「ダメダネ。断ル」

「そこをなんとか頼むよ」

「断ル。我ラニ二言ハ無イ」

シュウガの粘り強い説得も功無く、騎士団は森の案内人を得ることが出来なかった。
理由は、彼らが武器を所有しているからだった。
最初は盗賊団と間違われたほどの警戒ぶりであった。
王直筆の通行手形を見せ、誤解はされずに済んだものの、警戒は解かれなかった。

「ヴァレイハ何ヲ企ンデイル?武装シタ小隊ヲ送リ込ムナド、マタ侵略デモ始メルツモリカ?
 悪イガ、アンタラノ真意ガ分カラナイ限リ、我ラノ懐ヲ案内スルナド、狼ニ羊ヲ
 嫁ガセルヨウナモンダ」

「だから、魔物退治のためにリオン地方へ抜けたいだけなんだよ」

「魔物!夜泣キノ子供ニ聞カセルオ伽噺ヲ、アンタラミタイナ兵隊モ信シテイルノカ?
 ヒー・ホー・ヒー!!」

「シュウ、諦めましょう。地図があるんです。自分たちで進みましょう」

団長はこれ以上は無駄だろうと判断し、シュウガは荒い鼻息を吐いて踵を返した。
団長は森に住まう幻術師に短く礼を述べてから彼の後を追おうとした。

「アンタ、グーラーダナ」

呼び止められて、顧みた。
グーラーとは旧イグラス諸島連合に住まう民族の総称だ。グラル出身の団長はこれに属していた。
バルサ地方の森の民とは、大戦時代からずっと友好関係が続いていた。
互いに、大国に翻弄された者同士だからだ。

「アンタガオ隣サンダカラ、忠告ダケシテオイテヤル。最近、森ノ中ニオカシナ集団ガ
 ウロツイテイル。タダノ盗賊カト思ッテ用心シテタンダガ、集落ヲ襲ウ気配ハ無イ。
 代ワリニ、当然ト言ッチャア当然ナンダガ、迷イ人ヲ襲ッテイル」

団長はもう一度森の民に正面を向けた。

「妙ナノハ、武装シテルヤツバカリヲワザト狙ッテイルコト。何モ盗ラナイコト。
 ……皆殺シニシテルコトダ。ダカラ最近ハ遺体ノ後始末ッテ仕事ガ増エテ、イヤニナルネ」

だから、これほど警戒しているのだろうか。

「マァ、自分ノ身ハ自分デ守リナ。魔物退治ガ本当ダッテンナラ、アンタラソンクライハ
 デキルンダロ?」

「ご忠告、感謝いたします」

団長は彼の背後にぽっかりと黒い口を開けた森を一瞥してから、街の広場へと戻った。
武器屋の品揃えが妙によいことにも合点が行った。
縁者の分からない者の遺品は、弔った者の所有物となるのが慣習だ。
中にはそれを職業とする浅ましい輩もいるが、大抵は埋葬の労力のお代にと、売り払うものだ。
だからと言って、いくら見ず知らずでも、できれば遭遇したくないだろう。
彼女を追うフィニーを目の端に捉えたので、小さな声で話し掛けた。

「人間と剣を交える可能性があることを、すっかり失念していたよ」

フィニーは軌道を狭めて、螺旋を描いて団長に答えた。

「できれば、そんな事態は避けたいけれど」

フィニーの薄い羽根が雲間から挿す光を反射した。

「甘い」

ワイズは齧った燻製肉の味に文句をつけた。

「ちょっと甘いけれど、美味しいですよ。肉と肉の間にドライフルーツが挟まれてるんですね、
 ブドウがベースかな?戻すとどんな風に調理するんでしょうね」

隣で同じ物を頬張ったエルヴァールが、それを一袋注文した。
二人は食糧調達をするために、広場まで出てきていた。
ここまでは宿場町がほどよい間隔であったが、旅人の森に入ると集落の数はぐっと少なくなる。
小規模の集落は自給自足が基本だ。
いきなり小隊人数の旅程分の食糧を分けられるほど蓄えが無い可能性のほうが高い。

「買うのかい……。僕はこっちの胡椒が利いてるやつの方がいいんだけれど」

「そっちは、ゼレスに近づけばもっといいものが安く買えると思います。こっちの方が、水分を取らずに
 食べれるでしょう?」

「分かったよ。君は正しい」

「先生は甘いものが嫌いなんですか?」

エルヴァールは他の乾貨を何点か物色しながら、騎士団の大蔵大臣に尋ねた。

「得意ではない。昔、うちのやつが大量にギトギトに甘いお菓子を作ってきたんだ。
 求婚の返答はこれだと」

ワイズは両手でその質量を再現してみせた。

「えぇ……。どういう意味だったんですか、それ」

「分からなかったから、丸一日かけて完食したよ。翌日は胃がもたれて寝込んだ。
 彼女は看病してくれた。それで、結婚した」

「???奥さんの策略ってことですか?」

「どうだか」

男女の仲は奥が深い……という結論をとりあえず出しておいた。
二人は宿に戻る途中で団長と合流し、案内人が得られなかったことと、忠告を聞き、、
今後の森の対策方法を話し合った。
その間に、ホノカとエクレスは気の毒なフェルフェッタの靴を持って、靴屋に赴き、
サイズの合うやわらかい靴を見繕った。
グリムグラムは広場で出くわしたシュウガに目利きを頼み、自分用の武器を購入した。
イガーナとアディは、どの街にいる時とも同じように、曲と踊りを披露していた。

晩餐は広場から一本裏通りへ入った食堂へ皆でぞろぞろと出かけた。フェルフェッタは
ヴァーグナルの肩に掴まって歩いて行った。12人は入りきらなかったので、
路地にテーブルを出してもらい、星空を眺めながらの食事となった。
湿原に生息する鴨の一種を焼いたものと、サフランで色づけされたライスと
子ガエルの唐揚げと森の野草サラダを、皆で適当にシェアしながら、
ここまでの感想やら、予想外の笑い話などに花が咲いた。
食後にエクレスが注文した、木の実を砂糖で固めたデザートが人数分出された時に、
ワイズはなんともいたたまれない表情になった。
全てを平らげ天を見上げると、南のポーラスター以外の星はこっそりと位置を変えていた。
穏やかな空気が食卓に満ちた。

「すっかり夏の星座になったわさ」

フェルフェッタが椅子の背もたれを大いに反らせながら言った。

「私たちに故郷とは、星の見え方が違います。星座もきっと違います。
 それでも、どこに行っても星と月は同じです。よかったなと思います」

イガーナの隣で、ティモアは今まで縁が無かった星座という情緒を見上げていた。

「今日は晴れてて良かったね。もう、雨季は終わったかな?」

エクレスがテーブルに肘をつき、首を傾げて呟いた。

「例年どおりならあと十日前後ってところなんだけれどね。ヴァレイよりも
 西に来てるから、それがどう影響するのかな。明日、街の人に聞いておこう」

「この街はよぉ、雨季の後に東のウォルタランド、フェルミナ以北ガレス地域、
 そんでバルサとその向こうのリオン地方の三方から商人が集まって
 バザールがあるんだよ。あ〜あ、それまでこの街にいるってわけにゃ、いかんよなぁ」

シュウガが残念そうにこぼし、手づかみで菓子をかじった。
フィニーを宿に置いてきた団長は、星々の下をもったりと動く薄雲を目で追っていた。
そんな団長の瞳には、月のかけらが映り込んでいた。ちょうど真正面に座っていた
エルヴァールは、彼女を眺めながらデザートを砕いて頬張った。
彼女は何かに思いを巡らせてか、うつむき加減で目を閉じてしまった。
残念。
エルヴァールは心の中で呟いてから、もう一欠けらを口に放り込んだ。
団長は再び顔を上げ、明日からの行程について説明をした。

森の案内人を得られなかったこと。
雨季を警戒して、やや北寄りに進むこと。
これまでとは違い、森の中には集落が少ないため野宿が中心になること。
不審な一団のこと。

和やかな空気に、少し緊張の色が挿した。
特に最後の不審な一団に関しては、皆殺しという物騒な言葉に驚く者もいた。
長居した店を後にして、一行は宿に戻り、一夜を明かした。

団長は旅の途中でも変わらず、日の出と共に起き、訓練をしていた。
王都でとの違いはティモア、シュウガ、エクレス、エルヴァールが加わるようになったことだ。
頭数がいることにより、今では組み手も行っている。
ティモアとエレオノーレは、騎士仕込みの決まった型をリズムに乗ったダンスのように取る。
シュウガとエクレスは、完全に我流で、時に型破りの動きをするので予想し辛い。
エルヴァールは行動がいまいち遅い。相手の動きを完全に読んでから動くからだ。
それぞれの違いが、時に勝り、時に補い、鍛錬も楽しい日課となっていた。
彼らの脇では東の二人が、柔軟と楽器の手入れを毎日行っていた。
残りの者たちはお寝坊さんだった。

簡単な朝食の後、支度を整え、街の西口から旅人の森へと入っていった。
最初のうちは、街道のような大き目の道が脚を導いてくれた。
やがて、三叉路に当たった。右へと進んだ。
さらに三叉路があった。地図で確認してから、真ん中の道を選んだ。
道は分かれるたびに細くなっていった。
繁った低木が腕に当たるようになった。
植物の吐く呼気と雨季の湿気が、じったりと身体を包み込む。
またもや道の分かれ目まで来た。何本に分かれているのかわからない。
どれもが、道なのか、たまたま低木が生えてないだけなのかが区別できなかった。
団長は地図をもう一度、確認をした。
実のところ、旅人の森の内部の道というものは載っていない。
なぜなら、名のついた道が存在しないからだ。

集落と集落の間を行き来する人々の歩いた跡が道となる。
夏の雨季を経て、森の植物は育まれる。
足の裏が草木を踏みしめた下からも、力強く天を目指す。
落葉が人の、獣の痕跡を隠す。
バルサの住人は樹に精霊が宿っていると信じている。
大戦で焼けた後に、ここまで生い茂った木々を切ることを禁じている。
だから、季節や状況に応じて彼らは通る経路を変える。
この旅人の森の道は生きているのだ。
常に変化している。だから、地図に載せることはできない。

団長は空を見上げて太陽の位置を見た。
枝が幾重に重なり、さらにの薄雲が太陽を隠していた。
でたらめに進んでいたつもりは無かったが、目の前の混線状態をひとりで判断するのは
危険だと思い、ワイズに相談しようと近づいた。
ワイズは顔を上げ、左を勢いよく向いた。
団長も釣られてそちらを見た。
アディが身を低くかがめた。
フェルフェッタは魔法が発動した際に生じる波を感じた。

「抜剣しろ!!!!」

ティモアのドスの利いた声が響いた。
幅広の剣で飛び来る矢を弾いた。
団長は素早く右手で片手剣を抜いた、鞘がギャリッと鳴る。
恐ろしく速い剣戟がエルヴァールに襲い掛かる。団長は彼の前に割って入った。
カカカカッと剣同士が噛み合う。
型が違う。
相手は刀使いだった。
横に凪ぐカタナと、縦に突く突剣は相性が悪い。
受けきれない。
シュウガが燕のように低く飛び込み、相手に足払いをかけた。
それに気を逸らせた隙を見逃さなかった。
団長は敵の左肩に一撃を与えた。
引き抜きざま、後ろに跳ぶ。
切っ先より零れた血が緑の絨毯に斑点を描いた。

もう一人の刀使いに襲われたイガーナは、必死で避けた。
相手の一撃が木に食い込んだ隙に、懐に飛び込んで、身に付けていた布で敵の手首を
絡め取った。そこを力点に、二人は腕相撲をするような形で膠着した。
アディが後ろに忍び寄り、腕を振り上げた。

「アディ!殺すのはだめ!!」

アディは眼をカッ見開き、腕を振り下ろした。
それからもう一度上げて、後ろに引いた。
イガーナが固定していた腕だけを彼女の元に残し、相手は自由の身となった。
敵は悲鳴も上げずに反り返った。その腹をイガーナは蹴り倒した。
アディに駆け寄ろうとしたが、彼は反対に体勢を崩した敵に向かって行った。
再び手を回すと、今度は相手の左足首から下がごろりと転がった。
敵は一度びくんと撥ねた。

「殺してない」

イガーナに握られた手を、ゆっくりと引き離した。
彼の手は綺麗なままだった。イガーナの手のほうが、返り血で濡れていた。

屈強な筋肉の塊が、鉄球で殴りかかってきた。
ヴァーグナルは盾を負ったままだったので、抜き身の剣でそれを受けた。
細い剣だ。こんなところで折るわけにはいかない。
相手の錘が絡みつく勢いに任せて、下方向に流した。
透かしを食らうのと等しい形になり、敵は前のめりになった。
そのまま剣のしなりを利用して、相手を懐に引き込んだ。
無防備になったその延髄を、左手で逆手に抜いた小剣の柄で殴った。
よろける相手に遠慮なく、もう一撃を食らわせた。
ワイズが張った防御魔法の球の中でフェルフェッタが鞄からようやく探り当てた
丸いものをエクレスに手渡した。

「これをあそこに投げて!あんたならできるでしょ?!」

そう叫んで指をパチッと鳴らした。魔法が小さな火花となって、丸いものからチョロリと
出ていた導火線に飛んだ。

「腕を頼りにしてもらえるとは、嬉しいねっっとぉっ!!」

エクレスが美しい投球フォームで手の中のものを投げた。

「ネルド君!!」

ワイズがエルヴァールの名を呼んだと同時に、着弾した。
一気に閃光が視界を、爆音が聴覚を奪った。
その最中、甲高い音が上がり、遠くへと飛んで行った。
エルヴァールの鏑矢の音だ。そちらに行けという合図だ。

「退却!!」

団長は手で眼を庇いながら、声を張り上げた。
煙幕の中、音が導いた方角へ走る。途中で何かにぶつかりこけそうになった。
腰を抜かしていたグリムグラムだった。

「立ちなさい。逃げます!」

グリムグラムは木刀を杖に、震えながら腰を上げた。足元が定まらない。

「何をしている!」

背後からホノカをかついだティモアが追いついた。
グリムグラムの襟首を掴んで引きずり始めた。
途端に速度が落ちたティモアを見て、ホノカは深呼吸してから飛び降りた。
握り締めた拳が小刻みに震えていたが、自分の足で走り出した。
それを見て、グリムグラムももつれながら走り始めた。
団長は追っ手を確認するために振り返った。
白い煙幕の中に、黒い染みのような者が居た。
手に持っているランタンは、炎を宿しているにも関わらず、周囲の光を飲み込んでいた。
眼がその者の峠を彼女に焼き付けた。

 ∞−∞

有りえない!
息を呑んだ。
汗が吹き出た。
始まることも終わることも無い。
そんな人間がいるのだろうか?
人間ではない?
いいや、この眼は「人間のみの峠が見える」。
あれは人間なのだ。
受け入れろ。
相手から眼が逸らせなかった。
この時、彼女は走るのを止めていたのだろうか。
覚えていない。
黒い者との間合いは十分に取られていた。
にも関わらず、眼前の空気の密度が狂った。
歪んだ空間から黒い大きな手が現れた。
彼女を押しつぶすために大儀そうに競りあがる。
魔法攻撃?
こんな魔法は聞いたことが無い!
眼前に迫り来る掌は、その向こうの煙の流れを透過させていた。

 これは!
   幻覚だ!!
    惑わされるな!!!

構えた彼女の身体の上から下を黒い手はねっとりと通過して行った。
身体に痛みは感じなかった。
だが、別のところが張り裂けるように痛い。
この黒い手は、あの黒い者は、
明確な”悪意を伴った殺意”だ。
先ほどの刀使いには無かったものだ。彼の攻撃には感情が無かった。
これは違う。
生まれて初めて、エレオノーレは”殺したいほどの憎悪”を己に向けられた。
呼吸が苦しい。
奥歯がギシギシと圧搾された。

「ちょっと!しっかりしなさい!!!」

強烈な痛みが頬を襲った。
ハッと息をつくと、目の前に険しい表情のホノカの顔があった。
彼女の張り手を食らったのだろう。顔の左が熱かった。
あたりを見回すと、煙幕も、黒い者も、その一味も見当たらなかった。
静かな森が広がるだけだ。内股で座り込むグリムグラムと、自分を覗き込むティモアがいた。

「……逃げれた……みたいですね」

頬を抑えながら、ほうっと一息ついた。
どうやってこの状況になったのか、途中経過が思い出せない。
思い出そうとすると、あの狂った峠を持つ暗い影が、心をかき乱した。

「……退却には成功したが……我々は他の者とはぐれたようだ」

ティモアの一言でようやく気づいた。
木の幹が延々と続く森の中で、彼女たちはたった四人きりだった。

「あのタイミングなら、自分たちが最後だっただろう。奴らは追撃のそぶりをなぜか見せなかった。
 ならば、他の者たちも無事のはず……」

二手に分かれただけで済んだのだろうか。そうであることを祈った。
頬に当てていた手を、髪のあたりまで持ち上げた。
フィニーがいなかった。
団長はそのまま、頭を抱える形で下を向いた。
不甲斐無さに顔が歪んでいるところを見られたくなかった。
苦しく熱い息が歯の間から漏れた。

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南アクラルの悪名高き水上都市。
天嶮キーディスの恩恵である清流を飲み込み、そして人の生活の痕として吐き出している。
街は豊かな地と水に恵まれていたが、人々の心まで豊かとは限らない。
物質的な豊かさは、時に人々を堕落させる。
幸せの基準が大きく変動する。
ほら、そこでも天から子を授かった若い母親が、橋げたの下でそっとその子を
また空へと返そうとしていた。
彼女には愛する婚約者がいた。だが、その子は彼の子供ではなかった。
今はもう愛の無い男の子供というだけで、存在の全てを否定しなければならなかった。
そうしなければ、彼女の幸せは壊れてしまうのだ。
泣き声が漏れないように、口に布を丸めて突っ込み、風の通る寒い水辺に置き去りにした。
振り返らず、階段を小走りに駆け上がり、二度と戻らなかった。

「……愚かな」

赤子が放置された側とは反対の橋げたに設けられた排水用のパイプの中で、男は
その一部始終を見ていた。ほふく前進をして這い出た。
顔はすすけて黒く、眼だけがギラギラ光っていた。ぼろきれを頭からつま先まで
無造作に巻きつけていた。パイプの中からランタンと釣り竿を取り出した。
竿を勢いよく振り、捨て子のくるみに器用に引っかけた。
そのまま、魚と同じように釣り上げた。
己の腕に抱いて、口の布を取り除いてやった。
途端に大音量で泣きはじめた。橋のアーチにわんわんと反響した。

「どうせなら、殺してから捨てればいいのだ。この寒空にじわじわと凍死させるつもりなのか?
 せめてもの情けとやらが、拷問に等しい残虐だというのに……まったく、愚かだ」

この街では、人の命を塵のごとく捨てることはさほど珍しいことでもない。
先ほどのようなことも、それこそ毎日よくあること。
以前ならば、そのまま見なかった振りをするか、金目のものだけをいただいて
放っておくかのどちらかだった。
だがこの時、男は体内に病を飼っていた。
どんなスゴ腕の闇医者に診せても、険しい顔で首を横に振られるばかりだった。
そうして使い物にならなくなった彼は組織から見放された。
組織から抜けることのできる唯一の方法は、死。
彼は組織の暗殺者に殺された。
いいや、間一髪で氷の張る水路に落ちて助かったのだ。
急所を二箇所も刺されていたが、生き抜きたいという精神力で驚異的に乗り切ったのだ。
それ以来、彼はこの街の橋げたの下を転々と、虫のように這って生きていた。
この街を出ることも考えた。
しかし、彼のような闇に生きる者にふさわしい街はアクラルの全てを探しても、
ここ以外には無かった。

「おい、ガキ。お前は捨てられた。人間として否定され、ゴミのように捨てられたのだ。
 この私が、それを助けてやろう。人間として生かしてやろう!
 その代わり、お前は私の技と意志を受け継がなくてはならない。復讐という意志だ!
 ……否定する権利は無い。っくっはっはははは!いいぞ!今日からお前こそが、
 私の生きる希望で、生きる喜びだ!!」

皺がれた低い声が不揃いな歯の間から発せられ、再びアーチにこだました。
その反響をスクーレの濁流は飲み込み、街中を駆け巡り、街の外へ、南へ南へと流れていった。

それから十年の歳月が過ぎた現在、この街にある物が持ち込まれようとしていた。
それがこの街に大いなる災いを招き、復讐の為に生かされる子供の人生を大きく変えることを
予言の精霊ですら知る由がなかった。


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