![]() タンッ! 同心円が描かれた的の一番外側にダーツが命中した。 投げた人物はお構いなしに次の一投を放つ。 タンッ! またもや一番外側だった。 「珍しいなぁ……お前さんが外すなんて」 マスターがボトルを銘柄順に並べながら、投手に向かって言った。 エクレスは返事をせずに、また一投。 今度は外側から二番目の枠に刺さった。 エクレスは面白くなかった。というか、怒っていた。 誰に対して怒っているのかは、自分でも皆目検討がつかなかった。 機嫌が悪くなったのは、エルヴァールが厨房を辞めると言い出して、 厨房長に殴られた時からだった。 彼は、今は騎士団を率いるエレオノーレの助けになりたいと言い、 それでもいつか厨房長の下に再び弟子入りしに来ると言った。 「そんな浮ついたことでは料理人は勤められん!」 そう怒鳴ってエルヴァールを叩き出したが、厨房長は彼の腕を認めており、 自分の下以外で修行することがプラスになると考えていることを エクレスは知っていた。 エルヴァールは変わり者だった。王立アカデミーを卒業すれば、もっと 安定した職業に就くことが可能であり、そうする者がほとんどの中、 アカデミーでの学業とは全く関係の無い料理の道を選んだ。 エレオノーレも違う意味で変わり者だった。剣一本だけを持ってアカデミーに 入学してきた。その後、一日も欠席せずに、ついには飛び級をして上級生のゼミに 紛れ込んでしまうほどだったが、それが災いしてか、常に自分の立場を 弁えすぎていた。つまり、大変お堅い性格になってしまったのだ。 そんな彼女も、入学以来、変わり者同士何かを感じ取ったのか、何かと ちょっかいをかけていたエルヴァールには心を開いているようだった。 そんなわけだから、エルヴァールが彼女の助けになりたいと言い出すのは 自然な流れであったし、言い出さなかったらエクレスは彼を軽蔑していただろう。 エクレスも王のお触れは知っていた。自分にとっても可愛い後輩である エレオノーレの力になってあげたいと、チラリと考えていた。 それをエルヴァールに先を越されたというのもあり、エルヴァールが 自分に何の相談も無しに決めたというのもあり、エレオノーレが何も 言ってこないのがまた…… タンッ! 面白くなかった。 ダーツはまたもや外側から二番目の枠に刺さった。 エルヴァールは面白くなかった。 本部の記録室で適当な本を読まずに眺めていた。 同じ部屋の中ではティモアが過去の兵法の書を熱心に読んでいた。 執務室には団長であるエレオノーレと、今は団員という肩書きになったワイズと、 来客のフッケル・シャダウェリンの三人がいるはずだ。 三人で内々に話すことがあるというので、他の団員は追い出されてしまった。 アディとイガーナは、元より昼間は路上で己たちの楽曲を披露するのが習慣なので、 そのまま中央広場の片隅に行ってしまった。 ティモアが黙って記録室に向かったので、なんとなく自分もついて来てしまった。 歩きながら、彼の後頭部を見上げる形になったのが、これまた面白くなかった。 執務室の内部は、団長が自分の仕事をしやすいように、物の配置が絶妙にカスタマイズ されていたが、新たに遊撃部隊として発足したことにより、棚の上に押しやっておいた 書類や道具を彼女は踏み台を使って取り出さなくてはいけなくなった。 アカデミーでそんな時は、上背のあるエルヴァールが手を伸ばして取ってやったり していたのだが、ここ本部ではすべてティモアに先回りされていた。 また経歴上、ティモアは王城近衛騎士団とのパイプ役を担う形になってしまい、、 団長とふたりで騎士特有の正音の格式ばった言葉を使って会話することが多かった。 エルヴァールも伊達にアカデミー出身ではない。 正音のアルセナ語を喋ろうと思えば喋れたし、聞き取ることも当然できたのだが、 何分、下町で過ごす時間が長かったので、耳が正音に慣れなくなってしまっていた。 気を抜くとふたりが何を喋っているのか分からない。ましてや、ふたりとも 声があまり大きい方ではないので、なんだか内緒話をされているみたいで 居心地が悪かった。 (……だけど……) そんな些細なことを、面白くなく思う自分が、彼は一番面白くなかった。 (僕って、かっこ悪いなぁ……) エレオノーレは居心地が悪かった。 目の前には王城政務官のフッケル・シャダウェリンが小さなご自身の体のに 合わせてこしらえさせたという、マイ・チェアー(ネコ脚・ベロアクッション仕様)に ゆったりと腰掛けていた。当然、通常の椅子よりも座高が低く、彼がその上に 腰掛けると、向かいに座る団長の膝の間が丁度見える高さになる。 素足ではないとは言え、膝の間をまっすぐに覗かれているような気がして、 団長は脚を少しでも動かすまいとした。フッケルは表情が暗く読めない。 目の輝きだけが印象に残り、どこに視線を向けているかまったく分からなかった。 彼は王の勅令書を持ってワイズと共に二頭立ての馬車に乗ってやってきた。 従者にマイ・チェアーを運ばせながら、王から団長に内々の勅令があるから 人払いをしろと命じてきた。 団員たちに執務室から離れてもらい、三人きりになったところで、化けの皮が剥がれた。 「フヒー!全ク、アノ小僧ハ人使イガ荒クテ適ワン!デモ、マ、コウシテ エレオノーレ嬢ノ元ヘ公式ニ出向ケルノハ、イイノゥ。ヒヒヒ!」 年下の王を小僧と言い出す始末の白髪白髭の老人であった。 昔は艶のある紅の髪が自慢だったと、今までに散々聞かされていた。 「私のほうこそ、お会いできて光栄です。本来ならこちらから 政務室に出向くべきなのですが、何分、準備に忙殺されておりまして ご足労願う形となり、お詫び申し上げます」 「ナンダ。ドウデモイイ雑用コソ、団員ニヤラセレバイイデハナイカ。 マァヨイ。サッサト用ヲ済マセテシマオウ。ソノ後、ユックリト 食事デモドウカネ?昨年ノ当家ノワイン倉ハ大成功デナ! サロンデモ大評判ダッタノダヨ」 「まず、資金のことだが、マルダン大臣はああは言ってたけど、スピード決議で 捻出させることに成功したよ。これが予算案だ」 フッケルのご自慢トークが始まる前にワイズが軌道修正をかけた。 様々な試算が綴られている長い巻紙を団長は受け取り、中身に目を通した。 現段階で想定されている旅の費用と、騎士団の維持費、団員の給料、その他備品に関する 無駄の無い数字がきれいに並んでいる。 「これは……思ったよりも、きちんと予算を組んでいただけましたね。 ですが、必要な初期装備に関する項目がありませんが?」 「ワイズハ、敵ニ回セバ驚異ダガ、味方ニ引キ込メバ大シタ論客ダカラナ。 デ、武具ノ支給ニツイテダガ、『クロニクル』研究機関ノ長トシテ、 儂ノ案ガ採用サレタ」 フッケルは椅子からぴょんと飛び降りて、運ばせてあった木箱の前まで歩いていき、 蓋を開いた。中にはクロスボウが一機入っていた。 「コレガ、儂ノ選ンダ、貴卿ノ武器ダ!」 「……は?あの、私は……王よりフランベルグを賜っておりますし、クロスボウは どちらかというと防衛戦に向いているのでは?私どもはこちらから出撃という形に……」 「シャラップ!」 団長の反論をピシャリを遮り、フッケルは続けた。 「ソーヤソーシェハ宝飾剣ダ。実戦ニハ不向キデアルコトハ、騎士タル貴卿ナラ スデニ見抜イテイルダロウ?持ッテ行クダケデ、オ荷物ダ。ナンナラ 軍資金トシテ売リ払ッタホウガ、ヨッポドイイダロウ。貴卿ノ言ウトオリ、 弩ハ守衛ニ向イテイル武器。ダカラコソ、指揮官デアルエヴァンス卿ニハ コレヲ推シタノダ」 ワイズが帽子のつばを引いた。顔に暗い影が落ちる。 「……どの『クロニクル』でも団長は世襲制だ。血なのか、家系の持つ言霊なのかは 分からない。時には継ぐべきファースとネームまで決定されているという 『クロニクル』もあった。僕たちにはどのような束縛が科せられているかは 女神に確認しないと分からないが……世襲であることはほぼ確定だろう。 だから、君が……子孫を残すまで、君を死なせるわけにはいかない。 だから、前線には立たせるなというのが、王からの勅命だ」 団長は拳を握り締めた。そこに追い討ちがかかった。 「ソレユエ、王トメイホークハ、近衛騎士団ヨリ己ノ肉体ヲ盾トデキル 騎士ヲ二人、コチラヘ異動サセタ。ジェイナード卿トカンタ卿ダナ。 万ガ一ノ事態ガ起キタトキハ、彼ラヲ盾トシテ、エヴァンス卿ニハ 何トシテモ生キ延ビテモラワナクテハイケナイ。コレハ、彼ラニ限ラズ、他ノ 団員全員ニモイエルコトダロウ」 体中を何かが駆け抜けていった。 今、何を言われたのだろう? まったく理解できなかった。 理解したくなかったが、心のどこかで誰かが、それが百年という長い時間を見たときに 必要なことなのだろうと諭していた。 だが、素直に受け入れることはできなかった。 団長はそれほど若かった。 なんとかこの事態を回避するべく、団長は必死で頭を回転させ始めた。 -----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*----- ヴァーグナルは、目の前の事態を回避するべく必死だった。 いやもう、回避は間に合わなかった。 強烈なホノカのビンタが飛んできた。 「ぎゃんっ!」 彼の悲鳴を掻き消す勢いで、乾いた音が響き渡った。 胸倉を掴んだままのホノカは第二撃を食らわすべくもう一度手を振り上げた。 止めても無駄だと分かっていたので、キャナルは手出しをしなかった。 「もう一度聞くわ?今、なんて言ったのかしら?」 「だ、だから、私とイガーナ嬢とアディは、騎士団に入団し、旅に出ることになったのだ……」 「その後よ!!」 ホノカはさらにギリギリと締め上げた。 「ぐ……む……。そ、それゆえ……私たちは……ヴィーナス・アンド・ブレイブスから 抜けることになる……な、なります……」 キャナルの目には、ホノカから出る怒りのオーラが噴出している幻が映った。 ホノカの怒りも分からないでもないが、さすがにヴァーグナルが気の毒になってきたので 仲裁に入ることにした。 「ホノカ、落ち着いて。そんなに絞めたらヴァンも言い訳したくてもできないでしょう? それに、イガーナ達は元からヴァレイにいる間だけって約束だったじゃない」 「分かってるわよ!」 ホノカはもう一度ぎゅうと拳を絞めてから、パッとその手を離した。 バランスを崩したヴァーグナルはニ、三歩よろけると、後ろのカウンターに もたれる形になった。その上板を挟んで、エクレスは黙ってグラスを磨いていた。 準備中の店内に痴話喧嘩を持ち込んだ彼らを、マスターは黙認していた。 「イガーナとアディは仕方がないわ。いつまでもヴァレイに繋ぎとめることが できないってのは最初から分かってた。でもね、ヴァンタ。あんたよ。 あ・ん・た・が!このあたしに何の断りもなしに!勝手に決めて!事後報告ってのが! いい度胸じゃな〜い?!」 ホノカは化粧で整った顔を歪ませてヴァーグナルを睨んだ。 そんな彼女の肩越しに、怯えたヴァーグナルを見てキャナルも呟いた。 「……私も、事前に相談くらいはして欲しかったわ」 エクレスは磨いたグラスを灯りにかざして見た。曇り一つ無い。 しかし、その中に映り込んだヴァーグナルは大時化のようだった。 「わ、私も異動が急だったんだ!むしろ騙されたんだ!気が付いたら所属の変更 手続きが済んでいて、こんな状態に……!」 「よく言うわよ!いくらあんたが間抜けでも、知らない間に所属先が変わるなんて あるわけないでしょ?!どうせあんたのことだから、その女団長に鼻の下伸ばして ホイホイとサインしたんでしょっ?!」 当たらずとも遠からず、おまけに間抜けとまで謳われて、ヴァーグナルはぐうの音も 出なかった。視線を送ってキャナルに助け舟を乞うた。 キャナルは呆れてため息をついた。 「ホノカ。もう決まっちゃったことは仕方がないわ。三人は出て行ってしまう。 残されたのは私たち二人。この後どうするかを決めましょう」 ホノカはますます険しい顔をして、近くの椅子にドカッと腰を降ろした。 頬杖をついて脚を組んだ。小柄ではあるが、長いブルネットが映える彼女は、 どんなポーズをとっても華がある。イライラと爪先を動かして考えを巡らせていた。 「ヴァン……。あなた、本当に旅に出るの?」 キャナルが尋ねた。 「そのように、なるだろうな」 「ピアノは、もう弾かなくなるの?」 「旅先にあれば、また弾くこともあるさ」 「そう……」 ヴァーグナルは少し盛り返したように、キャナルに一歩踏み寄った。 「寂しいのか、キャナル?なぁに!王都に帰ってくる度に真っ先に君の元へ駆けつけるよ! 両手一杯のお土産を持ってね!」 「お土産だけはいただいておくわ。私はあなたのピアノの腕が鈍ることを心配してるの」 「元からヴァンタは鈍るほどの腕前がないじゃない!」 ホノカの一声に、エクレスはたまらず噴きだした。 マスターも髭が小刻みに震えていた。 「よし!決めた!ヴァンタ。あんた、あたしを明日、その女団長のところに連れて行きなさい。 話をつけるわ」 「な、何をするつもりだ?穏便に……」 「このあたしが手荒な真似するわけないでしょ?!穏〜便〜に、女同士のオハナシを したいのよ。いいわね?!」 そう言い捨てて、ホノカは酒場を出て行った。 彼女は容姿を活かして、絵やポスターのモデルをやっている。 スケジュールが今後もきっちり詰まっていた。 彼女が勢いよく閉めた扉から、キャナルに視線を移してエクレスが尋ねた。 「ホノカって、エルツーのこと知らないんだっけ?アカデミーで目立ってたから 知ってるかと思ってた」 今度はキャナルが手近な椅子に腰を降ろして答えた。 「存在は知ってたみたいなんだけれどね。目立ってたからこそ、気に入らなかった みたいで、わざと避けてたみたい」 「その気位の高いところが、ホノカ嬢の魅力ではあるのだが……」 ヴァーグナルが赤くなった頬をさすりながら呟いた。 「明日は私もいっしょに行くわ。なんだか心配」 キャナルのその言葉を聞いて、エクレスも何かきっかけを得た気がした。 「……私も、いっしょに行こうかな。あの子と話がしたくなった」 「おお!レディの望みを叶えるのが騎士の勤めのひとつ。もちろん皆さまを 我が団長の元へとお連れしよう!」 ヴァーグナルが仰々しくお辞儀をしながら言った。 それを見て、キャナルは再びため息をついた。 (……本当に、色々と心配……) 酒場の壁にかけられた的には、綺麗な十の字にダーツが刺さっていた。 前の話 次の話 |