆっくりと
 お食事でもいたしましょう。では!」

ヴァーグナルは投げキスを放ってから本部を出て行った。
彼が出ていった扉を呆れて眺める団長に、ティモアは名前が七つ並んだ名簿を手渡した。

「……メイホーク団長も、策士でいらっしゃる……」
 
団長は書面を見つめながら、ため息混じりに呟いた。
ティモアはそれに無言で答えた。よくよく注意してみると、ほんの少し頬の筋肉が
緩んでいた。そんな様子を、少し離れて眺めていたアディが、エルヴァールに耳打ちした。

「エル。今、三人が喋ったは、アルセナ語か?ボクはたくさん分からなかった」

エルヴァールは肩を竦めた。

「一応ね。騎士の方言みたいなもんだよ」

「ナルホド。アルセナ語は難しいな」

「そっちの文字ほどじゃないと思うけど」

ふたりの視線の先では、団長が大事そうに名簿を引き出しに納めていた。


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