王が王都で発令してから、遅れること約一月。
ここフェルミナの街にもようやくその内容が伝え届いた。
山岳地帯の僅かな窪地に薄い色の石造りの角ばった軒並みが階段状に並ぶこの街は、
背後のガレシア山脈に入り、見下ろすととても美しい。
市庁舎から市門まで中央通が貫き、市門を中心点として、扇状に道が走っている。
ところどころにある小さな広場には、フェルミナの守護精霊の姿をモザイクタイルで描いた床が
太陽の光で浮かび上がる。この街は風がよく通る。

勾配の激しい斜面には、毛足の長いボルン科のレグールホーンの群れが屯しているのが見える。
一般的なボルンよりも華奢な体系で、大きな巻いた角を持っている。
レグールはその生態環境から、持久力と跳躍力のある堅固な脚が売りだ。
フェルミナの主要な輸出品目でもある。
調教すれば、戦馬ともなりうる。大戦時代は坂落としに最適と、
レグールのおかげでフェルミナには大量の外貨が流入したこともあった。
もっとも、それにより『フェルミナ傭兵は奇襲専門』の汚名が永く付きまとった。
それは、遠い過去の話。

現在は、キャラバンの山越えの際に使われることが多い。
街の全貌を見下ろす山の端に、一人の少女がレグールに跨って歩いていた。
フェルミナ市長の娘、アルヴィ・ヴォルレードだ。
騎乗しているレグールの名はコウ・シュン。彼女が取り上げた仔だ。
フェルミナは名目上「市」を名乗っているが、実際には独自の自治権を持つ、
いわゆる「市国」である。従って、市長の娘は王女の次に並んで不自然無い身分だ。
彼女は今朝届いた、王のお触れのことを考えていた。
魔物の出現や従士募集に関しては、興味が無かった。
彼女の気を惹いたことはただ一点、騎士団を率いる長が自分と同じ年頃の女性だということだった。

(どんな子なのかしら……)

シュンの腹を締めて、彼女は駆け始めた。
山を吹き抜ける風が、長い三つ網を空へと舞い上げた。
午後の輝く青の中、鳶が高く円弧を描いている。
今日もいい天気だ。

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窓にベッタリと張り付いていた埃をさっぱりと落としたおかげで、本部倉庫は
見違えるほど明るい空間になった。床掃除のために、敷かれいていた絨毯は
丸めて壁に立て替えられている。その脇にはガラクタが無頓着に詰まった棚が
並んでいた。いつからあるのか分からない、カビた鞍や皮の水筒が固まっている。
そんな四角い部屋の中で、人々は呆然と突っ立っていた。
ホノカの電撃発言により、思考回路が停止している者が多かった。
そんな中、まったく自分のペースを崩していなかったワイズが頷いた。

「そうだ。思い出した。2年連続で単位を落として、最終学年に泣きついてレポートを
 提出した魔女だ。そうだそうだ。ホノカ・セキグチ。遅刻と無断欠席の常習犯だ」

悪気があるのか無いのか。
かなりはっきりとしたワイズの独り言を、左耳で捕らえたホノカは握ったままの団長の手を
もう一度ぎゅうと握ってから、ワイズの前まで行き、帽子を取って淑女らしくお辞儀をした。

「その節は大変お世話になりました。今になって思えば、学生時代はもっと真剣に学んで
 おくべきだったと反省してます。これからはこの騎士団で、また先生にご教授
 願いたいですわ」

「……学ぶ意思があるなら、応えるのが教員の勤めだ」

「ああ、嬉しい!ありがとうございます!」

ホノカは帽子を指先でクルッとまわした。

「ホノカ……!ど、どうして?本気なの??」

キャナルの声は震えていた。
ホノカは肩をすくめながらキャナルを上目遣いで見た。

「本気よ〜。このままずっと王都にいてもね、あたしはヴィヴィちゃんには適わないんじゃないか
 って薄々思ってたの。あたしはね、一番になるのが好きなの。なんでもね!だから、
 国のあっちこっちを回って、ついでに魔法の修行もして、女を磨こうって閃いたの!」

キャナルはなんと答えたらいいのか言葉が出てこなかった。
みんな騎士団に入り、行ってしまうと言っている。

「キャナル。ホノカも来ると言っています。あなたも一緒に来ませんか?そうすれば、
 また皆で楽団組めます」

イガーナが優しい声でキャナルの顔を覗き込んだ。

「わ、私は……」

五人で過ごした日々が胸を過ぎった。
ホノカの行動力、ヴァーグナルの前向きな気楽さ、アディの言葉の壁を越えようとする誠実さ、
イガーナから溢れる異国のリズム。
それはもう、無くなってしまう。

「…………ごめんなさい。私は、王都にいたいの。旅なんて、怖くてできない。
 だから、一緒には行けないわ」

誰の顔もまともに見れなかった。
目をつぶって下を向いた。
今すぐここから逃げ出したかった。
イガーナはそんな彼女の頭を優しく撫でてくれた。

「ごめんなさい、キャナル。困らせるつもりは無かったです」

ホノカはさらにキャナルの首に手を回した。

「ごめんね。何も相談せずに急に決めて。あたしもヴァンタのこと言えないわね。
 あの時みたいに、引っぱたいてくれていいのよ」

「バカ!」

キャナルはホノカの顔を両手でペチッと挟み、己から引き離した。

「もうほんと、いっつもいっつも、ホノカにもヴァンにも振り回されてばっかり!
 お土産買ってきて、無事に帰って来ないと、許さないから!」

それからガバッとホノカに抱きつき、彼女の肩に顔を埋めた。
ホノカも頭を彼女の髪に預け、目を閉じた。
団長は、少し大きく息をついた。万感の感情を込めたものだった。
それを隣で見つめていたティモアは、団長の睫毛が己のものより長いことを発見していた。
しんみりしている二人の邪魔をしないように、エクレスが壁際をすすすっと
カニ歩きをして、団長の後ろに回った。

「エ・ル・ツー。あの子らお取り込み中になっちゃって、言い出しづらいんだけどさ。
 私、そろそろ仕事の時間なんで、失礼しなくちゃいけないんだよ」

団長は振り返り、エクレスと視線を合わせた。

「そうですか。もっと長くお話したかったんですが、残念です。また酒場にうかがいますね」

「ありがと、待ってるよ。でさ、帰る前にやっておきたいことあるのよね。名簿、出して」

「名簿?」

「騎士団員の名簿。そういうのがあるってヴァンタから聞いてるよ」

「ああ。ありますが……ちょっと待ってください」

団長は机の引出しから名簿を取り出し、エクレスに広げて見せた。

「うわ、ヴァンタって子供っぽい字なのね。アディとイガーナは……変わった文字。
 うーん、アディはなんとなく読めるかな?A・d・y=N・a・t・t……」

名簿を読み上げながら、先ほど回りこむ際にくすねて来たペンで素早く自分の名前を
書き込んだ。

「よしっ!これで用事は済み!じゃ、失礼するよ。あ、でも、こっちに所属するのは
 酒場の給料日の後からね。これからもヨロシク!」

エクレスは言うだけ言うと、団長に返答させずに倉庫を出て行ってしまった。
団長は慌てて追ったが、エクレスは足が速い。あっという間に本部から
広場の雑踏へ溶け込んでしまった。
後を追ってきたエルヴァールが、団長から名簿を受け取った。
眉を少し寄せて、エクレスの名をやぶ睨みした。

「あいつ……何考えてるんだ?」

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フェルミナよりさらに遅れること約半月。
湾岸都市メゾネアにも王のお触れが届いた。
メゾネアはフェルミナよりもさらに王都からの距離があるため、王政下にあるとはいえ、
住民たちは地元の自治体により重きを置いていた。
何より、大陸屈指の港を所有する街なので、交易においての立場はヴァレイと対等であるという市民意識が強い。

メゾネアは幻視の森のあちこちから湧き上がる、か細い水脈が縒れてできた河口に
またがって居を構えている。大戦前は、このあたり一帯はいまだ海の底であった。
現在は失われた魔法兵器により、大戦の前と後では大陸の多くの地形が変形した。
焦土と化した夢魔の森がその最たる例だ。
メゾネアの海面も炎に飲まれ、干上がり、現在の地形となった。
それゆえ、土中には多くの塩分が含まれ、作物は育たない。
かつての海底に沈んだ水軍の船の残骸に、塩の華が樹氷のように纏わりつき、
白く立ち並ぶ様を皮肉って、『死者の森』と呼んでいた。

それでも人々はたくましくこの土地に住み着いた。
戦乱の疲弊を癒し、広大な海に未来を拓き、自分たちの脚で立ち上がってきた。
そんな港町を束ねる市長のことを、市民は親しみを込めて『船長』と呼ぶ。

自らの街の歴史に誇りを持つ市民には、目に見えていない脅威に対する遊撃部隊を作ろうなど、
遠い王都のお優雅な住人の考えは理解に苦しむ、と鼻で笑う者が圧倒的に多かった。
それでも、形ばかりはと、街のあちこちに勅令書の写しが掲示された。
港町の酒場でも、一瞬はその話題に沸いたが、すぐに忘れ去られてしまった。
水夫たちは滞在期間が短い。酒場の客も短い期間で目まぐるしく変わる。
そして、新しい客たちが新しい外の話題を持ち込み、今日もつかの間の陸を
楽しもうと、昼間から賑やかしく酒盛りが始まるのだった。

中州ポートエリアで荷運びをしていたマリスタ・ティルウェリンは、休憩ついでに
手近な樽に腰掛けた。壁に持たれて顔を上げると、向かいの倉庫の赤いレンガの壁に、
当の写しが掲示されているのが目に入った。

「はぁ、ふん。魔物。ふん、へぇ。騎士団。ふんっ。なーっ!おい!魔物なんかよりさー!
 海賊盗賊をなんとかするってぇーお達しはぁー無いのけー?!」

離れた日陰で寝っ転がって休んでいる同僚のウルバルドに大声で尋ねた。

「しぃーーーーーーーるぅーーーーーーーーかーーーーーーーーーー!!」

ウルバルドは腹から発声しながら両足を天に向けてからバタバタして見せた。
マリスタからは尻のつぎ当てが見えた。

「あーぁあ〜。ったく、ヴァレイの連中は分かってねぇんだよ。どんなに危険な大冒険の末に
 お前らの街に商品が並ぶのか。そんで、誰がそれらを運び守ってるか、考えてみないのかね。
 なーにが魔物だ」

さしずめマリスタは積荷のボディーガード。

「いよっ!」

彼は頭に巻いてある布を右手で外しながら飛び上がり、ぐるんと回しながら
本人が最高にかっこいいと思っている決めポーズを樽の上で取ってみた。


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