「カルフラン君、お客さんです。カルフラン君、お客さんです」

ウルウミスの伝書魔法が耳元で弾けた。
この伝書魔法というのは便利なようで、厄介だ。
ものぐさな魔法使いたちが大声を出したくないがために編み出されたもので、
有効範囲は本人が出せる限りの大声が聞こえる程度が関の山だ。
稀に、大陸の端から端まで伝達できる使い手もいるらしい。
相手の現状もお構いなしに一方通行で伝えるだけなので、気を抜いているときに
これがやってくると、心臓に悪い。
フェルフェッタは作業を中断して、床の棒をまとめて隅に押しやり、
獣道のような足の踏み場を急ごしらえで作った。
ドアがノックされた。

「はいはい、今空けます」

スカートの裾をつまんで障害物を飛び越え、ドアノブに飛びついた。
内側から魔法で開けると、ワイズを先頭にホノカ・セキグチと
イガーナ・シャロワが立っていた。
団長は本部に戻り、男性陣とエクレスは、騎士二人の手合わせに刺激され、
郊外まで訓練に行ってしまった。

「お邪魔さま」

ワイズは軽く頭を下げてから、まるで自分の庭のように獣道を歩いていった。
イガーナは中の惨状を見て、目を丸くしていた。

「うっわ〜……まさに魔女の部屋って感じね」

ホノカが恐る恐る部屋に足を踏み入れた。

「ホノカ先輩。それにイガーナ。どうしてここに?」

「ワイズさんが魔法の武器を受け取るというので、お願いして見に来たのです」

「ああ、見学ね。……構わないけど。一応、機密事項の研究もしてるから、
 事前にアポを取って欲しかったわさ」

イガーナが何とか足の踏み場を確保したのを見届けたので、フェルフェッタはドアを
ゆっくり閉めた。
イガーナは部屋中に釣り下がっている籠をひとつひとつ覗き込んで周った。

「聞いたわよ。イガーナも騎士団に入ったんですって?ま、なんとなくあなたと
 アディなら、そういうのもお似合いって気がするけどね」

フェルフェッタは机の奥に立てかけておいた布包みを取りに跳んだ。
それを抱えるように持ち、ワイズに手渡した。

「はい、先生のご注文の品です。身内と言えども割引はしませんよ」

「僕が払うんじゃない、国が払ってくれるのさ」

ワイズは布を巻き取った。中からは先端が螺旋状に巻いた杖が出てきた。
一見、材質は硬い木のように見えるが、触ってみると金属であることが判る。
しかし重さは木以上に軽かった。
ワイズは何度か両手で持ち替えたあと、軽く魔力を通してみた。

「いい伝導率だ。さすがだね、カルフラン君」

「お褒めに預かりまして」

フェルフェッタの研究は魔法の触媒としての杖の研究だ。
魔法使いの素質を持つ者でも、そのままの魔法力では殆ど何の役にも立たない。
触媒を通すことによって、威力のあるものと昇華させることが必要だった。
基本は掌相と掌印から成る体魔法言語だ。亜流として詠唱、兎歩がある。
しかし、それらは発動までに時間を要するため、日常使用頻度の高い魔法などは、
それ専用の既製品の触媒を用いて使用することが一般的だ。
触媒は例えば火をおこす杖であったり、空を飛ぶ箒であったりする。
辞典ともなれば、様々な用途用の触媒として利用でき、大きさ、重さとも大変
お手ごろであるのだが、お値段だけがお手ごろではなかった。

「で、あたしのはどれ?」

「へ?」

ホノカの発言にフェルフェッタは虚を突かれた。
先日、ワイズが研究機関を通して依頼してきたのは、彼の分だけだった。
攻撃魔法への触媒は、この研究所からは許可無く持ち出すことができない。
申請書はすでに準備してあるが、そこに記されている本数は……。

「先生、……どういうことです?ホノカの分までなんて聞いてないわさ」

「君に依頼してからセキグチ君が入団したんだ」

「ホノカが!にゅうだん?!……ホノカ、ほんと?」

「ホ・ン・ト」

フェルフェッタは心底驚いた。ホノカが今の仕事を離れて、旅暮らしをするなど
想像もつかなかったし、彼女がエレオノーレに好意を抱いていないことを
在学中から感づいていたからだ。違うと分かっていたが、唯一可能性が
あることを尋ねてみた。

「……もしかして、ヴァンタが行くから?」

「考えたきっかけはそうだけど、ああいうハナタレには興味がないの」

ホノカらしい返答に安心した。それと同時に、騎士団の先行きが思いやられた。
机に埋もれていた申請書を引っ張り出して、本数が書かれた部分に、ほんの少しの
修正を加えた。

「あーもー。なんとかするわさ。ホノカ、その辺から適当に気に入った杖を選んで」

フェルフェッタは顎で棒の山を指し、籠の暖簾を掻き分け始めた。
ホノカはしゃがんで杖を選び始めた。イガーナも中腰でそれを眺める。

「色んな形があるんですね。これはロリキートの頭ですね。かわいい」

「魔法使いにとってはね、杖とかって絶対いるものでしょ?だからデザインも
 色々凝っているのが多いのよ。だって、持っててサマにならないとダサいでしょ」

ホノカは一本づつ丁寧に拾っては確認し、また床に置いた。
そうする内に、ある一本で手が止まった。上から下まで目で追った。
フェルフェッタは目的の籠を探し出し、その蓋をそっと上げ、指を差し入れた。
中で燃えていたものが、その指にふわりと移った。
その指を顔の前まで持って行き、光を覗き込んだ。

「お前のご主人様が決まったよ。行っておいで」

息を吹きかけ、ホノカに向かって飛ばした。
鳥のような虫のような流線型となって、それはホノカの手の中にあった杖に
潜り込んで行った。

「あっ!これにするって決めたわけじゃないのに!」

ホノカは振り返ってフェルフェッタを睨んだ。だが、その口元は笑っていた。
彼女のものとなった杖は、蛇をあしらったやや短めのものだ。
触媒としての効力が宿ったことにより、瞳に嵌められていた緋色の宝石が
揺らめく輝きを放っていた。

「なかなかクールさね。さっ、これで用事は済んだ?」

フェルフェッタは再び獣道を逆流して扉を開けた。
イガーナは名残惜しそうに部屋のあちこちに視線をやっていたが、足元を見ないと
大変危険なので、下を向きながら廊下へと出て行った。
ホノカも礼を述べた後、跳ねるように物をよけながら出て行った。
最後に、ワイズが代金は研究所宛に支払われる手はずになっていることを伝え、
ローブの裾を摘みながら出て行った。

「それじゃカルフラン君、また後日、本部で会おう」

扉を閉めざま、師の声が耳に届いた。

(その、なんでもお見通しってところが、苦手なのよね〜)

フェルフェッタは垂れてきた前髪の後れ毛をピンで留め、机の上の申請書の
皺を伸ばした。申請本数は3本。”2”から強引に線を足したものだった。
もう一枚、別の紙を引っ張り出した。フィールドワークの申請書だ。

(せっかくの実践のチャンスだし、アフターケアもしないと……ちょっと怖い)

フェルフェッタは引き出しに避難させてあったペンとインクを取り出し、
申請に必要なレポートの書きかけを再開した。

-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----

「教授、およびですか?」

魔法が満ちた百塔の街で、最も権威のある塔のとある部屋に少年が訪れた。
この都市が所有する各学院共通の黒いローブを羽織り、胸元にはタイを結んでいた。
目深に被った帽子の先端には、三日月のメダルが下がっていた。
これは一人前の魔法使いになった証であり、一般の学生はこれを所有する資格は無い。

「うむ。伝書を頼む。王都までじゃ」

教授と呼ばれた老人は、学生のために椅子を引いてから、数枚の書類を彼に見えるように
掲げた。

「それぜんぶですか。もつかなぁ」

学生は耳の後ろを掻きながら、用意された椅子に座り、脚をブラブラ交差させた。
爪をかじりながら、手渡された書類に目を通し始めた。
その眼球はせわしなく動き、ギョロついていた。
長い耳と薄い色の髪は、一目でイグラス出身だと見て取れる。

「これは、おもしろいですね」

「他言は厳禁じゃ。特に今回は。肝に命じておけ」

手渡された文章は、クロニクルズ研究機関の一員であるウロズロス・ウェリンデール教授から、
研究機関の長であるフッケル・シャダウェリンに充てた密言であった。
世界の今後を左右する内容だ。

彼は伝書魔法の天才だった。
声を大陸のどこにでも飛ばすことができた。
生まれ持った才能を運良く見出され、幼少のころからこのウェロー専属の
伝書魔法使いの席に列せられた。彼はそれを幸運だと思わなかった。
元々備わっていた能力であり、『この能力を持たない自分』を知らなかったからだ。
貧しい漁村から引き取られ、現在はこの街で食うに困らない生活にありつけたことに対しても、
『そうでない自分』を知らないので、己の幸運を理解していなかった。
彼の天賦の才は強大だった。
特に努力しなくても、すでに同席の誰よりも正確な音を誤差無く相手に伝えることができた。
それを必要とされ、彼もそれに応えることができた。
それゆえ、備わっている能力をこれ以上向上させるということは考えつかなかった。
命じられたときに囀る以外は、何もする必要が無いという現状で生きていくことができた。
彼はそれを不幸だとも思わなかった。
人間の幸福と不幸についてなど、考えたことが無かった。

「それでは、飛ばします」

彼は椅子の上に座ったまま、噛んで歪んだ爪で掌印を切り始めた。
目に見えるほどの濃い魔方陣が彼を中心に円の軌跡で浮かび上がる。
併せて微かな風が起こり、ウロズロスの豊かな髭を波打たせた。


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