Never End 1章/RUNAWAY 〜怒れる獅子〜
「いい?30分経ったら、だからね。誰か来たり何かあったりしてもそれより先に出てきちゃだめだよ?」
そうエドワードに言い含めるアルフォンスは、フラメル十字を背に背負った紅いコートを着ている。対するエドワードは、先刻までアルフォンスが着ていた白いシャツにブラウンのジャケット、ベージュのパンツ姿だ。
「ああ、分かったよ。・・・お前こそ、本当に大丈夫なんだろうな?」
「信用してよ。ボクの実力は、兄さんだってよく知ってるだろ」
自信ありげに笑ったアルフォンスに、エドワードが眉を上げた。
「さっきまでキス一つでうろたえまくってた奴の台詞とは思えないな」
瞬間、アルフォンスの頬が朱に染まる。
「兄さん!!」
「はいはい、分かってるよ。でも実力あるの分かってても心配なモンは心配・・・ってなんかどっかで聞いた台詞だな」
腕を組んで壁に寄りかかったエドワードに、アルフォンスが首をかしげた。
「え?」
「何でもない。こっちの話だ。別に信用してないわけじゃねーよ、信用してなかったらこの作戦に乗ってない」
軽くため息をつきながら、エドワードが目を閉じる。そして数秒の間の後、再びゆっくりと目を開いた。
「信用してるから、絶対裏切るなよ。必ず無事にオレのとこまで来い」
「うん。約束する」
微笑を浮かべたアルフォンスの表情がふっと消え、エドワードをまじまじと見つめる。
「?何だ?」
きょとんとしたエドワードには答えず、アルフォンスはエドワードの左腕を掴んで身体を寄せた。
「その・・・ボク、もう行くから」
「ああ」
「兄さんも、気をつけて」
言うが早いか、アルフォンスはエドワードの頬に唇を押し当てて飛び退った。
エドワードは頬に手を当てて丸く目を見開いている。
アルフォンスは、その目の前に部屋の壁を練成した。
「・・・っふーーーーー・・・」
心臓が破裂しそうなほどバクバク言っている。自分で仕掛けておきながら、何やってるんだか、とアルフォンスは苦笑した。
深呼吸をしてから、練成した壁を調べる。奥にある壁と見分けはつかない。あの精神状態で練成したにしては上出来だ。
これならば僅かに50cm壁が手前に出ただけだ、宿の従業員でもなければ部屋が変わっていることになど気がつかないだろう。
コートのフードを目深にかぶる。
顔を半分隠すフードの下、アルフォンスは表情を引き締めて部屋を出た。
渋っていたエドワードを説き伏せ、結局アルフォンスの作戦を実行に移すことになった。
アルフォンスの立てた『作戦』は、根本的にはごく単純なものだ。
エドワードを逃がすためには、見張り役たちを撒かなくてはならない。その見張りを引き付ける役を、アルフォンスがやる。ただそれだけのことだ。
ただし。アルフォンスは相手にエドワードと見間違えさせて引き付ける。
別にアルフォンスだと気づかれても引き付ける役にはなれるだろうが(彼らにとって自分たちは二人で一つと認識されているはずだ)、アルフォンスしか見当たらない、エドワードはどこだと二手に分かれられても困るのだ。エドワードと思って追ってる分には、わざわざアルフォンスを探して二手に分かれると言うことはないだろうが、逆ではそうもいかないだろう。
階段の上で、フードの端を押さえて階下の様子をうかがう。
コートのフードにも錬金術で多少細工をした。派手に動き回ってもそうそう脱げないようになっている。エドワードの振りをするイコールとにかく縦横無尽に暴れまわる、と言うことだ、脱げては困る。
ジャンはロビーのソファに座って新聞を読んでいるようだ。彼の横をすり抜けなければ宿の入り口には行けないが、ちんたら階段を下りているときに顔を確認されては何もかも台無しだ。
・・・こんなとき、行動が派手な兄で良かったと思う。アルフォンスは階段の手すりを乗り越えて、一気に1階へと飛び降りた。
ダン!と床に着地する音にジャンが顔を上げる。
「た・・・?!」
ぎょっとして腰を上げたジャンに向かって全力疾走し、すり抜けざまジャンの持っていた左手で新聞を跳ね上げた。宙を舞う新聞に身を隠しながらそのまま勢いよくソファの背に足を掛け、宿の入り口に向かって思いっきりジャンプする。
ああ、ソファに靴を履いて乗るだなんて、なんて行儀の悪いことをしているんだろう。でも兄ならきっとやる。
階段を飛び降りるのだって、エドワードがやるのをアルフォンスが危ない、行儀が悪いといつも注意することだ。でも急いでいるときは兄は必ずやる。
いつもは注意する行動に助けられてるどころか、あまつさえ自分がそれをやっている状況に内心ため息を吐きながらアルフォンスは宿のドアを開けた。
「クソッ」
ばさばさと宙を舞う新聞をかきわけて、ジャンが追う体制に入ったのが分かった。
そのまま宿を出て、めぼしをつけておいた細い路地へと向かう。外で張り込みをしていたフュリーが気がついた様子が見て取れて、アルフォンスは軽く走り始めた。
本当は今本気で走り出せば簡単に撒けるだろうが、ココで撒いては意味がない。
「・・・ハボック少尉!!」
「フュリー!どっち行った?!」
「あそこです!!」
背後で交わされている会話に、少し走りを緩めて耳を傾ける。
「お前部屋行ってちょっと見て来い!俺はアレ追いかける!」
「分かりました!」
ジャンとフュリー二手に分かれたのを確認して、アルフォンスは近くの細い路地に入った。それも、予測済みだ。フュリーがあの部屋を見たとしても、エドワードが隠れている場所は見つけられない。エドワード程の錬金術師であれば、僅かな練成痕を見つけることが出来るかもしれないが、素人のフュリーには絶対無理だ。
が、フュリーが戻るまで宿周辺で且つ追われて余裕がないように見せかけながら時間を稼がなくてはならない。宿の周りに見張りを残すわけにはいかないが、余裕を持って遊んでいるように見られたら囮なことがばれてしまう。
とりあえず細い一本道の路地で、アルフォンスは全力疾走した。
「おい、待てよ!!」
ジャンもアルフォンスを追って走り始める。
ある程度の距離走って振り返ると、ジャンとの距離は開いていた。アルフォンスの方が足は速いらしい。それに加え、アレだけタバコを吸っていれば持久力も知れたものだろう。
幸い、宿の周辺には細い路地が入り組んでいる。何度も曲がりながら走っていれば距離の調整は難しくはないだろう。
何度か曲がり角を曲がりながら、完全に撒いてしまわないように走ること数分。
「ハボック少尉!!駄目です、誰も居ません!!」
走って追いついてきたフュリーに気がついて、アルフォンスは少し走る速度を緩める。流石にちょっと疲れてきた。
「しょうがねぇ、アレ捕まえて、話聞くしかねーか。大将かどうかわからんが、とにかく何か知ってるだろ」
「え?エドワード君じゃないんですか?」
「いや、大将だとは思うんだけどな。でも考えてみりゃ、あのくらいの歳のガキなんか、そこらじゅうに居るよな?」
流石にあの歳で錬金術師でもないのに少尉になるだけはある。肉体派に見えてジャンは意外と馬鹿じゃない。顔を隠して居ること自体不審なのだ、冷静に判断すればそうなるだろう。
確かにそこらを歩いている子供に金を握らせて、とにかく走り回れと言うのも手段としてはアリだ。
アルフォンスは走る速度を落とし、振り向きざまに近くにあったゴミ箱をジャンに向かって蹴っ飛ばした。
「おわぁ?!」
中身はあまり入っていなかったらしいゴミ箱が、ジャンの横をすっ飛んでいく。
「やろっ・・・」
あまり冷静になられては困る。アルフォンスは再び背を向けて走り出した。
それにしても、飛んだり跳ねたりしながら走り回るのがこれほど疲れるものだとは。いい加減息を切らしながら、アルフォンスはここ数年本当に疲れを知らなかったんだなと今更ながらしみじみと思った。そんな鎧だったアルフォンスより、よほど飛んだり跳ねたりしながら動き回っていた生身の肉体であるはずのエドワード。どんな体力してるんだあの兄は、と少しだけ兄を見直しながら角を曲がると、袋小路に入った。
「っはぁ、はぁっ、追い詰めたぞ!!」
ジャンとフュリーも袋小路に入ってくる。
追い詰められた、わけではない。ココは袋小路だと分かって入ったし、相手が追い詰めたと考えるだろうということも分かっている。
逆に彼らは、これが追い詰めたのが国家錬金術師であるエドワードだったなら、「追い詰めた」などと言える状況ではない。一般的な少年ならば無理だが、エドワードの能力ならこんな状況は簡単に突破できる。・・・無論、アルフォンスにとっても難しいことではない。
ぱん!と手を打ち鳴らすとジャンとフュリーがはっとした。
壁に手を当てて、隣のアパートの屋上まで続く階段を練成する。アルフォンスが階段を一気に駆け上がると、練成反応に一瞬ひるんだジャンとフュリーが慌てて追ってきた。
「エドワード君!待ってよ!!」
「大将!!」
これで、予定通りだ。
錬金術を使って見せれば、必ずエドワードと誤認するという確信はあった。子供の身で、練成陣無しで錬金術を使える超天才。そう言えば誰もがエドワードだと考えるから。本来ならアルフォンスもそうなのだが、アルフォンスはずっと2mを超す鎧の姿だったお陰で、子供の姿と結びつかないのだ。
確実に誤認さえさせたならば、後は下手に騒ぎを起こして憲兵なんか引っ張り出さないように錬金術はあまり使わないほうがいいだろう。その上で二人を撒かないように駅に向かい、駅で張っているブレダとファルマンも引っ張り出す。そのまま出来る限り駅から遠くに引っ張っていくだけだ。
アルフォンスはアパートの屋上から飛び降りた。
練成光のなかに壁が消失する。ようやく狭くて暗い場所から出られて、エドワードは一つ伸びをした。
「ふー・・・・・・」
先刻、フュリーが部屋にきたのがのぞき穴から見えた。が、壁の仕掛けには気づかなかったようだ。当然だ。エドワード自慢の弟は、何かを複写して練成するのを得意としている。あの焔の錬金術師だって気がつくものか。
高い位置で髪を一つに結いなおし、ハンチング帽の中に仕舞う。帽子は嫌いだが(アンテナが折れるのだ)、変装する分には仕方ない。それからベルトをきつく締めなおした。・・・やはりゆるい。ついでに微妙にパンツの裾が余るのが腹立たしい。後でやっぱりデブって馬鹿にしてやろうとエドワードは密かに決心した。
「・・・行くか」
トランクを持って部屋を出る。一応周囲の様子に気を配ってみるが、特に知り合いは居ないようだった。
部屋の鍵をフロントに預け、宿を後にする。
今ごろアルフォンスが走り回っているのだろう、と思うと、やはり心苦しくなる。けれどそれでも、逃げないわけには行かないのだ。
アルフォンスに指定された路地に向かい、歩く。アルフォンスに「走っちゃ駄目!」と厳命された。路地の中ほどにマンホールを見つけ、蓋を開けた。
「うへぇ、また真っ暗かよ・・・」
中を覗き込んでため息をつく。ここからマンホールを通って地下水道を通るように言われているのだ。「兄さんなんて目立たないでって言っても絶対目立つの分かりきってるんだから、人の居ないところ通ってもらうよ」と言うのがアルフォンスの弁。兄貴を何だと思っているのだ、生意気な、可愛くない・・・ブツブツ文句をいいながらも、エドワードはマンホールの中に足を踏み入れた。
「うわ!マジ暗!!」
蓋を閉じると本当に真っ暗闇だ。足で探りながら壁に取り付けられた梯子をゆっくりと降りる。
ようやく地面に足がついて、エドワードはジャケットのポケットを探った。
「アルに渡されたマッチ、確かここに・・・あったあった」
マッチに火を点すと、僅かに周囲が明るくなる。すると、足元にランプがあることに気がついた。
「アル?だよなぁ。こんなトコに新品のランプ落ちてるわけねーし・・・」
マッチの火をそのままランプに入れると、一気に視界が明るくなった。
「このくらい明るけりゃ問題なく歩けるな。ホント気の利くや・・・?」
ランプで照らし出された壁に、文字が書いてある。
『兄さんへ
ランプは見つけた?
駅はここから右手の方だよ。
目印をつけておいたからたどっていってね。
兄さんのことだから、
きっとこれを読んでいるとき
ボクを心配していると思うけど、
今は自分が無事に逃げることを考えて。』
文字の横に、鎧の似顔絵が描いてあった。
「何で鎧の顔なんだよ、馬鹿・・・もう身体戻ってるだろうが」
苦笑して、似顔絵に指先で触れる。
それでも、見慣れた顔ではある。何年も、苦楽を共にしてきた姿だ。
『今は自分が無事に逃げることを考えて。』
そう描かれた文字を、ゆっくりとなぞった。
アルフォンスが常に一番に優先するのは、自身のことではなく、エドワードのことばかりで。
アルフォンスの方が、絶対自分よりも辛い想いをしてきたはずなのに。
もっと自分のことを優先すればいいのに、と思う。
「ホント、馬鹿なヤツ・・・」
エドワードは、そっと唇を鎧の似顔絵に触れさせた。
大通りの広場にある時計を見上げて、アルフォンスは時間を確認した。
そろそろ、予定の時間になる。もう、エドワードは列車に乗っているはずだ。
何とか4人がかりで包囲しようとするのをすり抜けて、細い路地に向かって走る。
しかし、ロイ本人やリザが追っ手に加わらなくて良かった。ロイならば殺さないよう加減して燃やすくらいのことはやるだろうし、リザならば致命傷を与えないように狙撃するくらいの腕はあるだろう。まぁ状況的に考えればロイ自身が動き回ることはありえないとは思っていたが、リザが出てこなかったのは助かったとしか言いようが無い。
「そっちから回り込め!!」
「了解!!」
四人のうち二人が、路地の先に回りこもうとしているのが聞こえた。
いい加減アルフォンスも疲れてきた。時間も丁度良いし、そろそろ本気で撒くことにしよう。
細い路地で両手をあわせ、振り向きざまに追ってとの間に壁を練成する。
「うぉっ?!」
高さ4mの壁は、そう簡単には乗り越えられないだろう。もう一度手を合わせ、今度は進行方向にもう一つ壁を練成して、更に隣のビルの屋上に向けて階段を練成した。
完全に切り取られた細い路地の中で、呼吸を整える。
階段は、トラップ。落ち着いて考えれば簡単に見抜けるちゃちなトラップだが、やっておかないよりはマシだ。
アルフォンスは両手をあわせ、今度は地面に触れた。地面にぽっかりと穴が開く。この路地の真下に地下水道が通っていることは確認してあった。
穴の中に飛び降りて、錬金術で穴を塞ぐと、周囲は一気に闇に包まれた。
「うわ、暗っ・・・」
闇の中、手探りでその辺りにおいておいたはずのランプを探す。手に触れたランプにマッチで火を点すと、ようやく周囲が見渡せるようになった。
「疲・・・れた・・・」
そのままずるずると地面に座り込む。一時間も軍人4人相手に走り回れば、常識的に考えれば疲れ果てるだろう。だが、なんとなく自分は大丈夫な気がしていたのは、やはり鎧だったころの感覚がまだあるのかもしれない。
「喉渇いた・・・」
しかし今地上に戻って追跡者たちに見つかっては元も子もない。まずはさっさと軍部に行って、やるべきことを済ませなければ。
アルフォンスは深呼吸して立ち上がった。
「そういえば兄さんにここから上がれって書いた場所、近かったな」
これだけ頑張ったのだから、ちゃんと逃げていてくれないと洒落にならない。まさかまだいるとは思えないが、一応その場所に立ち寄ってから軍部に向かうことにした。
「この辺・・・かな?あ」
その場所には、まだ燃え尽きずに火を点しているランプが地面に置かれていた。エドワードはランプの火を消さずにこの場所に置いていったのだ。まぁ、確かに石と水しかない地下水道では、火事になどなるはずも無いだろう。
「良かった、ここまでちゃんと来たんだ」
ランプに向かって歩み寄る。ランプの横まで来ると、ランプの隣に何かが置かれていることに気がついた。
「え・・・?」
手に取ると、瓶詰めのミネラルウォーターだった。何でこんなものがあるのか、と周囲を見回すと、壁の文字に目が留まった。
『兄さんへ
ここから上がって駅へ行って』
これはアルフォンスが書いたものだ。
その下に、文字が追加されている。
『アルへ
運動した後はちゃんと水分取れよ。
もう鎧じゃないんだから自分のことにも気をつけろ。
必ず、追いついて来い。』
文字の最後に、エドワードの似顔絵が描かれている。
「兄さん・・・」
宿を出るときは、こんなもの持っていなかったはずだ。だから、このミネラルウォーターは一度ここから出て、わざわざアルフォンスの為に買って戻ってきたのだ。
アルフォンスが疲れて喉が渇くだろうということを、アルフォンスよりも先に見越して。
アルフォンスがこの場所に立ち寄るという保証は無い。多分それも承知の上で、ミネラルウォーターを買って戻ってきたのだ。もしかすると来るかも知れない、そんな不確実な確率の低い予測の上で、アルフォンスを気遣って。
「勿体無くて、飲めないじゃないか、もう・・・」
だが、飲まなければそれはそれでエドワードの気遣いを無にすることになる。
ビンを頬に押し当てると、ひんやりとした感触が心地よかった。
少しの間その感触を楽しんでから、ビンの蓋を開ける。一息に水を飲み干すと、身体の中に染み渡っていくような気がした。
「・・・ぷはーーーーーーー!!」
からからに渇いた喉に水が美味しいのは当然だが、こんなにも美味しく感じるのはそんな感覚も久しぶりだからか、兄の心遣いが美味しく感じさせるのか。むしろそれら全てが複合しているのだろう。
「このビン・・・持って行きたいけど流石に邪魔になるよねぇ・・・」
右手のビンを見て、首を傾げた後左手の蓋を見る。
「蓋だけ持って行こう」
ビンを地面に置いて、蓋をポケットにしまう。エドワードが知ったら、くだらないことをしていると笑うだろう。けれど、アルフォンスにとってはエドワードから与えられるものは、全て何物にも代えがたいものなのだ。
「さてと、・・・行こうか」
アルフォンスは軍部に向かって歩き出した。
軍の門をフリーパスでくぐりぬけ、アルフォンスは入り口の前で軍の建物を見上げた。
止められたらエドワードから預かっている銀時計を見せるつもりだったが、「フラメル十字の紅いコートを着た子供」は既に定着しているらしく、誰もとめようとはしなかった。
少し肩をすくめて、施設の中に足を踏み入れる。
ロイ・マスタング大佐は、しょっちゅう仕事をサボってはここから脱走しているが、今日に限って言えば必ずここにいるだろう。離れたところで動き回る部下に指示を出すには、ロイは必ず特定の場所で連絡を受けられるようにしておかねばならない。
ロイの執務室の前で立ち止まり、一つ深呼吸をする。コートのフードを目深にかぶり、アルフォンスはノックもせずにいきなりドアを開けた。
「・・・!鋼の?!」
執務室には電話中のロイと、リザがいた。
「・・・おい、ここにいるぞ。一度切る」
ロイが受話器を下ろす。内容から察するに、ジャンたちの誰かからの報告の電話だったのかもしれない。
「・・・あれだけハボックたちを振り回しておいて、まさかここに来るとはね?」
指を組んであごに当てているロイは、挑戦的な笑みを浮かべている。アルフォンスは、笑みを浮かべた。
「それは走り回っていたのが本当に兄さんなら、でしょう?」
ぎょっとした様子のロイが、手を下ろした。リザが目を見開いて、口に手を当てる。
「アルフォンス、君?」
「はい、そうです。この身体では初めまして、ですね」
フードをゆっくりと外して、リザに向かってにっこりと笑う。それから、まだ驚いているらしいロイに視線を向けた。
「そんなに驚くことは無いでしょう?兄さんからボクが元に戻ったって聞いているはずなのに」
小首をかしげて問いかければ、はっとしたらしいロイが表情を引き締めた。動揺から瞬間的に立ち直れるのは、流石というべきか。
「本当に元にもどったのだね」
「ええ、お陰さまで」
再び不敵な笑みをはいたロイに、動揺している間にたたみかければ良かったかとちょっと思案する。とにかく、相手のペースに巻き込まれないようにしなくては。
「では、ついさっきまで走り回っていたのは君だ、ということかね」
「そうですよ。兄さんはもうセントラルを離れました。だからボク、これを兄さんから預かってきたんです」
笑顔を崩さずに、銀時計を取り出してみせる。ロイの視線が、少し鋭くなった。
「私はそれは受け取れない、と君の兄さんに言った筈だがね」
「こんな物で兄さんを縛ったところで、兄さんがボクを必要とするように大佐を必要とすることなんてありえませんよ」
笑ったまま一枚目のカードを切ると、ロイの眉が僅かに顰められた。
フュリーからもらった手紙に、ロイが『エドワードが弟のことでしか動かない』という発言をしたと書いてあった。過去、エドワードとロイに関係があった頃、アルフォンスはあれほどこの男に嫉妬したというのに、今、この男はアルフォンスの立場に嫉妬しているのだ。笑ってしまう。
「・・・いくら弟と言えど、それは君が口を挟むことではないはずだな」
この程度のことではロイは動揺しないらしい。エドワードと同じくプライドの高いタイプの人間であるのに、こういった面ではやはりエドワードより遥かに大人なのだろう。
「兄さんが望んでいるなら口は挟みませんけど。弟としては、兄がストーカーに悩まされていたら助けないわけには行きませんよね」
ことさら意識して、子供の口調で嫌味を言った。エドワードは子供扱いされることを嫌うが、アルフォンスならばそれが効果的だと判断すれば自分が子供であることすら利用する。
「それにしても、よくキミがここに来ることを鋼のが了承したものだな?」
嫌味をあっさりと流したロイが、冷笑を浮かべた。
「キミがハボックたちをひきつけて鋼のを逃がしたというのなら、昨日ここで何があったのか鋼のから聞いているのではないのかね?」
ロイが台詞に僅かに滲ませた殺気に気づかない振りをして、アルフォンスはにっこり微笑んで手をぽん、と打った。
「ああ!ストーカーさん大活躍の話ですね!!」
「まだいうかね」
言うが早いか、ロイはいつの間にか発火布の手袋をはめていた手で指を鳴らした。火花がアルフォンスの頬をかすめ、背後の扉を焦がす。
「私は子供が相手であろうと手加減などしないよ。キミと議論するつもりも無い。言いたまえ、鋼のはどこへ行った」
淡々として問うその姿は、見る人が見れば恐ろしいと思うのだろう。だがアルフォンスは火花が頬を掠めても微動だにしなかったし、笑顔も崩さなかった。
このくらいのことは、最初からされるつもりで来た。
「手加減なんかしないでもらえるとボクも助かります。兄さんなら、今頃列車の中だと思いますよ」
「どこへ向かう列車だ」
「ボクがそれを答えると思って質問してますか?」
ニコニコと笑って問い返せば、ロイがゆっくりと再び指を構えた。
「傷つけたければ、どうぞ?ボクは構いませんよ。兄さんは構うんでしょうけどね」
微笑を浮かべたままロイの目を真っ直ぐ見つめれば、ロイも目を逸らさず見返してくる。
「兄さんが自分を傷つけられても平気だけどボクを傷つけられるのには耐えられないのと同じで、ボクも兄さんが無事ならいくら傷つけられたって別に平気なんですよ」
笑って首を傾げれば、ロイの目が細められる。が、それが何を考えてのことなのかは分からなかった。
「・・・それでもキミが瀕死の重傷でも負えば、鋼のは戻ってくるだろうね」
そう笑ったロイに、なるほど、と思う。・・・アルフォンスがロイの立場にあったなら、絶対それだけはやらないだろうが。
「そうですね、戻ってくるでしょうね。そして自分のせいでボクが怪我をしたって自分を責めて責めて、ボクに必死で尽くしてくれるんでしょう。そしてボクに心を残したまま、ボクを守るために身体だけ大佐に差し出すかもしれませんね?」
ロイの眉がピクリと動いた。それには気づかない振りをして、アルフォンスは腕を組んでうーんと考え込む真似をする。
「ましてボクが死んだりしたら、一生兄さんはボクのことだけ思い続けて、他のものなんて見る事も出来なくなっちゃうんだろうなぁ・・・。ボクが兄さんの魂を貰っていくようなものになるんですかね?それだと」
それから、はたと思い当たった真似をして。
「ああ!じゃあ大佐は兄さんの身体だけ欲しいんであって、気持ちは無くても良かったんですね!なんだ、そうだったんだ。兄さんにちゃんと伝えておきますよ」
「君は・・・!」
ようやく顔色を変えたロイに、アルフォンスはダメ押しの笑顔を浮かべた。
「ああ、でもそんなこと兄さんももうよく分かってるかもしれないですよね。ボクを人質に取るなんてコトやった時点で、兄さんの心を手に入れられるわけないんですから」
ロイが歯噛みして手を下ろす。
「やらないんですか?貴方がボクを傷つければ、兄さんの心は永遠にボクだけのものになるのに。ボクにとっては願ったり叶ったりなんですけど?」
くすくすと笑えばロイが怒りに燃える目でアルフォンスを睨んだ。
アルフォンスが想定していた流れとは違ったが、ともかくこれでロイはアルフォンスに傷をつけるような行動は取れない。アルフォンスにエドワードという切り札がある時点で、はなから勝敗は決していたのだ。
ゆっくりとロイの机に向かって歩み寄り、アルフォンスは机の上に銀時計を置いた。
「兄さんにやったみたいに、ボクに対して兄さんを人質に取ろうとしたって、兄さんの居場所を知ってるのはボクだけですから危害を加えられるわけも無いんですよね」
机をはさんで反対側にいるロイに、にこっと微笑みかける。
「まだ何か言いたいことはありますか?」
「・・・いや」
「そうですか」
目を逸らしたロイの事実上の敗北宣言を聞いて、アルフォンスは笑みを消した。
「でもボクはまだ貴方に言いたいことがあります」
「・・・何・・・?」
訝しそうにアルフォンスを見たロイに、アルフォンスは無表情で目を合わせた。
「ボクが何よりも一番望んでいるのは、兄さんが幸せであることです。なのに貴方は2度も兄さんを酷く傷つけた」
ロイが少し目を見開く。
「さっき子供相手でも手加減しないって貴方は言いましたけど、ボクも手加減する気はありません」
「ここで闘りあおうとでも?」
「そんなことはしませんよ。でも貴方はボクをここで帰したところで、また兄さんに追っ手をかけるつもりなんでしょう?」
こんなことでロイがエドワードを諦める訳がないことはアルフォンスにだって分かる。ロイは銀時計を受け取らざるを得なかったくらいで諦めるようなやわな根性はしていない。
「でもボクは、兄さんを守るためならどんなことだってするつもりですから、これ以上兄さんに辛い思いをさせようというのなら」
そこまで言ってアルフォンスは両の手のひらを合わせ、手刀をロイの机に向かって思いっきり振り下ろした。錬金術の効力も相まって、ロイの机が真っ二つに割れる。
「貴方の大事な部下をずたずたにするくらい、ボクは躊躇いませんから。そのつもりで」
折れ曲がったロイの机から、ばさばさと積み上げられた書類が崩れ落ちる。アルフォンスはそのまま何も言わずに身を翻し、ロイの執務室を後にした。
アルフォンスの去った執務室で、ロイは粗大ゴミと化した自分の机を蹴飛ばした。
「誰だ、アレを温和な次男坊などと表現した奴は!!アレは獅子だぞ!ただ牙を隠していただけだ!!」
「大人になりかけの若いライオンといったところですか?これまでは保護者の影で守られていたから牙をむく必要が無かったということなんでしょうね」
ロイの机は使い物にならないため、リザはロイのコーヒーをサイドデスクの方に置いた。
「・・・君は冷静だな。驚かないのか、アレを目の当たりにして」
ため息をついたロイがコーヒーを手に取る。リザはお盆を持ったまま窓に視線を向けた。
「確かに驚きましたが、納得もしました。エドワード君を傷つけた、と言ったアルフォンス君が出していた殺気は、昨日のエドワード君を彷彿とさせましたから。やっぱり兄弟なんですね」
「それだけかね・・・」
ロイが疲れた口調で呟いて、コーヒーに口をつける。
「それは、逆に私が質問させていただきたいのですが」
リザの言葉に、ロイはコーヒーから口を離した。
「・・・どういう意味だね?」
「エドワード君が逃げるという選択をしたこと、それもアルフォンス君を危険にさらす手段をとってまでそれを実行したことに何か思うことはありませんか?」
「・・・鋼のを諦めるべきだとでも言いたいのか」
「そういうわけではありません。何もないとおっしゃるのならそれで構いません」
私が指摘することでもありませんし、とリザが呟いた言葉は、ロイの耳には届かなかった。
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ようやく!!かっこいいアルフォンス!!
最初はいつものアレでしたけどね(笑)
そして結構謎なエドの行動・・・
実は一番のエドの理解者は、アルではなくリザさんだったりします。
アル、精進しろよ〜
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