![]() 本部に戻ってきた時のヴァーグナルと来たら、他人から見てもあからさまに 疲れていた。周囲より一段、明度が下がって見えるほどだった。 「ヴァーグナル・カンタ、ただいま、帰還ました……。 そして、団長に、引き合わせたい者達を案内して、参りました……」 午前中にいつもどおりのデスクワークを終えた団長は、団員たちと共に 倉庫のリフォーム作業を行っている真っ最中だった。 「やっだ、埃くさいわね〜」 彼の後ろから場を華やげる声が聞こえてきた。 背中を小突いて、ヴァーグナルを押しやり声の主は姿を現した。 彼女が部屋に立つだけで、埃の漂う倉庫の雰囲気が明るくなった。 ホノカは、そういう天性を持っていた。 「あなたが、団長さん?……私はホノカ・セキグチ。初めまして」 挨拶の間にホノカはエレオノーレの頭の上からつま先までを、瞳だけでたっぷり見回してから、 営業用の笑みを浮かべて、手を差し出した。 団長はその手を取ろうとしたが、手のひらが汚れているのに気づき、 首にかけていた布で拭ってから、握手を交わした。 「エレオノーレ・エヴァンスです。私はあなたのことを知っていますよ、セキグチ先輩。 お会いできて光栄です」 「あら、そうなの?ンふ、ありがと」 「前に、勇者たちの酒場で演奏を聞いてくださったのよね。お久しぶりです、 エヴァンスさん」 「お久しぶりです、ウィンフィール先輩。エクレス先輩も」 ホノカに続いて、キャナル、エクレスとも握手を交わした。 その様子を眺めながら、ヴァーグナルはよろよろと穴があいてスプリングが 飛び出しているソファに座り込んだ。ワイズがその隣に静かに腰を下ろす。 「なんだいこれは。頼んでおいた店との交渉は?」 「もち、ろん。交渉は済ませました。明日にでも、見積もりと、引き取りに、 ……ふぇはぅ……、来るそうです」 「そんなに疲れることを頼んだつもりは無いけれど。まぁいい、お疲れ様。 あの小さい子は見覚えがあるな。どこで見たんだったか……」 「エルヴァール、ここにすすがついてるよ」 暖炉の整備をしていた彼に、エクレスが歩み寄って自分の鼻の頭を指して見せた。 エルヴァールは肩に鼻を押し付け、こすって取ろうとした。 「エクレス……何しに来たんだ?」 「見学」 「ああ、そう」 エルヴァールはそっけなく答えてから、団長を取り囲む女性二人に視線を投げた。 小物の整頓をしていたイガーナと、床の掃除をしていたアディがその輪に加わった。 「ホノカ!元気だったか?あいさつに行きたかったけど、ホノカなかなか暇が無いから 行けなかった。ごめんなさい」 「いいのよ、アディ。こうしてきちんと謝ってくれたし、元々あなたたちはヴァレイに いる間だけって約束だったもんね」 「ホノカ、キャナル。私たちふたり、あなたたちとヴィーナス・アンド・ブレイブスにとても 感謝しています。いっしょに演奏できたこと、イガーナは忘れません」 「私のほうこそ、あなたたちと一緒に楽団を組めて楽しかったわ。ヴァレイの外の話も 楽しかった。……行ってしまうのは、寂しいわ」 キャナルはイガーナの背中に手をまわして、軽くたたいた。 それから体を起こして、団長に向き直った。その目は少し潤んでいた。 「エヴァンスさん、私たちの大切な仲間をよろしくお願いしますね」 「二人はすでに私にとっても大切な仲間です。仲間として、共に支えあい、 旅をすることになるでしょう」 団長はキャナルに軽く頭を下げた。 その様子を半目で眺めていたホノカが口を開いた。 「ところで、エヴァンスさん?アディとイガーナは自分でこの騎士団に志願したって 聞いてるんですが、私たちの楽団のもう一人のメンバー、ヴァーグナルに ついて、ちょっとお話を聞きたいんだけど?」 ソファにもたれ掛かっていた彼の肩がビクッと跳ねた。その振動で、ワイズの 帽子の先端についているメダルも飛び跳ねた。 「聞いたところによると、ヴァーグナルは望んでここに来たわけではないそう。 もう一人の近衛騎士団から来た騎士さまってのは、自分から志願したそう。 ねぇ、団長さん?ヴァーグナルがここにいるのは、ちょっとおかしい話じゃありません?」 ワイズは部屋の隅で黙々と作業を進めるティモアをと、隣でへたばっているヴァーグナルを 見比べてみた。彼はヴァーグナルが団員になった瞬間に立ち会っていない。 「カンタ卿が当騎士団に所属することになったのは、近衛騎士団団長であるケンゲイ卿の ご命令によるものです。我ら騎士は、階位にのっとった命令に従うことが義務付けられております」 「知ってるわ。そういうトコが騎士さまのの美学って感じで、あたしは好きなんだけど。 でもね、ヴァンタは王城付きだから騎士になったのよ。そうじゃなくなって、この王都を 離れて田舎をあっちこっち旅する羽目になってまで、騎士でいたいってわけじゃない かもしれないじゃない。ンねぇ?ヴァ〜グナル?」 「カンタ卿……」 部屋中の視線が一斉にヴァーグナルに集まった。 ヴァーグナルは寝そべるような形でソファに座っていたが、己が冷戦の台風の目となったことで、 さらにずるずるとずり落ちた。 ヴァーグナルがアカデミー卒業と共に近衛騎士になった理由は単純だった。 女性にもてるからだ。 ただ、それだけの理由で騎士になった。 それは半分は成功で、半分は失敗だった。 当初の目論見どおり、婦人に対し礼を尽くし、鮮やかな織りを勇ましく着こなし、物腰優雅な 近衛騎士という身分は、女性と親睦を深めるには十分なものだった。 その代わり、勤務時間中は、男だらけのむさくるしい城に勤務しなければならなかった。 整列しても男、連絡伝達も男、餐を取る長机にも男、見回りに出ても男だらけだった。 唯一の楽しみは、剣技の練習の際、現在王城に剣客として滞在しているエルフィア・ライコウの 姿を拝めることだった。 そんなヴァーグナルと騎士職の微妙な関係式のことを、アカデミー卒業生たちは薄々知っていた。 エルヴァールが気の毒そうな感情を込めてヴァーグナルを見た。 ティモアはさすがに手を止めて、同僚に視線を送った。 東のふたりは、場の空気がどんどん冷えていくことに戸惑っていた。 団長は、自分が今までそのことを問わなかったことを後悔して、彼に問い掛けた。 「カンタ卿。セキグチ先輩のおっしゃるとおり、貴卿はご意思で当騎士団に 移籍されたわけでは無かったとお見受けします。確かに、王城勤務と遊撃部隊とでは、 同じ『騎士』という肩書きといえども、実情はまったく異なります。 当騎士団に在籍することが、貴卿の本意とするところでは無いのなら……」 ワイズはじろりと隣の騎士を見下ろした。 「異動命令を取り消していただくように、掛け合ってみましょう。それが、現在の 貴卿の団長として、貴卿にできる精一杯です」 「そ、それは……」 ヴァーグナルは口の中で言葉を飲み込んだ。 体がいやに重い。口の中は粘ついていた。 ヴァーグナルはエレオノーレのことをよく知っているようで、まったく知らなかった。 圧倒的に男性の多い騎士の中で、数少ない女性の騎士なので、良くも悪くも注目が集まりやすかった。 様々な噂が飛び交っていた。若くして一騎士団を預かる身になった理由も、噂で伝え聞いていた。 あまりよくない噂だった。 どこまでが噂の尾ひれなのか、彼らの間ではどうでもいいことだった。 絵に描かれた花を愛でるがごとく、女性騎士というものは、現実味を帯びない飾りのような存在 だったからだ。剣など持てない、本物のたおやかな花を、いかに摘むかのほうが関心が高かった。 確率的にも、所属的にも、ヴァーグナルはエレオノーレに関わることは無いと思っていた。 だが、何の因果か、現在は名目上は彼女の配下となってしまった。 二つも年下である彼女は、表情も硬く、言葉も硬く、ガードも固かった。 国の未来を懸けた大任を背負っていることは、上から聞いて知っていた。 彼女はそれに応えようと、日々を懸命に過ごしていることを知るようになった。 もしも彼女が騎士でなければ、もしも滅びの予言が告げられていなければ、 これから起こる戦いのことなどに頭を悩ませず、自由に、生活に、未来に、恋に過ごしていたのだろう。 彼が親しくする女性たちのように。 彼女がそうありたいと願っているかは、読むことができなかった。 それでも時々、例えばエルヴァールと言葉を交わすときなどに、ほんの少し、 15歳の女性だということを思い出させる幼い仕草を垣間見ると、 この騎士団に配属されてよかったのだ、という思いが彼の胸に湧いた。 きっかけは不純なものだったかもしれない。 けれど、ヴァーグナル・カンタは騎士なのだ。 下唇を噛んでから、舌で湿せた。 もはや腰掛けているという姿勢ではなかったソファから立ち上がって、 団長の前まで進んだ。 「エヴァンス団長。私は……流星騎士団の団員です。そのことを、嬉しく思っています。 これからの旅路や戦闘においても、私は騎士としてお力添えをしたい所存です」 「っ……!」 ホノカが息を呑んだ。場の空気が一気に加熱されたような気がし、キャナルは 焦って彼女の腕を掴もうとした。 だが、一足遅く、ホノカは団長たちに向かって進軍し始めた。 団長はホノカに背を向けていた。 ヴァーグナルは迫り来るホノカに、目を見開いた。 そのヴァーグナルを見て、団長は後ろを振り返った。 ホノカは右手を振り上げようとした。 その手を、いつの間にか団長の後方まで来ていたティモアが止めた。 「ちょっ……!何よあんた!勝手にあたしに触んないで!」 軽く掴まれていただけだったので、勢いよく引き抜いた。 引き抜きざま、着け爪がティモアの手に小さな傷を作った。 じわりと赤く滲む。 「あ……。ご、ごめんなさい……」 「……気に召されるな。淑女たる方は、歩行も優雅でなくては。急に歩いては 着衣が乱れる……」 相変わらず低い声で喋りながら、ホノカの動きについて行けずに床にふわりと 落ちた、彼女の帽子を拾った。ヴィヴィ・オールリンのものをモデルとした、 アディーラの特注の帽子だ。生地が高価なだけあって、手触りが抜群に良い。 それを、そっとホノカの美しい髪に乗せた。 その間、ホノカは掴まれた手をもう片方の手で包んだまま、ティモアの 行動を目で追っていた。 ヴァーグナルは、息をついてからホノカに語りかけた。 「ホノカ。君とキャナルに何も告げる間もなく、このような状態になってしまったことは 申し訳なく思っている。私としても、ヴィーナス・アンド・ブレイブスを続けたい 気持ちはある。だが、分かって欲しい。私は王都を離れることになっても、騎士なのだ」 「ヴァン……」 キャナルは前に出ようとして、思いとどまった。 彼を楽団に誘ったのはキャナルだった。アカデミーで同学年であったが、 ヴァーグナルは一年留年してしまい、同じ年に卒業できなくなってしまった。 先ほどホノカが指摘したとおり、ヴァーグナルには王都が似合っていた。 本人もそれを自覚し、最大限に活かしていた。 だから、もしかしたら思いとどまってくれるかも、と期待していた。 恥ずかしいことだ。だから、彼に近寄れなかった。 「分かったわ、ヴァンタ。それはもういいの。過去のことなんだし」 ホノカの声から刺が取れたのを聞き、ヴァーグナルは安堵の表情を浮かべた。 「これからは、ヴィーナス・アンド・ブレイブスは、活動をヴァレイに留まらず、 このアクラル大陸の各地に遠征して公演を行いましょ!決めた! あたしも騎士団に入団するわ!」 「ええっ?!」 その場にいた誰かと誰かの驚嘆の声が入り混じった。 ホノカは振り返り、目の前にいた団長の両手をがっしりと握った。 「というわけで、入団希望しま〜す。ヨロシクね!エレオノーレちゃん」 「は、はぁ……こちらこそ、よろしくお願いします……?」 団長は展開の早さに着いていけてなかった。 そんなやり取りを見て、エクレスはニヤニヤしながら暖炉に肘を着いた。 「面白くなってきたじゃない」 エルヴァールはエクレスと反対方向から暖炉に肘をついた。 「君は、ここに何しに来たんだっけ?」 「見物」 「さっきと言ってること、違うみたいだけど」 「アハ!」 前の話 次の話 |