『……こちらからは……以上で……』

「お疲れ様でした。ヴァレイのロッシが承りました」

『………………ハイ、……しまし……』

「……ヨーウィ?お元気で」

『……と…………ざ……す』

周囲から魔法力が消え去ったことを確認してから、ファルロッサは耳に当てていた手を下ろした。
伝書魔法による音声の聴力は当人の魔法力に依存するので、意味の無い行為であるが、
彼女はいつも耳に手を当てて聞いていた。
初夏の風が彼女のうなじを通り抜けていった。
今年に入ってからのウェローからの交信は雑音だらけだった。
原因はいまだに解明されていない。一番有力な説は、白炎の村からの飛び火を避けるために
魔法都市全体を覆うように張った魔法防壁が障害となっているのではないかという説だ。
防壁ができた直後は、ウェローの筆頭魔法使いが伏せった時期と重なったせいもあり、
交信がまったく不能に陥ってしまった。
他の伝書魔法使いでは、密度の高い障壁の隙間をぬって交信するという高度な技は
使えないようだった。
しかし、魔法都市の長老たちは障壁を解かなかった。
幼い伝書魔法使いの体調を無理やり好調になるように弄り、彼の高い細い声で情報を飛ばしてきた。
その行為にファルロッサは憤慨していた。
だからと言って、彼女にはどうしてやることもできない。
せめて彼の負担が増えない様に、彼の届ける情報を聞き零さないようにするだけだった。
内容を忘れないうちに規定の書式に従って、彼から得た情報を紙に書き出していく。
彼女にとっては単純作業であった。
聞いた音声を脳内で再生し、自動的に筆記する。
その間、お留守になる思考回路で、いつもぼんやりと考え事をするのが癖となっていた。

(私たちは、何かしら?)

(どうして、このアクラルはこんな役割を用意したんだろう?)

(以前のアクラルの中には『伝書魔法』なんて存在しなかった時もあったのに)

(それで、世界は上手く廻っていたのでしょう?だったら、私たちがいる意味は本当にあるのかしら?)

「世界が私のために在れ」

ふと、女性の声が耳の奥に蘇った。

「傲慢だが、それが私の望みだ。……ファルロッサ、君はどうだ?自分で自由に生きることを
 選択したくは無いか?……君は、哀れだ……」

「あなたの言う自由は、好き勝手にしたいことをすること?それでは、ただ輪の外に堕ちるだけだわ。
 私は与えられたこの能力を、精霊に感謝しています」

「君は外を知らない。いつも窓の外から、光の当たる町の表面を眺めているだけだ。
 路地の裏には暗く影が落ちることを知らないんだ」

「影が見えない振りをしなくては、生きていけないこともあるわ」

「…………そうだな、ヴァレイの遠距離魔法使い、ロッシ殿……」

「メルレーン、あまり影だけを見ないで。明るいところと暗いところがあるから、
 世界は輪を閉じているのよ」

「……ファルロッサ、君は哀れだが、陽の当たる場所の住人だな……。
 君こそが、ウシュの血を残してくれればいいのだが」

「……私たちは、無理よ。あなたが素敵な人を見つけて、可愛い子供を
 生んでよ。ね?」

「……」

黒い髪の女性は首を傾けて微笑んだ。長い髪の先端は金色がかっている。
ファルロッサは従姉妹の手を取って、己の手を重ねた。
相手の爪は綺麗に黒く染められていた。
ファルロッサ・ウシュがメルレーン・ウシュと最後に面会した時のことだ。
その光景をまざまざと思い出しながら、ファルロッサはウェローからの報告書を
まとめ終えた。

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「隊列編成。中列より申し渡します。右翼を担うはエヴァンス団長」

「はい」

「左翼を願うのはネルド殿。お二人の間に右にセキグチ殿と左にカルフラン殿」

「はい!やったぁ!」

「前列はカーペン殿、シャロワ殿にお任せします」

「ハイ」

「殿は私め、ジョカミが務めます。此度の相手は素早さを誇る小獣族です。
 下位であることが幸いです。こちらも速攻隊列で攻めるが得策と考えました」

「承知しました。では、指揮を委ねます」

エレオノーレはショートボウの弦を確かめつつR・Rに同意した。
彼女のボウガンは本人の希望によりティモアが預かっている。
ヴァーグナルは初陣となるイガーナの手を握って、ゆっくりとアドバイスを説いていた。

二人の騎士はこの土地で戦うことはできない。
キングリオンは王都ヴァレイ以外で唯一『キング』の名を冠することが許された街である。
かつての大戦でレイラントの首都ゼレスから都落ちした最後の王が最期の砦とした
簡素な城塞が街の始まりだった。
住民も古王に従った勇者の子孫が多く、皆がその家系に誇りを持っている。
アルセナは追い詰めた背水の都を真に支配することはできなかった。
その高潔な精神に敬意と皮肉を表して、この荒地に『キング』の名を残し与えた。
古いレイラントの風が流れるこの土地ではアルセナの正騎士は受け入れられない。
三人の騎士は紋章が縫い取られている外套を鞄に押し込めて踏み入った。
ヴァーグナルは常に盾を表裏反対にして背負うことになった。
三人の剣技はヴァレイ仕込みなので、動くだけで悟られてしまうだろう。

エレオノーレ・エヴァンスはこの土地で騎士団の長であることは得策で無いと考えた。
彼女はアルセナの家系に属していたが、流れる血はイグラスのものだ。
長い耳が隠しようも無くそれを証明していた。
大国の狭間に翻弄されたイグラス諸島は、被支配の歴史が根深い。
長く続いた大戦の最中、戦闘員として徴兵され前線で戦うことを強要された。
前線では多くの兵が命を容易に奪われ、生き残った者は虜囚とされた。
異なる容姿が目立つイグラスの者は『そのように扱ってよい者』とレイラントの記憶に
刻み込まれた。
グーラーは自らの足元にひれ伏す者。
その認識を疑う者は少ないこの土地で、彼女が騎士団の長を務めているなど、
何か悪い冗談としか取られないだろうことを、団長は承知していた。
その点、R・Rは仮の長としては申し分が無かった。
ジョカミの家系の本家がキングリオンにあったこと、彼自身がゼレスの省庁に所属していること、
男性であり『騎士団長』に相応な年齢であり、彼がこの集団の団長であると言えば、
十人中十人が納得しただろう。
まるでこうなることを見越したような人選であった。

(……見越していたのが七・ゼレスなりの気遣いが三、というところか)

R・Rは年齢や種族や性別を恥じることは無いと穏やかに諭してくれた。
ワイズに相談しようにも、彼は北西の城壁都市にシュウガと共に残っている。
フィニーが勇気付けるように頭の上でもぞっと動いた。
エレオノーレは一人で決断を下した。
フェルフェッタとエルヴァールは何か言いたそうであったが、何はともあれ、
キングリオンにいる間は流星騎士団の団長はR・R・ジョカミということになった。

ジョカミ団長の申し入れにより、街は戒厳令を強いた。
魔物の脅威に辟易しているとは言え、その状態を長く維持することは難しい。
騎士団は短期決戦、今日の陽が沈むまでの期限で魔物を仕留めなくてはならなくなった。
弓で威嚇をし、素早い前列を魔法補助で強化する作戦だ。
団内最速のシュウガは、城壁都市に残っているのでここにはいない。
商人であるシュウガ・ジンをゼレスへ同行する代わりに、旅程において彼の協力を仰ぐ、
これが彼と騎士団との契約だ。
シュウガはゼレスを発つ際に、契約の行使を要求した。
エレオノーレは承諾した。

「帰りはまたよろしく頼むぜ」

シュウガは台帳で顔をパタパタ仰ぎながら彼女らを見送った。
彼を除けば次に素早いのはフェルフェッタ、エレオノーレ、エクレス、イガーナ、アディと続く。
前者二人は能力的な代わりが利かない。
順番に適った編成をR・Rは組んだ。
ヴァーグナルがフェルフェッタにかまい始めた頃、アディはイガーナの手を取り、
指を口元に当てて、二人でしか分からない言葉で静かに何かを語りかけた。
イガーナも目を閉じて一言二言返していた。
ホノカはティモアの隣へトトトッと駆け寄り、自分が一番可愛く見える角度で心構えをあれこれ尋ねた。
その傍をグリムグラムがそわそわとうろついていた。
エクレスは自分の二の腕を握ったり離したりを繰り返していた。
緊張をほぐすためにエルヴァールの姿を探したが、弓使いは二人で打ち合わせをしていた。
真剣な眼差しで互いを見つめながら、指で風の向きを読んでいた。
その様子を見てエクレスはため息をついてから、両手で自分の顔を軽く叩いた。

大戦の名残である石造りの櫓でエレオノーレとR・Rは街を見下ろしていた。
R・Rは伝書魔法を連続で飛ばせるように魔方陣を足元に敷いていた。
エレオノーレは被っていたイグラスの赤い布を取り、きっちりと首に巻きつけて
留具で留めた。土ぼこりと潮が混じった金臭い風が髪の隙間を通り抜けていった。
几帳面な角度の屋根並みが、初夏の空に眩しく輝いていた。
油断なく目を光らせながら、R・Rが話しかけてきた。

「ヴァレイを発たれてからちょうど1年くらいではないですか?」

「そうですね。ウォルター平原は今の星の季節は雨季ですので、1年ですね」

「若い女性の身でお辛くは無いですか?旅暮らしと、集団の長と、なかなかできることではありません」

「……辛くないと言い切ることはできませんね」

「ははは、素直な方だ。それをもっと他の方にも見せてもいいのではないですか?
 辛い時に辛いと言うのは、決して弱みではありませんよ」

「弱みとは思っていませんが、ただ……団長の態度が士気に関わると思うのです。
 それに私が一番若輩者ですので、少しでも皆の足を引っ張らないように務めたいのです」

「失礼ですが、おいくつでいらっしゃいましたか?」

「十六です」

R・Rは肩眉を上げながら彼女を見上げた。

「まだ十六ですか!ふふふ、この戦いが終わったら団員に『疲れた』と言って御覧なさい。
 きっといいことがありますよ!」

「?はぃ……」

「魔物だーーーーーーーーっっ!!!」

男のダミ声が二人の間を駆け抜けていった。
弾かれたように声がした方を凝視した。
R・Rが低く何事か囁いた。伝書魔法がホノカの元へと飛んでいった。
エレオノーレはショートボウの弦を引き絞った。
見開いた目に土埃が飛び込み、思わず細めた。
屋根並みの間に、小刻みに揺れる屋根が一つ見える。
何かが削れる連続音が聞こえてきた。

「ヤだっ!ネズミじゃない!汚いわねっっ!!」

ホノカの甲高い叫びが響くと同時に、光の球が四散した。
一箇所に収束して落雷のように地へ落ちると、屋根並みの隙間から暗褐色の毛を持つ大きな獣が上空へと跳び上がった。
エレオノーレは引き絞っていた弦を放した。
鋼鉄の矢が微かにぶれながら獲物に向かって飛んでいった。

 キュキィーーッッ!!

高音の鈍い悲鳴が上がった。
R・Rが身を乗り出し、右手を振り上げた。

「モウリィマウス、確認。戦闘開始!!」

エレオノーレは第二矢を番えた。
エルヴァールはR・Rの号令が耳に届いたと同時に矢を連射した。
彼の弓はエレオノーレよりも飛距離があるため、魔物を中心として彼女たちの櫓と
反対側の地上から魔物を櫓へと追いやる役目を任されていた。
キングリオンは乾いた荒野の上に苦し紛れに築かれた人工の積み木だ。
地熱の影響を受けて穀物が腐敗しないように、荒野の飢えた小動物が少ない食糧を狙って
侵入してこないように、全ての家々が高足式の造りになっている。
家々の脚や置いてある荷物、そして駆け抜ける団員たちを避けて射るという
難易度の高いフィールドだった。

(それでも、森よりは楽ちんだな)

細かい枝が有機的に絡み合っていたライカンウッドの森よりも、建築物が
人工的なパターンによって並ぶこちらのほうが、彼にとっては動きやすかった。
的となる獲物も、小獣族と呼ばれるものの森の獣よりもはるかに大きい。
引いた弦を唇に当て、息をゆっくりと吐き出してから矢を再び放った。

エクレスは暗器を素早く二つに分割して両手に構えた。
モウリィマウスが着地した衝撃で起きた風が、土埃を舞い上げた。
歯を噛み合わせるとじゃりっという感覚がした。
薄茶に煙る向こうに屋根で多角形に切り取られた明るい空が見えた。
その中にうねる巨大な鼠のシルエット。
両脇から長さの違う矢が魔物に向かって断続的に跳んできていた。
左手より攻める長めの矢のほうが、撃たれる間隔が短い。
エルヴァールだ。
エクレスの瞳に流星のように飛び交う彼の矢が映りこんでいた。
ホノカからの攻撃補助魔法が届いたことを感じた。
両手を後ろに逸らせてから、身をかがめて走り、家屋の下に潜り込んだ。

イガーナは手を腹の上で組み、両足で小刻みに足踏みしていた。
腕のバングルに通した薄布がレンガ造りの壁を吹き抜ける風に踊っていた。

(風が土を追い上げている。土が水を抑えている。ここには火は無い。
 火に近い血を感じるけれど……)

足踏みがやがて一定のリズムを取り始めた。
タンッ、タンッ、タンッ、と地を蹴る音がフェルフェッタの耳にも届いた。

「イガーナ!気をつけて!」

斜め頭上から石の破片が数個、イガーナを目掛けて飛んできた。
イガーナは右足を前に踏み出して、舞を舞うように円を描くようにステップを踏んだ。
その円に合わせるようにフェルフェッタの防御補助が球を成す。
天を仰ぐようにしなやかに動く腕に合わせて、薄布がくねりながら弧を描いた。
両手を交差させて腰を柔らかに曲げると、布に絡み取られて勢いを殺がれた
石片が足元に落ちた。
変わらず足でリズムを取る。
フェルフェッタはイガーナの流れる動作に思わず口笛を吹いた。

エレオノーレは櫓の縁に立ち、矢を番えたまま慎重に狙いを絞っていた。
ボウガンより持ち替えたとはいえ、彼女は連射は得意ではない。
しかも高さのある場所にいることで、風の影響を強く受けていた。
なかなか思うように魔物に命中してなかった。
紅い布が土色と空色の狭間にはためき、遠目にもよく目立つ。
眼下は6階分ほどの高さがあった。
それゆえ、路地の彫が深く見える。
遮るものの無い陽光が作り出す侵入者の影が、この櫓からはよく見えた。
高足の床と地面との間を稲妻のように駆け巡っていた。
引いては押しての繰り返しのように見えたが、エルヴァールからの援護射撃もあり
確実にこちらに向かってきていた。
脇道に逸れるような経路を先回りで射抜いた。
モウリィマウスは急ブレーキをかけた後、その勢いを利用して直角に曲がり
再び駆け出した。家々の床下を疾走する。
彼女が最初に与えた一矢以外はいまだに無傷に等しい。
R・Rは的確にエレクス・ホノカ班とイガーナ・フェルフェッタ班に指示を送っていた。
上から見れば、確実に鼠を追い詰めていることがよく分かった。
矢筒から一本を取り出し、再び番えながら脇に立つR・Rをちらりと盗み見た。
R・Rは視線に気づき、彼女を見上げ片側の口に端を軽く持ち上げた。

「魔物といえど、所詮は獣ですね」

はためく赤い外套が二人の間を隔てた。
透けて通る陽光と皺が作り出す濃淡が、生き物の血脈のような模様が生まれた。
櫓と彼女型の影に、血の染みのような影を落とす。
フィニーの眼に当たる部分が青白く発光した。
紅みが加わった地面が、かすかに震えた。

イガーナは気配を察知して顔を上げた。
リズムをまったく崩さずそちらに向かって走り出した。
フェルフェッタも後を追う。
二人の間を矢が音を鳴らして飛んでいった。

「うひゃぅ!」

フェルフェッタは思わず裏返った声を出し、半歩出遅れて脚の動きが乱れた。
勢いあまってその場で一回転した。
櫓の上に立つエレオノーレが見えた。
彼女が狙いを定めた方向へ軌道修正して賭け始めた。
エレオノーレは番えた矢を下ろした。

「路地でないと私が狙えないことに気づいたようです。床下から出てきません。
 ジョカミ殿、私は下に降りて戦います!」

「その必要はありません。十分です。そこでご覧ください」

続けて早口で二班に指示を伝えた。
片足を縁にかけたまま団長は下を覗いた。
家と家の間を一瞬だけホノカの姿が見えた。

『東より参りし御使いの 御足踏まれし荒ぶる野辺へ
 慕いて追いし迷い子に 分けられませし素子の環
 無限の螺旋に寄り添いて 今こそ我が力となれ』

R・Rが東の言葉で呟くと、一軒の家の両脇の地面が盛り上がった。
連鎖するように次々とせり上がっていく。よく見ると端には穴が開いていた。、
両脇のそれぞれの入り口からエクレスとイガーナが飛び込んだ。
魔女がそれぞれに続く。

「これは……属性……?」

エレオノーレは息を吐き出しながらR・Rを振り返った。
R・Rは先ほどと変わらず、姿勢よく立ったままであった。魔法を発動したそぶりも見せない。
首を軽く傾け、下唇に力を入れて少し上げた。

「生まれつき地属性の祝福を持っていたのです。ガーデニングにしか役に立たなかったのですが」

挟み撃ちに遭ったモウリィマウスは両脇から迫りくる足音にパニックを起こしていた。
鼻をひくひくと動かし土穴の中でぐるぐると廻っていた。
暗く狭い穴で長い前足が引っかかってますます混乱していた。

「イチ、二の、サンッ!!!」

ホノカの声が穴にこだまし、光がパッと咲いた。
ホノカの合図で眼をガードしていたエクレスは、目をカッと見開き暗器を左右同時に投げた。
しかし、彼女の利き手である右の一刀と、左の一刀には微妙な誤差が生まれた。
目が眩んで痙攣を起こしていた魔物の頬に、一刀目が嫌な音と共に命中した。

 ヂギィッ!

鼠は悲鳴と共に激しく頭を振ったため、もう一刀は後頭部を掠めて行った。
その先には勢いよく駆けてくるイガーナの姿。

「フェル!お願い!」「行くわさ、イガーナ!」

二人は同時に叫んだ。
フェルフェッタはすでに発動していた攻撃補助魔法をイガーナ宛てに送った。
イガーナは勢いを殺さず、顔を残したまま腰から上を真後ろに捻った。
右手が大きく円形に動く。
続く脚も合わせて捻り、回転しながら魔物へ突進する形となった。
右手の布をエクレスの暗器が貫く。
布の遠心力により軌道が変わり、暗器の輪に結ばれている赤い布をイガーナの左手の指が
掴んだ。掴んだまま半周し、左足で踏み込むと同時に放った。
三人の力が相乗して、軌跡が見えないほどの速さでモウリィマウスの延髄に刺さった。

 ビッ!

鼻から汁と共に笛のような音を出しだ。

 ……キュゥ……

喉からか細い声を漏らしながら、魔物はどうっと倒れた。
ちょうど上に差し掛かっていた家の床板がミシミシと揺れた。

「……底が抜けたら、怒られるかな?」

「その前にあたしたちがぺっちゃんこになるわよ。はぁ……こいつ、死んだ?
 あたしたちの、勝ち?」

エクレスの呟きにホノカが答えた。
おそるおそるブーツのつま先で魔物の体をつっついた。
勢い余ってまだ回転していたイガーナがようやく脚を止め、癖なのかお辞儀のようなポーズを取った。
フェルフェッタは額に浮かんだ汗を拭いながら帽子をぬいだ。

『穴を崩しますから、そこから出てください』

四人にR・Rの声が届き、小走りに陽の元へと向かった。
全員の姿を確認すると、R・Rは肩をすくめた。
途端に盛り上がっていた土は砂のように崩れ落ちた。
こんもりと積もった土砂以外は何も見当たらなかった。
エクレスが一軒の床下を覗き込む様子が見えた。
エレオノーレは知らずに握り締めていた拳に気づき、力を抜いた。
R・Rは手を庇にしてエクレスと同じ辺りを見下ろした。

「確実に仕留めたと思うのですが、死体がありませんね」

「どうやら、死体は残らず消えてしまうようなのです。イルグールのジャイアント、
 ライカンウッドのヘルハウンド共に白い煙となって消えてしまいました」

「ふぅむ……」

R・Rは戦闘中よりも険しい顔をして黙り込んでしまった。
ゼレスより同行して以来、初めて見せる表情だった。
人差し指で軽く顎をなぞった後、普段の顔つきに戻りエレオノーレに向き直った。

「ちなみに、先ほど地属性の力を使う際に呟いたおまじないは、私のオリジナルです。
 何も言わなくても使えるんですが、仮の団長らしく演出してみました。
 いかがでしたか?エヴァンス団長」

「今回は……陣形の敷き方も、属性という要素も、私には無かったものでした。
 とても、とても勉強になりました。ありがとうございます」

「いえいえ、そうじゃなくて、演出のかっこよさを伺いたかったんですが……
 ははははは!あなたが騎士団の団長を務められる理由、分かりますよ!
 ともあれ、我らの、流星騎士団の勝利ですね!」

R・Rは背を丸めてエレオノーレに握手を求めた。
リーダーとしての分をわきまえた、己とは違う采配による見事な指揮を取って見せた
彼に敬意を表して、片手を胸に当てた後、自分の手をじっと見つめ、手首のスナップを利かせて、
勢いよく魔法騎士の手を握った。

「やったぁ!あたしの初勝利ねっ!!」

ホノカの声が風と共に舞い上がった。


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