「……まだ、引き付けます」

空気と変わらぬ発音で団長が囁いた。
吐息が白く流れる。
隣の木に身を隠すヴァーグナルは無言で頷いた。
さらに向こうの茂みに低くかがんだエクレスは視線を遠くへ投げた。
その手にはシュウガの刀が握られていた。
握る拳に力が篭もり、鯉口がキリキリと鳴っていた。
団長は目を凝らした。

イルグール港から街までの間の雑木林で、再び賊に襲われた。
魔物の襲撃に便乗した不埒な輩なのだろうか。
林の小道を急いで進行している際に、挟撃を受けた。
道の両脇に幻燈器のトラップが仕掛けられていた。
端を歩いていたエクレスが引っかかり、発動した。
幻光の精霊が急激に伸び上がり、彼女に襲い掛かった。
道の先にある街のことばかりを考えていた一同にとっては完全な不意打ちであった。
エクレスが幻を見上げて膝を折ったその時、シュウガが咄嗟に覆い被さった。

「シュウ!!!」

エクレスの叫びと同時に、シュウガの背に焼かれるような衝撃が走った。
羽織に一瞬にして大きな穴が空き、ぶすぶすと煙を上げた。
シュウガは仰け反って息を呑んだ。上手くそれを吐き出せない。
肩の筋肉が痙攣した。震えながら二度に分けて息を吐いてから、
もう一度息を吸い込みざま、後ろに無造作に刀を繰り出した。
切っ先は幻燈器を真っ二つに切り裂いた。
目の端でそれを確認した彼は刀を鞘に収め、そのままうずくまった。
エクレスが彼の手を握った。回復魔法を!とワイズを探した。

「危ない!」

誰かが叫んだ。
襲撃された二人へ集中していた彼らの背後、道の反対側から幻光がもう一体湧き上がった。
風の加護を受けた幻だった。瞬間、目も開けられぬ突風となり、彼らを雑木林へと吹き飛ばした。
ヴァーグナルは反射的にワイズの前に飛び出した。
ティモアは団長の前に立ちはだかった。
体の小さいホノカは軽々と林に追いやられた。悲鳴をあげるひまも無かった。グリムグラムが後に続いた。
エルヴァールは飛ばされたフェルフェッタを庇ったが、彼女の外套が風をはらみ、
二人もろとも吹っ飛ばされた。
エクレスは突然の出来事に混乱して、シュウガの手を握る力を一瞬緩めてしまった。
その隙をついて風の精霊は彼を吹き飛ばしてしまった。
本当に、たった一瞬だったというのに。
手を伸ばして掴もうとしたが、手に残ったものは彼の刀だけだった。
呆然と刀を握り締めた。

「私たちが行きます!」

彼女を見かねて、なんとか風を耐え抜いたイガーナがアディを伴ってシュウガを救護しに
林へと姿を消した。
団長はクロスボウを構えた。イルグール島に着いてすぐに矢は巻き上げてあった。
ティモアの身体を盾にして、風が起こった側の林を見渡した。
狙いを定めて弦受けを合わせた。

「っ!」

射た反動が鎖骨に伝わり、肺から呼気が漏れた。
弦がビンと鳴り、一拍おいて鈍い音が木々の奥から聞こえた。
悲鳴の類は聞こえなかった。
油断無く彼女が射た方向を睨んだティモアの耳に団長の小さな声が平坦に聞こえた。

「仕留めました」

風が止んだ。
ティモアは肩越しに団長を見下ろした。
彼女は素早く矢を巻き上げていた。

「……死体を確認するまで、油断はできない……」

「いいえ。確実に、殺しました。私が、殺しました」

団長は立ち上がり、素早く残った人員を視認した。

「しかし……」

「団長命令です、ジェイナード卿。他の皆も、戦闘態勢を整えなさい!」

ワイズが顔にかかった髪を振り払い、杖を構えた。
ヴァーグナルは座り込んだエクレスを立たせた。

「いい、ひとりで立てる」

エクレスはゆっくりと、しっかりと立ち上がった。団長を見た。
団長は素早く編成した隊列を言い渡した。
彼女の指示で、騎士団は配置についた。


ヴァーグナルを挟む形で団長とエクレスが木の幹に身体を隠した。
とはいっても、細い木だ。向こうからは丸見えのはずだ。

「……まだ、引き付けます」

空気と変わらぬ発音で団長が囁いた。
エクレスは手の中の獲物の持ち主の安否と、彼を傷つけた敵に対する感情でいっぱいだった。
だから、この状況の不自然さに気づかなかった。
ヴァーグナルは気づいていた。彼の見立てによればティモアも気づいていた。
ワイズに至っては己の疑問の答えをすでに知っているようだった。
団長に指示に無言で頷いた後、彼女を見つめた。
彼女は林の奥のある一点を見ている。
横目で彼女と同じ方向を覗いた。
猥雑な細い枝と針葉樹の葉に隠れて敵影は見えない。
再び団長に視線を戻した。
彼女の視線は小刻みに揺れていた。
敵を眼で追っているのだ。

(なぜ、エヴァンス卿は見えない敵が追えるのだ?ジェイナード卿ならいざ知らず、
 彼女には実戦の経験がほとんど無いはずなのに)

「カマエ」

ヴァーグナルの思考を中断するように団長が鋭く命令した。
突剣の柄に手をかけた。エクレスも同様に、右足をそろりと前に出した。
団長は第一間接から順にぴったりと柄を握った。強く握って存在を確認し、
少し力を抜いた。

「カンタ卿、右、エクレス先輩、左より回り込んで右」

ヴァーグナルの耳にも、彼女の声以外の音が聞こえ始めた。
金属音だ。何かがこちらへ走ってくる。

「抜剣!!」

号令と共に団長自身が駆け出した。音も無く抜いた剣身が風を切る。
エクレスはシュウガの刀を抜きざま、身体を寄せていた木を中心にぐるりと回転した。
ちょうどその円弧上に騎士が駆けてきた。
ヴァーグナルでも、エレオノーレでも、ティモアでもない。
名も知らぬ敵だ。
右の太ももから左の鳩尾までを一気に切り上げる形となった。
しかし、チュニックの下の甲冑に手に慣れない刀を弾かれてしまった。
相手は盾を持っていたが、構える余裕を与えず己の暗器でニ撃目を与えた。
もう片方の足の内股に勢いよく刺してやった。
両足を負傷した騎士は、そのまま膝をついた。
教会で懺悔する時と同じ格好で、そのまま前のめりに倒れた。
その拍子に兜が転がった。帷子の下から長い耳が見えた。
エクレスは唇を横に引いて刀を手に取った。

ヴァーグナルは盾を構えながら団長に続いた。
彼女はすでに相手と剣を交えていた。
敵は騎士だった。
二人は王城での模範試合のように正しい姿勢で打ち合っていた。
ヴァーグナルは迷った。
一対一の戦いに割って入るなど、騎士道に反する。

(何を!一対一などではない。先に奇襲をしたのは向こうだ!)

意を決してヴァーグナルも参戦した。
団長との攻防で手一杯の右手に反して、盾を持った左手は無防備だった。
小手の合間を上手く突き、相手の左肘を破壊した。
ヴァーグナルが剣を引くと同時に敵は握力を失い、盾を取り落とした。
大きな四角い鉄製の盾だった。
手放したことにより左右のモーメントが崩れた騎士はバランスを崩した。
それを見逃さず、団長は相手の喉元までの切っ先の進路を確保した。
そのまま一歩踏み込んだ。
剣は滑らかに肉へ刺さった。
左手で敵騎士の背中を抱き寄せた。相手の肩に頬を預けた。
傍から見れば、恋人同士の抱擁に見えなくも無かった。
切っ先が貫通したのを目で確認した瞬間、膝で相手を蹴り飛ばした。
勢いよく赤い噴水が上がった。団長は一気に後ろに跳び、それを避けた。
ヴァーグナルは思わず盾で赤い雨から自身を庇った。
噴水は脈拍と同じリズムで上がり、やがて止まった。
ヴァーグナルは盾を下ろし、裏返っていた相手の盾をつま先でひっくり返した。
古い紋章が鋳られていた。

(……?この紋章、どこで見たんだったか……)

顔を上げると、団長もエクレスも見当たらなかった。
ヴァーグナルは焦って音の聞こえるほうへと走り出した。

前方に人の気配を複数感じたエクレスは刀を下手に構えた。
息を殺して耳を済ませた。
相手同士でなにやらボソボソと喋っている。

「……見失いました」

「あの馬鹿。出過ぎだ。立場をわきまえてくれ!」

聞き覚えのある声だった。エクレスは構えを解いて立ち上がった。
目の前には素早く構えたティモアと、彼に半分隠れたワイズが立っていた。

「カーペン殿か……。失礼した」「カーペン君!団長は?!」

ティモアの低い声とワイズの裏返った声が混じった。

「私も、はぐれちゃったみたいです。すみません」

「そうか。ジェイナード卿、二手に分かれよう。彼女をなんとしても援護する」

「了解した」

ティモアは木々の合間に消えていった。
ワイズは足元に素早く魔方陣を描いた。

「カーペン君、君はこの中にいなさい。夜の衣の魔法だ。敵から気づかれにくくなる」

「先生、私も行きます」

「いいや、君はここにいなさい。風で吹っ飛ばされた子達を見つけたら、この魔法陣の中に
 呼んでやってくれ。頼んだよ」

ワイズは鈍足で駆けて行った。エクレスの足の速さなら余裕で後を追うことができる。
しかし、なぜか脚が動かなかった。刀を握ったまま魔法陣の中央に立ち尽くしていた。
それからどれほど時間が過ぎたことだっただろうか。
フェルフェッタとエルヴァールが茂みと茂みの間を身を隠しながら進んでいる姿が見えた。

「エル!フェルフェッタ!」

名を呼ばれたので、二人は辺りを見回した。
声の主が見当たらない。
エクレスはワイズの言葉を思い出し、一旦魔法陣から出た。

「エクレス先輩!」

フェルフェッタが泣き笑いを浮かべて駆け寄ってきた。

「これ、シーテ先生の魔法陣。この中なら敵に見つかりにくいから、この中で待ってなさいってさ」

フェルフェッタの肩に左手を置きながら、エルヴァールに向けて説明した。

「分かった。フェル、君はエクレスとここにいるんだ。僕は残りの皆を探してくる」

「分かったわさ。この魔法陣を、もうちょっと広げて待ってる」

エルヴァールは二人を魔法の中に押しやったが、エクレスの腕を掴んで引き戻した。

「エクレス」

「何?」

「……大丈夫だよ」

「うん?」

「シュウガも、君も、大丈夫だ。だから、右手から力を抜いて」

エルヴァールがエクレスの右手に優しく手を重ねた。
彼女の右手は力が篭もりすぎて、爪が手の平に食い込み血が滲んでいた。

「大丈夫。小指からゆっくりと力を抜けばいい。できるね?」

「うん……」

エクレスは言われたとおりに順順に指を離していった。
中指の力が抜けた時に、刀は彼女の手から滑り落ちた。

「大丈夫だ、エクレス。大丈夫だ」

「エル……」

エクレスは思わずかつての恋人に抱きついた。涙が止まらなかった。
目のやり場に困ったフェルフェッタは、師の魔法陣を読む振りをしていたが、
二人の関係が気になって気になって仕方なかった。


団長は一人で林の中を進んでいた。
と言うよりも、おびき出されていた。
今回は罠から始まった戦いだった。
だから、敢えて承知で敵の誘いに乗っていた。
団長には敵の位置が正確に手に取れた。
例の峠が、枝も葉も幹も透過して見えていた。
旅人の森での戦闘ではできなかったことだ。
あの後に女神と会ったことが影響しているのだろう。
先ほどの風の罠の主の位置も分かったので、一矢を与えた。
殺すつもりは無かったのだが、相手の背が低かったのだろう、
命中を確信した瞬間に、峠が見えなくなった。
その時の己の心がまったく平坦だったことに驚いた。
初めて人を殺したと言うのに!
そのことを考えながら走る彼女は、ほんの少し笑っていた。
だが、誰もそのことを知らない。
追っている相手に見える峠は ∞ー∞ 。

同じ奴?それとも同族?
女神はなんと言っていた?
そうだ、モーンレックだ。

相手が止まった。
団長も走るのを止めた。
今回は前回に感じた狂気じみた殺意が無い。
乱れた着衣を直して、背筋を伸ばして歩いて行った。
針葉樹が造った小さな空間に小柄な人影が立っていた。
紅い豪華な外套を羽織っていた。手には黒い錫を携えている。
団長は慎重に相手との間合いを取ってから、外套を摘んでお辞儀をした。

「私は多分、あなたに会いたかった」

無限の峠の謎を知りたかった。
相手は頭に被っていた防寒具を取ってみせた。
長い耳をしていた。

「よくぞ戻った、我らが同朋、イグラスの子よ!」

錫を誇らしげに掲げ、相手は高らかにエレオノーレの帰還を祝福した。


知っているだろうか?
数多の過去に眠るクロニクルズの中で、異色の赤眼の騎士が世界を守るために
駆けていた時代のことだ。この時の女神は、団長に予言書を与えた。
回避した多くの滅びの予言の中で、この辺境が舞台になったことが一時あった。
そこにこの島がなんと書かれていたのか。
この島で何が起きたのか。

知っているだろうか?
イグラスの民は何者だったのかを。

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ウェローの筆頭伝書魔法使いヨーウィの一日は短く長い。
要請があれば、どんな時間帯でもそれに応える。
明けの明星が輝く前でも、太陽が真上に浮かぶ時でも、月が人に優しいひとときを与える時でも。
それがヨーウィの成すべきことだった。
自分の自由になる時間は、大抵寝ているか、渡り廊下から遠くを眺めているかのどちらかだった。
ヨーウィの行動範囲は極めて狭い。
細い塔の最上階にある自室とウェリンデール教授を始めとする極少数の教授たちの事務室とを
行き来する以外は、食堂に降りて行くだけだ。
食堂に行く際は、一人で行くことはできない。
教授や助手たちの誰かに伴われなくては、塔を降りる階段を使う許可を得られない。
ヨーウィは風乗りの魔法が使えない。
彼に与えられた行動範囲は、高度が高すぎて風乗りには向いていない。
ここから空を通って出ることもできないし、来訪者が訪れることも無かった。
ヨーウィは未だに字が書けない。
教授に学ぶことを許してもらおうとお願いをしたが、逆に諭されてしまった。

「お前の伝書の才能があれば、そんなものは必要ないんだよ」

その癖、彼らが命じてくる伝書の内容は小難しい文字ばかり。
伝え終わるとそれらは全て回収され、ヨーウィの手元には残らない。
毎日が、ただただ流れていくだけだった。
何も失わず、何も得ることがない。

『ヨーウィ。……お前はそれで、満足なのか?』

遠く南西に離れた城塞都市から、低い声が届いた。

「ふまんは無いよ」

『ヨーウィ、私は人を動かすものは、飢えだと思う。身体的なものではない。精神的な意味でだ。
 不満が無いというのは飢えてはいない。だが、満ちてもいないということではないのか?」

「……ジリーの言うことは、いつもむずかしい」

『……。すまんな』

「ううん。ジリーの言ったことをかんがえてると、時間がすぐにすぎるからたのしいよ」

「ヨーウィ、昼食の時間だ」

渡り廊下の右手の窓から助教授の声が呼んだ。

「はい。お供します」

ヨーウィは返事し、同じ言葉をわざとゼレスにも届くようにした。
走ると厳しい目で睨まれるので、できるだけ速く歩いて助教授の後をついていく。
食堂は天井の高い方形の建物だ。
凝った模様の格子を持つ細長い窓が並び、埃っぽい室内に光の筋を落としている。
真ん中に細長い机が三本並ぶ。ここが学生たちのテーブル。
壁に背を向ける形でさらに二本のテーブルがそれらを挟む。
ここが、教授以外の教員用テーブル。建物の一番奥に、これらと垂直になる形で
鎮座しているのが、教授たちのテーブルだ。その反対にカフェテリア形式で料理が並ぶ。
ヨーウィは入るとすぐに、右の教員用の席に連れて行かれる。そこで、
同伴の誰かが彼の分を取って来てくれるまで待っていなくてはいけない。
椅子は当然大人用なので、足が地に着かない。
ぶらぶらさせながら、爪を噛んで群がる学生たちを眺める。ヨーウィはこの時間が好きだった。
教授たちと違って、目に映る学生たちはクルクルとよく動く。
色んな声や話題が聞こえてくる。だが、彼と目が合うと皆、目をそらす。
それがどういう意味か分からない。
教授たちの誰一人とも、彼自身をきちんと見ていたことが無い。

同伴者が戻り、黙ってトレーを彼の前に置いた。隣に自分の分を置き着席した。
テーブルも大半が埋まり、ざわめきも静まってきた。
奥の教授が何やら説教めいたことを言うことにより、食事の時間が開始するのが慣習だ。
ちなみに、説教は持ち回りなのだが、気の利いたことを言うために己の貴重な研究時間を
裂いて古の名言を探したりしなくてはいけないので、当番の教授は忙しい。
今日の当番が何やら言っていたが、ヨーウィは聞いていなかった。
目の前のトレーに乗せられた、エビに衣をつけて揚げたものを見つめていた。

(……今日はソースにオレンジのをかけてくれた!今までの白いのも
 おいしかったけど、これはどんな味だろう?)

周りが何かを唱和していっせいにナイフとフォークを動かし始めたので、
ヨーウィもフォークをグーで握って食べ始めた。

(こっちのほうが、おいしい!)

皿の上でエビをぐりぐり動かしソースをたっぷりつけてから、大口を開けて
二口目を頬張った。尻尾まで入れてしまったので、内部に当たってちょっと痛かったが、
初めて味わうオレンジ色のソースへの感動で胸がいっぱいだった。
バゲットをちぎって、やはりソースをぐりぐり塗りつけてから食べた。
皿の上はピカピカになってしまった。
仕方ないので、残りのバゲットはスープに浸して食べた。
今日の同伴者である助手は、論文の締め切りが近くて食事に時間を取られるのが
惜しかった。しかも、よりにもよってヨーウィのお守りの当番に当たるとは。
さっさと食べて、さっさと帰るつもりだったので、自分が食べる分だけ食べると、
ヨーウィのトレーと合わせて、返却所に持っていってしまった。

(ヨーグルト……)

赤いつぶつぶが浮かんだ甘いものを食べる前に、ヨーウィは再び塔に戻る羽目になった。
長い螺旋階段を登り、行動範囲まで送られたところで、同伴者はさっさと自室に
篭もってしまった。ヨーウィは食堂が見下ろせるところまで移動し、下を覗き込んだ。
入り口から出てくる学生たちは、しばしの昼放課を楽しむために、一人で、固まりで、
散っていった。こんな時、ヨーウィは一人で予想遊びをする。誰かひとりをターゲットとし、
その人が次にどこへ行くのかを予想するのだ。今は、帽子に黄色い小さな花を挿した
魔女の子を目で追っていた。
きっと、図書館に行く。
そう思ったが、後ろから彼女の友達らしき子が追いついて来たので、連れ立って
お菓子屋さんに入ってしまった。
はずれたので、ガッカリして息をついた。

その時、眼下から小さな白い鳥が飛んできた。
見たことの無い種類の鳥だな、と思ったら、まっすぐに彼を目指して飛んできた。
ヨーウィの顔の辺りまで来るとクルリと回転して、ひらぺったくて四角いものに変化した。
驚いて、柏手を打つ要領で思わず捕まえてしまった。
紙が折ってあり、端がバツ点のような模様を作り出している。
そこにはペンでさらにバツ点が描かれていた。
ヨーウィは初めて封筒というものを見た。
裏を見ても何も書かれていない。これがどういうものか分からなかったので、
ペンのバツ点から、爪でかりかりと紙の端を剥がしてみた。
中から紙が一枚出てきた。何か書かれている。

『君ってエビフライが好きなの?僕はソイソースも合うと思うんだけど、
 食べたことある?ちょっと辛くてサラッとしたブラウンソースみたいなやつ。
 ホワイトディップの隣にあるやつだよ。今度試してみて!』

最後まで読んだ後、もう一度頭から読み始めた。
何回も繰り返し繰り返し、読んだ。
これは、他の誰に宛てたものでもなく、ヨーウィに宛てた手紙だ。
生まれて初めて、自分宛てに手紙をもらった。
初めて、形に残る、自分だけへのメッセージを手にした。
なぜだろう?身体が震えた。
目から水が出てきたが、紙に落ちるといけないので、ローブの裾で目をごしごしこすった。

その時、近くから彼の元へ伝書魔法が飛んできた。

『至急、ヴィルサーの部屋まで来なさい!!』

ヨーウィは反射で指定された場所へと歩き出した。
手の中のものを隠さなくては。見つかったら、取られてしまう気がした。
彼の着衣にはポケットは無い。仕方が無いので、帽子と髪の間に押し込んだ。

ヴィルサー教授は、窓から身を乗り出して遠眼鏡で何かを懸命に見ていた。
ヨーウィが入室の挨拶をしても、ああ、と生返事を返すだけだった。
そのまま入り口の前で立っていると、教授は彼を振り向かずに命じた。

「ヴァレイへ伝書をしなさい。白炎の村に魔物が現れた、と」

ヨーウィはすぐに伝書魔法の掌印を切り始めた。


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